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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第百十節 予期せぬ事象①

 屋内に飛び込むように現れた男の周章の口明けに、場の不穏さが増した。何事だと、どよめきが一瞬辺りに響く。


「何があった?」


 緊急事態との一報にハヤトは怪訝な面持ちを浮かす。続きの促しを送れば、男は最敬礼の姿勢を取ったままで口を開き――。


「首都ユズリハの南南東海域に、大型の魔物が複数出現いたしましたっ!!」


「なに……っ?!」


 思いも掛けていない弘報(こうほう)。それを聞いた途端にハヤトのみならず、ヒロたちまでも吃驚の色を窺わせる。瞬く間に場の空気へ、慌てを含んだ異様さが漂う。


「個体はシーサーペントとの報告がありっ! 巡視に当たっていた海賊船団が強襲され、救助要請弾の打ち上げが確認されましたっ!!」


 男は場の空気を気に留めることもできず、猶々(なおなお)大声(たいせい)での報を告げる。その報告によって、立ちどころにヒロの表情が一変した。


「リュウセイたちが襲われているのかっ!!」


 信じがたいという思いをヒロは声音に含ませて張り上げた。全く以て予想をしていなかった事態に表情は焦燥と険しさを出し、歯噛みをする。


「ヒロ……ッ!」


 救助要請弾が打ち上げられているということは――、事態は芳しくない。誇り高く屈強な海の男たちが助けを求めるということは、状況は一刻を争うものだろう。

 ヒロのことなので、すぐに加勢に向かうつもりなはず。だけれども、どうするつもりなのだろうか――。


 シーサーペントと呼称された魔物のことは、文献の中でだがビアンカも了している。


 大きな胸(びれ)と背(びれ)。頭部に(たてがみ)を有する蛇のような見目をした大型の魔物であり、非常な凶暴性を持つ。

 大海原に生息する(ぬし)とも言われ、例え艦隊軍と(いえど)も襲われればひとたまりもないとされていた。


 それほどの魔物を複数体相手にするということは――、ただの帆船では太刀打ちできないはずだ。恐らく、ヒロが自ら打って出て、“海神(わたつみ)の烙印”を行使せざるを得ない。

 だが、さような事態になったとすれば、ヒロも無事で済まないことは明らかだった。


 しかし――。


「すぐに救援に向かうっ! シーサーペントが相手なら連邦艦隊を出すっ!!」


 迷いの一切無い、覇気のある宣言が辺りに響く。“オヴェリアの英雄”としてのヒロの言明は、大統領であるハヤトにさえ(しか)しを言わせず首肯(しゅこう)させた。


「首都にまでシーサーペントに近づかれてしまっては不味い。すぐに招集・出撃命令を出そう」


「助かるっ! 頼んだぞっ!!」


 ハヤトから下される連邦艦隊と呼称される船軍の出撃許可に、ヒロは満足げに唇に弧を描いて(きびす)を返した。――かと思うと、ビアンカたちを一瞥することなく駆け出していく。


「あっ、待ってっ! ヒロッ?!」


 まるで独りだけで何とかしようとするヒロの行動だった。それにビアンカは慌てた声を上げると、自らもヒロを追うべくして駆け出していた。


 その一連の流れを見つめるのは、赤色の瞳――。眉間に深い皺を寄せるルシアは、呆れの様相を表情に宿す。


(……このタイミングでリーダーを引っ張り出すようにして起こった、海の魔物の強襲。リーダーは頭に血が上って気が付かないようですが、この違和感は――)


 脳裏に過るのは、こちらの目を余所(よそ)へ逸らさせる目的がある、妙な意思の力への不快感。そして、早々に悪意ある思惑に乗ってしまったヒロへの失笑の感情。


 何かが起ころうとも、それらを防ぐ許しを創造主である“世界と物語を紡ぐ者(ストーリーテラー)”に得ていない。自分はあくまでも、事が起こるまでは“調停者(コンチリアトーレ)”という傍観者でいなくてはいけない。


()()()に逆らうわけにはいかないので、私は大きく手出しができない。なんとも厄介な立場ですね)


