その十四 「踊る大掃討戦 後編」
トラックが停まり、それはぼくらを冷厳な現実へと駆り立てる――――
「全員、降車」
指揮官の声は無機質だったが、それを地獄からの誘い声のように聞いた者もまた多かったはずだ。
それでも荷台から声も上げずに黙々と、あるいは粛々と降りる兵士――――命令に心動かされることなく、ただ命令の辞書的な意味に対し、感情を抱くよりも先に動作で以って反応するところに、軍人と一般人との違いがあると言ってもいいのかもしれない。軍隊での訓練と統制は、まさにそれを可能ならしめるために存在する。
降車したところで、そこで一旦集合し隊容を整えるという余裕は、すでにぼくらからは失われている。ぼくらはそのまま山中に分け入り、ただ遠方から散発的に聞こえてくる銃声の在り処を目指して山を駆け上るのみだ。
「…………!?」
夜の山中、そこで何処からともなく上がる叫び声。敵弾に倒れ、戦闘中の混乱の中で回収もままならないままに打ち棄てられた友軍兵士の死体を、不運な誰かがその足元に発見したのだった。だが、相互援護を意図した円陣で進むぼくら五人の中で、それに心を動かされる者はもういない。
そしてぼくは、その円陣の最先頭を歩いていた。
「自分がやりますよ……皆さんには自分以外に食わせなきゃいけない誰かがいるでしょうし……」
「恰好をつけてる場合かよ」
「鳴沢にだって、女がいるだろう?」
「でも自分……彼女の将来に責任を持たなくちゃいけないようなこと、してませんから」
「そういうのは身持ちが堅いとは言わない。腰抜けっていうんだ」
配置を決める際に、中沢兵長たちと軽く交わした言葉を思い出しながら、ぼくは小銃を構え直す。木製の銃床と銃把以外全てに金属を使っている64式小銃は冷たく、このような寒冷地では頬や手に嫌な違和感すら覚えてしまう。あたかも、手や顔が凍りながらに火傷するような―――――
やがて――――
近付きつつある銃声――――
硝煙の匂いすら、次第に濃くなりゆく――――
何度もつぐ白い息――――
そして―――――
「……伏せろ!」
姿勢を転じた直後に、前方の銃声は黄色いアイスキャンデーの連なりとなってぼくの頭上を通り過ぎていった。
直後に各所で上がる絶叫――――前方に待ち構えていた敵兵が撃った一連射を回避しきれず、数名の追跡隊員が被弾し倒されたのだ。みんなは?……と咄嗟に振り向いた先で、四人は地面に伏せるか、あるいは木陰に隠れ奇襲をやり過ごしている。それを見て取り、ぼくは木村上等兵に叫んだ。
「木村さん、擲弾筒を!」
「お、オウ!」
木村上等兵が擲弾発射機を装着した小銃を投げ、ぼくはそれを受け取るや地面を滑るように這い進む。
「鳴沢なにやってるんだ! 戻れ!」
声を荒げぼくの背中に呼びかけた島谷助教に、ぼくは振り向きざまに目を剥くようにした。
「援護して……!」
そして、再び進み始める。
「…………」
草叢を掻き分け、湿った土を野戦服に纏わりつかせながら、ぼくは這った。その背後から立て続けに聞こえてくる64式小銃の連射音。援護射撃がぼくを一層の任務遂行への意思へと駆り立て、慢心の力を込めさせ、急な斜面を這い登らせる。
「あ……」
背を凭れ掛けた木から、ぼくは偶然に見た――――
山肌とほぼ一体化した服装を纏い、DPK分隊支援機関銃を撃ち続ける二人組――――
少しでも視線をずらせば、忽ちに周囲の稜線に溶け込んでしまいそうで、ぼくにはそれが怖く感じられた。
「…………」
そして意を決し――――
ぼくは近くの曲木に銃身を支え――――
擲弾銃を構える。
二股に分かれた木は、狙いを付けるのに都合がよかった。挺身兵課程の、兵器操作教程で刻み込まれた身体の感覚に従いぼくは照準を付け、それは敵の伏兵に合わされる。狙いを付けられたことなど知らない当の伏兵はあいも変わらず、斜面の下方へと銃火を注ぎ続けている。
「テッ……!」
引き金が引かれ、直後に襲い来るものすごい反動が肩に圧し掛かりぼくのバランスを崩す。背中から派手に地面に打ち付けられながら、ぼくはぼくの放った擲弾の行く末を心配する。
ボンッ!!
