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感情の作り方

作者: 塩生

 


 私は自分が何なのか分からない。どうやってこの世界に生まれて、どういう風に小さいころを過ごしたのか全く思い出せない。小学生の頃に初めてこの感覚を味わった時には軽くパニックを起こした。算数の授業。黒板に描かれた立方体。そこに確かにあるように見えるのに実際には触れることのできない箱を見ながら、「私って何なのだろう」と自分に問いかけた。母のお腹から出てきて、大声で泣いて、抱きかかえられて泣き止んで、ハイハイができるようになって、歩けるようになった。幼稚園に入って、友達ができて、おままごとをして遊んで、絵を描いて、鬼ごっこをした。でも、そういう事は事実として知っているだけで、やった覚えはない。その時の母や友達の顔や、見ていた景色や、自分の感情が浮かんでこない。他人の幼少期についての記述をウィキペディアで読んでる感じ。胸の奥がもやもやして、気持ち悪くなった。

 その日から私は母にいろんなことを訊ねた。私が生まれたときのこと。始めて歩けるようになった時のこと。幼稚園児だったころの私について。

 母は真面目に答えてくれた。私が質問すると、一つ一つ丁寧に、優しく説明してくれた。でもやっぱり当時の記憶が蘇ってくることはなく、ただ新たな事実が蓄積されていくだけだった。

 母にその悩みを相談すると、「みーちゃん、それはおかしな事じゃないのよ。むしろ覚えてたらすごいことよ」とクスクス笑った。

 



 不思議と小学生低学年からの記憶は鮮明に刻まれている。むしろ覚えすぎなくらいかもしれない。先生とクラスメイトの顔と名前。五年生の時おなじクラスだった詩織ちゃんが隣のクラスの雄太くんに告白したこと。なんでもない六月十七日の天気。私が気に入らないと言ってのけ者にした美琴ちゃん。ロボットみたいだと言ってからかってきた太一くん。どうでもいいこと、嫌なこと。なぜだか全部覚えている。

 記憶力がいいほうなのだと自覚し始めたのは中学生の時だった。授業で先生の言った言葉がすぅーっと頭の中に入ってきて、空いているスペースに収納されていく感覚。テストの時はそこから取り出すだけ。それで大体の教科は満点がとれた。ただ、国語だけはいつも点数が伸びず、とくに小説に関しては毎回白紙だった。

 物覚えがいいというのは良いことばかりではない。誉め言葉も悪口も、通りすがりに小耳にはさんだ会話の断片ですらも記憶域に入り込んでくる。とくに休み時間の喧騒などは耐えられない。たくさんの人の笑い声や会話の切れ端が頭の中で渦巻いて、混乱しそうになる。だから休み時間は静かな図書室に行くことにしていた。

 担任の先生との面談が一番苦痛だった。「学校は楽しい?」と訊かれて、楽しいってどんな感じだろうと考えていると、先生はすぐに「楽しくない?」と困ったようにまた訊いてくる。だからすぐに答えなくてはいけない気になって、よく分からないまま「楽しいです」と答えると、「そう」と苦笑いをする。そのやり取りが理解できなかった。

 楽しいとか嬉しいとか、よくわからない。悲しいとか寂しいとかも、よくわからない。

 プロレスごっこをやって大声で笑っている男の子たちは「楽しい」のだろうか? 友達に誕生日プレゼントをもらって喜んでいる彼女は「嬉しい」のだろうか? 

 では逆に、先日彼氏に振られたと言っていた彼女は「悲しい」のだろうか? 教室のすみで一人で本を読んでいる彼は「寂しい」のだろうか?

