正しい罰
愛は自由だと言ったのは、誰だっただろう。
花の香りのように、
ふと漂い、
ふと消えるものだと。
けれど人は、その曖昧なものに
「結婚」という額縁を与えた。
逃げないように。
壊れないように。
そして、裏切られたときに
名前を付けられるように。
罪、だと。
彼はただ、その人のことを好きになっただけだと言った。
胸が高鳴っただけだと。
人生が少し明るく見えただけだと。
それが誰かの夜を
音もなく壊していたとは、
その時まだ知らなかった。
愛は自由だ。
けれど結婚は契約だ。
契約は、
裏切られた時にだけ
恐ろしいほど美しく機能する。
紙切れ一枚の上で、
言葉は刃物になる。
慰謝料。
責任。
不法行為。
彼は法廷で、
初めて「愛」を数字で見た。
あの日のキスが、
あの日の言葉が、
あの日の体温が、
すべて
金額に換算されていく。
裁判官は静かに言う。
それはまるで、
季節が移り変わることを告げるように。
淡々と。
残酷なほど公平に。
人は言うだろう。
当然の報いだと。
裏切られた側の涙は、
この判決で少し救われるのだと。
人は言うだろう。
悲劇だと。
愛しただけで、
人生を削られていくのだと。
どちらが正しいのか、
私には分からない。
ただ確かなことは一つだけだ。
愛は本来、
罰せられるものではない。
だが人は、
愛を守るために
罰を作った。
その矛盾の上で、
今日も誰かの人生が
静かに裁かれている。
そして私たちはそれを見て、
胸のどこかでこう思う。
これは悲劇だろうか。
それとも——
美しいほど正しい罰なのだろうか。




