第百二節 心あるもの
銀色の双眸が視るのは、自身の足とルシアの足。決してルシアの赤色の瞳と視線を交わらせないようにしつつ、どこか気後れした様子をモルテは醸し出す。
海の魔物や空を飛び交っていた魔物の魂を喰らって一息ついた早々に、“調停者”であるルシアがモルテに声を掛けた。
先にモルテと交わした約束の通り、ルシアは自らの魔力を“喰神の烙印”の糧として分け与える旨を口にしたが――。頬を朱に染めた潤む赤色の瞳に見据えられ、図らずもモルテはたじろぎの感情を覚えていた。
自らの申出であったため、不承不承ながらも魔力を分け与えられることに承諾したものの。ルシアから向けられる敬慕な眼差しが何とも落ち着かない。
昔から“大地の聖女”が創られた人形であるにも関わらず、人間臭さを有していると思ってはいた。しかしながら――、まさか“呪いの烙印”である自身に恋慕の感情を向けてくるとは、露ほども思わなかった。
頭の片隅で、まるで蛇に睨まれた蛙になった気分だと思ってしまう。絶対にルシアと目を合わせてはいけない気がする。
“喰神の烙印”という忌むべき呪いの人格として生を受け、宿主や周りの人間に害を為して恐れられる存在。そんなモルテが――、初めて向けられる思慕の情に、困惑と狼狽を感じていた。
「――このくらいで如何でしょうか?」
快事を含ませたルシアの声が掛かると、思想の海に身を投じていたモルテは俯きながら、はたとした様相を見せた。
魔力を分け与える手技を終えたことを告げられたため、腹具合に意識を傾ける。その身に巡る魔力の流れを感知し、ほどほどに蓄えができたことを悟って首を軽く縦に振った。
モルテは実体を持てるようになったと雖も――、それが未だ不完全な状態だった。人間のような食事を摂ることを必要とせず、例え食料を口にしてもそれを活動のための糧にはできない。それ故に、モルテは喰らった魂を魔力へ置き換えて活力にする。
喰らう魂は人間のものが望ましい。しかも、それが“喰神の烙印”を宿すものの近しい者であればあるほど、モルテにとっては好物だった。宿主にとって身近な者の魂は、掠め取った際の宿主自身の苦悩という加薬も相まって、実に甘美なものだと思っている。
半面で魔物の魂から得られる魔力は微々たるもの。これが何故であるかは、“呪いの烙印”本人であるモルテにすら解せなかった。だが、人間の魂に比べ、味が悪いことは断言できる。
それらを以前、ビアンカに高言したことがあったが――。その訴えは彼女に一笑に付された。
(あの娘は本当に私のことを何だと思っているのだろうな。今までの宿主は、“呪いの烙印”である私の本質に恐れ戦いていたというのに……)
“喰神の烙印”として、それを伝承する隠れ里の始祖や眷属たちに畏怖された。里の子供たちも幼い頃から、“喰神の烙印”が恐ろしいものであると刷り込まれて育つ。
だがしかし。隠れ里で生まれ育ったのではないビアンカという少女が宿主になってから、今までにない扱いを受けることが増えたと観ずる。
呪いの継承を受けた当初は、ビアンカも“喰神の烙印”の本質を恐れている節があった。しかし、気が付けば、彼女は恐れを失くしていた。
それも思うに、自身の性質が成す所業が原因だと。多くの懇意にした人々を呪いの力で亡くし、ビアンカの心が疲弊していったこともモルテは了してはいる。
さようなことを考え続け、目の前にいるルシアのことを放置――。基、無視を決め込んでいたモルテであったのだが。
不意とルシアに左手を取られ、握られた。それに吃驚し思わず首を上げてしまうと、銀色の双眸が映したのは、輝く赤色の瞳が相も変わらず自身を射貫くほど見やる情景。
「……もし未だ魔力が足りないようでしたら、限界までお分けすることも可能ですけれど」
モルテが自身に目を向けないのは、魔力が未だに枯渇しているからだと考え着いたのだろう。憂いを宿した声音でルシアが言えば、モルテはゆるりとかぶりを振った。
「いや、いい。それなりに腹は膨れた」
彼の “傲慢”の魔力を継いでいるだけあり、ルシアの有する魔力で実際に飢えは無くなっている。
それをモルテが口に出すとルシアの表情が綻んでいき、自身の手を握る両掌に増々力が籠っていくのに察し付く。ルシアの態度にモルテは面差しに困窮を彩り、険のある銀色の双眸を困惑から彷徨わせた。
「あの……っ!」
意を決したように、ルシアが口を開く。その口頭にモルテが怪訝さを増し、眉間に深く皺を寄せて彼女を見据えれば――。
「こうして直にお姿を拝見できて……、しかも話ができる日が訪れるだなんてっ! 私、光栄で光栄で――」
早口で多弁に綴られていくルシアの言葉。熱を上げきり周りが一切見えていない調子に、モルテの表情が忽ち呆気に取られたものに変わってしまう。
「私。あなたという呪いの存在を知ってから、ずっとあなたをお慕いしておりました……っ!!」