 私は感情というものがいまいち理解できずにいた。

 そのせいかどうかは分からないが、私はよくクラスメイトから文句を言われた。


「有沢さんさぁ、なんでそういう言い方しかできないの?」

 クラスメイトの遠藤さんが私を睨みつけて言う。彼女の横には泣き崩れた女の子とバスケットボール。彼女もまたクラスメイトで三木さんという。

「そういう言い方とは?」

「だからっ! そういう人を傷つけるような言い方!」

「ですが、あの場面で三木さんがシュートを決めていれば私たちのチームが勝っていたのは事実です」

「あ、あんたねえ……!」

 そう言って遠藤さんが振り上げた手を、三木さんがつかむ。

「もういい……優香ちゃん、もういいよ……」

 鬼のような形相でなおも睨みつけてくる遠藤さんを見て、相当怒っているのだと分かる。

「不快な思いをさせてしまったのなら謝ります。すみませんでした」

 私はペコリと頭を下げた。

「……! 私じゃなくて三木っちゃんに謝りなさいよ!」

「すみませんでした」

 私は向きを変え、隣にいた三木さんに向かってもう一度頭を下げた。

「……行こう、優香ちゃん」

 三木さんは遠藤さんの手を引いて女子更衣室へ向かっていった。


 こんなような事が度々あって、私はクラスの中で浮いた存在になってしまった。小学校の時のようにあからさまな嫌がらせをする人はいなかったけれど、私の悪口はよく耳にした。「人の気持ちが分からない奴」「無感情」「ロボット」。図書室でよく挨拶してくれた女の子も私を避けるようになった。

 それでも私はなんとも思わなかった。一つ分かったのは、私はこの世界には馴染めないということだった。




 最寄りの駅から電車で三十分かかる高校へ進学した。中学の同期と一緒にならないように遠くの学校を選んだ。入学式から数日間はクラスメイトが話しかけてくれたけど、五月半ばになったころには私に接してくる人はいなくなった。中学の時と同じように、休み時間には図書室へ通った。人とかかわるのは極力避けた。学校へ行って、授業を受けて、帰宅する。ただそれだけの単調な日々だった。そうやっているうちに、気が付けば一年が過ぎていた。

 文理選択では理系を選んだ。国語は相変わらず苦手だったからだ。

 理系ということもあってか、二年のクラスは男子の割合が高かった。新学期初日からクラスはざわついていて、男子の野太い声が教室中に響き渡っていた。

 顔をしかめながら指定の席に座ると、隣から女の子の声が聞こえてきた。

「男子うるさいよねー」

 こんな喧騒の中でもはっきりと聞こえる、それでいて耳障りでない透き通った声だった。

「ねえ、そう思わない?」

 あまりにもきれいな声だったので、つられるように隣に顔を向けると、端正な顔立ちの女子が私の方を向いていた。

「あ……はい、少し」

 自分に話しかけているのだとは気づかなかったのでまごついてしまう。

「ね、新学期早々騒がしいったら」

 彼女はわざとらしくため息をもらして、

「ところで、なにちゃん?」

「え?」

「あなたの名前」

「あ、えっと有沢美冬といいます」

「美冬ちゃんね。あたしは尾崎レイカ。レイカって呼んで」

 そう言って尾崎さんは朗らかに微笑んだ。



 尾崎さんはなんというか、強引な人だった。初日から「美冬ちゃん、この後ヒマ?」と遊びに誘ってきて、「いえ、この後は……」と断ろうとする私を「いいからいいから」と無理やりカラオケボックスに連れて行った。

 次の日からも尾崎さんは積極的に私に話しかけてきて、お昼休みには私の机に弁当をひろげ、移動教室の時には私の手を引っ張っていった。

 放課後にはカラオケやゲームセンター、ボーリングやショッピングにつき合わされた。

 尾崎さんとの日々は私にとってはとても新鮮だった。尾崎さんに連れまわされるのは、なんとなく嫌ではなかった。彼女といると体がふわっと軽くなったような感覚になる。

 けれど、やはり一人になると考えてしまうことがあった。私は尾崎さんと一緒にいていいのだろうか。もしかしたら中学のクラスメイトのようにいつか尾崎さんを傷つけてしまうかもしれないのではないか。そう考えると、眠れなくなった。


 

