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その十三 「踊る大掃討戦 前編」



 風雪は、その勢いを暫し失った――――


 河北空港の北東、O山の山中――――


 捜索部隊は鬱蒼と木々の茂った斜面を、広範な横隊を組み上っていた。


 横隊を形成する各分隊は、相互に無線機で他部隊や彼らの展開するすぐ後方の前進作戦基地(FOB)と連絡を取り合い、自らの進む地点の状況と捜索の進捗を報せ合った。それは遭遇時に効果的な対処を執り得るために必要な相互の連携維持を期しての方策であり、そしてこのような場合の対遊撃作戦で起こり得る最悪の事態――――同士討ち――――を避けるための配慮でもあった。


 それでも、森を支配する闇の中では味方同士の位置確認すら覚束ず、歩を進めるごとに隊列からは自然と秩序が失われていく。あるいは、この種の山間移動に慣れた挺身兵学生と不慣れな一般歩兵の混成部隊、その技量の格差が、彼らが置かれた環境と時間の経過により、彼らから相互の連携を却って無効なものとしつつあった。挺身兵の移動は早く、一般兵はそれに付いて行けずに結果として横隊は大きく乱れ、その各所に穴が開いていったのだ。


 さらには、彼らが進み、彼らが守るべき国土の一部であるはずの自然はこのとき、明らかに森に潜む敵に味方していた。


 敵は、彼らにとっての異郷の自然の中にまぎれて追跡部隊を待ち伏せ、積極的に打撃を与えるべく、恐るべき陥穽を用意して待ち構えていたのだ。




 そして―――――


 山中を登っていた一人の兵士が、足元に違和感を捉え、前上方に銃を構えたまま下方に目を遣った―――――


 「…………?」


 ワイヤー!?……自らの足元に引っかかった、横一線にピンと張られた糸に、彼は我が目を疑う。


 だがそれが何を意味するのか彼が自覚するより早く、彼のすぐ傍の土中に潜んでいた悪魔はワイヤーに繋がれたセンサーにより覚醒し、炸薬に点火し宙に飛び上がった――――


 「…………!?」


 兵士の胸の辺りの高さまで飛び上がった「それ」が、缶詰のような形状をしたものであることを兵士が認識した瞬間、「それ」は炎と同時に散弾を生み、高速で飛び散った鉄球は彼のみならず周囲に展開する兵士を引き裂いて絶命させ、昏倒させる。


 一斉に惹起される混乱―――――


 ソ連の特殊部隊は、あらかじめ追撃部隊が向かって来るであろう場所に地雷を敷設し、彼らの出現を待ち構えていた。


 それもただの地雷ではない。それは敵兵の通過を感知するや、炸薬に点火してして地中より飛び上がり、数百発の散弾を撒き散らす「ポップアップ」型の対人地雷だったのだ。地雷の最初の炸裂が一気に四名の兵士の生命を奪い、二名を戦闘不能に陥れるや、同じく不幸な兵士の脚を捕らえた二発目、三発目の地雷が部隊の展開する各所で飛び上がり、殺戮の散弾を巻き散らした。その凄絶な炸裂の度に、被弾した兵士の絶叫、衛生兵を呼ぶ声が夜の森中にこだまするのだった。




 「敵襲――――――っ!」


 自体の急変に気付いた捜索部隊は一斉に身を伏せ、発砲を始めた――――


 静寂が忽ち銃撃、怒声、悲鳴の響きに取って代わられた――――


 実戦に慣れていない兵士たちは敵など影すら見えない前方へ、矢鱈滅多らに64式小銃や66式軽機を連射する――――


 外見だけなら勇ましい応戦、だが実際には森を震わせ銃身より吐き出される曳光弾の束は、斜面の上方に掘った個人壕に潜む敵兵の眼前で、瞬時のうちに追撃部隊の配置を暴露させてしまうのだった。


 その個人壕――――――


 その長大な銃身に擬装を施したSVD狙撃銃を構え、狙撃手は探っていた。


 目を細めて覗く暗視照準鏡は、紅い赤外線フィルターを隔て、迫り来る追撃部隊の全容をほぼ明瞭なまでに映し出している、狙撃手はその中から敵にとって最も重要な役割を持つ兵を選び出し、そいつに弾丸を撃ち込み、敵の前進を食い止めることを要求されているのだった。


