第五十二話:戦慄のタクトと幻影の疾走
◇酒場『ミッシュウ・ラン』厨房
アダダが店を飛び出していった直後、厨房の空気は一変していた。
「ディルー、少しの間店を出る。頼めるか?」
店長が低い声で告げ、エプロンを外す。
「買い出しなら私が……」
言いかけて、ディルーは店長の険しい瞳を見て言葉を飲み込んだ。
(アダダちゃんの所かな……。私が行きたいんだけどなぁ……)
心配と寂しさが胸をよぎるが、今の自分にできることは店を守ることだと理解する。
彼女は覚悟を決めたように、力強い眼差しを向けた。
「分かったよ、アシュおじさん」
店長――アシュと呼ばれた男は、短く頷いた。
「……すぐ戻る」
かつて戦場で恐れられた店長の意思を投影するかのような、短く強い言葉を残し、彼は足音を忍ばせ、裏口から静かに姿を消した。
裏口の扉が閉まる直前、アシュの背中から一瞬だけ、戦場の匂いがした気がした。
***
◇酒場『ミッシュウ・ラン』客席
「ぶへっ」
盛大なゲップが店内に響く。
「うめーなやっぱ!」
アッシュは自分の分の激辛カレーに加え、アダダが残していったカレーまでも綺麗に平らげ、満足げに腹をさすっていた。
「き、汚いよアッシュ……」
クロが呆れたように眉をひそめる。
アッシュは水を一気に煽り、ふと真面目な顔に戻った。
「アダダ、大丈夫だよな?」
「アダダは強い子だ。平気さ。きっと」
クロは迷いなく答えた。そこには、仲間への絶対的な信頼があった。
「そーいやよ、お前たちとPTを組む前に何回か組んだことのある奴らから、『10vs10』出ないかって誘いがあったんだわ。クロ、お前も来いよ」
「ん? そんな人がいたのか、アッシュ」
クロは少し考え、頷いた。
「そうだね。アダダにどんなものかって感想も教えてあげたいし、先に行くのはありだね。お邪魔させてもらおうかな」
「おう! んじゃ行くか! もう既にやってるみたいだからよ。ディルーちゃん、お会計してくれ!!」
アッシュが大声で呼ぶと、ディルーがトコトコとやってきた。
「あっ! アダダちゃんからみんなの分のお会計頂いてたんだった!! お釣り渡すから、アダダちゃんに返しておいてほしいなっ!」
「うぇ? まじか! アダダのヤロー……太っ腹だな!」
アッシュが目を丸くする。
「君のお腹でしょ、それは」
「誰がデブだよ!!」
漫才のようなやり取りに、ディルーがくすくすと笑う。
「ディルー、お釣りは僕が受け取っておくよ。ご馳走様」
クロが手を差し出す。
「わかりました!」
ディルーは小銭を渡す際、落とさない様にクロの手を両手で包み込むようにして手渡した。
温かく柔らかい感触。クロの手を包んだ瞬間、胸の奥がふわっと熱くなった。
クロは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに紳士的な笑みを浮かべて受け取った。
「ありがとう」
「またなぁ、ディルーちゃんよっ!」
「アッシュさんまたね! アダダちゃんによろしくね!」
アッシュが手を掲げて店を出て行き、クロもそれに続く。
二人を見送った後、ディルーは自分の手を見つめ、ハッとした。
「あっ、私なにしてるんだろ……クロさんの手、触っちゃった……」
カァァァっと顔が赤く染まり、彼女は恥ずかしそうに両手で頬を覆った。
***
◇マッチング場前
「ここら辺で合流する予定だからよ、少し待ってよーぜ」
「ああ」
しばらくすると、いかにも歴戦といった雰囲気の三人のプレイヤーが近づいてきた。
大柄なレッドガンタイプ使いのガストン、珍しい2丁セットのブルーガンタイプ使いのビート、そして冷静そうなイエローガンタイプ使いのレイス。いずれもアッシュの旧知の仲だ。
「ようアッシュ! 遅いぞ!」
「悪い悪い! こいつが俺の連れ、クロだ」
