その十二 「今、そこにある危機」
―――――西暦1976年2月24日
日本時間00時10分。
車列は、一斉に空港から東側に位置する山中の道を、一列になって進んでいた。
すでに先日の11時の段階で、検問所が突如交信を断ち、それがどうやら正体不明の武装勢力の仕業によるものであるという報は、警察側からの一方的とも言える報告を通じて彼ら警戒部隊にも入っていた。そして彼らは周辺の警戒を終えるや、空港付近へと向かっていた脚を一転して翻し、昨夜以来沈黙を保っている山中二つの検問所へと向かっていったのだ。
この時点で事態の急変は、現場部隊より仙台の司令部まで伝えられ、仙台からは総勢30名の兵士が二機のバートルに分乗し事件現場たる隣県へ向け慌しく発進していった―――――着陸を目前にして、武装勢力の放った携帯地対空ミサイルの餌食になるという、あまりに悲惨な運命が待ち構えていることも知らずに……それは空港そのものが武装勢力に手に落ちる、ほんの数分前の出来事だった。
本来なら防げたかもしれないニアミス。だが陸軍と警察 (というより内務省)の対立は、当時では共通の通信回線開設すら口にすることすら憚れるほどに深刻であった。ぼくらが通信回線を弄くり、空港を襲撃された警察の交信を探り当ててしまったことなど、単なる偶然の産物に過ぎない。
指揮連絡車二両とジープ四両、そして兵員輸送トラック四台からなる車列の陣容は、同数もしくはそれ以下の敵に対するにあたり、決して惰弱なものではなかったが、それも相手によりけりである。さらには急報を受け彼らが進んでいた道もまた、その狭隘さゆえ、まとまった数の部隊を展開させるのには決して有効な地形ではなかった。
――――むしろ……否、それだからこそ、「彼ら」は空港襲撃と機を同じくしてこの道を抑え、大部隊の控える仙台との連絡遮断に動いたのである。
――――そして警戒部隊は、その「彼ら」の目論見に、見事すぎるまでに乗せられた形となった。
狭く、曲がりくねった夜の国道を走る大型車の車列。それを強制的に停止させ、さらには混乱に追い込む方法はかなり単純である。車列の先頭と最後尾とを攻撃し、停止させればいいのだ。その点、「彼ら」の手際は鮮やかの一言に尽きた。
始まりは、山の斜面から放たれたRPGの一撃―――――
―――――最初に最後尾の軍用トラックが炎上し、同じく狙撃兵の放ったSVDの一撃は、先頭を行く指揮連絡車の運転手の脳天を貫通した。SVDのスコープには、暗視照準装置も組み込まれている。暗夜の中で目標を狙うことなどわけも無かった。
「敵襲―っ! 敵襲! 総員速やかに降車っ! 降車せよ!」
一瞬の内に現出された破壊と殺戮――――その後に襲い掛かってきた、マシンガンのように感覚の狭い最新ミシンのような射撃音。姿の見えぬ敵を前にして応戦体制を整える間も与えられないまま、兵士はバタバタと倒れていく。新型のAK74自動小銃の織り成す敵の弾幕は高速かつ濃密で、その弾丸は恐るべき殺傷力を持っていた。後に判明したことには、AK74の高速弾はその弾丸内にエアホールを持ったその特異な構造ゆえ、従来型の弾丸と違い命中後まっすぐに体内に侵入せず、無軌道な軌道を描いて体内を切り裂き、被弾した者の戦闘力をたちどころに奪ってしまったのだ。
「衛生兵っ! 衛生兵!」
「小隊長戦死! 繰り返す、小隊長が!……」
そこに傘にかかるように襲い来るロケット弾、手榴弾……僅か十分足らずで違うルートを辿った車列はいずれも壊滅し、その後には炎を上げる車両と将兵の死体、そして傷つき戦うことすら適わなくなった瀕死の重傷者が残された―――――
