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奇襲

城市ティオでは、未明から、生ぬるい雨が降っていた。


サーシャと涼介が、

傘を畳みながら長老会議室に入ると、

みなが一斉にこちらを見る。


涼介が、赤ら顔の大男の方を向いて、

驚いた様子で言う。

「おおお!

もしやあなたは、100人斬りの英雄、

トレアサッハ・マキューン様ではないですか!

ヴァルルニのヘラクレス!

太陽神ルーの生まれ変わり!

生ける伝説に、本当にお会い出来るなんて、

感激です!感動です!感謝です!」


トレアサッハ・マキューンが、満更でもない様子で言う。

「わざとらしいな、お前」


「はい! 心がこもってないって、よく言われます!」


サーシャがバンっと涼介の背中を叩く。

「先に、お前の紹介をさせろ。

見ろ。

みんな、『なんだこの平たい顔の男は』

って怪しんでるじゃないか」


どっと笑いが沸き起こる。

「たしかに、平たい」

「なんでこんなに平たいんだ?」

「ひ、平たすぎる…」

マクネルタ家の家長、ニール・マクネルタは涙を流して笑っている。

ダルディアスも、ついつられて笑ってしまう。


サーシャが言う。

「このリョウスケ・キリュウは、顔は平たいですが、

私を窮地から救ってくれました。

顔は平たいですが、なかなに使える男でして、

私の参謀として働いてもらうことになりました。

みなさま、お見知りおきを、お願い致します」


平たい、平たい、ってしつけーな。

あんたらが凸凹しすぎなだけだろ!



スラリとした長身の族長、カラドック・ダンダルが言う。

「悪いが、自己紹介は、ここまでにしてくれ。

早く作戦を決めてしまわないとまずい」



それで議論が始まったのだが、

ものの数分もしないうちに、議論が紛糾し始める。



トレアサッハ・マキューンが言う。

「ローマ軍と我々では、人数も装備も違いすぎる。

我々がローマ軍を打ち破るには、奇襲するしかない。

なぜそれがわからん」


頭頂部の禿げ上がった白髪のドムナル・ビルフィートが言う。

「だから、そういう問題じゃなくて…」


「臆病風に吹かれたか、ドムナル!」

と茶色のヒゲモジャのニール・マクネルタが

破れ鐘のような大声で言う。


「だからこれは罠じゃと言っとろうが!」

と、ドムナルが怒鳴り返す。


「さては貴様、ローマの手先だな?」


「そ、そ、そんなわけあるかいっ」



ニール・マクネルタの次男、ダルディアス・マクネルタは、

長老たちの議論に口出しすることは控えていたものの、

父親とまったく同意見だった。


今こそ、城から打って出で、

ローマ軍に攻め込むべきなのだ。


現在ティオを包囲しているローマ軍は、

完全にだれきっている。


そもそも指揮官のクィントゥス・キケロからして、

いつも「早くローマに帰って創作活動に励みたい」

とか言っている腑抜け野郎だし、

陣形は崩れまくってるし、

風紀は乱れきっている。


昼間から酒を飲んで酔っ払っているし、

近隣の集落からさらってきた女たちを犯している。


いま我々が突撃すれば、簡単に蹴散らせるはずだ。


こんなチャンスはめったにない。


このチャンスを逃してしまったら、

後でどれだけ後悔することになるか。


ビルフィート家のバカどもは、

なぜそんな簡単なことが分からないんだ?



カラドック・ダンダルが

間に割って入る。

「落ち着け。

今は仲間内で争っているときではない」



ドムナルとニールがむすっとして黙り込む。

どちらも真っ赤になり、頭から湯気がでそうな勢いだ。



気まずい沈黙を破って、サーシャが口を挟む。

「それでは、間を取って、

こういう落とし所はどうでしょう?

ニール・マクネルタ氏に賛成の方は、

ローマ軍への突撃を敢行する。

ドムナル・ビルフィート氏に賛成の方は、

城内になだれ込んできたローマ兵を迎え撃つ」


赤鬼のような風貌のトレアサッハ・マキューンが言う。

「はあ? なんでローマ兵が城内になだれ込むんだよ?」


サーシャが質問し返す。

「もしこれがローマ軍の罠だった場合、

ローマ軍に突撃した我軍はどうなります?」


「だから、罠なんかじゃないって」

とダルディアス。


「『もし』の話です」


「…そりゃ、撤退するだろ」


「その時、ローマ軍が追撃してきて、

城内になだれ込む恐れはありませんか?」


みなが一斉にサーシャの方を見る。


しかし、小生意気な子供に痛い指摘をされて、

そのまま素直に受け入れられる大人ばかりではなかった。


「縁起でもないことを言うな!

