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片翼の鳥~出会いと別れの物語~  作者: 那周 ノン
第三幕【毋望之禍】
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第百九節 異常事態

 室内に漂うのは血生臭さ。そこに強い腐臭が混じっていないため、死に身として発見された保安委員長は絶命してから然程(さほど)時間は経っていない。


 正装衣から普段の装いに着替えたヒロとビアンカ、“調停者(コンチリアトーレ)”の衣服を身に(まと)ったままのルシアとカルラは、揃って凄惨な現場に眉を(しか)めていた。

 眼界にあるのは、血に塗れた壁面。忙しなく現場検証に動く警吏(けいり)団。そして、死亡確認が取られたために、そのままにされている保安委員長の亡骸だった。


 大統領であるハヤトがヒロの依頼に従い、保安委員長の元へ呼び出しのための使者を送った。そして、殆ど間を置かずに、使者は血相を変えて戻ってきたという。

 余程混乱をしていたのだろう。警吏(けいり)団や自警団に通報をすることもせず、そのまま城に逃げ帰ってきたそうだ。


「――物の見事に両断されているな。左側の肩口から腹にかけてを一発か」


 感嘆ともつかないハヤトの声が背後から聞こえ、ヒロの眉間に皺が寄る。


 オヴェリア群島連邦共和国の重鎮の一人が死体で発見されたこともあり、ハヤトもジッとしていられなかったのだろう。ヒロたちと共に城下にある保安委員長の自宅へ足を運んだが、現場の状態を目にして、険しい顔付きを窺わせていた。


 そして、ハヤトの言の通りに零れ落ちた臓腑と血溜まりの中で俯せになって倒れ込んでいる保安委員長は、左側の肩から腹にかけてに斬り付けられた痕があった。


「出入口に頭が向いて倒れているってことは、逃げようとしたところをやられたか。傷の状態を見る限りだと、結構大型の剣で襲われた感じだねえ」


 前下がりになった黒髪の毛束を左手で弄びながら、ヒロが亡骸を覗き込んで零す。


(……この剣傷、見覚えがあるな。これは確か――)


 オヴェリア群島連邦共和国で主流になっているのは、カトラスなどの剣身が短めな湾曲の掛かった剣だ。それは、船上や船倉などの乱雑な場で剣を振るうことを想定した戦い方が主になるため。ならば、保安委員長を襲った人間は外部の者の可能性が高くなる。

 逃げる相手には踏み込みと共に刺突を背後から見舞わせるのが、仕留めるには早い。突き刺すことを狙わずに斬撃を仕掛けているということは、剣の先端を狙った攻撃ができなかったから。だが、カトラスは通常の剣より重さがあると(いえど)も、人間の肩から腹にかけてを斬れるほどの重量は掛けられない。


 紺碧色の瞳が見つめる傷口と、損傷がそれほど無く床に落ちる臓腑。その状態は鋭利な刃物で斬り裂かれたというよりも、重さのある剣で叩き潰しながら斬られた印象を受けるものだった。

 片手で取り回すのが難しい両手剣の類か、もしくは――。


(剣の切っ先が無い、重さのある武器。――シャドウの扱っている処刑人の剣か……)


 ヒロはかつて目にしたことがある傷口の状態から、それが何で負った傷かを推していた。


 エクセキューショナーズソード――。俗名“処刑人の剣”と呼ばれる剣は、その名前の通りに罪人の首を斬る際に使われるものだった。そうして、その武器を扱う知りうる相手は――、シャドウだけ。

 それらを想起するに保安委員長を殺めたのは、オヴェリア群島連邦共和国に姿を現しているシャドウの可能性が高いのではないかと思う。


「英雄殿と保安委員長は折り合いが悪かったとはいえ、国守の一手を担う顔見知りが死んだとなると無念だろう」


 ヒロの思考を遮るように、ハヤトの声が耳に届く。そうした声掛けにヒロは紺碧色の瞳を上げハヤトを見やると、首肯(しゅこう)を示した。


「そうだね。保安委員長(おっさん)のことは好きになれなかったけど、流石にねえ」


 幼い頃から成長を見守ってきたリュウセイや、大統領就任の際に面倒を見てきたハヤトとは違い、保安委員長は群島(もん)の血を引くものの元々が中央大陸で過ごしてきた人間だ。ハヤトの知人としてオヴェリア群島連邦共和国に赴き、保安委員長の座に就いた経緯(いきさつ)がある。

 大本の考え方が中央大陸――、本島の固い思想を持つ人物だった。それ故にヒロとは価値観の相違があり、どうも上手く付き合えない相手ではあった。

 だが、そうはいっても、やはり見知った者の死は堪える。ましてや、ヒロは知人や友人の死に対し、心を痛めやすい気質にあった。そのために、心中は複雑な感情が渦巻く。


「……ヒロと折り合いが悪い人が、群島にもいるのね」


「そうですねえ。直接リーダーとやり取りをする海賊たちは絶対服従の意を示していますが、机上で仕事をするヒトたち――、リーダーの働きぶりを目で見ていない者の中には反抗的な人たちもいるようですよ」


 不意と聞こえたビアンカとルシアの小声での話。それを耳にして、ヒロは微かに喉を鳴らした。


「……ほんと、その通りなんだよ。特に保安委員長のおっさんが顕著でね。僕はおっさんが苦手だったんだよねえ」


 嘆息(たんそく)と共にヒロが言すれば、談話を聞かれていたのかと物語る翡翠色と赤色の瞳が向く。


「ごめんなさい。こんな時に変な話をしていて……」


 ビアンカが気まずげに謝罪を述べると、ヒロは気にすることは無いと意味するように(こうべ)を振るう。

 ヒロの人当たりの良さや人好きな性格を領得しているからこその、ビアンカの疑問なのはヒロにも分かる。今のくさくさとしてしまう心境を振り払うのに都合がいい、と。ヒロは敢えてビアンカの疑に答えようとした。