――――そしてさらに重大なことには、この伏撃の結果、地上から部隊を投入すべき主要な道路は、そのいずれもが完全に封鎖された形となった。ヘリによる空からの輸送路もまた同じ。
警戒部隊壊滅、それに続く空港襲撃とヘリコプター撃墜の報は、仙台の師団司令部、そして東北軍管区を通じ、忽ち東京にまでもたらされ中央を震撼させた――――――
「警戒部隊は壊滅したようだ」
最上川沿いの警戒任務から一転、ぼくらによって「奪回」された空港に、部下を連れて足を踏み入れた野村中尉は、緊張の色を隠さないぼくらを前にそう断言してみせた。仙台側から到達した軍、警察の合同増援部隊が現地に到着したときには敵の姿はすでに無く。むしろ破壊され、炎上した車両が道を塞ぎ通過を不可能にしているという。そこにヘリの撃墜が加わり、東側からの順調な兵力移動をより困難なものとしていたのだった。
「敵は対戦車ロケット及び、携帯地対空ミサイルを保有しているものと思われる。兵力はおそらく40名前後……おそらく本隊はこのあたりの何処かに潜み、幾下の隊に指示を出しているはずだ」
竹中兵長が進み出た。
「もう一つ教官……いや中尉、敵は我々の知らない最新型の突撃銃をも保有しているようです」
そして、先刻の戦闘の際、敵より押収した小銃を差し出す。それを手に取り、野村中尉はひっくり返したり傾けたりしながらまじまじと見詰めるのだった。
「AK47に似ているが……違うな」
「やはりスペツナズなのでしょうか?」
と、杉山二等主計が不安そうな表情を浮かべる。それを打ち消したのは竹中兵長だった。
「違う……装備と戦力構成から判断するに、おそらく敵は、アルファだろう」
「…………?」
「ソヴィエト内務省……KGBの特殊部隊だ。そこらのスペツナズなんかとは格が違う。断片的な情報によれば暗殺とか、破壊工作などに投入される専門の精鋭部隊らしい。編成が確認されて未だ二年も経っていなかったんだが、まさかここまでの部隊になっているとは……」
木村上等兵が言った。
「……で、そのアルファってのは、どうやって日本まで来れたんだ? 事件が起こってまだ三日も経ってないんだぜ」
「考えられる方法の一つとしては、パラシュート降下だろうな……空からなら、まとまった数の兵隊を、短時間で送り込める」
「そんな……変な飛行機ぐらいレーダーで判るはずでしょう?」
中沢兵長の疑念に、竹中兵長はバックファイヤーの機影を指差し言った。
「あいつだってこちらに気付かれずに此処まで来れたんだ。連中にできないわけが無いさ」
「つくづく……日本って、平和だったんだなぁ……」
ぼくの言葉に、竹中兵長は苦りきった表情もそのままに言った。
「その平和は……もう破られた。あとは食うか食われるかだ」
やがて……襲撃を逃れた警官や軍の部隊が三々五々と空港に集合を果たし、それと期を同じくして仙台の司令部との交信もまた完全に回復した。だが、情勢が急変し、緊迫の度合いを深め続けていることぐらい、カーラジオのダイヤルを捻ればすぐにわかる。
『――――山形県に隣接する四県の、山形方面への主要幹線道路は全て軍及び警察に封鎖されました。また、陸軍参謀本部は全国の部隊に第三種非常警戒態勢を発令。隣接する四県に駐屯する歩兵連隊全てに山形方面への出動を下令しました』
『――――山形県警察本部及び東北軍管区発表によりますと、現在判明しているだけでも警察官、軍人合わせて死者30名、行方不明者67名に達しており、死者の数はなおも増大する見込みとのことです』
『――――緊急記者会見の席上、中曽根防衛大臣は敵性武装勢力の詳細を問う新聞記者の質問に対し、現在確認中とのみ応じ、それ以上の明言を避けました』
『――――襲撃事件の発生を受け、鳩山首相は総理官邸内に緊急安全保障会議を招集。事態の早期収拾で方針は一致しました』