 そして照準鏡は、一人の兵士の姿を捉えた。


 傍らに小隊指揮用の無線機を背負った兵を従えた人影――――


 それこそが、狙撃手が彼に向けSVDの引き金を引く正当な動機となった――――――


 たった一発の銃声―――――


 放たれた一弾は怒声を張り上げ追撃部隊を指揮していた中尉の首を正面から貫き、即死させた。


 「小隊長!?……小隊長!」


 「衛生兵! 衛生兵来てくれ!」


 即座に訪れる指揮の混乱。追撃部隊は実のところ新兵が多く、また、指揮官亡き後の部隊を支えるべき下士官もまた経験が足りなかった。未熟練ゆえに対応が遅れたために混乱は一層増幅され、部隊の前進を停滞させてしまう。見えぬ敵に対する恐怖から一層に濃密さを増す火線。だがその一筋といえど、壕に篭る狙撃手にとって問題とはならなかった。むしろ恐慌に付け込むかのように続く狙撃は、一人、また一人と追跡部隊の兵士を葬り、あるいは戦闘不能に陥れていく。




 そこに、異変を嗅ぎ付けた野村中尉直属の挺身兵部隊が駆け上ってきた。


 「伏せろ……!」


 定石どおりに狙撃されないように身を屈めて走り、滑り込んだ木陰に身を潜め、そこから通信兵を呼び寄せると、彼は交信を繋いだ送受話器に声を上げた。


 「こちらC-2、第二小隊長以下死者多数。支援を要請。至急前方を掃射されたし。座標は――――――」


 『―――――こちらアシタカ(FOB 前進作戦基地のコードネーム)。空中からの火力支援はできない。敵は携帯地対空ミサイルを保有、ヘリの接近は危険だ』


 「…………!」


 舌打ちし、野村教官は送受話器を忌々しげに握り締めた。迅速な敵部隊制圧に使われるべき航空支援が、その損失を恐れる余りに使われないなど、本末転倒も甚だしいではないか? その代わりに蕩尽されるのが人命とは、指揮所の連中はジョークでも言っているつもりなのか?


 ―――――だが、航空支援の打ち切りは決して前進作戦基地(FOB)の判断ではなかった。






 東京は三宅坂の陸軍参謀本部。その中央指揮所(CDP)―――――




 「――――現地部隊は何をやっているんだ!? 武装ヘリを後退させろ。地対空ミサイルに狙われるぞ」


 「――――たかだか敵の軽歩兵ではないか。攻撃ヘリを使うとは何たる惰弱か!」


 「――――ヘリは第一種兵器なんだから、変な使い方して調達数を削られでもしたら困る。たかだか警備部隊にヘリは極力使わせるな」


 「――――何故銃剣突撃で決着をつけない? 何のための挺身兵なんだ!? 突撃精神はどうした?」




 指揮所に隣接する会議室の円卓は、すでに金星の階級章も眩しい参議官連中の占有するところとなっていた。情勢の移り変わりを刻々と示す戦況表示板を睨みつける彼らの悪態は正統な指揮統制の手順を飛び越え、長距離通信回線を通じてFOBに達し、昇進査定の間近な前線指揮官を萎縮させてしまう。


 そして―――――


 「少佐、中央指揮所よりお電話です」


 中央からの横槍にも等しいクレームを真に受けた結果、膠着させてしまった状況を前に、指揮官は硬直した顔もそのままに送受話器をとった――――


 『――――こちらは中央指揮所である』


 「はっ……!」


 中将以上の古参将官から成る軍事参議官からのダイレクトコール。少なくとも自分より四階級も上の上司を前に、前線指揮官は、声はおろか送受話器を握る手すら震わさざるを得ない。