「群島の保安委員会って、本島(おか)で言う騎士団と同じような役割なんだ。だけど、騎士団の長――、えっと。こういう場合って団長なのかな、それとも将軍が当てはまるのかな? まあ、とにかく。その騎士団の長と保安委員会の長って大分違うんだよ」


「騎士団みたいな国を守る仕事も、群島は独特な感じなのね」


「うん。それで、保安委員会の上にいる人たちは、さっきルシアが言っていたように机上での仕事が主なんだ。自分で現場を見ていなくて知らない。だけれども、ああした方が良いこうした方が良いって口うるさく指示してくる感じだった」


「……耳が痛い話だな」


 ヒロの辟易とした声音で説話される内容に、ハヤトが苦笑いを浮かしてぼそりと零す。大統領として机上での職務が主なハヤトとしても思うところがあったのだろう。

 だが、そうしたハヤトの漏らしに、ヒロは一瞬だけ目を向けるとへらりと笑った。


「現場を知っているヒロと意見が合わなかったから苦手だったの?」


 尚もビアンカが首を傾げつつ問いを投げると、ヒロは口元に手を押し当てて一顧を見せた。微かに喉の奥を鳴らして唸り、一呼吸を置いてから口を開き、話の続きを綴り始める。


「それもあったんだけど。――保安委員長は僕のことを目の敵にしていたっていうか、邪魔に思っている感じだったんだよねえ」


「え? ヒロのことを?」


 あまりにも意外だった返弁にビアンカが翡翠色の瞳を丸くすると、ヒロは首を軽く縦に振った。


「直接言われたりしたワケじゃないんだけど。そういうのって、雰囲気や態度で分かるじゃない?」


 苦手だと思っていることや嫌っていることは、例え口に出さずとも相手に伝わるもの。それらをヒロは聡く、保安委員長の日々の態度から感じ取っていた。


 そんな中で保安委員長はヒロに対し、必要とされる報告を怠る行為や声を掛けてもすぐには応えずに無視をするといった、顕著でもあるが地味ともいえる嫌がらせの数々を行っていたという。


「あんまり態度が悪いから、一度殴ってやろうかと思ったんだけど。他の高官たちに止められちゃったんだよねえ」


 眉を下げた何とも複雑な表情を帯び、ヒロはカラカラと笑う。

 殴ろうかと思ったという言は、ヒロらしいといえばヒロらしい。しかしながら、さような海の男の粛清じみた行いは確かに止められるだろう。そんなことをビアンカは思い、苦笑いともつかない乾いた笑いを零してしまう。


 そうしたヒロの口述に顔を(しか)めていたハヤトだったが――、不意と再びヒロへ濃茶の瞳を向ける。(いささ)かの口切り出しにくさ。それを感じさせる様相を窺わせたかと思えば、嘆息(たんそく)を漏らし――。


「――保安委員長は。英雄殿が国守の要なのを、快く思っていなかった」


「え?」


 唐突に綴られ始めた低い声音での事実。それにヒロが吃驚を示し紺碧色の瞳をハヤトへ向けると、眉間に深い皺を寄せた強面が再び溜息をつく様が映る。


「あまり死人の言ったものを暴くこともしたくない上に、英雄殿の耳に入れないようにしていたのだがな。――保安委員長は()()()()に良い感情を持っていない者だったといえば、まあ分かるだろう?」


「あー……、そういうことか……」


 死人に口なしとはよく言うものだが、ハヤトから暴露されたそれに腑に落ちたとヒロは頭を仰ぎ嘆声(たんせい)した。


「え。それじゃあ、保安委員長がヒロに当たりが強かったのって……」


「僕が“呪い持ち”で()()()()()じゃなかったからだね。……いやあ、我ながら頭がおめでたかったなあ。そういう理由だって、全然気が付かなかったや」


 言われて初めて気が付いた事柄に、思わず嘆息(たんそく)が口をつく。


 ヒロは今まで故郷であるオヴェリア群島連邦共和国で、“呪い持ち”であることに対して差別的な扱いを受けたことは無かった。国の重鎮たちの一部しかヒロが“海神(わたつみ)の烙印”という呪いを宿しているのを知らないから、というのもあったが――。

 完全に差別的な考えが無かったわけではない。恐らくは、ヒロ自身が気付いていなかったのだ。


「英雄殿は味方が多いのもあって、他の者たちが耳に入らないように弾圧していたのもある。そうした“英雄派”から保安委員長は大分反感を買っていた」


 “オヴェリアの英雄”であるヒロに味方する国の重鎮や国民は多い。それ故にヒロに対し、あからさまな生意愛敬(せいいあいきょう)が無い態度を見せる保安委員長の心証は悪かった。


「“英雄派”の過激な考えを持つ何者かにやられた可能性も、あるのかも知れんな」


「ハヤト、そのことなんだけど――」


 ハヤトから告げられた内容に、ヒロは保安委員長がシャドウに殺められただろうことを確信した。そのことを説明しようと口を開いた矢先だった。


 ヒロの言葉を遮るように騒然たる足音を響かせ、家屋の中に兵士と思しき井出達をした男が飛び込んできた。

 男は息を切らせながらも最敬礼のために姿勢を正したかと思えば、ハヤトに一線の(まなこ)を差し向けて口を開き――。


「大統領閣下っ! 緊急事態ですっ!!」


 一同の視線を一身に集め、焦燥から声高な報告を綴り始めるのだった。


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