第六十二話:古き記録、執事としての矜持
「消失」の条件が「死亡回数」であるという仮説。
それがもたらした衝撃は、歴戦の英雄たちをも震え上がらせるに十分だった。
地下会議室の空気が、恐怖で凝固していく。
それは、見えない処刑台がすぐ背後に迫っていたことを知らされたような、根源的な畏れだった。
「……それが事実だとしたら、我々は……?!」
レックスが露わになった瞳を激しく泳がせた。
「倒れた回数など……覚えているはずもないな……」
ジャンが重く呻き、机に突っ伏すようにして顔を覆った。
かつて彼らは、この世界の最前線で戦い続けた。
勝利の陰には、数え切れないほどの敗北と「死」があったはずだ。
その積み重ねが、今、彼らの首に冷たい刃を当てている。
その混乱の中、グロウズだけが静かに動いた。
彼は指を軽く上げ、傍らに控えるティフォンを呼び寄せた。
ティフォンが音もなく主人の口元へ耳を寄せる。
(……例の記録を確認せよ)
グロウズが極めて小さな声で囁く。
「かしこまりました。直ちに」
ティフォンは一礼すると、足音を消して部屋の外へと消えていった。
店長――アシュは、その一連の動きに気づいていた。
だが、何も言わない。今はただ、自身の内側から湧き上がる後悔と向き合っていた。
「ローヴァンは消えた。……我々も、近しいだろう」
アシュは感情を押し殺し、静かに吐き捨てた。
「……あの時、前線を退いた選択は正しかったのかもしれぬな」
グロウズがアシュを見据えて言う。
15年前、ローヴァンの消失を機に、彼らは戦場を去った。
その結果、死亡回数のカウントは止まった。
だからこそ、今こうしてここに存在している。
「……ああ。だが、それが監視対象である俺の……」
アシュは言葉を詰まらせた。
「息子」という単語を飲み込み、自嘲気味に続ける。
「今のブローキンを生んじまった。皮肉なものだ」
父であるローヴァンが消え、残された娘のディルーを守るために選んだ「引退」という道。
だがその選択が、結果としてブローキンを孤独な修羅へと変え、彼を狂気へと走らせた。
そして今、その息子が「死」を量産している。
沈痛な空気が漂う中、扉が静かに開き、ティフォンが戻ってきた。
手には何も持っていない。だが、その瞳には確かな情報が刻まれていた。
ティフォンはグロウズの元へ歩み寄り、耳打ちをした。
「領主様……調べて参りました」
その報告を聞いたグロウズの眉が、わずかに動いた。
「不幸か、幸いか……」
彼は独り言のように呟くと、ティフォンに視線で合図を送った。
「話せ」
「まだ調査中であり、断片的なデータですが……よろしいのですか?」
ティフォンが珍しく躊躇いを見せる。
「構わん。今はそれでも情報が大事だ……」
グロウズの許可を得て、ティフォンは居住まいを正し、机に突っ伏していたレックスとジャン、そして静観するアシュへと向き直った。
「レックス様、ジャン様、アシュ様。
……お三方のだけであれば、倒れられた回数のおおよそは、判明するかも知れません」
その言葉に、レックスとジャンが弾かれたように顔を上げた。
「それは……?!」
レックスが身を乗り出す。
「何故分かるのだ」
ジャンの瞳に、疑念と僅かな希望が宿る。
アシュは言葉を発さず、ただ静かにティフォンの瞳を見つめていた。
ティフォンは淡々とした口調で説明を始めた。
「はい。と言うのも……お三方はかつて、戦場で誰よりも恐れられた方々です」
ティフォンは、彼らが英雄として語られるようになった時代の、それぞれの「二つ名」を口にした。
「レックス様は、変幻自在の戦術で敵を翻弄する『悪魔の諸相レックス』と」
「ジャン様は、鉄壁の守りと殲滅力を併せ持つ『殲戒のジャン』と」
「そしてアシュ様は、全てを焼き尽くす火力を持つ『灰燼のアシュ』と……呼ばれ始めた頃の事です」
懐かしくも、血生臭い響きを持つその名。
彼らがまだ若く、命を燃やして戦場を駆けていた時代の象徴。
「前任の執事長の者から引き継いだ、領主邸執事専用の端末には……
お三方が名を馳せ始めた頃から、引退なさる頃までの戦場ログが、全て記録されていました」
「全て、だと……?」
ジャンが絶句し、すぐに鋭い視線をグロウズに向けた。
「何故、そんな物が領主の館にあるのだ」
その疑問に答えたのは、グロウズだった。
「それは、私が父に頼まれ、命じたものだ。」
グロウズは遠い日を思い出すように目を細めた。
「父は、戦場で名を轟かす者達のログを眺めるのが趣味だった。
そして……当時、私と同じ年頃で、めきめきと頭角を現し活躍しているという4人のデータは、特に入念に記録するよう命じたのだ」
「父上が兄上に領主を譲られた頃ですな」
街長が懐かしむように言葉を添える。
「ああ。私も興味があったのでな。同世代の英雄たち、お前達の事に」
彼らがまだ「領主」と「戦士」という関係になる前、あるいは友として出会う前から、グロウズはその活躍を密かに見守っていたのだ。
ティフォンが補足する。
「はい。なので、それらを参照すれば……
有名になる前の記録はありませんので、正確な総数は分かりませんが、
最も激しく戦われていた時期のデータから、現在地をおおよそは測れるかと」
その言葉を聞いた瞬間、レックスがハッとして叫んだ。
「グロウズ様! 4人とおっしゃいましたか?!
残る1人はローヴァンなのですよね?!
ローヴァンの記録を見れば、死のカウンターの上限値に近い回数が分かるのでは?!」
消失したローヴァンの死亡回数。
それが分かれば、自分たちにあと何回「死」が許されているのか、その境界線が見えるはずだ。
しかし――
「……」
グロウズは答える代わりに、深く、無念そうなため息をついた。
沈黙する主人の姿を見て、ティフォンが痛ましげに補足する。
「残念ですが……ブローキンの記録同様、消えました。
データだけが、何故か……」
「いつまではあった?」
アシュが鋭く問う。
「それはわたくしにも分かりません。
引き継いだのは前任者が亡くなる直前の事でして。
基本的には『領主邸執事長』の業務に関する事以外は、わたくしも読み進めていなかったものですから……申し訳ございません」
ティフォンが深く頭を下げる。
ーーこの世界に『元より』存在していた彼らにとって――『亡くなる』という現象。
それは戦場での敗北による粒子化とは異なる。
老衰、病気、あるいは不慮の事故。
要因は様々だが、それらは肉体が骸として残り、周囲がその最期を目視し、看取ることのできる確かな『死』として存在する。
前任の執事は、そうして真っ当にこの世界を去ったのだ。
―― 彼らは、疑うことさえしない。
自分たちの血管に脈打つ熱が、温かい血液ではなく、冷徹な電子信号の羅列であることを。
彼らが「自然の摂理」だと信じているその死すらも、創造主によって書き込まれたプログラムの挙動に過ぎないことを。
この世界に『生まれた』と信じ込んでいる彼らは、自分たちがただ『作られた』だけの存在であるという残酷な真実を、知る由もないのだ。
だが、ローヴァンやカルマたちを襲った『消失』は違う。
痕跡すら残さず、世界から存在そのものが切り取られるような、不条理な虚無。
手がかりは、闇の中へと消えた。
希望か、それとも絶望か。
自身の「余命」を知るかもしれない、決して開けてはならないパンドラの箱のような。