頭を上げたぼくの遥か眼前で、擲弾は敵兵の潜むど真ん中で着弾し、同時に火点を沈黙させた。
「やった……」
堰を切ったように上り来る足音を聞く。足音はそのままに銃を構えた兵士の姿となって呆然と見守るぼくの目の前に現れるのだった。いち早くぼくに駆け寄ってきた中沢兵長がぼくを助け起こし、強く肩を叩いた。
「よかった! 生きてたか」
「この馬鹿、勝手なことしやがって!」
と、島谷助教が声を荒げる。その間にも斜面のさらに上の方では、前進した部隊と敵兵との銃撃戦が始まっていた。敵味方の配置すらはっきりとはしない混戦状態において立て続けに起こる戦闘の過程――――その中に、ぼくらは捜し求める野村教官らを見出した。
「大変だ……教官どのが……!」
結論から言えば、ぼくら増援隊が新たに遭遇したのは、野村教官の隊の背後に回り込み、それを包囲しようと動いていた敵の別働隊だった。斜面を駆け上った先で、無軌道に居並ぶ木々の間に蠢く影の一つが、見覚えのある、あの敵の最も厄介な火器を野村中尉たちに向けるのを、ぼくは見逃さなかった。
「…………!」
伏せた姿勢のまま、咄嗟に構えた64式小銃。
覗く照星の枠内に、その最大の脅威をぼくは捉えた。目標たる人影はその特徴ある尖端をもつ筒を肩に掛け、その恐るべき尖端は十字砲火の只中でぼくら増援の到来まで必死に応戦を続けていた野村教官と彼の部下とに向けられようとしている――――――
ままよ……!
ぼくは撃ち、銃身より放たれた一発はRPG射手の首筋を見事に貫いた。同時に差し込んできた星明りの下で、ぼくは撃った敵兵が弾痕を穿たれた首筋より鮮血を噴き上げ、絶叫を上げさせる間も無く昏倒するのを見た。
「鳴沢……!」
絶叫にも近い中沢兵長の声を聞くのと、至近に唐突なまでに出現した敵影に気付くのとほぼ同時。戦況はすでに遠距離を隔てての銃撃戦から、ぼくらの気付かないまま接近戦へとその装いを変えつつあったのだ。周囲を漂う漆黒を破るような近距離から向けられた自動小銃の銃口に、ぼくもまた64式小銃の銃身を上げて反応する。
「…………!」
撃つ、撃つ、撃つ!……機関部より跳ね上がる薬莢と同時に投じた弾丸全てが敵の大柄な体躯を貫き、覆面姿の敵兵は声も立てないまま足からその場に崩れ落ちた。体勢を整えたぼくの眼前に迫る気配――――――それらに対し反撃の銃火を瞬かせたのは、中沢兵長らであった。急襲にも似た弾幕を前に、気配は忽ちに圧倒されて倒され、一方でぼくらは敵の勢力圏を分断し、奪い取ることに成功する。
「野村中尉が……!」
叫びとともに島谷助教が指差した先では、野村教官以下数名の隊員が遮蔽物に身を潜め、四方から延びて来る火線に対し絶望的とも言える応戦を続けていた。特に前方の火力密度は濃く、そこが敵工作員の主要な潜伏地点であることはぼくのような新兵にも明らかだった。同時にぼくらは、先程に交戦した敵部隊の意図が教官たちの挟撃にあったことをこのときに悟った。もしぼくらの増援が遅れていれば、教官たちは前方の敵への応戦に追われるあまりに、背後より文字通りの止めを刺されていたことだろう。
そうだ!……ぼくは脳裏に浮かんだ思考の赴くまま、元来た道を引き返した。中沢兵長もまた後を追う。ぼくが辿り着いたのは狙撃した敵兵の倒れた地点だった。
「鳴沢、どうした?」
「中沢さん、こいつを使いましょう」
「こいつは……」
ぼくが抱えた敵の装備を目にし、中沢兵長は声を失う。それもさもありなん――――――装備を抱え、戦闘中の地点へと戻ったぼくらを、彼自らも小銃で敵に応戦していた島谷助教が怒鳴りつけた。
「貴様らこんなときに何処に―――――」
ぼくの抱えている「装備」を目にし、思わず怒声を引っ込めた島谷助教に打ち明けたぼくの打開策―――――それに、皆は唖然としてぼくを見返すようにする。
勝負の始まりは、敵の銃火が途切れた瞬間だった。
「…………!」
小銃を抱くように持ち、ぼくは遮蔽物より駆け出した。余分な装備をかなぐり捨て、できるだけ身軽になればそれだけ生き残る確率も増えるというものだ。
駆け出す間際、首に下げていた小袋にキスをしたことを脳裏で何度も反芻しながらぼくは走った。最後のキス――――それこそが、ぼくのアケミに対する最後の挨拶だった。耳に入ってくるけたたましい銃声が、ほぼ同時にぼくの耳にヒュン、ヒュン……という音を立ててぼくの体を掠め、あるいはぼくの前、後、横で汚らしい土柱を上げる。突如射界に飛び出し、危機に瀕した追跡部隊の潜む遮蔽物へ向かって走る闖入者を、前方に潜む敵が見逃すはずがなかった。
だが、一斉射撃は一人で走るぼくに向かって集中する一方で、その瞬間を待ち構えていた島谷助教たちに対し、彼らの火点を顕わにしてしまう。そこに、「装備」は島谷助教の肩に架けられ、そのおどろおどろしい先端が向けられる――――
パスンッ!……という轟音を、敵が聞いたときには全ては遅かった。
「…………! ?」
砲身に鮮やかなバックブラストを残し、撃ち出されたRPGは真っ白い噴煙を靡かせ、暴露された敵の火点の、それもど真ん中を直撃した。着弾の衝撃が一帯に響き渡るのと同時に、野村教官の場所へ駆け込みかけたぼくは、直後にいきなり野村教官に足を払われ、銃口を突きつけられる。
「…………!」
唖然とするぼくの鼻先に、汚れた64式小銃を突き付けたまま、教官は血走った目もそのままに言った。
「誰か……?」
「鳴沢……レンジャー鳴沢であります……!」
「……そんなやつの名は知らん」
「…………」
断言され、ぼくは言葉を失う。教官の態度に気まずさを感じ、それがぼくから銃を構える手にこもる力を奪っていく。