アッシュが軽く紹介すると、三人の表情が一瞬で凍りつき、次いで驚愕へと変わった。
「クロ……? お前、あの『死線のタクト』のクロか?!」
ガストンが目を丸くして叫ぶ。
「やっぱクロさんだったか……」
ビートも信じられないものを見る目でクロを見つめる。
「……本物か」
レイスが静かに息を呑んだ。
その眼差しには、戦場を支配する者への畏怖と、味方であることへの安堵が入り混じっていた。
彼らのような熟練プレイヤーにとって、クロの名はあまりに大きい。
「彼がいれば負けない」
そんな確信めいた空気が、チーム全体に漂った。
「よろしく頼むよ。今日はアッシュの顔を立てに来ただけだから、気楽にやろう」
クロが涼しげに微笑むと、彼ら5人と野良のプレイヤー5人を加えた即席チームが結成された。
舞台は、複雑に入り組んだ「第3都市廃墟エリア」。
「行くぜ野郎ども!!」
アッシュの号令と共に、10vs10の乱戦が幕を開けた。
戦闘開始直後、敵チームが猛烈な勢いで中央突破を図ってくる。
野良の味方たちが浮足立つ中、冷静な声が通信が響いた。
『慌てないで。右翼の3人は瓦礫裏へ。アッシュとガストンさんは正面でヘイトを買って』
クロだ。その指示は短く、的確だった。
「へっ、任せな!」
アッシュが飛び出し、敵の注意を引きつける。
敵の前衛がアッシュに群がろうとした瞬間、クロが愛銃を構えた。
HR2 イエローガンタイプスキン 「サン・スパイア」
『抜くよ』
タンッ!
乾いた発砲音と共に、通常弾とは比較にならない速度の初弾が、敵のリーダー格の胸板を貫いた。
敵視点ではただの被弾。
だが、クロと味方チームの視界には、その敵プレイヤーから天に向かって真っ直ぐに伸びる「黄金の光柱」が鮮明に出現していた。
黄金の光柱は、味方への支援、クロによる知覚の共有。“内部データの可視化”。
「なっ、壁裏に隠れたのに何でバレる?!」
敵が動揺する。
彼らには光が見えていない。
だからこそ、壁の裏に隠れようが煙幕を使おうが、百発百中で位置を特定され、撃ち抜かれる状況に恐怖した。
『マーカー点灯。全員、光の根元を撃ち抜いて』
クロの指示に、味方全員の火力が一点に集中する。
一瞬で敵リーダーが蒸発した。
『次は左、座標B-4の建物の影。……アッシュ、行けるかい?』
「おうよ!」
アッシュは走り出した。
そこは、建物の影からこちらの様子を伺い、銃口を向けている敵の射線が通る危険地帯。
遮蔽物のない瓦礫地帯を駆け抜ける。
通常なら足音や、蹴り上げられる砂埃で位置がバレる場面だ。
だが、アッシュは愛銃のトリガー上部にある追加ボタンを押し込んだ。
フォレストファントム・ステルス起動
アッシュの身体が透明になるわけではない。
しかし、彼が踏みしめた地面からは砂埃一つ舞い上がらず、重い軍靴の音すらも世界から完全に消失した。
世界からアッシュの存在音だけが切り取られたような静寂。
「?!」
待ち構えていた敵が、照準越しに違和感を覚える。
音もなく、気配もなく。
砂煙という「存在の証拠」すら残さずに迫るその姿は、まるで実体のない幽霊そのものだった。
狙いを定めるための予測情報が、物理的に遮断される。
ほんの1秒。
だが、その1秒で距離を詰めるには十分すぎた。
気配の消えた死神が、敵の背後に音もなく立つ。
「ここだぜ?」
ズドン!!
至近距離からのショットガンが火を吹き、敵は何もできないままポリゴンとなって散った。
「すげぇ……なんだあの連携」
「位置が丸わかりだぞ!」
かつての仲間たちや野良のプレイヤーたちも、クロの神がかった指揮とアッシュの理不尽なまでの奇襲性能に舌を巻きつつ、次々と敵を撃破していく。
「死線のタクト」クロと、「幻影」のアッシュ。
二人の力が噛み合ったそのチームは、戦場を蹂躙する嵐となっていた。




