第六十七話:伝説の数字、孤独な告白
◇訓練所地下・データ解析室
埃っぽい空気と、機械の駆動音が支配する薄暗い部屋。
ティフォンは、前任の執事長から引き継いだ旧式の端末を操作していた。
モニターに流れる膨大な戦歴ログ。
それは、この街の礎を築いた英雄たちが歩んできた、血と硝煙の歴史そのものだ。
「……出ました」
ティフォンは額に浮いた汗を拭うことも忘れ、弾き出された数値に見入った。
震える指で、その数字をメモに書き写していく。
守衛団副団長、ジャン。
鉄壁の守りを誇った『殲戒のジャン』。
【死亡回数:42回】
前衛に立ち続け、多くの仲間を守りながらのこの数字。
驚異的な生存率と言える。
続いて、BAR『レイブン』マスター、レックス。
変幻自在のトリックスター『悪魔の諸相レックス』。
【死亡回数:55回】
敵を撹乱し、死地へ飛び込むスタイルゆえか、ジャンよりは多い。
だが、一般の熟練プレイヤーでも数百回は死んでいるこの世界において、
二桁前半という数字は異常だ。
そして、最後の一人。
『ミッシュウ・ラン』店長、アシュ。
かつて全てを焼き尽くした『灰燼のアシュ』。
その数字を見た瞬間、ティフォンの喉がヒュッと鳴った。
「……馬鹿な」
機械の故障を疑い、再計算にかける。
だが、モニターに無機質に表示される数字は変わらない。
【死亡回数:5回】
ティフォンは呆然と、その一桁の数字を見つめた。
5回。たったの、5回だ。
あの激動の時代を最前線で駆け抜けながら、
片手の指で数えられるほどしか、彼は地に伏したことがないというのか。
それはもはや強さではない。
戦場における「理不尽」そのものだ。
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◇訓練所地下・秘密会議室
「……報告します」
ティフォンは努めて冷静な声を出し、主であるグロウズに解析結果を伝えた。
ジャン、42回。
レックス、55回。
アシュ、5回。
報告を聞き終えたグロウズは、眉一つ動かさず、深く椅子に背を預けた。
「やはりな……。あやつの強さは、当時から別格だった」
グロウズの脳裏に、かつての光景が蘇る。
あの日――ローヴァンが消失したあの日でさえ、アシュは最後まで立っていた。
相棒を失った絶望の中でなお、
彼は敵を殲滅し、優勝をもぎ取って帰還したのだ。
「誰よりも苛烈に戦場を駆けながら、
誰よりも死から遠い男……。
それが『灰燼のアシュ』か」
グロウズは独り言のように呟くと、ティフォンに向き直った。
「ご苦労だった。
この数字、それぞれ本人にのみ報告せよ。
決して他言無用、内密にな」
「かしこまりました」
ティフォンは恭しく一礼し、静かに部屋を退出していった。
扉が閉まり、一人残されたグロウズは、天井を見上げた。
重苦しい沈黙の中、
先ほどの会議の最後にアシュが残した言葉が、
呪いのようにリフレインする。
『お前らはローヴァンの様になってくれるなよ』
ぶっきらぼうで、突き放すような言葉。
だが、その真意に気づいた時、グロウズの拳が強く握りしめられた。
「……アシュ、貴様」
ローヴァンのように消えるな。
それはつまり、
「死の淵(100回)」に近い可能性がある自分たちが、
これ以上危険に晒されないよう、
自分が前に出るという意味だ。
「あやつは……
息子に対して、
自らの手で引導を渡すつもりか」
かつて戦場を捨て、料理人として生きることを選んだ男。
だが今、再びその手に「灰燼」の炎を宿そうとしている。
友を、そしてこの街を守るために。
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◇ホームタウン『ガレリア』・大通り
昼下がりの風が、二人の髪を揺らした。
「ふぅ……」
店を出たアダダは、小さなため息をついた。
隣には、満足げに腹をさするソフィーがいる。
「この後はどないするん?」
ソフィーが何気なく尋ねた。
「うーん……。ソフィーさんは?」
アダダが聞き返すと、
ソフィーはわざとらしく眉を吊り上げ、腰に手を当てた。
「せやなぁ。ウチ、『お姉さん』やからな?」
彼女は顔を近づけ、
少し怒ったような、でも愛嬌のある顔で念を押す。
「歳の離れた、な!
……ま、手伝ったるわ。何するか知らんけどな!」
「ソフィーさん……」
アダダは胸が詰まる思いだった。
何も聞かず、ただ「味方だ」と言ってくれるその存在が、
今の張り詰めた心には痛いほど温かい。
(……どうしよう)
アダダは俯き、足元の石畳を見つめた。
クロも、アッシュも、ゲルドさんたちも。
みんな、昨日の記憶がない。
『クロウ』を結成したことも、
ブローキンが暴れていた夜のことも、
まるで無かったことのように世界は回っている。
覚えているのは、私だけ。
この世界でたった一人、
私だけが取り残された異物のような感覚。
(この事を話していいのかな……)
もし話して、「何言ってるの?」という顔をされたら。
「頭がおかしくなったんじゃないか」と思われたら。
あるいは、ソフィーさんまで私から離れていってしまったら。
恐怖が喉元までせり上がる。
けれど、アダダは顔を上げ、
隣でニカっと笑っているソフィーを見た。
『魂は覚えとるもんや』
高台で彼女がくれた言葉が、背中を押す。
彼女が裏で何を知っているのか、私にはわからない。
でも、彼女は普通のプレイヤーじゃない気がする。
あんなに不安で押しつぶされそうだった私の心を、
たった一言ですくい上げてくれた。
その不思議な温かさと、底知れない強さ。
(……この人になら)
何より、
私の心が「この人は信じられる」と叫んでいる。
アダダは拳をギュッと握りしめ、
覚悟を決めた瞳でソフィーを見つめた。
「……ソフィーさん。
信じてもらえないかもしれない話なんですけど……
聞いてくれますか?」