このメスガキが!」

とニール・マクネルタが怒鳴る。


「まったくだ。

どうせローマ軍は蹴散らされて散り散りになってしまうから、そんなことは起きねーんだよっ」

と息子のダルディアス・マクネルタが援護射撃する。


カラドックがまた

「まあまあまあ」

とニールを抑える。


「ニールが正しければ、

ローマ軍は蹴散らされるから、

それでいいだろ。

逆にドムナルが正しければ、

城内になだれ込んできたローマ軍を

しっかり食い止められるのだから、

それでいいじゃないか。

双方、不満はないはずだが?」


カラドックの魂胆は見えすいていた。

話がこじれる前に、この機に乗じて、

すかさず話をまとめてしまおうというのだ。


ケルトの部族ではよくあることだが、

ヴァルルニ族の貴族にとっては、

自分が誰かの配下になることは屈辱だった。

上司の下で働くなど、我慢ならないことだった。


だから貴族は族長の部下だという意識はなく、

いつでも族長の指示どおりに動かせる存在ではなかった。


族長は、強力なリーダーシップを発揮する上司というより、

単にみんなの意見をまとめる調整役として

動くことが多かった。


何事につけ、重要なことは、

貴族たちの話し合いで決めなければ、

話が進まない。


貴族たちの会合である長老会議は、話をまとめるのが大変で、

まとめられるときにまとめないと、収拾がつかなくなる。


ダルディアスが小声で親父に耳打ちする。

「これ、意外といい案だよ。

だって、俺達で手柄を独占できるんだもん。

ここはいったん引いておこうよ」


なるほど。

たしかに我が息子の言うとおりだ。

頼りないやつだと思っていたが、

いつの間にこんなに成長したんだろう。


ニール・マクネルタが重々しく言う。

「いいだろう」



---



加工された木材を満載した荷車が行き交っている。


荷車を押している少年から「これはどちらに?」と聞かれ、

ソニアは路地の方を指差しながら「あっち」と言う。


ソニアが手にしているのは、

涼介がパソコンの作図ソフトで作成した設計図だ。

ドローンで上空から撮影した写真をベースに作ってある。


荷車で運ばれてきた槍の一つを手に取り、

「うっわ、どんなけ長いんだよ」と男が言う。

柄を継ぎ足して8mもの長さにした槍が、

柵の後ろ側に配備されていく。


路地には可動式の柵が設置され、

その後ろでは、落とし穴が掘られて、

猫車が土を運んでいく。


落とし穴の中には、

先端の尖った木の杭が植えられていく。


サーシャのインカムに、涼介からの無線が入る。

「進捗は?」


「路地の柵、長槍、クロスボウ、落とし穴は8割の出来。

ローマ兵の様子はどうだ?」


「相変わらず焚き火の周りで、酒を飲んで、

歌って踊って、女たちを犯してる。

キケロの弟は、なんか書いているっぽい。

攻撃してくる様子はない。

ダルディアスたちは?」


「『早く突撃させろ』と騒いでいるのを、

族長があの手この手で、必死に押しとどめている。

しかし、抑えておけるのはせいぜいあと2~3日。

間に合うかどうか微妙だ」



---



城市ティオの大広場。


突撃隊長のトレアサッハ・マキューンが大声で言う。

「いいか、時間が勝負だ。

ローマ兵が戦闘態勢を整える前に、

倒せるだけ倒せ」


総勢400騎が、無言で頷く。

皆で一斉に声を上げると、

ローマ軍に気づかれる可能性があるからだ。


このうち50騎には、兜の上に、

小さな黒い立方体が装着されている。

小型録画機だ。

サーシャが交渉し、装着してもらったのだ。


この400騎の中には、

ニール・マクネルタ、ダルディアス・マクネルタ、

そしてその従者の戦士たちもいる。


その従者たちの中に、マッカスがいた。


マッカスは、

雨の日も風の日も、

寒い日も熱い日も、

剣と槍と乗馬の腕を磨き続けた。


その努力が実って、

マクネルタ家に戦士として雇われた。


しかし、マッカスはみなに軽く扱われていた。


「俺は将来、すごい戦士になるんだ」

と言っても、鼻で笑われた。


村一番の美人、ギネヴェレに告白したときも、

相手にされなかった。


まだ、ろくに戦場で手柄を立てたことがなかったからだ。


実績のない人間の言葉は、信用されないものだ。

今も昔も、男も女も、老いも若きも、同じだ。


しかし、やっとチャンスが巡ってきた。

ここでローマ兵を倒しまくり、

大きな手柄を立てれば、

俺はみなに一目置かれるようになる。


大将首でもとれば、ギネヴェレだって、

少なくとも話ぐらいは聞いてくれるようになるだろう。


彼女は「出世しそうな男」が大好きだからな。



ティオにあるサーシャの自宅の中庭から、

20台のドローンが次々に飛び立っていく。


サーシャのスポンサーになったカワマル食品から

前金で3億円が振り込まれたので、

性能の良いドローンを揃えることができた。


ドローンを見上げながらサーシャが言う。

「これで、カエサル軍の本隊を足止めできる」


涼介の頭の上に?が浮かぶ。

何言ってんだこいつ。


涼介が言う。

「今、俺達が戦おうとしているのは、

キケロ率いる1個軍団だろ。

カエサル軍の本隊8個軍団は、

まだ何百キロも北にいるはずだが?」


サーシャが「ふ。」と笑う。



ここ数日、2LDKの住人たちたちは、

熱心にドローンの操縦練習をやっていたが、

今日はその腕前を見せるときだ。


ドローンは城壁を飛び越え、

ローマ軍の上空に展開していく。



上空にやってきた黒い点に気がついたローマ兵たちが、

ドローンを指差しながら、言う。

「なんだ、あれ」

「鳥にしては、変な飛び方だな」



ティオの城門が開き、

一斉に騎兵が走り出す。


ヴァルルニ騎兵400騎が、

遊び呆けているローマ軍をめがけて突き進む。


しかし、乱痴気騒ぎをしていたローマ兵たちは、

城門から騎兵が走り出してくるのを確認するやいなや、

一斉に立ち上がり、上着を脱ぎ捨てた。


上着の下は、鎖帷子だった。

すぐに兜を被り、盾と剣を手に取る。

あっという間に、完全武装の重装歩兵が出来上がる。


それを見たニール・マクネルタが叫ぶ。

「既に武装しているローマ兵はスルーしろ。

まだ武装が完了していないやつだけを狙って潰していけ」


マッカスたちは、馬で走り回って、

武装していないローマ兵を探す。


しかし、いない。

見つからない。

武装が終わってないやつなんて、どこにもいない。

みんな武装が完了している。

話が違うじゃないか!


