軍資金
炎天下、2台の黒塗りの車が、住宅街の広々とした公園の前に停まる。
一台がレクサス、もう一台はベンツだ。
中からスーツ姿の男女がぞろぞろと出てくる。
体格のいい、只者ではない風格を漂わせた男が2人、混じっている。
公園の隅の東屋で涼んでいた老人が、かっと目を見開く。
「ヤクザじゃ。
これはヤクザの麻薬取引じゃ」
アリの巣穴に棒を突っ込んで遊んでいた孫が言う。
「でも、女の人もいるよ」
「情婦じゃ」
「ジョウフ?」
「これ、見てはいかん。
消されるぞ」
子供がびっくりして、目をそらす。
けっこう広い公園で、
公園の中央には、広々とした野原があった。
スーツ姿の男女は、
その野原の中央へと進んでゆく。
野原の真ん中に、涼介とサーシャが立っている。
レクサスから出てきた、恰幅のいい中年男が言う。
「悪いが、15分しかない。手短に頼む」
この男はカワマル食品の社長、川丸源治郎。
もと十種競技の選手だ。
陸上競技が大好きで、カワマル食品はたくさんの陸上競技のスポンサーをやっている。
涼介が、「お時間、ありがとうございます」と頭を下げる。
川丸の隣にいる、日焼けした渋い中年男、矢崎隆二が笑顔で涼介に言う。
「いやー、連絡をもらったときは、ほんとうに嬉しかったよ」
営業用のスマイルではない、心からの笑顔だ。
自身も空手の選手だった矢崎は、大の格闘技ファンで、
涼介が引退する前は、涼介の出る試合すべてをチェックするほどの入れ込みようだった。
その矢崎が、飲み友達の川丸を強引に引っ張り出してくれたのだ。
矢崎が言う。「で、用件はなんだい?」
ジーパンに白Tシャツの涼介がサーシャに言う。
「俺の肩の上に立ってくれる?」
白いブラウスに赤いチェックのミニスカートのサーシャは、
それになんの意味があるのかはわからなかったが、
言われるままに、
軽くピョンと飛び上がり、
スカートをふわりと膨らませ、涼介の肩の上に立つ。
スーツ姿の男女の目が点になる。
「…えっ」
「えっ」
「はい?」
「んんん?」
「…垂直跳びの世界記録は、129cmでしたっけ?」
涼介の肩の高さは、明らかにそれを越えている。
「…どういうトリック?」
みながキョロキョロとあたりを見回す。
野原が広がっているだけ。
川丸がサーシャの上の方に目をこらすが、
青空に浮かぶちぎれ雲しか見当たらない。
何かで吊り下げているわけじゃないのか。
「お嬢ちゃん、ちょっといいかな」
と川丸が促すと、サーシャが降りてくる。
みんなでサーシャの脚をなでたりもんだりしてみるが、
バネが仕込まれているということはなかった。
どうみても、ただの脚でしかない。
川丸は、指でサーシャの太ももの太さを確かめ、首を傾げる。
「筋力は、筋肉の断面積に比例する。
この足の太さで、この高さに飛び上がるのは、物理的に不可能だ」
矢崎が言う。
「涼介くんもそうだけど、筋肉の断面積あたりの筋力が、
人間に可能な値をはるかに超えちゃってるよね」
「筋力だけじゃない。
こんな筋力を出せば、腱や骨が破損するはずだ」
「というか、皮膚も毛細血管も損傷する」
といいながら、川丸がサーシャの靴と靴下を脱がせ、
足の裏を確認する。
打撲や内出血は見られない。
透き通るように白い足があるばかり。
関節の辺りを押したり引っ張ったりしてみるが、
骨も腱も損傷した様子はない。
「いったい、どういう構造の身体なんだ?」
「骨も筋肉も皮膚も血管も、
分子レベルで構造が違うんですよ。
こんなの、それ以外に説明がつかない」
秘書らしき女性が言う。
「もし、この子が陸上競技をやったら。。」
川丸が重々しい口調で言う。
「いや、陸上競技に限らず、だな」
スーツ姿の面々が、お互いに顔を見合わせる。
涼介が言う。
「よかったら、この子のスポンサーになってもらえませんか?」
矢崎と川丸が、顔を見合わせ、
クックックックックと笑い始める。
この子の広告価値が、
数十億円どころでないことぐらい、誰でも分かる。
川丸が大黒様のような笑顔で、矢崎に言う。
「いや、まったくいい話を持ってきてくれた。
持つべきものは飲み友達だな」
それを見て、涼介がほっとする。
スポンサーはなんとかなりそうだ。
次は、国籍をどうやって取得するかだな。
公園の隅で一部始終をちら見していた老人が言う。
「どうやら、大きな取引が終わったようじゃ」
「ダメだよおじいちゃん、見たら殺されるよ」
「大丈夫じゃ。
ワシの完璧な演技のせいで、
ワシが気づいているということに、気づいとらん。
このままやり過ごせば、ワシらの命は安泰じゃ」