第五十一話:夕暮れの絶景と異界の言葉
◇マイホームタウン 『アダダのホーム』への帰路
仲間たちが自分だけを残して「正常」に戻ってしまった。
その事実に打ちのめされたアダダは、焦燥と孤独に包まれながら、逃げるように自分のホームへと足を早めていた。
(私がおかしいの? それとも……)
足元ばかりを見て歩いていた、その時だった。
「あれ、この間の青いゴーグルの子やんかー」
聞き覚えのある、独特なイントネーションの声が降ってきた。
アダダが顔を上げると、そこには以前出会った関西弁の女性――ソフィーが立っていた。
「会うのは3回目やんねぇ」
「あっ、ソフィーさん? でしたっけ……」
アダダは呆然と呟き、すぐにハッとした。
(えっ……今、3回目って言った……?)
クロやアッシュは直近の記憶を失っていた。
なのに、彼女は出会った回数を正確に覚えている。
それに、訓練所ですれ違ったあの、会ったとも言えないような一瞬のことまで回数に加えてくれている。
その些細な事実が、今のアダダには何よりも救いに感じられた。
ソフィーはアダダの顔を覗き込み、眉を八の字にした。
「可愛い顔が台無しやでー? そんな暗い顔して」
彼女は優しく、それでいて茶化すように続ける。
「どしたん? 話、聞こか?」
「あっ、えっと……その……」
アダダは言葉に詰まる。何から話せばいいのか、そもそも話していいのか分からない。
「んー? 言いにくい事なんか?」
ソフィーは察しが良かった。
「無理に言わなくてもええけどさ、あまり仲良ぉーない人に話してみるのも、悪くないかもやでぇ? しがらみとかないしな」
その言葉は、今の孤独なアダダにとって、藁にもすがるような響きを持っていた。
誰かに聞いてほしい。でも、知っている人には言えない。
「えっと……あの……」
「よし! 話すのも話さんもの、後で決めたらええ」
ソフィーはパンと手を叩いた。
「ここじゃなんやし、うちが好きなとこでも行こか。落ち着く所やで」
強引だが、嫌味のない気遣いが心地よかった。
そのまま誘導されるように、「こっちやで」と歩き出すソフィーの一歩後ろを、アダダはついていくことにした。
***
歩くこと数分。
案内されたのは、居住区画の外れにある高台だった。
「ほら、ここやで。どや? 気持ちいいやろ??」
目の前には、ホームタウン『ガレリア』の街並みが一望できる絶景が広がっていた。
行き交うプレイヤーたち、マッチング場の前の広場、そして遠くに見える巨大な守衛団本部。
「こんな場所があったんですね……はい……すごく」
風が頬を撫でる。
初めて来る場所のはずなのに、なぜだかアダダは胸の奥がキュッとなるような懐かしさを感じた。
まるで、ずっと昔に知っていたような、そんな不思議な感覚。
けれど、作り物の様な鮮やかさ。
「そこにベンチあるねん、座っててや」
ソフィーは笑っていた。
けれど、その笑顔の奥に、言葉にできない影が見えた気がした。
ソフィーが古びたベンチを指差す。
「あったかいのと冷たいん、どっちがええかな?」
「あったかいもので……」
「あいよ! 待っててな」
ソフィーはウィンクを一つ飛ばすと、踵を返した。
「寝坊して遅刻した会社員かのように、急いで買ってくるわ!」
タタタッ、と小走りで去っていくソフィーの背中を見送りながら、アダダはふと違和感を覚えた。
(……会社員?)
その単語が、頭の中で反響する。
(なんだっけそれ……)
その言葉だけが、ぽつんと頭の中に浮かんでいる。
意味だけが、霧の向こうに置き去りにされたみたいだった。
この世界には「施設の従業員」や「お店の店員」はいても、「会社員」なんていう職業は存在しない。
それは、この仮想世界の外側――現実世界の言葉だった。
「……かいしゃ、いん」
ぼそりと、声に出して呟いてみる。
その瞬間、アダダの脳裏で、何かが軋む音がした。こめかみの奥がじんと熱くなる。
ガキン、ゴキン。
それは、記憶の深層に何重にも施された堅牢な鍵が、ひび割れていくような感覚。
本来なら忘れているはずの、そして思い出してはいけないはずの「外の世界」の概念。
何気ないソフィーの「ことば」が、アダダの中に眠る真実への扉を、わずかにこじ開けようとしていた。