仕方なく、マッカスは、武装したローマ歩兵を

槍で攻撃し始める。



一方、ダルディアスも、

ここは、マクネルタ家の名誉にかけて、

勇猛果敢さを皆に示さなければならない立場にあった。


ダルディアスが、ローマ歩兵に向かって、

渾身の力を込めて槍を突く。


しかし槍は盾で受け止められ、

剣で受け流され、

なかなか通らない。


あっと思った瞬間、

ダルディアスの槍の穂先が斬り飛ばされる。


ダルディアスは槍を捨て、

腰の長剣を抜いて、

ローマ歩兵と斬り結び始める。


剣がぶつかり合い、火花が散る。

ダルディアスが押され、後退していく。


ダメだ。強い。

とても勝てる気がしない。


ダルディアスは逃げ出したくなったが、

他のヴァルルニ騎兵は、まだ戦い続けている。


ここで俺が真っ先に逃げ出したら、

あとでみなに臆病者とそしられることになる。


マクネルタ家の名誉を汚したとして、

皆の前で親父に叱責されることになる。


そんなの耐えられない。

俺の名声も地に落ちる。

婚約者のマルヴィナにも合わせる顔がない。


みなが逃げ出して、

逃げてもいいんだという空気ができあがるまで、

歯を食いしばって戦い続けるしかない。



対照的に、マッカスの方は、善戦していた。


馬を自在に操り、

機動力を活かしてローマ歩兵の背後に回り込み、

無防備な背中に槍を突き刺す。


槍を引き抜くと、ローマ歩兵が崩れ落ちる。


遊びたいときに遊ばず、

飲みたい酒も飲まず、

夜更かしもせず、

常に節制し、

自らを鍛え上げ、

あらゆるものを犠牲にして、

長い長い時間をかけて積み重ねてきた努力が、

ようやく実ったのだ。


マッカスは歓喜にふるえていた。


やれる。

俺は強い。

ローマ兵よりも強い。


ローマ兵を倒すたびに、

マッカスの自信がみなぎってくる。



しだいに混戦状態になってくる。


騎兵の強みは機動力だ。

こんな風に足を止めて斬り合う状態になってしまうと、

騎兵の強みが発揮できない。


(あぶみ)のない時代の戦いでは、

馬上で武器を振り回すと、踏ん張りが効かず、

上体がぐらぐらして安定しない。


この状態になってしまうと、

むしろ馬から降りて戦った方がマシだ。



ローマ歩兵の剣がダルディアスの太ももをかすめ、

鋭い痛みが走る。


ズボンの裂け目から、じわりと血が滲んでくる。


ダルディアスが焦りだす。


やばい。やばいぞ。


どうする?


このまま不利な体勢で戦えば、

殺られるのは時間の問題だ。


馬から降りるか。


しかし、そうすると、

退却時にすぐに馬で逃げられなくなる。


どうしたらいいんだ?