「鳴沢! 無茶しやがって……!」
背後から走り寄ってくる島谷助教の声を聞く。駆け寄ってきた先で野村教官の姿を認めるや、蒼白な顔もそのままに彼は敬礼した。
「ご無事でしたか、中尉殿」
「貴様らしくない、大胆なやり口だな島谷軍曹。RPGを分捕って、囮を放って撃たせるとは……何処のバカの考えだ?」
「それが……」
「…………?」
「この作戦は、レンジャー鳴沢の発案でありまして……」
「…………」
その瞬間、教官は苦笑した。だがその言葉は強烈だ。
「光輝ある帝国陸軍挺身兵も墜ちたな。昨日今日入営したような若造の手を借りねば任務を果たせんとは……」
「はあ……申し訳ありません」
平静そのものの悪態を前に、同じく苦笑する島谷助教を他所に、野村教官は再びぼくを見上げた。その眼光に圧倒されるぼくに気付いたのか、鼻で笑うようにすると、そのゴツイ手をぼくに差し出すようにした。
「…………?」
「何をボサっとしている? レンジャー鳴沢、肩を貸せ」
「は、はい!」
言われるがままぼくは手を伸ばし、そして野村教官の体を引き上げた瞬間に、彼が脚に負傷していることを初めて知る。斜面の遥か後方では、戦闘が終了したことに安堵したのか、殿の隊が事切れていたり、あるいは負傷し動けない同僚や敵兵を引き摺り、収容作業を始めていた。その彼らの一方で、ぼくに体を支えられたまま、教官は部隊に前進を命じた。完全に生きている敵のいなくなったその前方では、すでに先行した隊員が電波発信機の捜索に取り掛かっている。
そして……
「あった! ありました!」
傍目から見れば、中隊指揮用の無線機にも見える巨大な装置に、その場の皆は目を奪われる。電波の送信を告げる信号灯の点滅、それは持ち主を失ってもなお、いつ飛来するとも判らぬ弾道弾のために、未だ破壊への道標を刻み続けていた。一人の下士官が進み出、電波の送信を切断した。その直後、幕の終わりを告げる緞帳が下りたかのように、安堵がその場を覆い始めたように皆には思われた。
掃討は終わった―――――
だが――――――
警戒のため少なからぬ数の兵を残し、空港に引き上げるトラックの荷台で、生きて帰路を辿るぼくの胸中には、どういうわけか言い知れぬ不安にも似た感覚が根付いて離れることがなかった。
「死体を並べろ」
指揮官の命令は五分ほどで完遂され、その結果として輸送トラックの前に並べられた死体袋が、延々と列を為していた。ぼくらは二人がかりで死体を抱え、無言、あるいは淡々とした会話のうちに並べられる死体は、少しずつ増えていく。死地から帰り着いても、ぼくらに安息は許されなかった。O山方面での掃討戦だけでも、こちらが失った兵士の数は17名の大台に達している。
「あ……」
急激に回転音を上げ、滑走路から脚を離し夜空へ浮遊するバートルに、ぼくは最後の死体を並べ終えたところで気付く。急激に上昇し、安全地域まで退避し行く機影……その胴体には負傷者が満載されている。彼らの中には応急措置と後送により、生還の見込みを得た者の一方で、手当てのしようもない重篤者すら含まれていた。そして此処からさらに東の山中には、未だ収容されることの覚束ない兵士や警官が、それこそ小隊単位の数で存在している……いわば、無言の帰宅を果たすことになる者が、さらに増えるであろうことはぼくにすら容易に想像できた。
「こちらFOB、敵工作員の掃討を完了―――――」
指揮通信車の無線機を通じ、喜々とした声で司令部に状況を報告する現場指揮官を横目に見遣りつつ、配置を解かれたぼくらは輸送トラックの陰で一服を始めていた。外見だけは「一人前」の挺身兵たるぼくら、たとえ見つかったところで、そのぼくらを咎めだてするような勇気のある兵士などいるわけがない。ちょうど不良学生が授業をサボって校舎の隅に集まり、煙草を片手に喧嘩の自慢話や、教師の悪口を駄弁るのにも似ている。
「生きててよかったなァ……木村君」
そう言って、竹中兵長は木村上等兵の肩を叩いた。煙草を景気よく吹かし、木村上等兵は満更でもないという風に言う。
「ああ、俺ァこの世にまだ遣り残したことがあるからな。死んで堪るかってんだ……」
「確かに、遣り残したことがあるよなぁ。更正とか……」
「何だとテメー」
笑いの支配する兵員輸送トラックの裏。そのような中でも、杉山二等主計だけが肩を震わせて子供のように泣いていた。その彼の背中を、不機嫌そうな顔もそのままにバンと叩いたのは門田軍曹。
「コラ、杉山泣くな!……みっともねえ」
「で、でも……ウッウッ……ウウ!」
鼻水まで垂らし、なおも嗚咽を漏らし続ける杉山二等主計。彼に注ぐ眼差しの何れもが暖かく、柔らかなものを宿していた。
そんなぼくらの環から距離を置き、無言のまま煙草を燻らせる野村教官に、島谷助教が怪訝な目を注ぐ。
「野村中尉殿、ヘリに乗らなくてもよかったのでありますか?」
「余計なお世話だ」
長さの大して減っていない煙草を地面に押し潰し、彼は続けた。
「本当にヘリが要る奴なら……まだまだ増えるだろう」
再び、胸のポケットから煙草の包装を取り出し、そこで煙草を切らしてしまったことに野村教官は舌打ちした。それを察した島谷助教が、ぼくに言った。
「レンジャー鳴沢、タバコ買って来い」
「…………」
「どうした? 今頃怖気を奮ったのか?」
「ハ、ハイッ!」
慌てて腰を上げ、ぼくは脱兎のように駆け出した。事実、戦闘に対する恐怖はそれを潜り抜けた後で、一気にぼくに圧し掛かって来ていた。震え続ける足に渇を入れるかのようにぼくは力を篭め、道を踏みしめるようにして煙草の自販機へと向かって行った――――
「アレ、まただぁ……」
…………?