「そ、そうか……」
モルテが及び腰に小さく返弁をすると、ルシアは落ち着きを取り戻そうとするように瞳を僅かに伏し、一呼吸吐き出す。そして、決意の色を示唆させる赤い双眸を真っ直ぐにモルテに差し向けた。
「是非とも私を――、あなたの人生の伴侶としてお迎えくださいっ!!」
声高に告げられたルシアの言。予想打にしない台詞が言い放たれたと同時に、場の空気が驚き呆れたものへと豹変した。
シンッ――、と一同が口を噤み、静まり返る。途中から事態に気付き見守っていたビアンカとヒロまでも二の句が出ず、唖然としてしまう。
唯一、ルシアだけが真摯さを表情に宿し、モルテの返答を待ち構える姿勢を見せていた。
その沈黙を破ったのは、笑いを噴き出す音――。
我に返ったビアンカとモルテが笑いの主に目を向けると、ヒロが頭を伏して座り込む。どうやら笑壷に入ってしまったらしく、笑いを堪えて小刻みに肩を震わせていた。
「ふっ、く……、まさか、そう来るとは、思わなかった……」
うずくまったまま、くつくつと零れる笑い。そんなヒロの様子を目にして、ルシアが端正な顔立ちを顰めた。不愉快だと言いたげな表情を帯びているのだが、握りしめたモルテの手は解放していない。
「……リーダー、他人の求婚を盗み見だなんて。趣味が悪い」
「なにが、盗み見だよ。大々的に、やらかして……。てか、求婚って――。あ、ダメ。笑っちゃってお腹の筋肉攣りそう……」
猶々と玉音のような笑いを漏らすヒロへ、ルシアは冷ややかな眼差しを贈るが――。次にはビアンカに目を付け、面差しを一変させていた。
やにわに視線を向けられたビアンカは、苦笑いを浮かしていた表情を引き攣らせる。いったい何を言われるのだろうかと、身構えを咄嗟に取ってしまう。
「ビアンカさん」
「な、なに、かしら?」
「“喰神の烙印”の現宿主であるあなたにしか、お願いできません――」
真剣みを帯び、ビアンカを見据える赤色の瞳。それにビアンカは喉を上下させ、話の続きを待った。すると――。
「この子を私にください。良き伴侶として、何不自由はさせませんのでっ!!」
ルシアの口をつく親への申出の如く言葉に、ビアンカは翡翠色の瞳を瞬く。首を捻り一考を窺わせたかと思えば、着想の顔付きを見せて口を開いた。
「えっと……。食い意地ばかり張った子でご苦労を掛けると思いますが、よろしくお願いします……?」
ビアンカが考えた末の返しをした途端、その傍らで再三の噴出音が上がった。翡翠色の瞳をそちらへ向けると、再び笑壷を刺激されて震えながら両の手で顔を覆うヒロの姿。
「ビ、ビアンカ、止めて。それ、ルシアのボケじゃ無くて……、本気だよ。なにより、君までボケたら、ダメだし。僕の腹筋、死んじゃう……」
ヒロの口から息も絶え絶えに絞り出される指摘。止まらない笑声が耳につき、ビアンカまでも釣られて微かに笑いを零してしまう。
くすくすと可笑しげに笑い出すビアンカとヒロに、赤色と銀色の双眸が不服を言い表す眼を差し向けて嘆息する。かと思うと、モルテが呆れを彩る風体を漂わせ、口火を切った。
「まったく、娘も若造も“大地の聖女”も。お前たちは私を何だと――」
「あの、そんな他人行儀な呼び方をせず――、『ルシア』って呼んでください」
不満を口出しし始めたモルテの声に被せるようにルシアが言えば、モルテが眉間を寄せて口籠る。
「私のことは、非常食くらいに思ってくださって結構ですが。せめて、あなたに喰われる前に名前を呼んでいただきたいです」
「“傲慢”の魔力によって創られたお前たちに魂に近い気配はあれども、魂と呼べるものは無い。お前は自分が魂食いの対象になれぬことは分かっているだろう?」
「ええ、存じています。それが残念でなりません。いつかあなたの糧として、あなたの一部になれることを私は夢見ているというのに……」
「……お前はもう少し、自分の身を大切にする考えを持つと良い」
「まあ、心配をしてくださるのですね。嬉しいっ!」
モルテは呆れを通り越した真顔になり、ついと苦言する。そうした言葉にルシアは喜色を窺わせ――、傍らで話を聞いていたビアンカが意外そうな顔付きを一瞬見せると、再三の笑いでコロコロと喉を鳴らす。
「モルテってば、ルシアさんには優しいのね」
まさか恐れられる呪いであるはずの“喰神の烙印”が、身を大切にするような提を述べるなどと思っていなかった。そんな風にビアンカの表情が物語る。
さような変化を目にして、モルテの眉間に不愉快の皺が増々寄っていった。
「……これが優しさに見えるか? 私は呆れているだけだぞ?」
「ふふ。“呪いの烙印”にもヒトみたいな心があるんだなーって実感したわ。――ルシアさんと末永くお幸せにね」
「お前という奴は……」
ビアンカが完全に悪ノリをしていると。モルテは感じずにはいられず、深い溜息をついていた。