ダルディアスの背後で、

いくつもの悲鳴が、立て続けに起きる。


何事かと思って振り向くと、

ひょろい感じの小男が一人、

「ドローンがいっぱい飛んでるなー」と言いながら、

スキップするようにやって来ていた。


着ているものはトゥニカ(麻でできた3LサイズのTシャツのようなもの)だけ。


槍も剣も盾も持たず、兜も鎖帷子も着ていない。


武器らしきものと言えば、

右手に短い鉄の棒を持っているだけだ。


その男だけ、まったく殺気を放っていない。

まるで、子供が遊び場にきているような感じだ。


その男は、ひょいと、

ヴァルルニ騎兵をかすめて飛ぶ。


「あ。」とそのヴァルルニ兵が叫んで耳に手を当てると、

そこにあるはずのものがなかった。

血がどくどくと流れ出す。


そのすぐ隣にいたヴァルルに兵が、

「う」と叫んで左目を抑えたときには、

抑えたはずの左目自体がなくなっていた。



その男が、ひょい、ひょい、ひょい、

とジャンプするたびに、

耳がなくなり、

目がなくなった。



その男は、収穫した耳や目に、

針で紐を通して、首から下げ、満足げに言う。

「なかなか、素敵な形じゃない」



ヴァルルニ騎兵が口々に「ティターンだ!」と叫ぶ。

ローマ歩兵は「ジョージ・スミスだ!」と叫ぶ。


そこにいた、全員の注意が、そのやせっぽちの小男に集中する。


ローマ兵の中に嫌悪と安堵が広がっていく。

ヴァルルニ騎兵の中に戦慄と恐怖が広がっていく。


この男は、他のティターンたちからも、

「こいつのせいで、ティターンの評判が悪くなった」

と忌み嫌われている男だ。


ジョージ・スミスは、

まるで子供がトンボの羽を引きちぎるように、

敵兵の身体の一部を引きちぎって遊ぶので、

有名だった。


兵士たちにとっては、ここは戦場だったが、

ジョージ・スミスにとっては、遊び場だった。



トレアサッハ・マキューンが大声で叫ぶ。

「恐れるなっ。

ティターンを討ち取った者には、

最高の栄誉と、莫大な富が与えられるぞっ。

今こそ、お前たちの勇気と誇りを世界に示すときだっ」


ダルディアスは、まるでそれが聞こえないかのように、

そこから離れたところにいるローマ歩兵に

攻撃を仕掛けるふりをして、

できるかぎりジョージ・スミスから離れる。


他のヴァルルニ騎兵たちも同様に、

少しでもティターンから離れようとする。


ただ一人、マッカスだけが、

ジョージ・スミスに向かって突撃していく。


いまこそ、名を挙げる千載一遇の機会だ。

これを逃したら、また何年も下積み生活が続く。

もう下積みにはうんざりだ。

俺は強い。

俺ならやれる。

これで全てをひっくり返してやる。

人生、一発逆転だっ。


マッカスが「うおおおおお」と雄叫びを上げ、

岩をも砕く気迫で、

渾身の一撃をジョージに撃ち込む。


しかし、マッカスの鋭い槍の穂先が

ジョージ・スミスの胸を貫く直前、

ジョージ・スミスがふわりと飛び上がる。


ジョージはマッカスの右腕を

鉄の棒で軽く叩く。


ゴキリという感触とともに骨が折れ、

マッカスの槍が落ちる。


ジョージはすとん、とマッカスの後ろに乗り、

左手をマッカスの股間に入れる。


マッカスは「何をするっ。やめろっ」と言いながら、

ジョージの手を掴んで引き剥がそうとするが、

凄まじい力で、びくともしない。


そのすきに、マッカスの同僚が、

ジョージの背中めがけて槍を突き入れる。


その槍はジョージの鉄の棒で軽々と打ち払われ、

へし折れた穂先が飛んでいく。


それを見た周囲のヴァルルニ兵たちが戦慄する。

「ティターンってのは、背中に目でもついてんのか」

こんなのと戦っても、とても勝てる気がしない。



ジョージ・スミスは、

まるで太陽が太陽系中にあまねく光を放射するように、

全身から溢れだす喜びを放射する。

「わたしはこの時代が大好きよ!

ハーグ陸戦条約もなければ、

ジュネーヴ条約もない!

基本的人権という概念自体がない時代!