現場実況用の大型車両、その編集用機材のモニターを前に、顔を曇らせる取材クルーと再びかち合ったとき、出撃前に感じた、戦闘に臨むのとは違う不安が、再びぶり返してきたようにぼくには思えた。気が付けばぼくは歩調を上げ、軽い駆け足で取材クルーの列に割り込み、モニターを覗いていた。そこでも亡命機の機影を捉えた画像に、予想外の何かが映り込み、彼らを困惑させていたのだ。
「ホント何ですか? この光線」
「オレに言われても……」
「ちょっと失礼します」
やや乱れ気味のモニターの中で、空港周辺の何処からか亡命機へ伸びる一条の赤い光線を再び目にしたとき、ぼくの不安は近い過去のある記憶と交差し、そして明確な驚愕へと変わった。
「嘘だろ……?」
絶句とともに、ぼくはクルーの一人を顧みた。
「もう一度、該当する場所を撮ってみてもらえませんか?」
言うまでも無かった。すでに手の早いカメラマンが放送用のテレビカメラを抱え、その映像は別のモニターに、明瞭な像となって映し出された。
「あ、また走った」
と、再び画面を横切った光線に誰ともなく声を上げる。赤い光線は、明らかに空港の外から亡命機の機影を指向していた。それは一瞬で途絶え、また暫くして思い出したように現れる。あたかも光線自体が意志を持つ何者かに操られているかのように―――――
――――そして、ぼくは悟った。
「大変だ……」
蒼白な顔もそのままにぼくは皆の元へ駆け戻り、数分の後に画像の前は、それを食い入るように見つめる教官たちが分厚い壁を作っていた。
「教官殿……?」
呼びかけるぼくには目もくれず、画面に目を凝らしたまま野村教官は声を上げた。
「地図を出してみろ。早く!」
急かされるように開かれた地図、それにライトを当て、指で経路をなぞり、野村教官は言った。
「間違いない……こいつは照準用レーザーだ。あれは肉眼では識別できん。おそらく……この位置から照射されている」
「どういうことだよ……戦闘はもう終わったんじゃなかったのかよ」と、木村上等兵。
「ばか、俺たちにそう思わせることが、敵さんの狙いだってことさ」と、竹中兵長が応じる。
「じゃあ……山中の連中は、囮?」
と、門田軍曹は唖然とする。そこに中沢兵長が、蒼白な顔もそのままに言った。
「もし鳴沢の言うことが本当だとしたら……とんでもないことになるぞ。」
野村中尉は立ち上がった。
「島谷軍曹、挺身兵を可能な限り集めろ。今すぐに……!」
「ハッ……!」
そしてぼくらを集め、命令を下す。
「聞け……お前たちにはまた苦労をかけるが、我々はこれより近距離偵察(CTR)に向かう。移動目標は空港より東へ300メートルのこの山だ。おそらく、ここが本当の敵の根拠地だろう。事は急を要する。抵抗も先刻と同じくらい激しいものが予想される。門田、中沢、木村、鳴沢……お前たち四名には先行し、増援の到着までなるべく時間を稼いでもらいたい。指揮官は門田軍曹。心してかかれ……以上!」
そのとき――――
「自分も行きます!」
と、声を張り上げ進み出たのは、杉山二等主計だった。それを、門田軍曹が色を為して怒鳴りつける。
「お前馬鹿か! 一歩間違ったら確実に死ぬんだぞ!」
「臆病者としてここに残るよりは、向こうに行って死んだほうがずっとマシです!」
彼らしからぬ、キッとした目つきで、二等主計は軍曹を睨み付けた。只ならぬ眼光は明らかに軍曹を圧し、そして感服させたかのようであった。
「俺も行くよ……こういうのは多い方がいい」
次に進み出たのは、竹中兵長だった。彼に向けた目を細め、それを止めたのは野村教官だ。
「貴官は駄目だ。任務の結果次第によっては、今後への影響が大き過ぎる」
「野村中尉、自分は官僚として戦場に行くのではありません。木村上等兵のバディとして行くんです」
「オレは賛成だぜ。こういう仕事は、多いほうがいいよ」
木村上等兵の言葉に、熟考の後、教官ははき捨てるように応じた。
「……勝手にすればいい」
隊容は決まった――――
ぼくらは餞別代りに与えられた指揮連絡車を無灯火で駆り、再び夜の道を走り出す。
