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土を盛りすぎる人  作者: 東東
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「ってかさ、アンタ、何したの? 恩赦とか受けられる見込み、あるの?」

「ないよ。何で?」


 剥がれ落ちた現実が戻ってきたのは、とりあえず小屋から出て、夕飯を食べて、余分に作った夕飯を七三一号に差し入れて、また戻って風呂に入って、眠って・・・、当面は繰り返しくる予定の朝がきてからだった。

 起きて身支度を調えてから朝食を作って、昨日と同じように、その前までと同じように余分に作った料理を小屋に持って行けば、もう起きていた七三一号がやたらと嬉しそうに、楽しそうに「おはよう!」なんて、久しく聞いていなかった朝の挨拶というヤツをしてきた。勿論、返事はしない。しない、というか仕方を忘れていて、だから・・・、出来なかった。

 代わりに無言で持ってきた朝食を差し入れれば、当然のように「ありがとう」という、これまた久しく聞いていなかったお礼の言葉とともに受け取り、見ているこちらの視線も気にせず食べ出した。大して凄い料理でもないのに、美味しそうに顔を綻ばせて。

 ようやく戻ってきた現実が、その光景に少しだけまた剥がれそうになったのは、そうして差し入れた料理を当たり前のように食べる人間も久しく見ていなかったからだった。犬のように食い散らかすか、気違いのように撒き散らす奴ばかりだったのに。

 けれど、ともすれば再び剥がれそうだった現実は、早々に終わった食事とともに落ち着いた。「ごちそうさま」という一言とともに戻された食器を受け取って、何故か詰めていたらしい息を吐き出した途端、いつの間にかその息に絡んでいたらしい問いが零れ落ちていたのだ。あっさりと、否定が返ってきたけど。ついでに、問いまで返されたけど。


「だってさ・・・、死刑になるのが確実の奴は、普通、こんなにちゃんと飯食ったりしないよ。あと、そんな明るくもないし」


 何かが、悔しいような気がしていた。こっちの問いをあっさり打ち返されたのも、そこに疑問を乗せられたのも。漫然と過ごしている毎日を荒らされているのも、優位に立たれているような気がする相手のその態度も。

 なんだか、釈然としないものを感じていたのかもしれない。だから睨みつけるようにして、突き刺すようにしてその言葉を投げつけたのだと思う。・・・のに、鋼鉄の視線の先で楽しげなその様子を全く変えない七三一号は、これまたあっさり答えるのだ。


「そう? でも、俺、死刑になる為に景気良く暴れたんだよ。だから予定通りになれて、かなりハッピーな感じなんだよね」

「・・・意味分かんないんだけど。ってか、何したんだよ?」

「親戚一同皆殺し」

「親戚一同って・・・」

「だって、ほら、赤の他人殺したら悪いと思って」


 親戚だって殺したら悪いだろ・・・、と思った自分は物凄い常識人だ・・・、と思わず、絶賛した。普段、他の『普通の人』からは常識の外の人間だと思われているだけに、なんだか妙に新鮮な気分だったりもする。

 同時に、心持ち檻から身を離す。視線には警戒が滲んだ。だってやっぱり、コイツは普通じゃない。親切そうな善良そうな、良識がありそうな口調と表情で、それら一切を放棄した言葉を撒き散らす。自分を普通だと思っている人間達に混ざって暮らすことが出来なかった『ダン』である自分ですら、異常だと思える奴。

 他人との交流に実はちょっと憧れがある自分ですら、檻を間に挟まなかったら口を利きたくないと思うようなタイプだな・・・、なんて、まるで他に話し相手がいる、普通の人間みたいなことを思った。


 そして、それが・・・、とても、とても・・・、楽し、かった。

 楽しいと、思ってしまった。


 何が楽しいのか、檻の中で七三一号はまだ楽しげにしている。楽しげに、こちらを見つめている。目が合えば、にっこりと笑いかけてくる。檻越しに嗤う奴は他にもいたけど、笑う人間は初めてで、それが何故か余計、おかしい。戸惑いが剥がれ落ちたまま、戻ってこない所為かもしれない。

 七三一号は、まだ笑っている。その顔は、表情は、気が触れている様子もなく、ようやくまともに認識出来るその容姿は、意外なほど整っている。少し、勿体ない。この顔も、あと少しで首から離れてしまうのだ。離れたら、その瞬間に容姿の良さが無意味になるほど歪んでしまう。苦痛に満ちた表情で、地面に転がってしまうのだ。

 地面に転がるのはともかく、これだけ良い容姿が残念な状態になるのは、勿体ない。そんな勿体ないことを、どうしてしようと思ってしまったのか?