一切は許されてるの!」


そこにいた誰もがジョージの言葉に耳を傾けていたが、

誰もジョージが言っていることを理解できなかった。

ただ、何か恐ろしいことが起きようとしている

ことだけは、誰もが理解していた。



ジョージが手に少しずつ力を加えていく。


マッカスが

「おいっ。引っ張るな。痛いっ。やめろっ」

と言いながら、必死でジョージの手を止めようとするが、

まるで鋼鉄のように動かない。


体組織がミチミチと断裂していく感触を、

ジョージはゆっくりと味わう。


マッカスが涙と鼻水を撒き散らしながら叫ぶ

「ふぐああああああ。

やめろおおお。

やめて、やめてくださいいいいいいいい」


マッカスの顔を覗き込むジョージは、

極上のスウィーツを食べているかのような表情だ。


耳をふさぎたくなるようなマッカスの絶叫が

あたりに響き渡り、

ヴァルルニ兵だけでなく、ローマ兵の足もすくむ。



ついに、ブチン、という感触とともに、

それが引きちぎれる。


マッカスは落馬し、

股間を押さえて、泣き叫びながら転げ回る。


ジョージはふわりと着地すると、

「股間には、男の人生があるよね」

と言いながら、引きちぎったものに針で紐を通し、

ネックレスのように首にかける。


ローマ兵の一人が、

自分の首から下げているファルス

(男性の器官を形どったお守り)を手にとって言う。

「ローマ伝統の魔除けだな」


周囲のローマ兵たちが、

引きつった笑顔を浮かべる。


笑えないジョークだ。


ファルス自体は、

ローマの街角ではよく見られるものだが、

ローマ人はこんなグロテスクなことはしない。


生首を刈って喜ぶ、おぞましいガリアの蛮族どもとは

違うのだ。



ヴァルルニ騎兵たちは真っ青になり、

放射状に逃げ出す。


ジョージはネコのような強烈な加速で

次々に獲物に襲いかかる。


「これは、あなたの恋人との絆がちぎれる音」

ブチン。


「これは、あなたの思い描いている出世コースが

ちぎれる音」

ブチン。


「これは、かわいい孫達に囲まれた

あなたの幸せな老後がちぎれる音」

ブチン。


と、ファルス・コレクションを増やしていく。


「人生が引きちぎれる音って、

なんでこんなに甘美なのかしら」



ヴァルルニ騎兵たちは、

あまりの恐怖に何をどうしていいかわからなくなり、

まるでブラウン運動のように、

めちゃくちゃに辺りを逃げ回る。


その間に、ローマ歩兵たちが次々に隊列を組み始める。

盾がずらりと並んでいく。


こうなると、もうヴァルルニ騎兵の敵う相手ではない。


そのとき「騎兵だぁ」と誰かが叫ぶ。


気がつくと、ヴァルルニ騎兵の左右に、

右肩をはだけたガリア騎兵が回り込み始めていた。


ローマ同盟部族(ローマの味方として参戦しているガリア部族)の兵士たちは、同士討ちをしないように、右肩をはだけて、目印にしている。


※ カエサル軍の騎兵部隊は、ローマ人騎兵は少なく、大部分が、ガリア騎兵、ゲルマン騎兵、ヌミディア騎兵などによって構成されていた。



ニール・マクネルタが叫ぶ。

「まずいっ。包囲されるっ」


トレアサッハ・マキューンが大慌てで叫んで回る。

「撤退っ。すぐに撤退しろっ」


ダルディアスは、待ってましたとばかりに、

一目散に逃げ出す。


他のヴァルルニ騎兵たちも一斉に方向転換し、

来た道を全力疾走で戻っていく。


マッカスも再度乗馬し、その後を追いかける。


それらを、ローマ同盟騎兵が追いかけていく。


その後を、ジョージ・スミスが走って追いかけていく。


さらにそれを、ローマの重装歩兵の大集団が

追いかけていく。



---



ドローン映像で戦場の動きを見張っていたソニアが、

マイクに向かって言う。

「ローマ軍、突入してきます。

先頭は、騎兵です。

その後に、重装歩兵が続きます。

みなさん、迎撃態勢を整えてください」


ティオ城市内の各所で待機している人々の側にある受信機から、ソニアの声が流れ、人々が武器を構える。



---



ヴァルルニ騎兵を追いかける同盟部族騎兵ニギニウス・リトリヌは、

「ここで失敗するわけにはいかない」

と思いながら、

汗ばんだ手で手綱を握りしめる。


リトリヌ家が、アエドゥイ族内で力を持っているのは、

カエサルの後押しのおかげだ。


今後もリトリヌ家が繁栄し続けるには、

この戦で手柄を立て、

カエサルに認められなければならない。


失敗が重なれば、

カエサルはリトリヌ家を見捨て、

アエドゥイ族内の別の貴族に

乗り換えてしまうかもしれない。


そうなったら、リトリヌ家は…。



リトリヌ家がカエサルの後ろ盾を得て、

アエドゥイ族内で覇権を握ったとき、

ガリアの諸部族の有力者たちは、

リトリヌ家の娘を妻に迎えた。


政略結婚だ。


それまでアエドゥイ族内で、

リトリヌ家と敵対する貴族の娘と結婚していた有力者の一人は、

その娘と離婚し、

その娘の鼻を削いで、

親元に返した。


美しい娘だった。


その貴族を心の底から憎悪していたリトリヌ家の人々は大喜びし、

その有力者との友好関係は深まった。


リトリヌ家がカエサルの後ろ盾を失えば、

逆のことが起こる。


ニギニウスの妹も、

鼻を削がれて戻ってくるかもしれない。


いつも、兄ちゃん、兄ちゃん、

とニギニウスの後ろをくっついて歩いていた、

あの妹が。



ティオの城門が迫ってくる。


必死で逃げていくヴァルルニ騎兵の後ろを、

自慢の愛馬で追いかけるニギニウスは、

部下たちに、ヴァルルニ騎兵の中に入り混じるように、

指示を出す。


誰かが叫ぶ。

「サーシャだっ」

「サーシャがいたぞっ」


ニギニウスが顔を上げると、

城門の上にサーシャがいた。


ニギニウスが泣きそうな表情になる。


くそっ。

生きていやがったのか。

やっかいなことになった。

部下の半分を失う覚悟でやるしかない。

ジョージ・スミスだけが頼りだ。

悔しいが、どんなおぞましい人間でも、

俺たちはあいつに頼るしかない。


いや、これはジョージ・スミスに限った話ではない。

大多数の人間は、

それが嫌な奴であっても、

強い人間にすがって生きていくしかないのだ。



--



ジョージ・スミスが目を細める。

サーシャに気がついたのだ。

城門の上だ。


サーシャの首には、

300万セステルティウスもの懸賞金が

かけられている。


これはパラティーノの丘の

大邸宅(ドムス)が買える金額だ。


※ローマのパラティーノの丘は、

名だたる元老院議員たちの大邸宅(ドムス)

立ち並ぶ超高級住宅街。


ローマ軍団兵の6000年分の年収に

相当する金額でもある。


これを得るためだけにでも、

はるばるガリアに来る意味は十分にあった。


ジョージ・スミスが、

弾かれたように急加速を始める。


首紐に付けられた、

収穫したての新鮮なファルスたちを踊らせながら、

ぐんぐん加速していく。


あっという間に、ニギニウスの騎兵部隊を追い抜く。


サーシャの姿が消える。

城壁内へ飛び降りたのだろう。


ジョージは、ヴァルルニ騎兵たちも追い抜き、

誰よりも先に城門の中に飛び込む。


サーシャの姿を探す。

あちこちの路地の奥を覗いて回る。


いた!

300万セステルティウスを見つけた。

300万が、路地の奥へと走っていくのが見える。



---



ヴァルルニ騎兵がティオの城門から次々に入っていく。


それに混じって、ニギニウスたちも入ってくる。



城門の上で、ルコニウスが、

投槍をニギニウスたちめがけて投げようとするが、

「やめろ。味方に当たる」

と同僚に止められる。


敵味方が混在しているので、

投射兵器が使えない状態だ。



城門の中に入り込んだニギニウス・リトリヌは、

城門を閉めようとしているヴァルルニ兵に斬りかかる。


そのヴァルルニ兵は仰天し、

持ち場を捨てて一目散に逃げ出す。



意外と腰抜けだな、ヴァルルニ兵は。


いや、こんなものか、

負けて滅んでいく部族というのは。


過去の栄光にしがみついて、カエサルに逆らうなんて、

バカのやることだ。


どうして現実を直視しようとしない?

どうしてこの、歴然とした力の差を見ようとしない?

どうして時代の流れが読めない?


