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日本という異世界

気がつくと、水瓶にヒビが入っていた。

ヒビのところから水が染み出している。


『妹のミーシャがやってしまったのかもしれない』

とソニアは思う。


このままだとミーシャがダルディアスにムチで打たれる。


ダルディアスは子供だからと手加減したりしない。

ミーシャの2つ下の妹は、裸にされて吊るされて、

全身がどす黒く膨れ上がるまでムチで打たれた。

次の日には冷たくなっていた。

ダルディアスはその死体を踏みつけて言った。

「つぎにヘマをやらかしやがったヤツは、同じ目にあわせてやる」


このままでは、ミーシャも同じように殺されてしまう。

どうしよう。

そうだ、水瓶を隠そう。


両手で水瓶を抱えて動かそうとする。

重い。

びくともしない。


早くしないと、ダルディアスが来てしまう。

部屋の向こうから、ダルディアスの笑い声が聞こえてくる。

もう帰ってきた。

どうしよう。

ドアが開き、薄暗い部屋の中が明るく照らされる。

ああ、もうおしまいだ。

足元から這い上がってくる、黒く重たい絶望感。

意識が浮上していく。

いつもの覚醒の感覚だ。

助かった。夢だったんだ。

安心のあまり、泣きそうになる。


しかし、既に周囲が明るくなっていることに気づいて、再び絶望する。

やってしまった。

寝過ごしてしまった。


すぐに家畜の餌やりをしなければ。

もう間に合わないか?

また吊り下げられて酷くムチで打たれることになるのか?


ソニアは必死で跳ね起き、仁王立ちになる。

戸口へ向かって走り出そうとして、

戸口が見当たらないことに気づく。


あれ?

馬はどこに行った?

藁がないぞ。

異様に明るい。

というか光に満ち溢れている。

たくさんの人。


足元を見る。

分厚いふわふわした白い素材。


上下左右前後を見回す。

全方向が異形の『何か』で埋め尽くされている。


モノというのは、何かの用途のために存在するはずだ。

しかし、どれも、何の用途のものなのか分からない。

理解できないもので世界が埋め尽くされている。

こんなことがあり得るのか。


視点が定まらない。

くらくらして立っていられず、尻もちを着く。


窓には、とんでもなく巨大な水晶の板がはめ込まれている。

窓の外には、恐ろしく高い四角い塔かが遠くまで林立している。


なんだここは。

祭司(ドルイド)の言っていた、妖精界というやつか?


東側のドアが開き、筋肉の発達した大男が入ってくる。

ローマ人のように黒い髪だが、顔立ちはローマ人じゃない。平たい。


それを見て、記憶が戻ってくる。

ああ、そうだった。

この男が我々の新しいご主人様になったのだ。

たしかリョウスケという奇妙な名前だった。


その大男は、人々に「まだ寝てていいぞ」と言い、

金属の取っ手をひねる。

すると金属の棒の先から水が出て、鉄の容器に入っていく。


なんで水が出るんだ?

魔法か?


容器を台に載せ、また別の取っ手を回すと、青い炎が出る。


魔法だ。

この男は魔法使いなのだ。

本物の魔法を、生まれて初めて見た。


ソニアは座り込んだまま、彫像のように固まっていた。


いつもは、桶を見れば、

反射的にその桶を手にとって、水汲み場へと歩きだしている。

馬小屋が汚れているのを見たら、

反射的に掃除を始める。


いつも見慣れたものを見ると、反射的に体が動くようになっている。

そういう反射行動をし続けているうちに、いつのまにか深夜になっている。

これが毎日、早朝から深夜まで繰り返されている。


ところが今日は、何一つ見慣れたモノがない。

だから、ソニアの身体は、なんの反射行動も起こさず、

その場で固まってしまったのだ。


ソニアの隣で寝ていた母親のフィオナも、妹のミーシャも固まっていたが、

同じ理由からだろう。


いや、ただひとつ、反応可能なものがあった。

ご主人様だ。

いつものご主人様とは違うが、ご主人様には違いない。

ご主人様に対して何をすべきかは、よく分かっている。


「ご主人様、私は何をいたしましょう?」


少し間を置いてから、大男が振り返る。

「もしかして、俺に話しかけてる?」


他に誰がいるんだ?

