勇者編 第2話 命
この世界に来てから約半月程経とうとしていた。
日本では考えられない程贅沢な思いをしながら、これまた日本では考えられない程厳しい日々だった(雫は慣れていたが)。
大体の予定を立てるとこんな感じだ。
~6時半・・・起床、顔を洗うなどする。
6時半~8時・・・朝飯、勉強の準備。
8時~12時・・・勉強(この世界の常識、戦い方の基本)。
12時~14時・・・昼飯、自由時間。
14時~19時・・・戦闘訓練(剣で戦ったり、魔法を使ったりいろいろ)
19時~21時・・・夕食、風呂
21時~・・・自由時間、就寝。
最初に戻る。
私達が召喚されてから毎日この繰り返しで飽き飽きする。
それも外出などの事は一切出来ない。
というか一回も外に出たことすらない!
どうなってるのよ!
ブラック企業でもそんな事しないわよ。多分。
はぁー、ここを出ていった桐ケ谷君が正解だったみたいね。
私も行けばよかったかな? ……はぁー、こんな考えをしている時点で駄目ね。
訓練は大した事無いんだけど(そう感じるのは雫位なものだ)毎日これじゃ飽きるわよ。
だが、この時の雫は知らない。
この後に待ち受ける本当の試練を。
それはこの世界で生きていくためには必要なもの。
だが、平和な世界で生きてきた雫達には過酷なものだった。
雫達は朝食をとった後、午前の勉強をした。まぁ、内容はそこまで難しい物では無かったが。
午前の勉強が終わった雫達は午後からの訓練に向けて昼食をとる。そして昼食をとり終わった雫達は訓練の準備をして訓練場に向かう。
そこには私達に戦い方を教えてくれる、ジョセフさん、ミストさん、他数名の騎士、魔法士がいた。
余談だが、このジョセフと言う男はエルスラーン王国、騎士団団長にして〈最強の男〉とも呼ばれている者だ。
レベルはなんと、レベル489と世界で2番目のレベルだ。最強と呼ばれているのに2番目って(笑)。
だがこれにはわけがある。と言うか言葉遊びに似ている。
ジョセフは確かにこの世界では〈最強の男〉だ。だが、ここで勘違いしてはダメだ。
〈最強の男〉つまり”男の中では最強”と言う事。そして世界最強の人物は女なのだ!
まぁ、つまらない言葉遊びだ。
それにこのデータは公表されている物であって、正体を隠した者の事は分からない。
例えば、国が秘密にしている場合や世間に出てこないで、森やダンジョンにこもっている者等。そして、その中にはもしかしたらジョセフよりも強い者が居るかもしれない。
まぁ、ここまでの実力を持つ者が完全に正体を隠せられるとは思えないけど。どっかしらで噂とかが出るだろう。余談終了
雫達はジョセフに挨拶をして早速、今日の訓練課題を聞く。
「今日の訓練は命を奪う事についてだ!」
ジョセフがそう言った瞬間ざわついた。
それは当たり前だ。どんなに訓練や勉強などしようと、根本的に私達は変わっていない。
命を奪う……それの意味することは——
「あぁ、安心しろ。最初から人を殺せとは言わん。まずは慣れるために動物を殺してもらう。だが忘れるな! いつか人も殺してもらう!」
「「「「「「「「「!」」」」」」」」」
殺す。それはこの世界では普通の事なのかもしれない。だが、日本という平和な世界で生きてきた者には縁が無いものであった。
いや、少し語弊があるかもしれない。日本でも生き物を殺すと言う事は意外と身近にあるものだ。
肉。
誰でも食べた事はあるだろう。肉は豚や牛等を殺して手に入る物。だが、人はそれを理解していながら気にしない。なぜなら生き物を殺したという実感がないから。
命を奪いその上で私達は生きている。
でも私達はその事を気にしない。
それはとても残酷な事だ。
「さて、お前たちに殺してもらうのは「豚」だ! この豚は今日のお前たちの夕食の材料だ! だからお前たちが殺さなくても結局は殺される者だ! お前達の為にな!」
ジョセフは必要以上に「殺す」という言葉を強調している。それは殺すという事をしっかり理解させる為でもある。
そして私達の為にと。
「命を奪うという事はど言う意味か、その身に刻め!」
静寂があたりを包む。
それは恐怖か。
あるいは理解してないだけか。
だが、そんな静寂を破って前へ出る者がいた。
「僕が行くよ」
そう言って前に出たのは勇だった。
その眼は殺すと言う事への忌避感が見てとれる。それでも自分が行かなければならないと言う責任感にも似た物を感じさせながら勇は歩いていく。
そしてジョセフは「やはりか」と言う思いだった。
皆をまとめ、最初に前へ出るのはいつも勇だった。
正義感が強く、優しい。
そしていつも誰かの為にやろうと言う意思が伝わってくる。
だが、この世界はそこまで甘くない。
正義感が強いだけでは何も守れない。
優しいだけでは何も得られない。
誰かの為だけでは自分は生きられない。
自分がどれだけ愚かだったか。