 『――――たかだか一個小隊程度の工作員を前に、何を躊躇しているのか!?』


 「ですが……敵の抵抗は思いのほか烈しく――――」


 『――――誰も貴様の泣き言など聞いていない。間も無く海軍のSSSが現地に到着する』


 「…………!」


 『――――本官の言っていることは、わかるよな?』


 「ハッ……」


 事を察し、顔を蒼白にする指揮官に、別の参議官の声――――


 『――――我々陸軍だって、外に対する立場ってものがあるんだ。海軍が来る前に片を付けなければ、これは君の責任問題だよ?』


 「……わかりました、然るべき措置を取ります」


 『――――健闘を祈るぞ。少佐』


 通信は切られ、追い込まれた前線指揮官は、同じく苦境へと追い込まれつつある追跡部隊へと蓄積した鬱憤を爆発させる――――






 ――――そして、戦闘中の現場。


 「隊長、FOBより通信であります」


 通信兵が差し出した送受話器を野村教官がぶん取った直後、ヒステリーにも似た怒声が彼の鼓膜を打った。


 『――――野村中尉! 何をやっているんだ? 何故さっさと前進しない?』


 「これ以上の前進は不可能であります。航空支援を要請したい」


 『――――航空支援は無理だと言っただろう!? だいいち挺身兵に不可能は無いはずじゃなかったのか?』


 「それも場合によりけりですな。少佐」


 『――――とにかく、自力で進路を啓開したまえ。たかだか一個小隊程度の敵工作員を、何故排除できないんだ?』


 「無理なものは、無理です。ヘリでも火砲でもいいから火力支援を要請したい。ヘリに関しては我々も地上より援護します」


 『――――ふん、やはりアメリカ人はアメリカ人か、権利ばかり要求して最低限の義務すら果たそうとしない蛆虫が、代わりの指揮官を寄越すからそこで首を洗って待っていろ!』


 「…………」


 驚愕の赴くままに、通信兵は受話器を握った野村教官を見遣った。通話を又聞きしていた彼にとって、その内容の重大なる事、FOBの言葉が戦闘には何の関係も無い、とんでもない言い掛かりであることぐらい、通信兵ですら容易に想像がついた……だが通信兵の困惑を他所に野村教官は顔色一つ変えず、だが無表情のまま上官の理不尽な難詰を聞き続けている。


 『――――オイ、返事をしろ非国民、不忠者、賊子の片割れが……何だ? 肝心なときに恐怖で母国語も忘れたか? 挺身章が泣いているぞ』


 「オーケー……突撃して奪回すればいいのですな?」


 『――――わかればいいんだ中尉。いい加減日本人らしく自我を抑えた方が身のためだぞ?』


 「……じゃあ、あんたの背後にいる金星連中にこう伝えてくれ。くそくらえ(ゴー・トゥー・ヘル)!……ってな。」


 「…………!?」


 強烈な一言に唖然とした通信兵に、交信を切った受話器を放り、教官は立ち上がった。


 「……助教及び挺身兵学生は集合しろ」


 ――――数刻の後、召集に応じて集められた部下たちは、野村中尉の告げた命令に、やはり我が耳を疑う。




 閃光――――


 斜面の一角に瞬くRPGのバックブラスト――――


 轟音を伴った着弾に、回避の遅れた数名の兵士が弾き飛ばされる。だが一方で、弾着の瞬間に追撃隊の背景を照らし出した炎の柱は、追跡隊が制圧すべき敵の布陣すら詳らかにしてしまう。追跡隊の64式小銃の狙撃の前に、RPGを構えた敵兵が呻き声を発して斃れ、敵兵の動揺を察したかのように、追跡隊は一斉に斜面を駆け上る。SVD狙撃銃に続き、個人壕から放たれるRPK分隊支援機関銃が鈍い射撃音を立てて追跡隊の針路上に弾幕をばら撒き、部隊の前進と妨げると同時に、それに捉えられた兵士が跳ね飛ばされたように昏倒する。


 「軍曹!……しっかり!」


 「衛生兵! 来てくれ!」


 兵士の怒声響き渡る中を、野村教官は二名の助教を率い、匍匐前進で壕の死角へと潜り込んだ。


 「手榴弾……!」


 野村教官の命令は単純、だがそれだけで付き従う助教は手榴弾を握り、安全ピンを解き放つ。援護射撃に続いて放たれた手榴弾は見事に個人壕の中へと飛び込み、そこで炸裂した。


 「…………!」


 銃を構え木陰より躍り出る影に野村教官が反射的に構えた小銃、間を置かずに放たれた小銃弾の一閃は、個人壕より身を乗り出し、こちらへ向けSVD狙撃銃を向けた敵兵に命中し昏倒させた。敵の伏撃を逃れた助教や挺身兵学生も反撃を開始し、的確な射撃で一人、また一人と敵兵を倒していく。反撃を逃れた敵兵が、自動小銃の乱射で迫り来る追跡隊を倒すものの、それもまた即座に制圧されていく。彼らの知るAK47以上に射撃音の大きく、連射の間隔も短い自動小銃が、敵の新型小銃であることはすでに野村教官を始めとする部隊指揮官の共通の認識となりつつあった。


 斜面の頂上に達したときには、斜面を踏破する過程で追跡隊の半数が戦死するかもしくは負傷で行動不能に陥り、追跡隊はもはやその体を為してはいなかった。懸念された攻撃ヘリ一機の喪失には到底つりあわない、あまりに酷く、回復不可能の損害……それは一面では、掃討作戦の過程で射殺された敵の特殊部隊の高い戦闘力をも裏付けている―――――