『―――― 一連の事態に際し、ソ連政府は亡命機の即時返還要求以外、今なお声明を控えている模様。なお、六本木のソ連大使館周辺には警視庁より派遣された警備部隊が配置され、不測の事態に備えています』
「…………」
民間車のカーラジオを通じ、続々と入ってくるNHKラジオの緊急ニュース速報に、固唾を呑むぼくら……部隊は空港施設の固守を命じられ、今や外へ出ることすらままならない……だいいち敵の正確な位置を知りようが無ければ、動きようが無い。
そのぼくらといえば、あいも変わらず空港施設の固守を命じられている。
敵の動性が判然としないことも然ることながら、これはどうやら「部外者」たる竹中兵長への、上層部からの配慮があったためであるようだった。本来格段の配慮の対象となるはずの身、そこに振って湧いたような有事にあっては、お偉方としては内務省との関係上今更ながらに配慮の必要性を想起したのであろう。
「増援が来るそうだ」
と、野村中尉は言った。
同時点で、関東管区に属する陸軍習志野基地では陸軍特殊空挺旅団(SAB)の対ゲリラ戦中隊が出動準備を整え、兵員輸送機により三時間以内に空港へ到達するという。元来このような事態に備えて創設されたSABの出動は、当然のことながらぼくらを安堵させた――――――
―――――だが、安心するには未だ早すぎたのだ。
「あれ…………?」
突如闖入してきた、ラジオの受信を妨げる混信音に、ラジオを捻っていたぼくは困惑する。ダイヤルを捻るたびに混信は一層に酷さを増し、それはやがて一種の規則的な波長となった。
「故障かな……?」
と、中沢兵長は言った。同じような声は、小隊用無線機を背負った通信兵からも聞かれ、皆を困惑させるのと同時に新たな不安へと駆り立てる――――――
直後――――――
「おい! あれを見ろ!」
一人の兵士が西方を指差し、それは山裾スレスレで瞬く一条の光となってぼくらの目に周知される。程なくして光は、こちらへ花火のように延び上がってくる飛翔対の輪郭を持ってこちらに近付いてきた。
「ミサイル……?」
誰かが放心したように言った直後、それは凄まじい加速で空港上空を通過し、そのはるか先……東方の山際に吸い込まれるようにして突っ込み、そこで轟音とともに火球を吹き上げ、周囲をけばけばしく照らし出した。
「ミサイルだ……」
竹中兵長が唖然とした表情もそのままに言った。そこに、完全に血色を失った指揮所の通信。
「こちら空港警備部隊。司令部聞こえるか? 空港東方より20キロ地点に、巡航誘導弾と思しき物体が着弾。至急確認を請う」
そう、亡命機の直接破壊が不成功に終わったのを見て取るや、彼ら工作員は電波誘導装置を使い、日本海上に展開した原子力潜水艦から発射した巡航ミサイルによる攻撃に方法を切り替えたのである。幸い初弾は外れたものの、この辺りの何処かにいる敵は、必ず弾着の修正を図ろうとするだろう。
ひと時の平穏から一転、途端に恐慌寸前にまで緊迫の度合いを増す現実を前に、ぼくは思った。
もう……完全に戦争じゃないか。
……果たして、海上からのミサイル発射とその弾着が明らかになった直後、統合作戦本部は驚愕した。
ソ連側が工作員を送り込み、よりにもよって日本本土で破壊と殺戮の限りを尽くしていることも然ることながら、たかが一機の亡命機を破壊するために巡航ミサイルまで撃ち込んでくるとは、彼らは想像すらしてはいなかったのだ。しかも、軍の索敵網はミサイル発射のその瞬間まで、潜水艦の浸透を察知できなかったのである。
「海軍は何をやっているんだ!?」
「陸軍こそ、たかが数十人の工作員を、どうして掃討できないんだ!?」