自分がどれだけ無能か。
自分がどれだけ弱いか。
その事をその身を持って体験しろ。
そして、立ち上がって来い。
勇者よ。
そして檻の中に何匹もいる豚から一匹をだして、鎖で動けないように繋いでいく。そして勇は鎖でつながれ動けないよう拘束されている豚に剣を向けた。
だけど勇は1分、2分、5分と立っても剣を振らない。
多分殺すと言う事がどれだけ過酷か思い知り、そして悩み、考えているのだろう。
それが分かるから誰も急かしたりしない。
勇を自分に置き換えて考えているのだと思う。いつも悪ふざけ等をしている、比嘉や松浦なんかも今はじっと勇の事を見つめている。
そして10分が過ぎようとした時、勇は剣を振り上げた。
その顔は「恐怖に駆られて仕方なくやる」と言う物だった。
そして勇は剣を振り下ろした。
あぁ、ダメだよ勇。それじゃダメだ。
そう思った雫は【疾走】を使って勇のところまで一瞬で行き、雫は腰に下げてある剣を居合の要領で勇の剣を受け流した。
勇が先に剣を振り下ろしていたにも関わらず雫は勇の剣を受け流したのだ。
そして剣同士がぶつかったと言うのに、音が響かなかった。
雫の剣筋は綺麗で美しかった。
それはジョセフでさえ目を見開いた程の物だった。
「!?」
勇は驚いた目でこちらを見ている。
そして私は勇の目を見つめながら、強く言い聞かせるように言う。
「勇それはダメだよ。自棄になっちゃダメ。しっかり殺すと言う事を理解して。そうじゃなきゃ意味が無いし、絶対後悔する」
勇は言葉を挟むことなくしっかりと雫が言っていることの意味を理解しようとしている。
そんな様子を傍から見ていたジョセフは「さすがだ」という気持ちだった。雫は元の世界で剣を習っていた事は聞いていたが、心構えもしっかりできているとは。
ぶっちゃけて言えばあのまま勇が剣を振り下ろしていたらジョセフは止める予定だった。理由は雫が言っていたように自棄になって殺しても、それは何の意味も持たないと分かっていたからである。
それにあの受け流し、いや違うな。あの居合。
これまで訓練で何度か見た事があったし実際に剣を交えた事さえある。
だが、今の一撃は今までの物とは一線を画す物だった。
なるほど、今までジョセフは雫の事を計算高く、慎重な者だと思っていたし、多分その考えは間違っていない。
だけど、それだけじゃない。雫は実戦でこそ、その”本領を発揮”する。
そんな事を考えていたジョセフだったが、勇が考えをまとめ、謝罪の言葉を言ったのを皮切りに意思が戻って来た。
「……ごめん」
「別に良いよ。ねぇ、ジョセフさん私がやってもいい?」
ジョセフは少し悩むそぶりを見せたが「どうせ全員やる事になるのだから順番何て別に良いか」という結論になった。
「あぁ、構わない」
「ありがとう」
そして雫は構えた。
腰に刺さっている剣、いや、”鞘に収まっている剣”の柄を握る。
そして腰を落とし、目を瞑る。
私の最も得意な、いや違う、”私だけ”にしか出来ない居合。
それはあのジョセフさえも凌ぐ一撃
技術も技も経験も何もかもが足りない私だけど、この一撃だけは誰にも負けるつもりは無い。
私の人生そのもの。
集中しろ。
「目で見ず、心で見ろ」そう、祖父に教わった。
集中して行く。自分でも分かるくらい心の奥に沈んでいくのを感じる。
あー、これが俗に言う”ゾーン”か。私は漠然とだがそう認識できた。
そして私はどんどん深く、より深くへ沈んでいく。
そのうちに自分の心が見えてきた。
殺す、か。
私は何度か殺すと言う事を考えた事がある。でも、そんな自分をいつも誤魔化して後回しにしてきた。
決めるのが怖くて。
生き物を殺したという事を感じるのが嫌で。
多分これは報いだ。
これまで見て来たつもりだったけど、実は何も見ていなかった事への。
それは殺すと言う事だけではなく、勇や武、咲耶達友達の事さえ見ていなかった事への。
それは罪だ。
知ったようにして何も知らない自分を否定してきた自分は罰を受けなければいけない。
それが今だ。
今まで決められなかったこの気持ちを決めよう。
殺すと言う事と向き合おう。
仲間と腹を割って話そう。
今まで目を逸らしてきた事と向き合おう。
ここから新たな一歩を踏み出そう。
”過去の私””今の私”ではなく”これからの私”に成ろう。
大丈夫、心配しなくていい。
こんな私だけど、友達だと、仲間だと言ってくれる人が居るんだから。
立ち止まっても良い。
また、立てば良い。
自分で立てなければ誰かに起こしてもらえば良い。
もし挫けてしまう様なら誰かに支えてもらえば良い。
大丈夫、私はまた立てる。
もう、自分の気持ちに嘘をつくのはやめよう。
知らないのならば知ればいい。
これからゆっくりと、少しづづ。
”未来へ”向けて歩いて行こう。
私と共に歩いてくれる仲間が居るのだから。
そして私は剣を抜き放った。