 ルシアの口端を漏れ出すのは、面倒くささを示唆させる嘆息(たんそく)だった。


「……私たちも行きましょう、カルラ」


 仕方なさげな声音でルシアは呟く。それによって、指示を飛ばすハヤトを金と銀の双眸で観察していたカルラは、はたと反応を示した。

 僅かながらに間を置き、解せなさを彩った金と銀がルシアを見やる。だが、それもほんの束の間で、すぐに頷いて促しに(うべな)う。


「ん、分かった。行く」


 足早にヒロとビアンカを追い、場を後にして行ったルシアとカルラ――。


 草々たる雰囲気に陥っていた中から立ち去ったヒロたち。その背を打見するハヤトの濃茶の瞳は――、どこか忌々しげな色を宿していた。煩わしさをも面持ちに浮かせているのを、辺りで忙しなく動き回る者たちは気付いていない。


 ただただ黙しているハヤトは不意と唇を歪め、鼻を鳴らして一笑を漏らした。


「――せいぜい身を粉にして首都の守護をしてくれよ。不死のバケモノども」


 ハヤトの口端から嘲笑いと共に漏れ出した小さな言葉は、喧噪の音に紛れて誰の耳に留まることは無かった。



   ◇◇◇



 住宅地域から埠頭まで続く入り乱れた傾斜道を黒色が駆け下りる。時折、行き当たる住人たちを慌て除けさせ、人々にぶつからないようにヒロの急ぐ足を緩めさせた。


「ヒロッ! 待ってっ!!」


 ヒロが走る速度を落としたのを機と見て、ビアンカは腕を伸ばしてヒロが羽織る上着の裾を掴んでいた。衣服を引かれたことで、ヒロは煩わしさに眉間を寄せて足を止める。すぐさまビアンカへと向く紺碧色の瞳は困窮と焦燥を大いに彩り、何故足を止めさせるのだと声無き批難を彼女に投げ掛けた。

 だが、さようなヒロを意に介さずにビアンカは息切れで肩を上下させながらも、握りしめたヒロの服を離そうとしない。


「……君はルシアたちと待っていてくれないか」


 不機嫌を宿した低い声音が諭しを放つ。しかし、そうした促しにビアンカはかぶりを振るう。


「私も、手伝うから。ヒロだけに大変な思いは、させられないわ」


 呼吸が整わないままビアンカが提言すれば、ヒロは否を示して首を左右に動かす。


「流石に連邦艦隊に国外(そと)の人間は乗せられない。大人しく言うことを聞いてくれ」


「でもっ! もし、また“海神(わたつみ)の烙印”を使うなんていうことになったら。あなた、どうするの?!」


「……その時はその時だ。毎回と君に頼り切るワケにもいかない」


 いつまでも一緒にいられるワケではないのに――、と。紺碧色の瞳が雄弁に物語る。


 今はビアンカに手伝わせて苦労が無かったとして、後に同じような事態が起こったとしたら――。

 もしかしたら、自分は“海神(わたつみ)の烙印”から受ける惨痛を更に恐れ、救える者を助け出す期を逃してしまうかも知れない。

 ならば初めから期待を抱かず、呪いの力がもたらす痛みと苦しみを受けよう。初めからビアンカがいないものとすれば、仕方が無いこととして諦めもつく。


「ビアンカに甘えていたんじゃ、僕は腑抜けてしまう。“海神の烙印(こいつ)”と向き合えって言ったのは、君自身だ」


「言っていること、本当にワケが分からないわっ! 頼れる時は頼ってよっ!!」


「シーサーペントが何匹もいたんじゃあ、僕も連邦艦隊も無事じゃ済まない。それだけ危ないヤツなんだ……っ! 僕は君が大事なんだ。大切にさせてくれよっ! ただでさえ、“ニライ・カナイ”の海賊騒ぎの時には妥協したんだっ! これ以上、僕に君を危険な目に遭わせるような指示をさせないでくれっ! 君に何かあったら、僕は――っ!!」


 ヒロの口から堰を切ったように、感情に任せた言葉が溢れ出す。叫びに近い悲壮が入り混じる言葉を向けられ、ビアンカは声を詰まらせた。


 “海神(わたつみ)の烙印”の行使についての話は、ヒロの本心を誤魔化したものだったのだろう。だが、“海神(わたつみ)の烙印”がもたらす痛みを敬遠するが仕方がないことだという思いは、全てが嘘ではないとビアンカにも分かる。