防衛省地下の中央指揮室で交錯する陸海軍の幕僚たちの怒号。破局が運命付けられた瞬間、「大東亜戦争」以来の伝統たる陸海軍の仲の悪さが最悪の形で露呈されることとなったのであった。
飛び交う怒号、投げ付けられる灰皿、敵意を通り越し殺意に溢れた視線……本来なら今後の対応に向けられるべき全力が、およそ建設的とは言いがたい、子供の喧嘩のような罵詈雑言を本来協調すべき相手に吐くことに注がれ、その瞬間に現実世界の破局への対応は等閑とされてしまったのである。陸海軍の幕僚にとって真の敵とは、東京から200キロあまり離れた東北地方にではなく、会議室のテーブルを挟んだすぐ向こう側にいたのだった。
ここで海軍側の更なる言葉が、陸軍側に更なる衝撃と困惑をもたらした。
「海軍としては今回の事態の容易ならざるを考慮し、すでにSSSの現地派遣の準備を行っている。軍令部総長の命令が下り次第、現在館山海軍航空隊に待機中の第1中隊(SSS-1)を、C-130輸送機により二時間以内に河北空港に展開させ、海軍独自の判断と指揮により敵性工作員の掃討作戦に取り掛かる所存である」
「SSS-1が待機だと? 聞いていないぞそんなこと……!」
「SSSは全中隊、基本的に24時間警戒待機です。陸軍のSABとは性格が違う」
「そんなことより、海軍は何故潜水艦を撃沈しないんだ!? 発射地点が掴めたのなら手ぐらい打てるだろうに……!」
「…………」
陸軍側の反駁に、海軍側は重苦しい沈黙を以て応じる。実は同時刻、日本海上において海軍のS-2J艦上対潜哨戒機が対水上レーダーでミサイル発射母艦と思しき潜水艦の艦影を捉え、対潜爆雷の射程内に収めていたのだが、艦隊を統括する海軍軍令部のさらに上級の、内閣安全保障会議より待ったが掛かり、攻撃の好機を逃していたのだ。ソ連側の軍事力の象徴たる原子力潜水艦を撃沈することで先方を刺激し、全面戦争に発展することを時の内閣は恐れたのだと言われているが、その真相は現在に至るまではっきりとしていない。純粋な軍事力に拠らず、政治力によって、日本海上の連合艦隊は知らず無力化されていたのである。国土が直接攻撃を受け、ぼくらが死地に投ぜられてもなお、遠い東京では「まやかしの平和」を保つ努力が続けられていたのだった。
それでも―――――
政治により取るべきオプションの悉くを封ぜられた彼らに、天啓とも言える報告がもたらされたのはそれから間も無くのことだ。
『空軍のYS-11E電子情報収集機より報告。ミサイル誘導電波の発信源を探知』
「やったか……!」
会議室を漂う安堵の声……あとは現地部隊及び現地へ急行中のSABに発信源の位置を知らせ、掃討に向かわせれば事はうまくいく。そのとき、会議室に入室を果たした海軍の連絡士官が、海軍側の幕僚に歩み寄り耳打ちした。同時に、その場の全員の視線が彼らに集中する。陸空軍側の幕僚全員の注視する中を、報告を聞き終えて顔を上げた海軍の参謀は、刃のような薄ら笑いもそのままに言った。
「海軍軍令部総長が、SSS-1の出動を命令しました。輸送機はすでに館山飛行場を発進し、あと一時間で該当地域上空に到達いたします」
直後、海軍側の真意を悟った陸軍の参謀たちの間から苦渋の吐息が漏れ出した。その唯我独尊的な性質上、陸空軍とは別に独自の情報収集手段を保有している海軍が、抜け駆けをしないという保証などはじめから無かったのだ。三軍合同の統合指揮など、結局は看板だけで今なお夢のまた夢だったのである。
「掴んでいたのか?……発信源を」
陸軍側の非難にも似た問いに、海軍参謀はそ知らぬ顔をして応じた。
「海軍には、P-2Eという優秀な電子偵察機がありましてね……それが訓練の途上たまたま現場上空を飛行していただけですよ。なにご心配なく、ソ連の工作員ぐらい、SSSにかかれば何と言うこともありません」