と思ったがそれは口に出さず、「そうです」


「まだ寝ててよ。メシが出来たら呼ぶからさ」

大男はそう言いながら、大きな白い棚の戸を開け、

赤い球果のようなものを出し、手際良く包丁で切っていく。


ソニアがまた固まる。

またソニアの遭遇したことのないパターンだからだ。

ご主人様が私達の食事を作る?

意味が分からない。

いや、意味は分かるが、どう反応していいのかが分からない。


料理が出来上がると、

人々が一斉に白いふわふわしたものを畳んで片付け始める。

木製のテーブルが3つの部屋全てに展開され、

その周囲に、人々が座る。


ソニアのいるテーブルには、妹のミーシャ、母親のフィオナ、ご主人様が座っている。

食卓の上には、真っ白な陶器の深皿が並べられ、ご主人様が、そこにシチューのようなものをよそっていく。

その男は、中央のカゴにパンを山盛り積み上げ、「パンは欲しいだけとって食べてくれ」と言う。


ソニアがパンをつかんで、かぶりつく。

ふわふわで柔らかく、ものすごく美味しい。

こんなの、食べたことがない。


ソニアたちは、ものすごい勢いで食べて食べて食べまくり、

あっという間に大鍋は空になり、パンの山も消滅する。


こんなに思う存分食べたのは、何年ぶりだろう。

いや、生まれて初めてかもしれない。


そうしているうちに、次第に昨日の記憶が戻ってくる。

そうだ。私たちは、この男に買われたのだ。


ソニアは、「ご主人様、水くみをしてきます」と言いそうになって、口をつぐんだ。

あの取っ手をひねれば水が出てくるのだから、

このご主人様は、水くみを必要としていないだろう。

あの辛い水くみをする必要がないなんて、なんて素敵な生活なんだろう。

夢のようだ。


じゃあ、私は薪割りをやるか…いや、青い火が魔法で出てきたんだった。

ということは、薪を燃やす必要がない。

薪割りも必要ないということだ…夢のようだ


…いや、なんか違う。

ソニアの足元から、そこはかとない焦燥感のようなものが這い登ってくる。

水くみも薪割りも必要ないとすると、もしかして、私っていらない子?


いや、そんなことはないはずだ。

そうだ、馬だ。馬の世話がある。

「馬小屋はどこですか?」

「ないよ」

ない? まさか。

馬が買えないほど貧乏のようには見えないが。

あ、そうか。昨日、馬に引かれてないのに動く魔法の車に乗せられたんだった。

ここでは魔法があるから、馬がなくても生活できるんだ。


しかし、流石に洗濯はするだろう。

「それでは、洗濯する場所を教えてください」

その男は、ソニアを隣の部屋に案内する。「ここが、洗濯物を入れておくところ」

「はい」

「この中に、洗濯物が貯まってきたら、こうやってドアを閉めて、このボタンを押す」

何か音がし始めた。

「しばらくすると、この中に水と洗剤が注入されて、洗濯されて、乾燥される」


ソニアの目が点になる。


??? なにそれ?

「要するに、全部魔法でやるってことですか?」

「魔法じゃないよ」

「はい?」

「魔法などというものはない」

何を言ってるんだ、この男は。

「でもこれ、魔法ですよね?」

「違う」

意味不明すぎる。

こんなの魔法以外の何物でもない。

こちらの世界は、どこもかしこも、魔法だらけだ。


いや、しかし、そもそも、これが魔法であるかどうかは、どうでもいいことだ。

「わかりました」

「そうか。分かってくれたか」大男がほっとしたように言う。

「要するに、私たちは洗濯をしなくていいということですね?」重要なのは、ここだ。

「そのとおりだ」


ソニアたちは考え込んでしまう。

水くみも、薪割りも、馬の世話も、洗濯も、全部魔法でやってるくらいだから、

この世界では、たいていのことが魔法で行われているのだろう。


だとすると、私たちは何をすればいいのだろう?

この男は、なんのために私達を買ったのだろう?

というか、この国の人達は、仕事をする必要がないのか?


男が壁に掛かった白い円盤に目をやって言う。

「ごめん、もう行かなきゃ。夕方には帰ってくる」

男はそう言うと、大急ぎで出ていってしまう。


あとに残された家族三人が、お互いに顔を見合わせる。




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