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藤原家の人々との日々2

作者: WAIai
掲載日:2026/09/28

秋が深まり、吹く風の寒さがまとわりつく中、珠は紫式部と車に乗っていた。

紫式部のところに使いが来て、珠は一緒にとある邸へ行くことになってしまったのだった。

ーうわあ、緊張する。

手のひらを開けては閉じ、開けては閉じを繰り返すと、紫式部が微笑んでくる。

「緊張していますね、珠」

「それはそうですよ。何と言っても、あの彰子様のお母様ー倫子様のお邸に行くんですから」

珠が涙目になると、紫式部は扇を開き、ほほと笑う。

倫子は藤原道長よりも二つ年上で、土御門邸に住んでいた。

彰子様や頼通様が聡明なので、良い教育をなさっている御方だと思うが、その人のところへ何故、行かなくてはいけないのか不思議だった。

ー紫式部様一人だけじゃなく、私もついて行くなんて。

幸運といえば幸運だが、緊張が止まらない。

手が震えたりしないだろうか、喉が鳴らないだろうかと気にしていると、紫式部が朗らかに言ってくる。

「大丈夫ですわ。珠は黙ってついてくればいいのです」

「は、はい…!! 一生懸命、紫式部様をお守りいたします!!」

「まあ!! 珠ったら。ほほ。…あ、着きましたわね」

車が停まったので、珠は紫式部の手を取り、外へ出る。

従者達が頭を下げる中、珠はぎこちなく動きながら、土御門邸の入口に着く。

すると女房達が頭を下げており、紫式部の来訪を受け入れてくれる。

「ー倫子様がお待ちですわ」

「そう。ありがとう。案内してくださいますこと?」

紫式部が優しく言うと、女房達は珠と交代し、先と後を歩いてくる。

珠は自分だけでも車に残れば良かったかと、早くも後悔したが、すぐに首を振って打ち消す。

ー紫式部様を守るって決めたんだから…!!

彼女の後ろを守るように、一定の距離で歩いていく。

すると一室に辿り着き、女房が声をかける。

「紫式部様がやって来ましたわ、倫子様」

「ーよろしい。早く中へ入れなさい」

「はい」

御簾を上げると、紫式部は顔を下げ、凛とした姿を見せる。

珠も真似して、恥をかかないようにする。

「ーいらっしゃい、紫式部」

「倫子様にいたっては、お元気なことで。紫式部、嬉しく思いますわ」

「ありがとう。もっと近づきなさい」

命令され、紫式部は短く答えると、御簾の中へ進んで行く。

珠はその際、ちらりと倫子の姿を見、びっくりする。

ー美しく御方だわ。おおらかな印象というか、余裕があるというか…。

さすが道長の妻とばかりに、ぶれることのない態度だった。

珠はおどおどしないように腹に力を込め、紫式部の後を追う。

「今日はどんな御用件でしょう…?」

紫式部が早速、切り出すと、倫子がほほと柔らかく笑う。

「あなたに会いたかったんですわ、紫式部」

「私に…? あの彰子様ではなく?」

「その通り。…これ、面白いですわ」

倫子は女房に手で指図すると、巻物が床に広がる。どうやら源氏物語らしく、珠も好奇心を抱く。

ー皆、面白いと言いますわ。羨ましい!! 

床に広がった巻物は、まるで星座を見るような静かな眩しさを感じ、珠は目を閉じる。

紫式部は巻物を眺め、丁重に礼を言う。

「どうもありがとうございます、倫子様。面白いと言ってくださって光栄ですわ」

「あなたの才能、素晴らしいわ。彰子も鼻が高いことでしょう」

「そう言っていただき、とても嬉しいですわ」

二人とも朗らかに笑ったが、腹の中では戦っているような、そんな気配を感じる。

ー女同士の戦いって、怖い…。

珠はごくりと唾液を飲み込むと、広がった物語に注目する。

何度も読んだのか、紙がところどころ破損しており、それは書き手の喜びとばかりに、珠も嬉しくなる。

ーさすが紫式部様。更に尊敬しますわ。

書き手として嫉妬しないといえば、嘘になるが、尊敬される人が褒められるのは、珠にとっても嬉しいことだった。

「彰子はどうなさっているの?」

「一条天皇とそれはもう、仲睦まじくしておりますわ。倫子様と道長様のように」

「まあ、紫式部ったら」

扇で顔を隠し、嬉しそうに倫子が笑う。

その顔はみずみずしく、声も張りがあった。

年を言わなければ、紫式部と同い年のように、感じてしまう。

「ーお母様、紫式部が来ているとか」

いきなり御簾の外から男性の声がし、紫式部と珠は振り返る。

誰だろうと思い、思わず注目すると、眩いばかりの青年が入って来るところだった。

珠は一気に顔を真っ赤にし、慌てて下を向く。

ー誰? 頼通様ではないし…。えっと?

珠の心臓がどくんと鳴る。

緊張しているのだが、好奇心もあり、男性の一挙一動に目を向ける。

男性は近づいてくると、倫子の側に腰を下ろす。

「ー教通、ご挨拶は?」

名前を呼ばれた教通は姿勢を正すと、礼をしてくる。

「紫式部、我が邸にようこそ」

「とんでもありませんわ!! 頭をお上げになってくださいませ」

紫式部が慌てて言うと、教通はふふと笑う。

「気楽にしてもいいかな?」

「もちろんですわ。…ん? 珠、何?」

「あの…教通様って…?」

「頼通様の弟君よ。素敵な方でしょう?」

「もちろんですとも!! あ…っと、静かにしないと」

小声のやり取りを終え、珠は一歩、下がる。

しかし視線は教通に向かい、気になってしょうがなかった。

ー私、どうしたのかしら?