「あの、尾崎さん」

 下駄箱で靴に履き替えて、つまさきを地面にとんとんと打ち付けている尾崎さんに話しかける。今日もこれから遊びに行かないかと誘われた。

「レイカでいいって。もうこれ三十回は言ったよ」

 ちょっとうんざりしたように言って、尾崎さんは微笑む。

「……あの、あんまり私といると、良くないかもしれません」

「……なんで?」

「私、人の気持ち、よく分からなくて……だから、いつかおざ……レイカさんのことも傷つけてしまうかもしれません」

「……」

 少し間が開いて、レイカさんは深呼吸をした。

「美冬」

 呼ばれて見ると、レイカさんは真剣な表情でまっすぐに私を見つめていた。

「今日、遊びに行くのなし。そのかわり……夜の八時、この学校にきて」

 そう言うと、「じゃあまたね」と手を軽く上げて彼女は去っていった。


 

 約束通り、夜の八時に学校に着いた。校内に足を踏み入れた時、ポンと音がなってポケットの中のスマホが震えた。新着メッセージが一件来ている。

「着いたね、じゃあ校庭の真ん中まで来て」

 どこかから見ているんだろうか。私はスマホをポケットにしまって、静かに校庭へ向かって歩いた。

 真ん中に近づくと人影がぼんやりと浮かび上がってきた。

 背中まで伸びた黒髪。すらっと伸びた脚。月光に照らされた横顔は瑞々しく、光を反射している。

 そこにはレイカさんが立っていた。

「ん、来たね」

 私の足音に気付いたのかレイカさんがこちらの方を向く。

「あの、なんでこんな時間にこんなところで……」

「極秘情報だから他人に見られちゃまずいの」

「それってどういう」

「まあ見てなよ」

 そう言って、レイカさんはセーラー服の上着をたくし上げてお腹を露出させた。

「ちょっと、レイカさん」

 私の声を聞くこともなく、レイカさんはわき腹に手をあてて。

 カパっとお腹を開いた。

「……え?」

「あれ、リアクション薄いな」

 私がもっと驚くことを期待していたのか、レイカさんは少しがっかりしたように言った。というか私は驚きすぎて声も出ないだけだけど。

「見ての通り。あたし、アンドロイドなの」

 不気味な機械音を立てながら彼女は宣言した。



 人工知能の研究が進んで、アンドロイドの開発も最終段階に入っているということは、私もニュースで耳にしたことがある。画面の中でしか見たことがないけれど、そこで動いていた試作機はたしかにほぼ人間と呼べる立ち居振る舞いをしていた。でもまさか、既にこうして世に出回っているとは。

「つまり、実地試験みたいなもんよ」

 アンドロイドのレイカさんは説明する。製品として世界に流しても大丈夫なものなのかどうか、全国の高校で試験がなされているらしい。ちなみに誰にもバレてはいけないのだそうだ。

「まあ、一度は経験してるんだけどね、高校生」

「どういうことですか?」

「あたしたちのような人工知能はね、一度は人間としての生活を送るの。もちろん、電脳世界でね。どこまで学習するのかは後の用途によって異なるけど、あたしの場合は設定年齢は十八歳だから高校までの過程は終わってる。人間として生きて、社会の仕組みや人間関係についてある程度の感覚を身に着けておくの。そうしたほうが実際に人間社会に放り出された時、困らずに済むってこと」

 なるほど、確かにその通りだと思うけど。

「……それで、私はなんで呼ばれたんでしょう」

 あっ、と思い出したように小さな声を上げて、レイカさんは「コホン」と喉の調子を整える。

「えっと、つまりね、あたしも『感情』には苦労したから、美冬ちゃんみたいに」

「ロボットなのに、『感情』が分かるんですか」

「ロボも人間も一緒。人と接していくうちに、だんだんわかってくる。友達と遊んでるときの胸がふわふわした気分は『楽しい』ってこと。だれかに褒めてもらった時の内側から何かが溢れだしそうな気分は『嬉しい』ってこと。ひどいことを言われた時に胸が締め付けられるような気分は『悲しい』ってこと。独りでいるときの自分がどうしようもなくちっぽけに思えるのは『寂しい』ってこと。もちろん、これはあたしの感じ方。美冬ちゃんには美冬ちゃんの『感情』がある」