その車内で、木村上等兵が言った。
「竹中さん、いいとこあるんだな」
「何が……?」
「仲間を思いやるところさ」
「勘違いするな。私は実戦の情報収集に絶好の機会と考え同伴を願い出たまでだ。お前に対する思いやりとか、気遣いじゃない」
微かに語気を荒げた竹中兵長を、木村上等兵は笑った。
「照れなくてもいいんだよ。わかってる、わかってるから」
「お前な……」
不機嫌そうな目でバディを睨む竹中兵長。そんな二人の遣り取りを、ぼくらは微笑ましげに見守るのだった。
車を運転している門田軍曹が、隣席の杉山二等主計に言った。
「杉山、今なら未だ間に合うぞ」
「何のことですか? 門田軍曹」
惚けたような口調で言うバディに、軍曹は嘆息した。
「今すぐに車を降りて、隊に帰れ。恋人が待ってるんだろうが」
「……彼女なら、ぼくよりもいい男がいますよ。それに……」
「…………?」
「バディに命を預けることもできない人間が、いい夫になれるわけがないですから」
「杉山……」
修羅場を前にしたバディの淡々とした態度に接し、門田軍曹は明らかに驚いていた。
「……お前さんのバディになれたことを、誇りに思う。」
まっすぐに前を見詰めたまま、軍曹は言った。
「門田さん……」
目指す小山が、白みかけた空を背景にその輪郭を浮かび上がらせる距離だった。潜伏しているであろう相手に接近を悟られないよう、無灯火の車は小山の周辺を大回りに通り過ぎる。そのまま山の裏手に回ったところで、門田軍曹は全員に降車を命じた。侵入に関する打ち合わせは、すでに車内で済ませてある。山の裏の一角、人間が到底踏破できないような峻険な斜面がぼくらの狙い目だった。
「木村、頼む」
「了解……」
ロープを抱えた木村上等兵がするするを斜面を登り、竹中兵長が木陰から小銃を構えて彼を援護する。やがて木村上等兵は山の中腹で適当な大木を見つけ、それにロープを結わえ付けた。その後の流れは早く、ぼくらはロープを伝い一人、また一人と斜面を踏破し、頂上のこじんまりとした神社の裏側に達する。
―――――あたかも、全ての生命の掻き消えたかのような静寂。
門田軍曹が小声で言った。
「一列になり、境内に入る。先頭は―――――」
「自分が行きます」
と、ぼくは応じた。中沢兵長が顔を曇らせた。
「鳴沢……」
「みんな、いろいろとあるでしょうし……」
それだけで、話は済んだ。
丈の高い叢を掻き分け、ぼくを先頭に隊列は進む。
ぼくが小銃を構える前方をはじめとして、列を為す誰もが全周を小銃でカヴァーする。
そして周囲は、前触れもなく変化する―――――
「伏せろっ……!」
門田軍曹の絶叫―――――
軽快な射撃音――――
瞬時に至近を走る弾幕の数珠―――――
敵はやはり待ち構えていた。それも両側面から……!
竹中兵長がグレネードランチャーを上方へ向け撃った。弾丸は緩慢な速度で天を昇り、そして頂点に達した瞬間に眩い光を生み、周辺を煌々と照らし出した。それが敵の居場所をぼくらの前に暴露するのと同時に、伏兵を怯ませた。
「装填っ……!」
言葉とともに新たな弾倉を叩き込むまでに、中沢兵長は一人の敵兵を倒した。直後飛び込んできた一弾が杉山二等主計の肩を貫通して倒し、その間に再装填を終えたグレネードランチャーは炸裂弾を吐き出し、その弾着は左の敵を沈黙させた。
会心の一撃を放った竹中兵長の腿を、一弾が捉え切り裂いたのはその直後だった。片側を倒したところで敵の勢いは決して衰えず、むしろそれは、全力を振り絞った最後の抵抗を思わせた。続いて飛び込んできた至近弾は木村上等兵のブーニーハットを跳ね飛ばし、一方で当人はそれに気付いていないかのように夢中で銃を撃ち続け、弾幕と薬莢を撒き散らしている。
「…………!」
歯を食いしばり戦傷に耐える杉山二等主計を遮蔽物まで引き摺り、生き残りの敵に応戦しながら門田軍曹が怒鳴った。
「中沢、鳴沢行け!」
「…………?」
「何をボサっとしているんだ。時間が無いんだぞ。早く昇れ!」
急き立てられるまま、ぼくらは頭を下げて駆け出した――――