ずっと脈がうるさいほと速く、手に汗をかいてくる。

緊張ではない何かを抱いたようだった。

それとなく胸を押さえ、静かに撫でていると、紫式部が教通に声をかける。

「これは、これは、教通様。ご機嫌麗しゅうございますわ」

「うん。ありがとう、紫式部」

「奥方様は…?」

奥方と言った紫式部を、珠は驚いて見、胸が破裂しそうなくらい痛かった。

ー何なの、私。

自分でもよく分からず、床に額をつける。

教通は珠など気にしていないらしく、明るく言ってくる。

「仲良くしているよ。私の考えていることが分かるようで、言葉のやり取りが楽しくてね」

「それはよろしゅうござました」

ほほと紫式部が笑い、場が明るく満ちていく。

平和がずっと訪れているように、時は静かに流れ、心地のよいものとなる。

ー誰と結婚なさっていらっしゃるのかしら…?

珠の頭は教通でいっぱいだった。

紫式部の着物の裾を引っ張ると、彼女がこちらを向いてくる。

「どうしたんですの、珠?」

「あ、あの…奥方様のことですが」

失礼なのは分かっていたが、気になって聞いてみると、小声で返される。

「藤原公任様の娘様ですわ。年は四つ離れていますけれど、良い仲と聞きますわ」

「藤原公任様…」

藤原公任は彰子が入内する際、検非違使別当という役だった御方ではとぼんやりと思う。

「幼少の頃から、俊才の御方よ。珠も覚えておきなさい」

「はい。失礼いたしました」

珠の心は張り裂けそうなくらい、痛くなっていた。

教通の視線を避けるために、下をずっと向く努力をする。

ー私…。何か勘違いしていないかしら…?

自分で自分を笑うが、頬が赤くなるのが止まらなかった。

こんなのは初めてで、紫式部にも言えそうになかった。

「紫式部、源氏物語、たいそう面白いぞ」

「ありがとうございます、教通様。もう倫子様から褒められ、私、天にも昇る勢いですわ」

「天か。それはまた大胆なことを」

ほほと皆が笑い合い、場が落ち着いていく。

頼通とは違うが、教通も明るく育ったようだった。

珠はほっとすると、少し身体を楽にする。

ー頼通様に、教通様…。倫子様のお産みになった御子は素晴らしいですわ。

胸がどきどきとうるさく、珠は一人で自分と戦っていた。

こんな気持ちになるなんて、戸惑うばかりである。

「紫式部、続きはどうしたんだ? 早く読ませてくれ」

「あら、私も待っていますのよ。少しくらい話してもよいのではないかしら」

「さて…」

紫式部は二人に求められ、言葉を返す。それはぶれることのなく、頭を回転させているのがよく分かる。

ーすごいですわ、紫式部様。この御方達とやり取りさせるなんて。

珠はただただ感動し、小さく息を吐く。

ー私は…私は…。

自分の気持ちに正直になろうとしたその時、紫式部が口を開く。

「申し訳ございませんが、先はまだ教えられませんわ。その、熱量というか、やる気というか、もっともっと熱くならないと」

「もっと熱く、もっと熱くか。それは娘の艶めいた身体のようだな」

「まあ、教通様ったら」

「これ、例えが失礼ですわよ」

「良いんですよ、倫子様。教通様の言う通りですわ」

源氏物語の話は続き、紫式部が的確に答えていく。

珠はそれを聞きつつ、うなずいたり、短く答えたりしていた。

ー早く帰りたくなってきましたわ。

普通は楽しいはずなのに、教通のことが気になって、しょうがなかった。

こっそりと息を吐くと、紫式部が頭を下げる。

「ーでは私どもはこれくらいで。よろしいでしょうか?」

「ああ、満足だ。また来てくれ。お母様も喜ぶ」

「当然ですわ。いつでもいらっしゃいませ」

「はい。ありがたき御心。紫式部、心に響きましたわ」

深くお辞儀すると、紫式部が立ち上がる。

「ー珠、行きますわよ」

「は、はい…!! え? え?」

珠は答えたのはいいものの、少しぼうっとしていたので、首を傾げる。

それを教通が見ていたらしく、

「可愛いお供の方だ。またいらっしゃい」

「あ、ありがとうございます…!!」

珠は一生懸命、言うと、紫式部の後ろに立ち、御簾の外へ出る。

珠の心を爽快にさせようというのか、風が熱を奪っていき、鳥が羽ばたいていく。

ふうと息を吐くと、紫式部が小声で言ってくる。

「緊張しましたわね。よく頑張りました」

「は、はい。ありがとうございます」

まだかしこばっていると、紫式部が珠の鼻を人差し指で押してくる。

「紫式部様…?」

「最後まで気を抜いては駄目よ。分かりました?」

「はい。失礼いたしました」

珠はしっかりした顔つきとなると、紫式部とともに足音静かに、進んでいくのだった。


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