無能な指導者たちに率いられた部族の末路は、

いつも悲惨だ。



メインストリートを逃げていくヴァルルニ騎兵を、

ニギニウスの部下が追いかけようとする。


ニギニウスが怒鳴る。

「追うなっ。追うのは意味がない。

それよりも、城門を制圧しろ。

城門さえ抑えてしまえば、こちらの勝ちだ」


ニギニウスの部下たちが次々に入ってきて、

城門を守っているヴァルルニ兵たちを蹴散らしていく。



開けっ放しになった城門から、

ローマの重装歩兵が、

地響きを立て、雄叫びを上げながら、

嵐のときの河川の濁流のようになだれ込んでくる。



城市の中に入ってきたローマ歩兵たちは、

土煙を立てて、

道という道、路地という路地を突き進んでいく。



ティオの路地を疾走するローマ重装歩兵の一人、

ティトゥス・ロンギナは、

前回の略奪の時と同じことが、

今日もまた起きるのではないかと、

期待している。


家に押し入り、

主人らしき男の両手をぶった切り、

その男が転げ回って痛がるのを、

仲間たちと一緒に見て笑っていたら、

そいつの妻らしき女が命乞いをしてきやがった。


俺が剣を突きつけると、

泣きながら、下手くそな発音のラテン語で

「殺さないでくれ」

と懇願し、

服を脱ぎ、股を開き、腰を突き出し、

股間を指で押し広げ、必死で誘いやがった。


両手を失ってもがいている旦那の隣で、

鼻水すすり上げて泣きながら、

必死で白い腰をくねらせているのが、

最高だった。



---



城門からなだれ込むローマ歩兵の様子を見ながら、

馬上のキケロが言う。

「ガリア人は、何度でも同じ手にひっかかるな」


「このパターン、ガリア征服を始めてから、

もう3回目ですよね」


「ほんと、学習しませんね、彼らは」


部下たちの過剰な同調に対して、

キケロが釘を刺す。

「学習しないのは、ガリア人だけじゃないけどな」



古今東西、老若男女、

軍事でもビジネスでも政治でも、

人間という生き物は、何度でも、この手に引っかかる。


周到に準備している軍隊を、

油断していると思い込ませる。


あるいは、勇気満々の軍隊を、

怖気づいていると思い込ませる。


もしくは逆に、弱小の軍隊を、

強大な軍隊だと思い込ませる。


よくある戦の勝ちパターンだ。



ようは、相手に自分を過小評価、

もしくは過大評価させればいい。


なんでも同じだ。


ライバルに自分を見誤らせれば、

商売敵を出し抜けるし、有利な取引ができる。


政敵を出し抜けるし、有利な同盟を結ぶことが出来る。


読者を仰天させる作品を作ることだって出来る。


ああ、また素晴らしいギリシャ悲劇の

ストーリー展開を思いついてしまった。


俺って、天才かもしれん。

こんな戦争なんかで、無駄に人生を消耗するのは、

もううんざりだ。


ガリア征服なんてさっさと終わらせて、

早くローマに帰って、創作しまくりたい。


作れるはずだった傑作を作れずに死ぬなんて、

無念過ぎる。



ガリアに来てから何百回もそうしてきたように、

また、諦めたようにため息を付きながら言う。

「まあ、カエサルから指示が来るまでの間は、

こういう、今まで何度もやって成功している、

無難で手堅い手を打ちながら待つしかないんだよな」



---



路地を逃げていくサーシャめがけて、

ジョージが土埃を上げて急加速する。


ぐんぐん加速して、

もう少しでサーシャに追いつきそうになったところで、

サーシャは十字路の角の家の柱を蹴って、

路地を曲がって逃げていく。


加速したジョージも同じ柱を蹴って曲がろうとするが、

サーシャよりもスピードがあり、体重も重かったため、

柱が耐えられず、へし折れる。


ジョージは家の柱と壁を突き破って、

内部に飛び込んでしまう。


家の中は、

床も、壁も、

100円ショップで買ってきた包丁が

何百本も、びっしり植えられていた。


ジョージは、鉄の棒を壁につけて身体を支え、

床の包丁を足の指で真剣白刃取りする。


なるほど。

体重差とスピード差を利用した罠か。

運動エネルギーは、質量×速さの二乗だから…


と思う間もなく、天井から、

何かの粘液が大量に降ってくる。


ジョージは、それを反射的に避けようとしたが、

足場が悪かったため、

完全には避けきれず、

左半身に粘液を浴びてしまう。


ジョージは家を飛び出して、言う。

「しつこいな。

またトイレの洗浄剤か?」


サーシャが黄色い容器を見せながら言う。

「今度のは、

キッチンシンクのパイプ洗浄剤、

強粘着タイプだ。

しつこい汚れに効くそうだ」


容器には、ド派手な巨大フォントで、

「髪の毛もヘドロも、『密着』して溶かす」

と書いてある。


髪の毛の溶け始めたジョージが

ため息をついて言う。

「『子供の手の届かないところに保管してください』

という注意書きの意味が、やっと分かったよ。

子供に触らせると、ろくな使い方をしない」


サーシャが明るく言う。

「『目に入ったら、すぐに水で洗ってください』