途端に沸騰する陸軍側の恐慌――――
「抜け駆けか……卑怯な!」
「待っていただきたい! 現在特殊空挺旅団が現地へ向かい移動中である。工作員の排除はすでに時間の問題であり、だいいち陸上警備は海軍が関与するべき事項ではない」
――――それを、海軍側は作ったような真摯な表情で撥ね付ける。
「事は急を要するのですぞ? この非常時、陸海軍の垣根はこの際廃されねばならないでしょう。それとも、貴官らはこの期に及び未だ狭隘なセクショナリズムに拘泥しようというのか?」
「…………」
外面だけなら尤もらしい海軍の論に対し、抗弁など出来ようも無かった。
そして海軍の「抜け駆け」を許した陸軍としては、その瞬間面子にかけても現在動かせる兵力――――つまり、ぼくら――――だけで事態を解決せねばならない必要が生じたのである。
そこに戦術面で必要な冷静な判断など、入り込む余地はあろう筈も無かった。
「隊長、電波発信源判明しました」
通信兵からの報告。差し出された地図は、空港より15キロ東方に位置する大森山の一角を指し示していた。遠巻きに眺めるぼくらを尻目に、完全装備を施した挺身兵学生や兵士を並べ、野村中尉の訓示は続いた。
「聞け、我々はこれより、敵工作員の捜索を開始する。敵兵を発見し次第、威嚇目的以外に武器を使用せず、なるべくこれを拘束し捕縛せよ。なお、正当防衛及び緊急避難時以外の射撃はこれを禁ずる……これは、内閣総理大臣及び統合作戦本部長閣下直々のご命令である」
「そんな無茶な……」
と、中沢兵長が呻くように呟くのを聞く。そうだ……先程まで敵と本物の殺し合いを経てきたぼくらからすれば、中央の指示はあまりに無茶な命令だった。後に判明したことでは、無制限の武装勢力掃討を主張した陸軍参謀次長に対し、ソ連側を刺激することを恐れた内務次官と外務次官が猛反発、それに内相、外相いずれもが同調した。しかもこれに海軍出身の統合作戦本部長も加わり|(ソ連側との大規模な海上衝突発生に伴う、海軍戦力の損耗を恐れていたという証言が後に残っている)、掃討論は大きく後退することとなったのである。方針は、まさにぼくらの与り知れないところで決定されてしまっていたのだ。そして一度決定された方針は、巡航ミサイルが民家に程近い山中に着弾し、紅蓮の炎を吹き上げてもなお変わらなかった。
――――かくして、現場の兵士たちは死地へと追い遣られようとしていた。
「移動……!」
号令一下、野村中尉の隊は移動し、あとはぼくらが残された。表向きは空港の警備、だがすでに空港確保という本分を果たした兵士への配慮と言うことも出来るし、「できの悪い学生」を置いていくための方便でもあるのだろう。そして置いていかれたところで気後れを感じるぼくらでもなかった。
「俺たちの仕事はもう終わったんだ。あとは教官たちに任せればいいさ」
と、ぼくらと同じく残置を命ぜられた島谷助教は言った。先程の戦闘で負傷した彼もまた残置要員に指名された一人だったが、その実は結果オーライとはいえ勝手な行動を取ったぼくらのお目付け役であろう。未だ戦えるとはいえ、杉山二等主計によって腹に巻かれた包帯が痛々しい。
「お前、上手いな」
という助教の言葉に、杉山二等主計は俯きがちに苦笑する。
「実家が開業医ですから……」
「ふうん……じゃあ行かなくて正解だったよ。お坊ちゃまの出る幕じゃあない」
空港の周辺では、すでに警察の主導による住民の避難誘導が始まっていた。冷たい風に乗り聞こえてくるサイレンやら車両の移動やらで俄かに慌しさを増す田園地帯。それはぼくらに現在進行形の戦争を忘れさせる。だが忘れたところで、戦争は勝手に終わってくれるわけが無かった。
バタバタバタバタバタバタ……!