 「何処かに発信機(ビーコン)があるはずだ。探せ」


 完全に敵兵の影が失せ、静寂を取り戻した森の中に、野村教官の声が虚しく響き渡る。それに引き寄せられたかのように、再び前方から追跡部隊に襲い掛かる複数の銃撃。斜面から一転、平地で姿を暴露した兵士の内数名が被弾し、倒れたまま動かなくなった。


 「…………!」


 その中には命令の直後に足に被弾し、歩きを封じられた野村教官自身の姿もあった。敵は狭隘な地形に複数の防御ラインを巧妙に形成し待ち構えていたのだ。そして中尉たちは知らず、その只中に突出してしまっていた。前方防衛線の全滅を悟った敵の火線は一層に濃密の度合いを増し、中尉たち生き残りは、前進はおろか後退すら不可能な状況に追い込まれる形となった。


 ――――そして同時刻、ぼくらにも山中への出動命令が下った。






 「集合! 挺身兵学生は全員集合!」


 伝令の声に引き寄せられる様にぼくらは溜まり場にしていた駐車場の裏から立ち上がり、集合場所へ向かう。その途上で、先程インタビューを受けたTVクルーが、路線バスほどの大きさがある専用車で映像の編集作業をしているところに行き当たる。


 その彼らは編集用のモニターを前に、眉を顰めて何やら話し合っていた。


 「あれ……これ何?」


 「モニターの故障かな……こんなの見えてなかったのに」


 遠巻きに目を凝らせば、編集用の画面は保護シートに全身をくるまれた亡命機に、何処からともなく放たれた赤い光線が延び、当たっているところで画像を停止されている。その一コマが、彼らを困惑へと駆り立てていたようだった。


 「こんな光、見えなかったんだけどなあ……」


 「機材の故障じゃないスか?」


 赤い……光線?


 脳裏に引っかかる言葉が、漠然とそこを通り過ぎようとしたところでぼくの足を止めた。そのときは何故かはわからなかったが、「光線」という単語がぼくから歩くという意思を奪い、不安にも似た、場違いなしばしの沈思へと誘ったのだ。それを怪訝に思ったのか、中沢兵長が言った。


 「鳴沢、どうかしたのか?」


 「いや……何も」


 気を取り直し、ぼくは再び歩き出した。その後に待つ重大な後悔を予期することもできないまま―――――




 「小隊整列! かしらぁ中!」


 特進少尉たる小隊長の号令一下、一斉に背を正す隊列の中に、ぼくらもいた。


 迷彩覆いを掛けた鉄帽の居並ぶ中、孤島のごとくに浮かぶブッシュハットの集まりは否が応にも目立つものだ。だがそれに気を惹かれる者はもはやこの場には居ない。残置転じてこれより戦場へ向かう皆の関心は、すでに未だ見ぬ敵とそれに対し苦闘を強いられている先遣部隊に傾けられている。


 先遣部隊の追い遣られた状況は、無線を通じ今やぼくらの知るところとなっていた。


 野村教官たちは文字通り死地に追い遣られ、追跡隊は壊滅の瀬戸際に追い込まれている。


 そして現在、彼らを救うに最も近い場所にいるのは空港に残ったぼくらしかいない。


 小隊長は、言った。


 「我々はこれより、先遣隊を援護すべく大森山方面へ向かう。この期に及んで言うことは何も無い。全員乗車……!」


 この時点ですでに――――というより遅まきながら――――ぼくらには東北軍管区司令部を経由し、東京からの敵性工作員の射殺命令はおろか積極的な攻撃の許可すら出されていた。葉乗車の前、ぼくらには擲弾と発射用のアタッチメントを渡される。外見はただの何の変哲もない金属製の筒。これを64式小銃の銃口に取り付ければ、小銃は速成のグレネードランチャーとなるわけだった。それがこの未曾有の掃討戦において、ぼくらが使用しうる最強の武器だった。


 「ロケット砲に対抗する手段が、これかよ……せめて戦車ぐらい付けて欲しいもんだぜ」


 と、木村上等兵が皮肉交じりの口調で言った。あたかも逼迫する状況が、彼から冗談を吐く余裕を奪いつつあるかのように……


 それでもぼくらは、無言、かつ整然と車上の人になる。


 車列を連ね空港を出るぼくらを見送る警官や残置隊員の中には、竹中兵長と杉山二等主計の二人の姿もあった。上層部の意向もあったが、もとが正規の兵士ではない彼らを、戦場に連れて行く正当な理由など、ぼくらには無かったのである。


