第十節 確かめること
「それはそうと――」
ルシトは言いながら、赤い瞳でビアンカの左手を見据えた。
ビアンカの左手には、かつてルシトが“世界と物語の紡ぐ者”によって託された――、“呪い”に対して耐性を持つ魔獣の革を魔力で撚糸した糸を用いて作られた手袋が嵌められている。
「――あんた、“喰神の烙印”の力を抑え込むのに、封印を二重に施しているね?」
ビアンカの左手を見やり、ルシトは呟く。
「あ、うん。この子を宿してから――、一緒にいる内に段々と力を増してきているみたいでね。前にルシトに貰った手袋だけじゃ抑えが効かなくなってきちゃって……、今は封印の呪文が裏に書かれた包帯も巻いているの」
ルシトの問いに、ビアンカは答えながら、自らの左手の甲に右手を添えて撫でる。
ビアンカの宿す“喰神の烙印”の呪いを抑え込む力を持つ革の手袋の下には――、強い封印の力を有する呪文が刻まれた包帯が巻き付けられていた。
それでも尚、傍に近づくと感じられる、“喰神の烙印”が放つ魔力に、ルシトは顔を顰める。
「前に比べたら、大分言うことを聞いて、大人しくしてくれているのよ?」
顰め面を見せているルシトを目にし、ビアンカは眉をハの字に下げ、困ったような笑みを浮かべて言う。
「――こいつに言うことを……、ね」
確かに、“喰神の烙印”が飢えている気配は感じない――、と。ルシトは思う。
エレン王国に来るまでの間に、何者かの魂を喰わせたのか。それとも、エレン王国に訪れてから、誰かの魂を掠め取ったのか――。それは、ルシトに解することはできなかった。
だが――、ビアンカの厳重に封印を施された左手の甲に存在する“喰神の烙印”からは、禍々しい印象を受けないのも事実だった。
“喰神の烙印”が、鳴りを潜めて大人しくしているということは――、ビアンカが上手く魂を、それに与えているということである。
そのことを、ビアンカが悪びれた様子も無く口にした故に、ルシトは心の片隅で引っかかりを覚えていた。
(――上手く飼い慣らしていられれば、良いんだけれど……)
人の死に関して、無感情になりつつあるビアンカの心中に、ルシトは微かに察し付く。そして、嘆息を漏らしていた。
◇◇◇
「げ、ルシト……」
暫しの間、ビアンカとルシトが雑談をしていると――。アインが漸くルシトの姿を見止め、気まずそうな声を投げ掛けてきた。
そのアインの声掛けに、ルシトはアインに視線を向けたかと思うと、大きく溜息を吐き出す。
「――アイン王子。こう毎回のようにカルラを連れ出されると、僕があいつに迎えに行くように言付かって仕事に支障が出て困るんだけど……」
ルシトは赤い瞳に心底煩わしいという色を宿し、仕えるべき主であるはずの“ファティマ一族”――、王族のアインに対しても、ルシトらしい威圧的な態度で物言う。
そんなルシトの態度に、アインは尻込みするように、言い訳さえも出せず口を噤んでしまった。
「あ、ルシトさんだ。お迎え、ですか?」
「ルシ兄ぃ……」
アインの声でシフォンとカルラも、ルシトが訪れていたことに気付いたようで、揃って声を掛けてくる。そうして三人で連れ立ち、ルシトとビアンカの元に歩み寄ってきた。
「そうだよ。いつもの通り、迎え役だ……」
ルシトの嘆息と共に口にした言葉に、ビアンカは黙って聞きながら可笑しそうに微笑んでいた。
(――何だかんだ言いながら、ルシトは面倒見が良いからねえ……)
外面は人当たりがきつく辛辣な物言いが多いルシトであるが、内面は優しい気質をしていることをビアンカは察しているため、それを微笑ましく思う。
そんなことを考えていたビアンカに勘付いたのか、一瞬だけルシトがビアンカに不本意そうな眼差しを送るが――、ビアンカはその一瞥にヘラリと笑って返す。
「――カルラ。もう帰る時間だ。今日はあいつが、早めに屋敷に帰れそうだってさ」
「本当? また、本のお土産、あるかな……?」
「さあね。あいつの考えることは分からないけれど。カルラが良い子にしていたって思うんだったら、あるんじゃない?」
カルラの問いに対し、ルシトはつっけんどんな言い方で答えるが――。ルシトの返答に、カルラは嬉しそうに笑みを見せた。
「ルシ姉ぇも帰ってくる……?」
「ああ、ルシアも戻るって言っていたよ。今日は久しぶりに、四人揃う日だね」
「ん。楽しみ」
カルラの言葉にルシトは優しげな微笑を浮かべ、自身に近づいて来たカルラの頭を優しく撫でてやっていた。
ルシトとカルラのやり取りを微笑ましげに見守っていたビアンカだったが、そんなビアンカにルシトは不意に視線を向けた。その赤い瞳は僅かに細められ――、何か言いたげな眼差しをビアンカに送る。