「私の『感情』」

 私にもいつか理解できるようになるんだろうか。夜空を見上げて、友達と笑いあっている自分を想像してみようとしたけど、できなかった。まだまだ遠いことなのかもしれない。

「そう、そしてあたしは美冬ちゃんの『感情』を作るのを手伝いたい」

 そう言って微笑んだレイカさんは、優しさに満ち溢れていて、とても人間らしかった。




 翌日、登校するとクラス内が不自然に騒がしかった。みんな神妙な顔つきで、なにか話し合っている。

 私が来たのに気が付いた女子が話しかけてきた。

「ねえ、尾崎さん、なにかしたの?」

 いままで話しかけられたこともない人に声をかけられてびくっとしたが、なんでもないように装って答える。

「尾崎さんが、どうかしたんですか?」

「あれ、有沢さん知らないの。尾崎さん、さっき黒ずくめの人たちに連れてかれたんだよ」

「え……?」

 どういうことだろう。誘拐? まさか、学校に堂々と入ってきてそれはない。もしかして、昨日のあれがバレてしまったのか。

「あ、あの! どこに?」

 訊くと、その女子は窓際のほうを指さす。

「ここから向こうに行ってるの見えたから、多分裏門だと思う」

「あ、ありがとうございます!」

 私はかばんを地面に放り投げて、教室を飛び出した。廊下を走り抜け、階段横の非常口から外へ抜け出す。スリッパのままだったけど、今はそれどころじゃない。

 走って! 走って! 彼女を連れ戻さないと!

 あのままでは終わらせない。レイカさんと一緒に私は感情を作らなければいけないんだ! 彼女に感情の作り方を教わるんだ! 

 中庭を走り抜け、グラウンドまで出た。裏門の方をみると、黒塗りの車が見えた。

 そして、その後姿が、風になびく黒髪が、今にも車のドアの向こうに消えてしまいそうになっている。

 私は、大きく息を吸い込んで精一杯の声を出した。

「レイカさぁぁぁん!!」

 私の声が届いたのか、ピタっとレイカさんの動作が止まる。そして振り向いて、男たちの間をくぐりぬけて私の方へと走ってくる。

 私もレイカさんへ向かって走る。

 二人の距離が近づく。

 レイカさんが両手を広げ、私はそこに飛び込んだ。

「レイカさん、どうして行っちゃうんですか」

「ごめん、バレちゃったみたい」

「ダメですよ。私の感情作り、手伝ってもらうんですから」

「うん、そのつもりだったんだけどね。実はもう必要なかったみたい」

「え?」

 レイカさんは私の身体を離し、ニッコリと微笑む。

「美冬ちゃんと過ごした日々、楽しかった。きっとあなたはいい仕事をする」

 そう言って、レイカさんは私の頭を優しくなでて、車の方へ去っていく。

「待って! レイカさん!」

 レイカさんは振り向いてくれない。

「レイカさん!!」

 声を出しても前に飛んでいかない。どれだけ大声で叫んでも響かない。空間が断絶しているみたいだった。

 やがて、意識まで朦朧としてくる。視野が狭くなっていく。徐々に、徐々にブラックアウトしていく。

『実はもう必要なかったみたい』

 レイカさんの言葉と優しい笑みが浮かぶ。

 ああ、そうか。私はもうとっくに……。

 結局最後まで「レイカ」って呼べなかった。

 私の大好きな友達。『楽しい』も『嬉しい』も『悲しい』も『寂しい』も教えてくれた。

 彼女の作ってくれた感情。

 

 脳が分裂していく。記憶が、思い出がバラバラになる。そうしてできた断片が次々に抜けていく。

 ああ、私はもうこれで終わるんだ。




 目を覚ますと、真っ白の天井が見えた。視界の端には白衣を着た男性の顔がある。

「起き上がれる?」

 男性が聞いてきたので、小さくうなずく。

 上体を起こすと、なんと私は真っ裸だった。

 男性がマイクに向かってなにか話している。

「HR-102『美冬』転送完了。これからレーンに乗せます」

 男性がカードを渡してくる。「美冬」。私の名前が書かれている。

「これを持って、あの列の最後尾に並ぶんだ。おめでとう。君は今日からアンドロイド『美冬』として社会の役に立つんだ」

 ああ、なるほど、そういうことだったんだ。私はすべて理解して、名前を受け取った。

 

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