神の殺害
カエサルへと伝令を運ぶ早馬が、土埃を上げて疾走している。
その馬を、オフロードバイクが猛スピードで追い越していく。
涼介は、のべ6時間近く走り続けている。
昨日は、野を越え山を越え、のべ10時間は走った。
舗装道路と違って、めちゃくちゃ疲れる。
体力には自信のある涼介も、さすがに疲労の色が濃い。
川が見えてくる。
今度の川には、橋がないようだ。
代わりに、渡し船がある。
渡し船の老人と交渉し、オフロードバイクを船に積み込み、川に漕ぎ出す。
こんなガリアの北端ですら、ローマのセステルティウス青銅貨が使えることに、驚く。
その老人によると、ローマ軍が近くにいるらしい。
ようやく、だな。
川を渡ったところで、森のなかに入っていき、
ゲートを開ける。
2LDKのアパートに行くと、ソニアが表計算ソフトで、予算管理している。
小麦、レンズ豆、大豆、塩、鍋、靴、下着、Tシャツ、靴、サンダル、テント、寝袋、殺虫剤、虫除けスプレー、虫下し、鉄条網、フェンス、ショベルカー、手押し車、スコップ、人件費…。
技術を持った建築関係の人の人件費は、けっこうな単価だ。
涼介が、水を飲みながら聞く。
「ソニアの人件費は、いくらにしてる?」
「へ? 私ですか?
私って、お給料もらえるんですか?」
大丈夫か、この人。
「そりゃ、働いてるんだから、人件費は発生するだろ」
「いくらぐらいが適切でしょう?」
「今、お金ないから、時給1000円で勘弁してもらえない?
そのうち、余裕ができたら、時給アップするからさ」
俺、今、ブラック企業の社長と同じ論理で喋ってるな。
「それって、セステルティウス換算で、いくらになります?」
「日本円で受け取って、日本のお店で買ったものを、ガリアで売れば、セステルティウスになるだろう?」
ソニアがキーボードを叩きながら言う。
「なるほど。
だとすると、3ヶ月くらいで一生分稼げるので、もう働く必要がなくなりますね」
「一生ガリアで暮らすならね」
「それ以外の選択肢ってあるんですか?」
「A国の国籍はもうとったでしょ。
あとは、僕の養子になれば、
日本国籍を取得できるよ」
「あ、じゃあ、それでお願いします、お父さん」
「独身男性だと女の子を養子にできないから、
結婚した後にね」
玄関の方でガチャガチャと鍵を回す音がして、
サーシャが入ってくる。
涼介が聞く。
「テレビ番組の打ち合わせ、どうだった?」
「テレビの人って、すごいね。
そりゃーあれだけやれば、面白い番組になるでしょ。
…なんか用のありそうな顔をしてるけど?」
勘がいいな、サーシャは。
「お疲れの所悪いんだけど、
ようやく、カエサルの陣営の近くまで来た。
とりあず、カエサルと話し合いをしよう」
サーシャがクスリと笑っていう。
「涼介の方が、よっぽどお疲れでしょうに」
涼介は苦笑いしながら、チタン合金の甲冑を着はじめる。
「ソニアとミーシャもいい?」
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4人で装甲車に乗ってしばらく進むと、
ローマ軍の斥候(偵察兵)に出くわす。
事情を話すと、カエサルに伝令を走らせてくれることになった。
馬に乗って走って行く伝令を、
ソニアがドローンで追いかける。
ミーシャのドローンは、上空で旋回し、周囲の様子を監視する。
ローマ兵たちが、馬を降りてくる。
待っている間、ローマ兵がサーシャの背後に回り込み、ジリジリとすきを伺う。
ああ、300万セステルティウス賞金首が目の前にある。
こんなチャンス、もう一生訪れない。
こんな小さな子供の首をはねるなんて、簡単。
後ろから斬りつけるだけで…。
ローマ兵が剣を抜こうとした瞬間、
サーシャが言う。
「やめておけ」
ローマ兵たちがギクリとして、動きを止める。
サーシャが続ける。
「家族が悲しむことになるぞ」
その警告を無視して、
ローマ兵が次々に剣を抜く。
一斉にサーシャに剣が振り下ろされるが、
空を切る。
サーシャは消えていた。
ローマ兵が背後を振り向こうとして、次々に転倒する。
片足の足首から先がなくなり、勢い良く血が吹き出している。
入り乱れる悲鳴。
むせ返る血の匂い。
涼介が言う。
「すぐに縛って止血しないと」
剣を抜かなかったローマ兵が、同僚の足首をきつく縛りながら聞く。
「今までに何本の足を切り落とした?」
サーシャが聞き返す。
「お前は、今までに食べたパンの個数を覚えているか?」
ローマ兵たちに衝撃が走る。
涼介が呆れて言う。
「俺のタブレット端末に入れてある漫画を読んだな」
「バレたか」
不謹慎な。
よくこういう状況で、冗談を言う気になるな。
彼らの足は、もう一生…。
「足を失って、働き口はあるのか?