ルシトの様態にビアンカは首を傾げ、何かあるのか――と、勘がえてしまう。
「――ビアンカ。さっきも言ったけれど、あんたはエレン王国に長居をしすぎると不味い。この国は“世界と物語の紡ぐ者”の掌の中と言っても過言じゃない。あんたの身のためにも、早々に立ち去ることを……、僕は助言するよ」
ルシトは赤い瞳でビアンカを見据えたまま、静かに言葉を零した。
ビアンカは――、二度目の助言となるルシトの言葉に、眉を顰める。
「ただ――、この国には……」
そこまで口にすると、ルシトは言葉を切った。そして、一巡、何かを考える様を窺わせる。
「いや、止めておこう。これは、あんた自身が確かめることだ……」
思わせぶりなルシトの言葉。それにビアンカは首を捻る。
「何が、あるの……?」
ビアンカは眉を寄せたまま、怪訝そうにしてルシトに問う。だが、ルシトは首を振り、それ以上答えようとはしなかった。
答えを綴らないルシトに、ビアンカは仕方なさそうに溜息を吐き出す。
「それじゃあ、僕たちはそろそろ帰るよ……」
ルシトは言いながら、傍らに立つカルラを抱き上げる。
「ねえ、ルシト。私はもう暫くの間、この国にいるつもりよ。――だから、今度さくら亭に来て。いつもお世話になっているし、食事くらいはご馳走させて」
「ふふ……、考えておくよ。――またね」
ビアンカの言葉に、ルシトは内心喜んでいるのが分かる笑みを見せ、再会を意味する言葉を口にする。かと思うと、再度ルシトの周りに強い風が吹き荒れ――、ルシトとカルラの姿は、風と共にその場から消えていった。
吹き荒れた風。その風に再び髪を乱されたビアンカは、それを整えながら――、ルシトの見せた笑みを思い、自身も嬉しそうな面持ちを浮かべていた。
「ビアンカ姉ちゃんと、ルシトさんって知り合いだったの?」
ルシトとビアンカのやり取りを黙って聞いていたシフォンは、不思議そうにビアンカに声を掛けていた。
「なあ。しかも結構、仲良しじゃねえ? 俺、あいつのあんな顔、初めて見たんだけど?」
シフォンの言葉に同意を示すように、アインも揃って口に出す。
さような二人の問いに、ビアンカはくすりと笑った。
「前にね、凄くお世話になったことがあるのよ。――それからは、私が勝手に“お友達”って思っている感じかしら」
言いながらビアンカはくすくすと笑う。それは、「きっとルシトが聞いたら嫌な顔をするだろう」――と。そう考えて漏れた笑いだった。
「へえ……、珍しい。ねえ、アイン君?」
「だな。ルシトはツンケンしていてさ。そういうのとか、面倒くさがって嫌がるのに」
そのように互いに応酬しあうアインとシフォンの言葉を聞き、ビアンカは更に可笑しそうに笑ってしまう。
「ルシトって――、お城でもあんな感じなの?」
笑いに肩を震わせながらビアンカが問うと、アインは「そうだぜー」と失笑する。
「ルシトってさ。あいつの姉貴――、ルシアと違って優しくないんだよな。なんか話し掛け辛いっていうか、面白みがないっていうか……」
「うんうん。ルシアさんは優しいのにね。双子だって言っても、似ているのは顔付きだけなんだよね。性格は丸きり正反対なんだよ」
辛辣なアインとシフォンの、ルシトに対する評価。それにビアンカは堪えきれなくなり、遂に笑いを噴き出してしまった。
「あはは。確かにルシトはツンツンしているわよね。私は、彼のお姉さんの方に会ったことは無いけれど――。ルシトは素直じゃないだけで、本当は優しい人よ?」
それは百余年もの間に、ビアンカがルシトの人柄に触れてきた故に気付いた、彼本来の性質なのだろうと。そうビアンカは了していた。
ビアンカと比べて、まだまだルシトとの付き合いが浅いアインとシフォンが、ルシトの本当の気質に気付いていなくても無理はない。そのようにビアンカは推し量る。
ビアンカの言葉に、意に沿わない表情を見せるアインとシフォンだったが――、二人の表情を目にして、ビアンカは再びくすっと笑う。
「私たちも、そろそろ戻りましょうか。二人も魚、釣れなかったんでしょう?」
「あー……、今日は不調だったなあ」
「うん。全然釣れなかった……」
ビアンカの促しに、アインとシフォンは口を揃えて不服そうに言う。
「そういうこともあるわよ。――また今度、誘ってね」
ビアンカが笑顔を見せて言うと、アインとシフォンは「勿論っ!!」と、声を揃えて口にする。そうした二人の息の合った言葉を、ビアンカは微笑ましげに聞いていた。




