第九節 エレン王国
ルシトが顎先で指し示した存在を確かめようと、ビアンカはその場から立ち上がった。そうして、ルシトの示した先にいる人物がカルラだと認め、「ああ……」――と、領得した様子を含んだ声を上げる。
「あの子――、ルシトの家系に関係している子だったのね。不思議な雰囲気の子だけど……、何か納得しちゃった」
ビアンカは言うとルシトの方へ向き直り、自身より少しだけ背の高いルシトの顔を、前屈み気味になり上目遣いに覗き込む。そのビアンカの表情は――、どこか悪戯げだった。
「――もしかして、ルシトの子……?」
くすくすと笑いをビアンカは零す。その口調は、冗談のそれである。
すると、ルシトは真顔のまま、冗談を口にするビアンカの額を掌で軽く打つ。
「痛いっ!!」
小気味の良い音がビアンカの額で鳴り、ルシトの仕打ちにビアンカは大げさに声を上げて額を押さえる。
冗談なのに酷い――と。そう表情で訴えるビアンカの顰め面を目に、ルシトは嘆声を漏らしていた。
「僕の“妹”に当たる奴だよ。だから、うちの者ってわけ」
「妹――、ねえ……」
尚も何か言いたげな様を窺わせるビアンカに、ルシトは冷めた眼差しで一瞥を送る。そのルシトの様相に、ビアンカは誤魔化すようにヘラッと笑みを浮かべた。
さようなビアンカに、ルシトは再三の嘆息をしてしまうのだった。
「アイン君が、カルラちゃんは養父が屋敷を留守にしていることが多いし、いつも一人でいるから連れてきたって言っていたけれど。ルシトが迎えに来たの?」
ビアンカの問いに、ルシトは然りの頷きで返答する。
「アイン王子がちょくちょくと連れ出してしまってね。――養父が過保護で煩くて敵わないんだよ」
「え? アイン……おうじ……?」
ルシトが嘆息混じりに零した言葉を、ビアンカは眉を寄せ、鸚鵡返しに口にする。ビアンカの聞き返しに、ルシトは眉間に皺を寄せていた。
「――あんた。もしかして知らないで、あいつらに付き合っていたの?」
呆れの色が混ざるルシトの言葉。それにビアンカは素直に頷く。
ビアンカは正に呆気に取られた顔をしていた。まさかアインが、このエレン王国の王族である“ファティマ一族”の者だと、思ってもみなかったと。ビアンカの表情は物語る。
「だけど――。まあ、そうか。“旅人”のあんたに、そうそうと城下の奴らが教えるはずもないか……」
旅から旅の一つ処に留まらない――。『渡り鳥』と俗に呼称される旅人のビアンカが、アインのことを王族だと知らなくても無理はない――と、ルシトは思い当たる。
エレン王国の城下街に住む者たちの殆どが、アインが“ファティマ一族”――、王族であることを認知している。だけれども、そのことは王族の身を危険に晒してはならないという思いを持つ国民たちから、暗黙の了解としてひた隠しにされていた。
だが、ビアンカは――、ルシトの言葉を聞き、さくら亭にアインが訪れた際に、何故イヴがアインの誘いを優先するように口にしたのかを察する。
(アイン君がこの国の王子様だから、その誘いを優先するようにって、あの時にイヴさんは言ったのね。確かに、王族のお誘いが掛かったんじゃ、それを一般国民が無下にしちゃいけないわよね……)
それは有益的地位の濫用と言うのではないか、などとビアンカは内心で思いつつ、そこは口にせずに押し黙る。
ビアンカが腑に落ちた情調を醸し出したのを推し、ルシトは言葉を続けていく。
「アイン王子は、この国を治める“ファティマ一族”の現国王――、アルゼイド・ファティマの一人息子だ。だけど、この国は変わっていてね。王族であろうとも、『市井を知るため』という名目で、ああやって城下街へ出向くことを許されている」
「他の国じゃ……、考えられないことよね。それって……」
ビアンカは旅の合間に見てきた様々な国を思い返し、エレン王国の取り決めに唖然としてしまう。
余所の国々では、王族に生まれた者たちは下々の者と接する機会は皆無と言っても良いほどであり――、国民たちも国を統治する王族を雲の上の存在として崇拝する。そのような大きな違いというものが、王族と一般国民の間には高い壁となり一線を引いているものであった。
「まあ、それだけエレン王国が平和な国ってことだよ。“豊穣祈願大祭”みたいな大きな祭りで余所者が多く来ない限り、質の悪い輩もほぼいないしね」