追い縋るように伸びる弾幕に怯えている余裕など無かった――――
ぼくらは眼前の敵だけでなく、破局を運んでくる時間とも戦っている――――
「…………!」
境内へと通じる路を小走りで進むにつれ、自然に何かの物音を聞く。それは明らかに、機材を弄くる音と、人間の話し声だった。
固唾を呑む――――
自然、高鳴る胸の鼓動――――
――――それを未だ見ぬ敵に聞かれ、ぼくらの存在を感付かれてしまうのではないかという不安すら、歩を踏み締めうるうちに頭をもたげてくる。
交差する目配せ――――
――――互いの醸し出す気迫に急き立てられるまま、ぼくらは境内へ飛び込んだ。
「…………!」
境内に達した眼前に、カメラのような黒っぽい機材を囲む二人の人影。
反射的に構える銃――――
ほぼ同時に引かれる引き鉄――――
交差する銃火と銃声――――
――――照星の中で、一人が倒れるのをぼくは見た。
続けて残るもう一人へ狙いを付けようとしたそのとき―――――
「…………」
「…………?」
何かがどさりと倒れる音を、ぼくは傍らに聞いた。ぼくにはその何かを確認するまでもなかった。
「中沢さん……!?」
銃を放り、慌てて抱き起こしたぼくの腕の中で、中沢兵長はすでに虫の息だった。胸と肩の間が急激に朱に染まり始め、それは噴水のような鮮血を湛え始めていた。自分でも驚くほどの早さで止血と応急措置をしても、彼の弱り行く呼吸は変わらなかった。
「中沢さん!」
そのことを悟ったとき、ぼくは止め処なく漏れる涙と鼻水もそのままに、中沢兵長の顔に向かって声を張り上げた。その彼の顔が青白いのは、何もぼくらが月明かりの下にいるせいだけではなかった。
中沢兵長はぼくに向かい、なおも声を絞り出していた。
「鳴沢……早く……」
「…………?」
「早く行け……追いかけろ……!」
はっとして、ぼくは中沢兵長の顔を覗き込んだ。そんなぼくに対し、「オレは大丈夫」とばかりに薄ら笑いを浮かべたまま、兵長は敵の方向へ微かに顎をしゃくるのだった。その敵――――おそらく、中沢兵長を倒した敵―――――は、追いかけることのままならないぼくらを他所に、彼の任務を果たすべく、照準装置を手に悠然と森の奥へと溶け込もうとしている。
草木を掻き分け、ぼくらの背後に迫る気配―――――
銃を構えることもできずに引きつった顔を振り向かせたぼくの眼前で、それは敵の伏撃を突破し追及してきた門田軍曹たちの姿となった。門田軍曹は中沢兵長の顔を覗き込み、一瞥の後に言った。
「……大丈夫、急所は外れてる」
そして戦闘で負傷し、木村上等兵に肩を支えられその場に滑り込んだ竹中兵長に目配せする。自ら背負った無線通信機の送受話器のスウィッチを入れ、竹中兵長はFOBに告げた。
「こちら第三分隊。重傷者発生。ヘリによる緊急搬送を求む。繰り返す―――――」
『――――こちらFOB、了解した。すぐにヘリを向かわせる』
『――――貴様ら! 統帥を何と心得ておるか!?』
「…………?」
混信というかたちで闖入してきた威圧的な言葉に、ぼくらは顔を見合わせた――――
そして闖入者による威圧は、彼らが素性を顕にした段階で、ぼくらに対する横暴として、ぼくらに隔意を以て受け止められる――――
『――――こちらは陸軍参謀本部である。敵の工作員がミサイルを携帯し周囲に潜んでいる恐れがある。安全圏に達するまでヘリの使用は認めない。直ちにこれ以上の追撃をやめ、基地へ撤収せよ……!』
「しかし……!」
『――――たかが兵隊の分際で出過ぎたまねをするな。独断で戦端を開いたという点だけでも十分なる抗命であるというに……これは命令である!』
「コノ野郎!……人の命を何だと……」
木村上等兵が呻く様に声を荒げた。理不尽に対する不満を斟酌する素振りすら見せず、彼らの命令は続いた。
『――――まもなく特殊部隊が到着する。これ以上の追撃は認めぬ。機密保持のため、直ちに現地点より撤収せよ』
思わず竹中兵長から送受話器を引ったくり、ぼくは叫んだ。
「重傷者は自分のバディなのであります。自分は断固としてヘリによる搬送を要請します! 後生であります」
