曇天
少女は、両腕いっぱいに薪を抱えて走っていた。
薪を落とさないように気をつけながら、おぼつかない足取りで走っていく。
「急がなきゃ...」
日が暮れるまでには家に帰ってくるよう、きつく言いつけられていたのに。
何度瞬きしても、空が暗いことに変わりはなく、周りの空気がどんどん冷えてゆく。
この真冬の時期に薪が足りなくなることは即ち死を意味する。
大陸の北端にあるこの村の冬はとてつもなく厳しい。
日中の寒さはそこまで厳しくはないのだが、日が落ちると一気に冷え込むのだ。
家に着いて薪を小屋にしまうと、少女はこの家の主の部屋の戸を叩いた。
中からの返事はない。
「ただいま、帰りました」
それだけ言ってその場を離れようとすると、廊下の向こうからこちらへ近づいてくる女性と目があった。ライラさんだ。
ライラさんは、怖い人。私をいじめる人だ。
「...ちょっと、何?そんな目で私を見ないで頂戴。あなた、薪を拾って戻ってくるのにどれだけかかっているの?さっさと帰ってくるように言ったじゃない...この屋敷にいる資格なんてあなたにはないのよ...?ねえわかってる?」
彼女はそう言うと私のお腹を蹴り上げた。
ぐらりと視界が揺れる。
「か、は」
「もう戻って良いわよ、おチビさん」
彼女が村長の部屋に入って行くのを見届けると、お腹を抑えながら必死に立ち上がり、自室へと向かった。
この村は四方を山に囲まれているため、他の村や町との交流が全く無い。しかし、不自由なくとはいかないまでも、村人たちは平和に暮らしていた。
しかし最近になって急に、魔物が山から村へ降りてくるようになったのだ。ただの魔物ならばまだしも、凶暴化した魔物ばかりが夜に村へと降りてきて人を襲った。もう何人死んだだろうか。
ーその最初の犠牲者が、少女の家族だった。
少女は母と父と三人で暮らしていた。とても仲の良い家族で、少女は両親が大好きだった。
ある日の夜。少女の家は特別山に近いわけでもなかったのに、魔物に襲撃されたのだ。
そして父と母は死に、少女だけが生き残った。身寄りのなくなった彼女は村長に引き取られ、そこで下働きをしている。
「あの子、目の下に傷があったもののそれ以外にはどこにも傷がついていなかったんですって。親が魔物に襲われたのは一目瞭然だったって言うけれど、不気味よね」
こんな話が村中に飛び交い、少女は「魔物の子」と囁かれるようになった。魔物は老若男女関係なく襲う。しかし魔物の血を引く人間は襲わないという噂が昔からあるのである。
少女の名を、シエルという。
「シエル」
扉の向こうから声がする。
「シエル、寝ているのかい」
自分を呼んでいるのだと気付くと、慌てて扉を開いた。
「ご、ごめんなさい」
「良いよ、疲れてたんだろう?そろそろ夕餉の準備だからおいで」
「...はい」
村長の屋敷の使用人の一人、アンナさんだ。この屋敷に来てから、ずっと私のことを気遣ってくれる人。
小さな村だから村長の家だってそんなに大きくはない。だから使用人はアンナさんとライラさんだけだ。本当はその二人で事足りるのだが、私が何も仕事をしないで養ってもらうのを嫌がるから、村長さんが仕事を与えてくれたのだ。
「薪を取ってくるの大変だったろ。ごめんよぉ、あたしが行ってやれりゃ良いんだが、ライラには頭が上がらないんだ」
「いえ...」
「さ、シエルは皿を準備してくれ」
無言で頷き、準備に取り掛かった。
準備を始めてからどれくらい経ったろうか。そろそろ夕餉の支度が整うからと村長を呼びに行こうと台所を出ると、村長がこちらに向かってくるところだった。
「ここでの生活には慣れたか、シエル」
「あ、はい...。あの、夕餉の支度が整ったので...」
「そうか、ありが」
とう、と言う声は悲鳴にかき消されて聞こえなかった。どうすれば良いか分からず村長を見つめて立ちすくんでいると、腕を強く引っ張られた。アンナさんだ。
「自室に戻ってな」
こくり、と頷いて私は自室へと走って行った。さっきの悲鳴は誰のものだったのだろう。誰かが魔物に襲われたのだろうか。そう考えるとひたすらに恐ろしくて震えが止まらなくなった。
「また、誰か、死ぬのかな」
あの夜のことを思い出しそうになるのを必死に堪えて、シエルは布団に潜り込んだ。
ーこれから、あの夜より恐ろしい経験をすることになるとは知らずに。