ルシトは静かな声音で言いながら、この国の有り様を語る。その内容に、ビアンカは思わず感嘆の溜息を零していた。
「因みに――。アイン王子といつも一緒に行動しているシフォンも、この国の要だった家柄の生まれだ」
「そうなの……?」
ビアンカが更に眉を寄せ問うと、ルシトは頷く。
「シフォンの方は、過去にこの世界を救ったと言われている“十英雄”の血筋を引く。所謂、“勇者”の家系の出身だ。――今は両親を亡くして孤児になっているけれど、本人の希望で孤児院に身を寄せている」
「ううーん……。この国って……、そういう特別な人が集められているの……?」
王族の話の次は英雄の血筋の持ち主がいることを聞かされ、ビアンカは不思議に思い、それを口にする。そうしたビアンカの疑問に、ルシトは「ご名答……」と小さく囁く。
「――エレン王国には……、そういう特殊な血筋の者たちが故意に集められているんだよ……」
ルシトは言いながら、どこか冷めた――、嫌悪感が露骨な眼差しをビアンカに見せる。それは、いつぞやルシトが露わにした、ルシト自身の存在と出自を吐露した際のものと似ていると、ビアンカは思う。
「それは――、何故なのか。聞いても良い……?」
不機嫌さを隠そうとしないルシトに、ビアンカは遠慮がちに声を掛ける。ビアンカの言葉に、ルシトは再び彼女に目を向けると――、一歩、ビアンカへ歩み寄って身を寄せ、その耳元で耳打ちを漏らした。
「この国にはあいつがいる。――“世界と物語の紡ぐ者”を自負する……、“傲慢”な奴が……」
「それって……」
ルシトの口にした言葉に、ビアンカは眉を寄せた。そうして――、ルシトの言わんとしたことを、聡く推し量る。
「あいつにとっての“収集物”なんだよ。この国に住む変わった出自や能力を持つ者たちは……、全部ね。そうして――、この国自体が、その“収集物”を展示しておく展示場ってわけだ」
「それじゃあ、アイン君もシフォン君、カルラちゃん。それに――、ルシトも……?」
ルシトの忌み嫌う存在である“世界と物語の紡ぐ者”にとっての“収集物”という存在なのか――と。解せないことを表情に帯びるビアンカに、ルシトは「そういうこと」と溜息混じりの言葉を吐き出し、ビアンカから身を離す。
「恐らく、あいつはあんたの気配も察しているはず。あいつの“収集物”の一つになりたくなかったら、早々にこの国を離れた方が良いと思うよ……」
ルシトの助言に――、ビアンカは頷き賛同することができなかった。
――本当に、この国はそれで良いの……?
たった一人の不可解な存在である“世界と物語の紡ぐ者”と呼ばれる者に、好き勝手にされる運命に置かれた者たちがいる。そのことに――、ビアンカは納得のいかない不快な思いを抱く。
そうしたビアンカの心中を、ルシトは察したのであろう。僅かに一考する様を見せ――、次には、まるで話題をすり替えるように「そういえば――」と口に出していた。
「あんた、カルラと話をしただろう。そうして――、あいつのことに険悪感を抱いていた」
「……どうして分かるの?」
不意にルシトが話題に上げたカルラのことに、ビアンカは驚いた。そして、まさか見ていたのか――、と疑問を感じる。
ビアンカの物言いたげな表情を見て、ルシトは可笑しそうな笑みを浮かべていた。ルシトの笑みは、「そうだろうな」と言い表すものだった。
「カルラは、“世界と物語の紡ぐ者”の“収集物”の中でも特別でね。あんたみたいな“呪い持ち”とは相性の悪い存在なんだ」
「どういうこと?」
ルシトの言葉に、ビアンカは不思議げに首を傾げる。
「詳しいことは明かせないけれど……。“呪い”の根源である魔族とは、相反する血筋を引いている――、といったところだ。だから、魔族から受けた“呪い”を宿すあんたは、カルラに対して防衛本能として険悪感を抱いた」
詳細を濁すルシトの話の内容をビアンカは一顧するものの――、内容があまりにも割愛されすぎており、それが意味するものには辿り着けなかった。
自身の言葉に首を捻るビアンカを見据え、ルシトは苦笑してしまう。
「いずれ――、時が来れば分かるさ。今はカルラも、自分の持つ能力については分かっていないからね」
「何よ、それ。私のモヤモヤが増えただけじゃない……」
くつくつと可笑しそうに笑うルシトを睨むように見やり、ビアンカは文句の言葉と共に嘆息を漏らしていた。