って書いてあるが、いいのか?」


ジョージは家屋の中に飛び込み、水瓶を覗く。


空っぽだ。


くっそ、この近くの水は全て、撤去済みってことか。

準備のいいこって。


まあ、いいや。

髪が溶けようが、片目が潰れようが、問題ない。

俺はティターンだ。

どうせ再生する。

サーシャの首を取った後、ゆっくり手当すればいい。


たかが子供一人だ。

大人の男が、子供を捕まえるのなんて、簡単だ。

すぐに済むさ。



サーシャが走り出す。


ジョージが追う。



サーシャは路地を曲がりながら逃げていくので、

ジョージもあまりスピードを出せない。


スピードを出しすぎると、

曲がりきれなくなってしまうからだ。


サーシャは、三段跳びでもするかのように、

歩幅が大きくなっていく。


それを追いかけるジョージが、

ズボッっと落とし穴を踏む。


しかし、きわどいところで、

落とし穴の縁にぶら下がる。


落とし穴の底には、

ホームセンターで買ったノミが

何十本も生えている。


ジョージが言う。

「やっぱりね。怪しいと思ったんだ」


その背後から、一斉に矢が襲ってくる。


矢が刺さる直前、

ジョージは落とし穴から飛び出す。


ジョージが着地した場所には、

辺り一面、マキビシが撒かれていた。


ジョージはマキビシの隙間を踏んで走る。


さすがにスピードが落ちる。


そこに、横から大量の槍が突き出される。


ジョージはその槍の穂先を

バババババババババっとへし折りながら

走って行く。


キラキラと太陽の光を反射しながら、

たくさんの槍の穂先が空中に踊る。



サーシャが曲がらなくなった。

直線コースに入ったのだ。


ジョージは加速し、どんどん距離を詰めていく。


気がつくと、左右の壁が高くなっていく。


しかも、鉄条網の壁だ。


奥は行き止まりだが、

サーシャはスピードを緩めず、

ロイター板を蹴って、空に舞い上がり、

大きな放物線を描いて、

何メートルもある高い壁を超えていく。


あとから来たジョージもロイター板を蹴って、

大きな放物線を描いて飛んでいく。


そこに、周囲から、

膨大な量の矢が、一斉に飛んでくる。


ジョージはいつものように、

鉄の棒で矢を弾いていく。


しかし、矢の速度が通常よりもはるかに高速で、

全てを撃ち落としきれない。


空中にいるので、

方向転換して逃げることもできない。


矢の洪水を必死で鉄の棒で防ぎ続けるが、

いくつか撃ち漏らし、

バスバスバスと、腕と尻と太ももとふくらはぎに、

矢が刺さる。



異様なスピードの矢の発射源に目を向けると、

クロスボウがずらりと並んでいる。


やはり。


通常の弓では、こんなスピードの矢は放てない。



ジョージが着地する。


10メートルほど離れたところに、

黒髪のサーシャが、

素敵な笑顔で立っていた。


日本刀のような、反りのある両手剣を持っている。


ジョージが笑う。

「子供が大人に勝てると思ってるの?」


次の瞬間、爆発するように土埃を舞い上げ、

人間には視認不可能なスピードで、

サーシャが斬り込んでくる。


ジョージはバックステップでそれを避けるが、

足にいくつも矢を打ち込まれているため、

踏ん張りがきかず、

避けきれずに、

右腕の付け根の辺りを少し切られる。


サーシャは間髪入れずに、

返す刀で、左腕の薬指と小指を切り飛ばす。


ジョージの背筋に、寒気が走る。


そうか。

片目をやられたせいで、

遠近感が狂ってるのか。



ドジ踏んだな。

相手が子供だと思って、

油断して傷を負いすぎた。


動きが鈍ってる。

今戦っても、勝てる気がしない。



ジョージは反転し、逃げ出す。


逃げるジョージを、サーシャが追いかける。



サーシャの足音がすぐ背後に迫る。

ジョージが仰天する。


これが子供?

ありえない速さだ。

こいつ、ほんとはこんなに速かったんだ。

今までは、遅いふりをしていただけなんだ。

子供のくせに、なんて狡猾な。


サーシャの斬撃が、背後から襲ってくる。

凄まじい斬撃を、間一髪で避けるが、

左耳を斬り飛ばされる。


ジョージを死の恐怖が襲う。


ジョージは土埃を蹴立てながら、

文字通り、死に物狂いで走る。


「やめてえええ」

というジョージの悲鳴がティオの中に響き渡る。


首への斬撃を、ジョージが際どく避けるが、

完全には避けきれず、

ジョージの頭頂部の頭の皮が、

髪の毛ごと斬り飛ばされる。


血が流れ出し、目に入り、視界が霞む。


あまりの恐怖に、ジョージは半泣きになって叫ぶ。

「悪かった。

わたしが悪かったあ。

だから、殺さないで。

おねがいですううう」


しかし、少女は微塵も心を動かされた様子はなく、

一向に手を緩める気配はない。


悪魔か、こいつはっ。

こいつには人の情というものがないのか。

土下座して謝ったら許してもらえるだろうか。

いや、無理だ。

こいつにはそんなものは通じない。

どうすればいいんだ?