 あぁ、でも、壇を崩さないって約束するくらいだから、最期もこの顔のままなのかもしれない。


 ふと、思いつく。あんなことを申し出るくらい肝が据わっているなら、最期の瞬間まで、斧が首の中を通過する瞬間ですら、笑顔とまではいかずとも、見るに堪えないくらい、この容姿の価値がなくなるくらい、酷い表情はしないかもしれない、と。そうなら良いのに、と本気で思う。『首』は関係ないけど、切り落とされた『頭部』は無関係でしかないけど、それでも綺麗なままならそれに超したことはない。大体、関係はないけど、片付けるなら汚いものより綺麗なものの方がいいに決まっている。

 仕事は楽しくやるべきだ。所詮、仕事しかないんだし、『ダン』には。


「・・・あ」

「なに?」

「何でもない。ってか、放っとけ」


 仕事、という単語の連想で思い出した、今、するべき仕事。公式な仕事じゃないけど、日課として好きでやっている仕事をすっかり忘れていた。思わず漏らした声に反応した七三一号の問いかけを切り捨てて、傍に設置してある明らかに年代物の机に向かう。黒ずんでしまった木の机は、肘をつく度に声を上げるし、揃いの椅子も座る瞬間と体勢を変えた瞬間、立ち上がる瞬間に悲鳴を上げるけど、とりあえず壊れる予定はまだない。

 その机の引き出しを開ければ、既にかなり分厚くなった冊子が入っている。紐で綴じたそれは、足りなくなる度に紙を足している日誌・・・、のようなものだった。業務日誌。もしくは、業務日記。どこかに提出する予定もないし、自分以外は誰も見ないから、やっぱり日誌じゃなくて日記かもしれない。

 一族皆がつけ続けている日記。確かに仕事をしたという、確かに生きたという証・・・というわけでもなく、ただ単なる趣味みたいなもの。代々続く趣味。毎日、訪れる死や迫る死に狂乱する囚人、それらに嫌々関わっている人々の様子を記すもの。目に映るそれらの光景の中で、面白いものを、記念として綴るもの。

 こんな珍しいこと綴っておかないと、何の為につけているか分からないし。

 独り何度か頷きながら、机の上に転がしたままだったペンを取る。開いたページは、まだ白紙。一番上に日付を書いて、行を変えてから最初に綴るのは、起きたままの事実。新しい囚人が昨日来たこと、その囚人の番号、犯したと思われる罪状、身体的特徴等。それらを数行で書き上げてから、次いで、また改行。そこからは主観的感想を熟々と・・・。


「・・・あー、もーるよ、盛るよ、盛っちゃうよ、盛るなって言っても、盛っちゃうよん。盛るよ、盛るよ、盛っちゃうよー」

「ねぇ・・・」

「あ?」

「それ、なに?」

「なにって・・・、盛っちゃう歌」

「へぇー・・・、ってか、何を?」

「土に決まってるじゃん」

「あぁ・・・、そういうこと?」


 面白感想を書いているうちに、筆が乗っていたらしい。筆が乗ると自然と口ずさんでしまういつもの歌を気持ちよく垂れ流していると、今まで聞いたことがない、呆気に取られた声が掛けられた。

 せっかく気持ちよく歌っていたのに水を差された形になって、勿論、楽しくはなかったけど、大好きな歌のことを聞かれた、という状況も嬉しい気がしたので、素直に答えてみた。・・・のに、視線を向けた先の七三一号は間の抜けた顔をして、もう一つ問いを重ねてくる。答えが分かりきっている、問いを。

 他に何を盛るってんだよ・・・、という一言を飲み込んでの当然の答えを聞いた七三一号は、何故か大きく息を吐きながら深く、深く二度、頷いた。何かに、納得しているみたいに。

 初めから分かりきっていることに今更何を納得するのかと思って、今度はこちらから問いを発しようとしたのだが、ちょうどお互いの声が切れた隙間から、音が聞こえてきた。小屋の外、微かに聞こえる、外来者の足音。いつもと違う時間が流れていた所為で、すっかり忘れていた。もう、来る時間だったのだ。


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