 しかし――、胸に湧き上がるのは『自分自身のことは二の次なのか』という、ヒロに対しての(いきどお)りだった。


 ビアンカは“喰神(くいがみ)の烙印”の力もあり、致命傷といえる傷を負ったとしても死ぬことは無い。ならば、多少危ない目に遭おうとも、大怪我を負えば死を迎えてしまう者の救済を優先するべきではないのだろうか。

 それなのに、ビアンカを危険な目に遭わせたくないと語った上でリュウセイたちをも救い、魔物を退けようというのか。自らだけが傷付く覚悟を決めて――。


「――痴話喧嘩は程ほどにしてください」


 ビアンカが奥歯を噛み締めた後に二の句を告げようとすると、不意と鈴が鳴るような声が被された。

 ヒロとビアンカの視線が声の(ぬし)に向けば、その先にいたのは呆れを表情に帯びるルシアだった。


 紺碧と翡翠の瞳に見据えられたルシアは一つ溜息を漏らし、歩み寄って来る。


「リーダーに提案が二つあります」


「……なに?」


 今はそれどころでは無いのだが、と。不服を表情で語りながらヒロは返弁を漏らす。だが、ルシアはヒロの焦燥と相反する、涼しげな顔つきで言葉を綴り出す。


「一つ。――リーダーは連邦艦隊の指揮はしないでください。船に乗ることは認めません」


「は?」


「リーダーの代わりとして、連邦艦隊の指揮を取れる者もいるでしょう? シーサーペント討伐と巡視の海賊船団救助の指揮は他の方に任せてください」


 完全に慮外なルシアの申し渡しだった。ヒロの口から呆気に取られた声が漏れ出し――、だが、次には見る見るうちに深い皺を眉間に刻む。

 何故(なにゆえ)に船に乗るなと言うのか、それがヒロには一切理解できない。苛立ちと怒りを隠そうともしない紺碧色の瞳がルシアに向けられる。


「何を言って――!!」


「その代わりに連邦艦隊の守護と巡視船団の救援は――、私が引き受けますので」


 異議申し立てをヒロが発するのに被せ、ルシアが言い放つ。途端にヒロは口籠りを見せ、再び表情に困惑を彩った。


「……どういう、ことさ」


「私が責任を持って一隻たりとも連邦艦隊を沈ませず、巡視船団の救援を行うと約束します」


「でも、それだと君が――」


 ここでルシアが手を貸すということは、“調停者(コンチリアトーレ)”の職務の域を超えることになり、“世界と物語を紡ぐ者(ストーリーテラー)”に罰を受けることになってしまうだろう。


 それをヒロが案じ制しようとすると、ルシアは唇に弧を描いた。そして、右手を拳に握り左胸に押し付けるオヴェリア群島連邦共和国の敬礼の仕草を取る。


「これは“調停者(コンチリアトーレ)”としてではなく、ルシア・ギルシアという個人として。同盟軍の元軍主――、ヒロ・オヴェリアの戦友の一人としてのお力添えです」


 凛とした声と自信に満ち溢れた顔。どこから自負心が湧いているのだと思わせるほど――、ルシアは自身の不敗を信じている。


 複数匹のシーサーペントが相手では、ルシアも荷が重いはずだった。“調停者(コンチリアトーレ)”の立場を投げ出し、ヒロに手を貸すということで懲罰も受けるはずだ。それでも臆すること無く、彼女は任せろと言う。

 しかし、何故そのようなことをルシアが言い出すのかが、ヒロには分からないままだ。それ故に(だく)を下しかねていると、ルシアは再び言葉を紡ぐべく口を開いた。


「二つ目。――カルラの話を、聞いてあげてください」


「え?」


 返事を待たずして述べられた二つ目の()()


 カルラは一つ頷くと、ヒロを金と銀の双眸で見上げる。

 怪訝さを帯びた紺碧色の瞳に見据えられ、カルラは自身が()()()()を語り始めるのだった。


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