第六十話 白装束の女
静寂が支配する地下会議室に、控えめだがよく通る声が響いた。
「領主様」
ティフォンが懐中時計を確認しながら、恭しく告げる。
「もう間もなく、街長様もご到着されるようです」
「ん」
グロウズは短く唸り、カップを置いた。
街の表の管理者であり、自身の実の弟でもある街長が合流すれば、話は次のフェーズへと移る。その前に、この場の四人で共有すべき情報を吐き出しておく必要があった。
グロウズは鋭い視線を右隣の男へ向けた。
「ジャンよ、そちらはどうなのだ」
「はっ」
副団長――ジャンは、上官に対する礼節を保ちながら、しかし同志としての重みを込めて答えた。
「こちら……守衛団内部でも、怪しい動きがあるようです」
ジャンは眉間に深い皺を刻み、言葉を続ける。
「私を除く幹部で怪しい者は、予測していた通り『団長』とその付きの者達。……そして、報告の先回しをしているであろう『街の相談所』の者達でしょうか」
本来、市民の声を拾い上げるはずの相談所が、情報を遮断し、歪めている。腐敗は根深い。
「そうであるか……」
グロウズは重く息を吐き、視線を巡らせた。
「アシュはどうなのだ」
話を振られた店長――アシュは、組んでいた腕を指で叩き、少し考え込んだ後に口を開いた。
「あまり進展はない……が、息子が店に来た」
その言葉が落ちた瞬間、場の空気が凍りついた。
「!!」
レックスとジャンが、驚愕に目を見開いてアシュを見る。
アシュの口から出た「息子」という単語。それが指し示す存在が、ただの肉親などではないことを、彼らは知っているからだ。
この街を脅かす黒い霧の元凶。
名を――ブローキン。
だが、グロウズだけは表情を変えなかった。
「奴の話は、訓練所で教官として動いている私にも届いている」
グロウズは淡々と、しかし確信を持って語り始めた。
「調べさせている者の話を聞く限りでは……今日に日付が変わった後から朝方にかけて、暗号を皆に伝えるための、そしてカムフラージュのために実行させた『10vs10』において……」
グロウズの瞳が、冷徹な光を帯びる。
「奴は、味方を盾に使いながら味方をも倒し、最後には一人で戦場に立つという形を取りながら暴れていたとな」
それは、クロやゲルドたちが見せた連携や騎士道とは対極にある、破壊と蹂躙のみを目的とした異質な戦いぶりだった。
「……調べさせている者、とは?」
レックスが、その言葉に含まれる違和感に鋭く反応した。
「普段は決して直接的に動こうとしないあなたが、わざわざ人を使い調査させたのですか? ……それほどの異常事態だと?」
この街の均衡を保つため、あくまで中立と静観を貫いてきた領主が、能動的に手を打った。
その事実こそが、ブローキンの出現がいかに危険な領域にあるかを物語っていた。
「一体、どのような人物なのですか?」
レックスはさらに記憶を探るように問いかける。
「あの白い装束を身に纏う女性ですか?
以前部下からの報告で訓練所周辺で見かけ、少しだけ怪しいと感じて追いかけたが見失ったと……。
そして街長の手の者を伝い報告をする際にもすれ違ったと聞いております」
「我々に関係があるのであれば、ご明示していただきたい」
ジャンが身を乗り出し、鋭い眼光で引き継いだ。
(……。アダダと一緒にいた、あの女の事か)
アシュは表情を変えず、ただ心の中で静かに納得していた。
「そうだ。名を『ソフィー』という」
グロウズは深く頷いた。
「彼女には記憶の改竄は起こっていない。……不思議な者でな、何故か我々の事を知っていた」
地下の秘密、上位者たちの繋がり、そしてこの街の裏側。
本来知り得るはずのない情報を、あの飄々とした女性は把握しているという。
「内容は今は伏せるが、とにかく知っている者だ。そして……」
グロウズは断言した。
「『娯楽』側の人間ではないだろう。そう判断した」
ブローキンという脅威の接近。
そしてソフィーという謎の協力者。
謎は深まり、会議は踊る。
ーー会議は開始から二時間が経過していた。
その時、重厚な会議室の扉が再び開かれた。
「失礼する」
現れたのは、小太りの中年男性だった。
その身を包んでいるのは、コバルトブルーとオレンジのストライプが入った、この重苦しい地下室には似つかわしくないほど派手なスーツだ。
額に玉のような汗を浮かべ、少し焦った様子で入室してきた。
ガレリア街長、ウィッシュドルドその人である。
「兄上、遅くなりました。守衛団との会議がありましてな」
ウィッシュドルドはハンカチで額を拭いながら、主賓席のグロウズに頭を下げた。
「よい」
グロウズは短く応じると、弟に着席を促した。
「ここまでの話だが……」
グロウズは簡潔に、しかし要点を外すことなく、ブローキンの接近、暗号の解読結果、そしてソフィーという特異点について説明した。
街長は神妙な面持ちで聞き入っていたが、レックスがソフィーに目を付けていた件に差し掛かると、感嘆の声を上げた。
「なんと……流石はかつて『悪魔の諸相』と恐れられたレックス様の部下ですな。あのソフィーに怪しさを感じるとは」
「やめてくれい、もう忘れられた名だ」
レックスが苦笑いしながら手を振る。
かつての二つ名は、今の陽気で軽いマスターという仮面には似合わない過去の遺物だ。
「ははは、これは失礼」
街長は愛想よく笑ったが、すぐにその目を細めた。
「しかし、あのソフィーとは只者ではないのですよ。恐らく……」
街長は声を潜め、部屋の隅に控える執事を見やった。
「レックス様の部下のガゼルや、そこにいる執事長も上回る実力でしょう」
「!?」
「なんと……」
レックスとジャンが息を呑む。
ガゼルの底知れなさも、ティフォンの正体も、この場にいる者たちだけが知る「切り札」級の機密だ。
それを上回るとなれば、それはもはや個人の武力としては規格外の領域になる。
だが、その衝撃的な評価を遮るように、低い声が響いた。
「そんな話は今いい」
店長――アシュだ。
彼はソフィーの強さなどよりも、もっと根本的な疑問に踏み込んだ。
「グロウズ。何故内容は伏せるのだ?」
敬称などない。
かつてを共にした対等の友として、アシュは領主であるグロウズの目を真っ直ぐに見据えた。
ソフィーが何を知っているのか。
なぜグロウズはそれをここで明かさないのか。
「その事か……」
グロウズの視線がふと宙を彷徨う。
それは友としての顔ではなく、街と民、そして世界の秘密を背負う「領主」としての、孤独で遠い目だった。
言えば、彼らを巻き込むことになる。
あるいは、まだ確定していない情報を流すことで、無用な混乱を招くことを恐れたのか。
「……まだ言えぬ。だが、いずれ話すと約束しよう」
グロウズは苦渋を滲ませながらも、力強く言った。
アシュはしばらくグロウズの目を見つめていたが、やがてフッと息を吐いた。
「分かった、お前の言う通りにしよう」
アシュが引くなら、異論はない。
レックスとジャンもまた、深く追及することなく静かに納得した表情を見せた。
そこに言葉はなくとも、長い年月で培われた信頼が、不穏な空気を鎮めていた。