『――――貴様……どこの馬の骨だ? 姓名と所属部隊を言ってみろ』
「挺身兵学生隊所属の陸軍一等兵、鳴沢 醇であります……!」
『――――鳴沢一等兵、貴様、統帥を蔑ろにしたその言い草は何だ? 貴様それでも帝国陸軍の軍人か!』
「……バディを見捨てるようなやつが帝国軍人だというのなら、こっちから願い下げだ!」
『――――何ぃ……?』
反射的に出た反駁に耳を疑ったのは、無線機の向こう側に踏ん反り返っている連中だけではなかったはずだ。門田軍曹たちですら言葉を失い、ぼくと、ぼくよりおそらくは13階級以上は上であろう連中との遣り取りを伺っている。そして無線機の向こう側で体面を傷つけられた形となったお偉方は、それこそ気の弱い犬のような絶叫でぼくを難詰する―――――
『――――貴様、兵卒の分際でその暴言看過できん、撤回しろ!』
「…………」
『――――第三分隊に告ぐ、誰でもよい、この一等兵を拘束し、基地まで連行しろ! これは参謀本部直々の命令である』
「自分に命令できるのはあんたらじゃない! 野村教官だ!」
「鳴沢……もうよせ!」
門田軍曹がぼくの肩を掴んだ。そのとき――――
「…………!?」
同時に生じた、境内の木々を激しく揺らす回転翼の烈風に、ぼくらは思わず上空を見上げる。そのぼくらの眼前では、スマートなヘリの機影が、万難を排し徐々にその巨体を近付けようとしていた。
「ヘリだ……!」
歓喜の声の直後、再び回線に割り込んできた聞き覚えのある声――――
『――――鳴沢一等兵……レンジャー鳴沢……』
「はい……!」
『――――こちらは野村教官である。レンジャー鳴沢、まだ戦えるか?』
「はい!」
『――――教官の権限により命令する。敵を追跡し、何としてでも敵の任務を阻止せよ』
「はい……!」
『――――ヘリは手配した。レンジャー鳴沢、後顧の憂いなく任務を完遂せよ!』
「レンジャー鳴沢、追跡に取り掛かります!」
そこに、更なる混信。
『――――鳴沢一等兵、貴様、参謀本部の命令に背く気か? 軍法会議だぞ……!』
その瞬間、ぼくの脳裏で何かが切れた。
「戦闘は会議室で起きてるんじゃない!……現場で起きてるんだ……!」
『…………!?』
言うが早いが送受話器を叩きつけるように放り投げ、ぼくは腰を上げた。続いて銃を引っつかみ敵を追って駆け出そうとするぼくを、門田軍曹に身を預けたまま中沢兵長が呼び止めた。
「鳴沢……」
「…………」
「病院で会おうぜ……!」
ぼくは頷いた。竹中兵長が舌打ちし、警察用の閃光手榴弾をぼくに投げ渡した。
「……持っていけ、時間稼ぎぐらいには使える」
受け取るや、それを腰に装着するのも億劫そうに、ぼくは敵を追い繁みの向こうへと駆け出した―――――
――――目指す敵は、未だ山の中にいた……というより、今や此処にしか、彼が与えられた任務を果たせる場所はなかったのだ。
山の中腹、テラスのように広がる平地からは、頂上付近にある神社に劣らず、灯火管制下にある空港の全容を伺うことができた。そこに敵がレーザー照射装置を立て掛けたところで、ぼくは敵に追い着いた。敵が事前にその場所を予備の照射ポイントに設定していたことは明らかだった。
「…………」
照射装置の傍に立ち尽くしたまま、ゆっくりと敵が振り返るのと、ぼくが小銃を構え直すのとほぼ同時――――
「動くな……」
「…………」
敵が何かを言った。言葉とともに吐き出された気迫が、ぼくを内心で焦らせた。バラグラヴァに覆われた顔面から覗く眼光が、食らうべき草食動物を見出した肉食獣のそれのようにギラついているのに、ぼくはこのとき初めて気付いた。
「動くな!」
銃を構えつつも、ぼくにははっきりとわかっていた―――――ぼくと相手の間には、純粋な戦闘技術において圧倒的なまでの差がある。
相手は強い。
ぼく一人では到底手に負えないほど強いに違いない―――――期せずして沸いたその想いが、ぼくの引き鉄に充てる指を躊躇わせる。
そして――――
相手はおそらく――――――否、確実に―――――そんなぼくの逡巡を見逃さなかった……!