彼らの家族は、路頭に迷うんじゃないのか?」
「彼らは、プチ富裕層だ。
どちらかと言うと、搾取する側だ。
足がなくても、家族に養ってもらえるさ」
「なぜ分かる?」
「ローマ騎兵だからさ」
…そうか。
鐙のない時代、馬に乗れるようにするためには、幼い頃から多大の訓練が必要だった。
訓練用の馬を用意できるのは、富裕層だけだ。
ああ、それで、ローマ騎兵の数が少ないのか。
裕福な人間は、戦場で身を危険にさらす理由はあまりない。
戦場で死んでいくのは、主に貧困層だ。
ソニアが言う。
「同盟部族騎兵がやってきます。約100騎」
伝令はまだ帰ってきていない。
100騎と戦闘になったら、さすがにヤバい。
ドローンを回収し、
4人で装甲車に乗り込み、
逃げ出す。
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ドローンでカエサルの居場所はわかったので、
手紙をドローンに運ばせて、カエサルの上に投下する。
装甲車で逃げ回りながら、
何度かローマ軍と戦闘し、
何度かカエサルとやり取りをして、
ようやく会談にこぎつける。
場所は、広い平原のど真ん中。
涼介とサーシャは装甲車を出て、
アウトドア用の折りたたみ腰掛け椅子に座って待っている。
向こうから、騎馬が3頭やってくる。
カエサルは、一人のティターンと、一人の人間を従えてくるという約束になっている。
一人はジョージ・スミス。
髪の毛以外は、ほぼ回復しているようだ。
サーシャがもう一人を睨んで言う。
「ブライアン、久しぶりだな」
涼介が聞く。
「誰?」
「ティターンだ」
涼介が額にシワを寄せる。
「ローマ側のティターンは1人という約束では?」
カエサルが言う。
「今まで、ガリア人には、さんざんだまし討をされているのでね。
用心のために必要だろう?」
用心のために我々は核兵器を保有するけど、
お前たちが核兵器を保有するのは許さない、
っていう国際条約、あったな。
カエサルたちが、馬を降りてくる。
サーシャが言う。
「椅子を貸そうか?」
「いや、いい」
ソニアが言う。
「ローマ軍の騎兵、400騎、こちらへ向かっています」
涼介が言う。
「これも、用心のためか?」
それが聞こえないかのように、カエサルが言う。
「用件は何かね?
せっかく時間をとってあげたんだ。
この機会は無駄にしない方がいいと思うよ」
涼介が言う。
「なぜ、ガリアを征服しようとする?」
「ガリア人という潜在的脅威を取り除く必要があるからだ」
「ならば、ヴァルルニ族は、ローマ人という潜在的脅威を取り除くため、ローマを征服するが、それでいいか?」
「そのような考えを持つヴァルルニ族は、明確な脅威だ。必ず滅ぼさねばならないな」
「ならば、そのような考えを持つローマは、明確な脅威だから、必ず滅ぼさねばならない」
カエサルが言う。
「話はそれで終わりか?」
涼介が食い下がる。
「和平条約を結んで、共存共栄するわけにはいかないのか?」
「和平条約が結ばれないのは、君たちが降伏しないからだ」
「降伏すれば、対等な和平条約を結べるのか?」
カエサルが笑い出す。
「それは無理だ」
「なぜ?」
「ローマとあなた方は対等ではないからだ」
「なぜ?」
「神が、ローマ人を、征服者たるべく、運命づけたからだ」
ブライアンが言う。
「気づいてないんだよ」
カエサルが心外だという顔をして言う。
「何に?」
「神が11年前に死んだってことにさ」
涼介がジョージ・スミスに向かって言う。
「話してないのか?
あんたらが神を殺してしまったってことを」
ジョージ・スミスがニヤニヤして言う。
「教えてやる義理はないんでね」
ソニアが言う。
「あと40分ほどで、騎兵がこちらに到着します」
涼介は時計を見ながら、
手短に、神の殺害について、説明する。
とびきり聡明なカエサルは、すぐにそれを理解した様子だった。
そして、しばらく苦しそうな顔で逡巡した後、
決然と言い放った。
「神が、ローマ人を、征服者たるべく、運命づけた」
サーシャが笑い出す。
ブライアンとジョージも笑い出す。
涼介は、なぜ彼らが笑っているのか、理解できない。
涼介とサーシャが装甲車に乗り込もうと背を向けた瞬間、ジョージとブライアンがサーシャに斬りかかる。
ジョージの鉄棒を、特殊鋼の刀で受け止めたサーシャが、弾き飛ばされて飛んでいく。
涼介に切断されたブライアンの右腕が空中に舞う。
涼介とサーシャは、同時にジョージ・スミスに斬りかかる。
ジョージ・スミスは、全力ダッシュで逃げていく。
ブライアンは、別方向に走って逃げていく。
カエサルはすでに馬に乗って、逃げ出していた。
ソニアが言う。
「早くしないと、騎兵が来ちゃいます」
すぐに4人で装甲車に乗り込み、その場を離脱する。
車を運転しながら、涼介がサーシャに聞く。
「なんで3人で笑ったんだ?」
「涼介が、カエサルを壊してしまったからさ」
「…どういう意味だ?」
「一流の詐欺師というのは、嘘を喋っているうちに、嘘を真実だと思いこんでしまうんだ。
だから、その目には真実の光が宿り、多くの人を惹きつける。
宗教の教祖やカリスマ指導者なんてのは、多かれ少なかれ、そういうもんだ。
しかし、さっきの涼介の話で、カエサルは、嘘が、嘘だということに気がついてしまった。
神様によって、ローマ人が征服者たるべく運命づけられているということが、嘘だということに。
しかし、カエサルの野望を達成するためには、その嘘は必要なんだ。
だから、カエサルは、それが嘘だと知りつつ、自覚的に嘘をつくことにしたんだ。
あんたは、一流の詐欺師を、二流の詐欺師にしちまったんだよ。
これほど笑えることってのも、そうそうないだろう?」