 『――――門田軍曹、後生であります。自分も連れて行ってください……!』


 『――――言っちゃ悪いが、あんた(兵隊に)向いてないよ』


 涙を流し哀願する杉山二等主計、それを外面だけは冷淡に突き放す門田軍曹……出発間際に交わされた二人の遣り取りを、トラックの揺れる荷台で回想しながら、ぼくは当の門田軍曹の方へ視線を注いだ。果たして、軍曹は両腕を組んで両目を瞑り、揺れる荷台で居眠りを決め込んでいる。あるいはそういう風に自らに強いているように見えたのは、ぼくだけだっただろうか?


 『――――オイ木村……』


 同じく出動の間際、バディたる竹中兵長に呼び掛けられた木村上等兵は、彼を省みることなくこう言った。


 『――――よかったなァ、お役人さんよ。残置要員になれて……』


 『…………』


 『――――俺の分も、精々長生きしてくれや』


 そんな遣り取りを思い出したのか、日頃の彼に似合わず荷台の上で黙って煙草を燻らせていた木村上等兵に呼び掛けたのは、中沢兵長だった。


 「木村……あれで、よかったのか?」


 「何事も後腐れの無いようにってのは、盗みで食ってた頃からの癖でねぇ……」


 そう言うと同時に、木村上等兵は少し笑った。そんな彼自身を皮肉るような、やや乾いた笑いだった。


 「そうか……じゃあ、いいよ」


 中沢兵長はそう言った。話はそれで終わった。


 彼らの話を聞きながら、ぼくは小銃を抱くようにして身を屈め、動き出したトラックの荷台から外の光景を見遣る。


 「…………」


 完全に人工の光が消えた車列の周囲では、一度収まりかけた雪の乱舞が何時しか始まっていた。


 重々しい氷雪の舞い、それに支配された冴え渡った夜は、ぼくを近い将来に対する、今度は明瞭な不安へと駆り立ててしまう。それに対し白い溜息を吐いたぼくが、自分の抱く銃身にうっすらと錆が浮いていることに気付いたのは、そのときだった。


 「あ……」


 軽い驚愕――――手入れが足りなかったのだろうか?……否、そのための暇なんて、此処に足を踏み入れた始めからぼくには与えられなかった。


 ぼくは思った――――帰ったら……否、帰れたら、手入れをしっかりとやっておかなきゃあ―――――


 車列は灯火を抑えつつ、次第に戦地へと近付いていく―――――


 その荷台に、様々な想いを載せて―――――




 だが―――――






 ―――――西暦1976年2月24日 


 日本時間02時24分。


 カムチャッカ半島中部。ソ連空軍飛行場。


 夜を裂き、響き渡る金属音――――


 全ての出撃準備を終えた機影は、誘導灯に両端を飾られた滑走路をゆっくりと、だが徐々に勢いをつけて駆け始めた。


 Tu-22M「バックファイヤー」とは違う、より鋭角的かつスマートなフォルムはそのエンジン出力を全開にし、もはや地上に止まることを放擲したかのように加速を続けていく。


 その刃のように後退した主翼は鋭く、やはり刃のような鈍い煌きを夜空に向けて放っていた。


 両翼下に接続された増槽は、その機――――Tu-22「ブラインダー」高速爆撃機が通例の訓練任務に赴くものではないことを、加速の末にその尖った機首を引き上げる機影の内に、無言に主張していた。過去欧州方面の飛行連隊で頻発した乗員の亡命を恐れる余りに、戦闘機はおろか爆撃機ですら、訓練に必要な分の給油を受けないのが当然となっていたソ連機にしては、あまりに異例の装備――――


 目指す上空―――――カムチャッカ半島南方海上の、日本側防空レーダー網の及ばない空域には、先行したTu-16改空中給油機が旋回し待機を続けている。そして「ブラインダー」にも電子戦用に改装された同系機が随伴する。つまりは、「ブラインダー」の飛ぶべき空が広大で、その任務のあまりに異例なることをそれらの措置は無言の内に、だが雄弁なまでに物語っていたのだった。


 浮遊する轟音―――――


 離陸―――――


 その胴体内に恐るべき荷物を孕み、「ブラインダー」は夜の虚空へと舞い上がった――――





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