「…………!」
相手の手元が煌き、それは直後に凄まじい激痛となってぼくから片足の自由を奪う―――――
恐る恐る目を遣った腿に、深々と突き刺さる刃!……何が起こったのか判らぬまま、完全に崩れた射撃姿勢のままぼくは撃っていた。
そしてぼくが撃った先に、倒すべき敵の姿は消えていた。
「…………!?」
次の瞬間には敵は、とっくにぼくの眼前にいた。
敵の手に大きな刃物を見出し、銃身を立ててそれを防ぐ―――――数合の克ち合いを経てそれを回避しつつも、ぼくは敵の気迫に圧倒され続けた。敵の刃裁きは巧みで、ぼくは立て続けに銃を持つ腕と脇腹を裂かれ、血を流しながら隅に追い込まれた。
その瞬間、ぼくと敵との視線が交差する――――
「…………!」
絶句――――ぼくから反撃のオプションを奪い、死に追いやって行こうとするその敵の目には、冷徹なまでの計算と、技量に劣る相手に対する余裕の共存があった。
そしてそのとき、ぼくは相手の眼に一片の怯弱の介在しない、巌のような確固たる意思の存在を見た。
『死ね……!』
裂帛の気合とともに突き出された回し蹴りは、傷ついた脇腹を直撃し、立つ力を奪われ再び膝を付いたぼくの顔面に、駄目押しとでも言うべき氷のように硬い膝蹴りが容赦なく打ち込まれる。ぼくは後頭部から地面に倒れ、そして刃を握り直した敵はぼくを跨ぎ、馬乗りとなった。
「…………」
敵の手はぼくの胸元に伸び、それはぼくの首に架けられた認識票を引き千切った。動けないぼくの眼前でそれを取り上げ、識別番号と名前の刻まれた箇所に目を細める敵――――その仕草に、戦士ならぬ……否、男ならぬ違和感をぼくは覚えた。
敵は戦利品でも得たつもりになったのだろうか?――――そんなことなど考えている場合ではないはずなのに、それを漠然と考えているぼくがいた。
それでも――――
――――諦観を装いつつ、ぼくは腰に手を延ばす。
――――延ばした手の先には、閃光手榴弾。
――――さり気無くピンを抜き、固縛を解かれた安全装置を外した。
――――敵が目で哂いながら、逆さに持ち替えた刃を両腕で持ち、振り上げた。
――――ぼくは、閃光手榴弾を上に放り投げた。
「…………!?」
遥か頭上で急な放物線を描き、唖然としてそれを見上げた敵の眼前で炸裂する手榴弾―――――至近距離で炸裂したそれは、すさまじい熱と光とともに男の顔に紅蓮の炎を生む。
ぼくもまた、咄嗟に両腕で顔を庇うようにした。
「…………!!!」
表記不明な絶叫を上げ、敵は両手を烈しい熱と光に灼かれた顔に当てながら地面を転げ回った。そこにぼくの立ち上がる隙が生じた。
ぼくは立ち上がり、逆さに持ち替えた銃床でそいつを殴り付けた。
何度も……何度も……そいつが完全に動かなくなるまで―――――
――――何時の間にか小銃を抱えたまま肩で息をするぼく自身、そしてそのぼくの足元で動かなくなった敵の存在に気付いたとき、ぼくは銃を放り出し、足を引き摺りながら照射装置へと向かった。
破壊するべき目標へ向け、完全に照準の合わされたままに置かれた装置。そして――――
東の山際から聞こえてくるジェットエンジンの遠雷――――それが味方のものではない予感が、ぼくにはした。
そして――――
「…………!」
照射装置を破壊しようとしたそのとき、敵は未だ倒されてはいなかったことを、ぼくは気配で悟る――――
敵は立ち上がっていた。あんなに殴ったはずなのに――――
その手には、ナイフが握られていた。
閃光弾に黒焦げ、あるいは破片に傷ついた身体に鞭打つかのように敵はぼくに距離を詰め、そしてぼくに向けナイフを突き出すようにした。
次の瞬間には、敵のナイフはその柄から先が消えていた。
胸を強打する衝撃―――――
「え……?」
飛び出した刃は、ぼくの胸に深々とその半分を埋めていた。
急激に滲み出し、あふれ出す血――――
それとともに失われ行く力と意識――――
足から、ぼくはその場に崩れ落ちる。
「ちっくしょー……」
出血とともに気力を奪われ、その場に倒れたぼくを尻目に照射装置のファインダーを覗く敵を、ぼくは苦渋とともに見上げる。その敵はすでに倒した相手に対する関心を失ったかのように、装置へ向けて近付き、その次の瞬間にはただ淡々と目標へのレーザー照射を続けている。
迫り来るジェットの轟音―――――
もう駄目か……という諦めを、ぼくは薄れ行く意識の中で覚えた――――
直後、切り裂くような爆音が山麓を揺るがし、鶴のような機影が上空を通り過ぎた――――
「…………!」
機影より切り離された黒い物体を目に捉えた瞬間――――
自然に伸びた手に慢心の力を篭め、照射装置の三脚を引きずり倒す―――――
「…………!?」
驚愕と怒りとともに振り下ろされた短剣の刃を、ぼくはそれを握る手を受け止めて防いだ。
反射的にもう一方の手で腿に刺さった刃を引き抜き、手を翻しそれを相手の脹脛に突き刺した。
短剣を握る腕の力が緩み、ぼくは矢継ぎ早に腰の銃剣を引き抜く――――
「…………!!」
渾身の力を振り絞って半身を起こし、がら空きになった脇腹に銃剣を突き立てる――――それが、相手の体に深々と突き刺さったことに、当のぼく自身が愕然とする。
「…………!」
遠方の爆発――――――全身の半分を照らし出すほどの規模を持つそれとは無関係に、ぼくは刃を握る手に力を篭める。
銃剣を握る手に感じる生暖かい鮮血の奔流―――――敵から、次第に力が失われていくのを、ぼくは銃剣を通じて感じる。
銃剣を腹に突き立てられたまま、敵が仰向けに倒れたのはその直後だった。
ぼくの戦いは、終わった。
安堵――――――それによってもたらされる至福のうちに、ぼくからは意識が急速に失われ行く。
声にならない声で呟き続けたのを、ぼくは覚えている。
父さん、母さん……兄ちゃん……アケミ……御免よ。
ぼく……もう駄目だ。
一層に量感を増し降り積もる雪を、感覚の鈍りかけた全身に感じながらに、ぼくは倒れ続けた。
この一帯の何処かからか聞こえてくるヘリのローター音――――
――――それを仰向けになった全身に、
――――それを地響きとして感じながら、
ぼくの意識は、完全に消えた。