「…………!?」
管制室のガラス戸を震わせる爆音に、ぼくは振り向くように外を見遣った。そこに飛び込んでくる強烈な投光に、思わず手で顔を覆うようにする。それは、漸くながら緊急展開の部隊を載せ、長駆新潟方面から駆け付けてきた陸軍航空隊のバートルの爆音であった。編隊を維持したまま空港の滑走路に着陸し、開かれた後部ハッチから続々と増援の兵士と偵察用バイクを吐き出す様子は、敵の手が山形の南までには及んではいなかったことを示す何よりの証明。
さらには空港の上空を別名「ガンシップ」ことH-19改対戦車攻撃ヘリが多数旋回し、空港の警戒に当たると同時に、内数機は東方へ機首を翻し低空を維持したまま遠ざかっていった。恐らくは、野村教官をはじめとする掃討部隊の火力支援に向かったのであろう。
「ここまでやれば、敵さんも好き勝手できないだろう」
と、中沢兵長は言った。空港の各所はすでに展開を終えた完全武装の陸軍兵士に固められ、ルパン三世や怪人二十面相すら潜入不可能と思われるほどの厳重な警備が敷かれている。
「飛行機守るんなら、地対空ミサイル持って来なきゃ駄目だ。工作員は防げてもミサイルは防げない」
と、門田軍曹が言う。ぼくらは知らなかったが、ミサイルに対する備えはすでに、ぼくらの与り知らないところで完了していた。各地の海空軍戦闘航空団に加え、空軍の対空ミサイル基地や陸軍の野戦対空部隊の多くもまたすでに警戒態勢に入り、今更にして本格稼動を始めたナイキ・ハーキュリース高高度対空ミサイルやホーク中距離地対空ミサイルからなる防空網が、日本全土にわたり警戒の目を巡らせていたのである。
「気分はもう……戦争ですね」
思わずぼくが漏らした一言に、皆の視線が集中する。
「そうだな……これは戦争なんだよな。お前さんがそう言い出すまで、俺はそのことに気付かなかったよ」
と、島谷助教が言った。
「もう、始まる前に戻れないな」と、木村上等兵。
「ばか、お前が言っていい言葉かよ」
と、竹中兵長が苦笑交じりに応じる。
「何でだよ」
「木村にしちゃあ、格好良すぎる」
ぼくらは笑った。その場にいる人間からその場を流れる空気に至るまで全てが緊迫した中で、今更のように心から笑うことを取り戻したかのようだった。
「すいませーん、インタビュー宜しいですか?」
場違いなほどに明るい女性の声と共に向けられたカメラとマイク。それが地元TV放送局のカメラクルーであることに思い当たるのに、ぼくらはまる一分の時間を必要とした。ちょっとしたお呪いのつもりか、若い女性特派員の、私服姿の頭の上に形ばかりに被った安全ヘルメットが滑稽に思え、ぼくは思わず噴出してしまう。ふと周りを見回せば、中沢兵長をはじめ、分隊の皆が「受けろ受けろ」とけしかけるかのような、悪戯っぽい目をぼくに注いでいたのだった。「勤務中なのに? 勘弁してくれよ」と、おどけた目で応じつつも、彼らの目にその気にさせられ、ぼくはマイクの前でたどたどしい言葉を紡ぎ出す……
「あのう……何を言えばいいんでしょう?」
「そうですね……郷里のご家族へ一言なりとも……」
もったいぶるように咳払いをし、ぼくはマイクに向き直る。それと機を同じくして、馬鹿でかいTVカメラを抱えたカメラマンが、ぼくに無機的なレンズを向ける。
「父さん母さん、兄ちゃん……そしてアケミ、ぼくはこうして無事でいるから安心してよ。なあに……戦争はすぐに終わってみんな帰ってくるから――――」
そのとき――――
指揮所の通信機に入ってきた雑音交じりの声―――――
『――――-捜索中隊一斑より報告。敵性工作員の拠点と思しき地点を確認。只今より掃討を開始―――――』
危機は今、そこまでに迫っていた―――――