怖い。いやだ。死にたくない。

死にたくないよう。


ジョージはよだれを撒き散らしながら、

声を限りに叫ぶ。

「助けてええっ。

誰か助けてええええええええ」


ジョージが路地を曲がると、

前方からたくさんのローマの重装歩兵が、

押し合いへし合いやってきていた。



---



ティオの城門からなだれ込んだローマの重装歩兵のティトゥスは、走っても走っても、誰も人がいないことに気がつく。


すぐ後ろを走る同僚に言う。

「おい、なぜ、人がいない?」


何度目かの角を曲がると、

行き先が木の柵で塞がれている。


柵の向こうにはたくさんの人がいた。


キラリと陽光を反射する何かが突き出されてきて、

ティトゥスが反射的に避ける。

槍だった。


ティトゥスたちは剣を抜き、槍を打ち払う。


踏み込んで、柵の向こう側の敵を突き刺そうとする。


しかし、敵は柵から距離を取っているため、

ティトゥスたちの剣は届かない。


一方で敵は、恐ろしく長い槍でこちらを攻撃してくる。


これでは勝負にならない。


ティトゥスたちは反転して戻ろうとするが、

ローマ兵たちが次々にやってきて、

ぶつかり合い、もみくちゃになる。


家の屋根の上から、バラバラと何かが落ちてくる。


ローマ兵たちから悲鳴が上がる。


落ちてきたのは、マキビシだった。

混乱の中、ローマ兵たちが次々にマキビシを踏んで、

あちこちから悲鳴が上がり、

まるで鳴き声で満ち溢れる家畜小屋のようになる。


ティトゥスは、悲鳴で満ち溢れる路地を、

すりあしで退却しはじめる。


目の前のローマ兵の肩に、

斜めに矢が突き刺さる。


ティトゥスが目を上げると、

屋根の上で、機械のように複雑な構造の装置から、

矢を放っている女たちがいた。


屋根の上には、何人もの人がいる。

次々に矢が放たれる。


ティトゥスは盾を頭上に掲げる。


その盾を貫いて、矢が目の前に飛び出す。

バスバスバスと、何本も矢が貫通してくる。


なんだこの矢は?

なんで盾を貫通する?

周囲のローマ兵たちが

「う」とか「ぐ」とか言いながら、

次々に倒れていく。


なに?

これ、なに?

どうしてこんなことになってる?

俺達は世界最強の…。



---



重装歩兵の3分の2ぐらいが城門に飲み込まれたあたりで、城門から7騎ほどの騎兵が飛び出して、城門が閉まった。


え?

なんで?

そんな指示出してないぞ?


と思いながらキケロが見ていると、

今度は、城門の上を占拠していたローマ歩兵たちが、

次々に城壁の下へと突き落とされていく。


何が起こった?


城門から飛び出した騎兵たちがキケロの方へと走ってくる。


右肩をはだけているので、

ローマの同盟部族の騎兵だとわかる。


先頭を走っているのは…ニギニウス・リトリヌだ。


キケロのところへやってきたニギニウスが

馬から飛び降り、(ひざまず)いて言う。

「申し訳ございませんっ。

突然襲ってきたヴァルルニ兵に、

城門を取り返されましたっ」


「中の様子は?」


「よくわかりません。

ローマ歩兵の大部分は、

奥へと入って行きました」


ということは、今頃は、

内部の重要拠点の占拠は完了しているってことか。


だとすると、しばらくすれば、

また城門を取り返すことができるだろう。


キケロの視野の片隅で、

ちらりと何かが動いた。


左の方の城壁を飛び降りて、

こちらに走ってくる人間が見える。


キケロがぎょっとする。

あんなことの出来るのは、ティターンしかいない。


キケロの周囲に戦慄が広がる。


ジョージ・スミスが不在にしている今、

ヴァルルニ族側のティターンに襲われたら、

我々は皆殺しにされる。


ジョージ・スミスを行かせたのは、誤った判断だったか。


スパイからの情報では、

2年前にファルティアからいなくなったティターンは、

ティオにはいないという話だったのに。


ゲームオーバー。

俺の人生は、ここで終わりか。


あの傑作を書き上げずに死ぬのは、ほんとうに無念だ。


と、思う間もなく、そのティターンが近づいてきて、

ジョージ・スミスであることがわかる。


なんだ、勘違いか。

みながほっと胸をなでおろす。


しかし、ジョージ・スミスの身体は、

酷い有様だった。


左半分は髪の毛も皮膚も溶けているし、

何本も矢が刺さっているし、

あちこち斬られて、全身、血まみれだ。


ティターンをこれほどの目に合わせるとは、

ただ事ではない。


キケロが恐る恐る聞く。

「どうした?」


「サーシャにやられた」


「え? この前あんたの言ってたことと違くないか?」


ジョージ・スミスが言い訳がましく言う。

「同じ条件で戦うなら負けないわ。

しかし、ものすごい数の罠があって、深手を負わされてね」


ティターンに深手を負わせるほどの、

ものすごい数の罠?


ということは…。


嫌ーーーな予感に耐えながら、

キケロは、ものすごく聞きたくないことを聞く。

「中に入ったローマ兵はどうなってる?」


「あんたの想像通りよ」


キケロがへたり込む。


罠に引っかかったふりをして、

相手を罠に引っかける?


ヴァルルニ族に送り込んだスパイからの情報では、

ヴァルルニ族の長老会議メンバーに、

そこまで頭の切れるやつはいないはずだ。


よしんばヴァルルニ族内部にそんな作戦を

思いつくやつがいたとしても、

実行のコントロールはかなり難しいはずだ。


ヴァルルニ族の長老会議を説得して、

それをきちんと実行させることができるとは、

とても思えない。


だめだ。

ティオの内部で、俺の想定外のことが起きている。

下手に自己判断してドツボにはまるより、

ここは被害を最小限に食い止める応急処置だけしておいて、

カエサルからの指示を待とう。


やはり、俺は兄貴と一緒で、芸術の才能はあるが、

戦争の才能はないようだ。




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