第四十九話:「消失」とデバッグモード
◇ホームタウン『ガレリア』
アダダは急いで支度を済ませると、転がるように家を飛び出した。
目指すはガレリアの中心部、マッチング場前の広場だ。
「はぁ、はぁ……!」
息を切らして駆けつけた先には、いつも通りの二人の姿があった。
「アダダ、おはよ」
クロが穏やかに手を振る。
「おう、アダダおはよーさん!」
アッシュも変わらぬ笑顔で迎えた。
あまりにもいつも通りすぎるその光景に、アダダは拍子抜けしてしまう。
(あれ? 緊急事態だと言うから来たのに……ブローキンの話は?)
二人は深刻な顔をするどころか、「今日は10vs10に行くか」といった日常会話を繰り広げている。
「ちょっと!! 二人ともブローキンの話は?! ブローキンが暴れてるって……!」
たまらずアダダが声を張り上げた。
すると、二人はきょとんとした顔を見合わせた。
「ん? どうしたのアダダ」
「クロ、こいつ腹減りすぎておかしくなったんじゃねーか?」
(なんで?! え? なんでそんな不思議そうな顔できるの?! なんで?!)
アダダの心臓が早鐘を打つ。
あまりにも普通な日常。不思議そうな表情を見せる二人。
まるで、あのメールなど最初から存在しなかったかのような反応だ。
「どうしたのって……え? だってさっきメッセージで……」
アダダは証拠を見せるべく、震える手で端末を開き、メッセージボックスを表示した。
「これ見てよ、クロが……」
しかし、そこに表示されていたのは――
差出人:クロ
件名:本日の予定
『おはよう。今日は10vs10中心に回ろうか。集合マッチング場前の広場で』
(消えてる……? さっき来たばかりのクロからのメッセージが……ない……?)
アダダの背筋に冷たいものが走った。
さっき見たはずの「緊急確認」の文字も、不気味なブローキンの戦績データも、跡形もなく消え失せ、当たり障りのない予定表にすり替わっている。
何かがおかしい。
昨日感じた「記憶の綻び」のような違和感が、再び脳裏をよぎる。
でも、今ここで騒ぎ立てても、二人は信じてくれないかもしれない。それどころか、私がおかしいと思われてしまう。
アダダは恐怖を押し殺し、引きつった笑顔を作った。
今は二人に合わせたほうがいい。
「あ……あはは、ごめん。なんか変な夢見てたみたい。……お腹空きすぎて、ボケてたかも」
「なんだよ驚かせやがって! ほら、なんか食いに行くぞ」
アッシュが笑い飛ばし、クロも「無理しないでね」と苦笑する。
二人の背中を見つめながら、アダダは端末を強く握りしめた。
来ていたはずのメッセージの「消失」。
何もなかったかのように振る舞う二人の様子。
平和な朝の風景の中で、アダダだけが深淵を覗き込んでいた。
⸻
◇開発者:早乙女蓮吾の部屋
無機質な空間に、乾いた打鍵音が響く。
早乙女蓮吾は、空中に浮かぶ半透明のキーボードを叩き終えると、満足げに息を吐いた。
「ふぅ……」
その傍らには、まだ殺気の抜けないブローキンが立っていた。
「ブローキン、一先ず君の仕事は完遂された」
「よくわからねーが、これでいいんだな」
ブローキンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「ふっ……少しだけ説明してあげよう」
蓮吾はモニターに視線を落としたまま語り始めた。
「君が暴れてくれたおかげで、内部カウンターが『100』に到達する者達が一斉に現れた。
一斉に現れたおかげで、システム的アラートが鳴るのさ。バグとしてね」
蓮吾は指先で空中のウインドウを操る。
「ここは僕が作った世界だけどね、もう作り終わった世界のシステム干渉は基本的にできないんだ。……だが、例外がある」
カチリ、とエンターキーを押すような音が響く。
「システム的『緊急アラート』。これが発動されると『デバッグモード』へ移行する。
デバッグモード中は、再度僕が世界の構築を行うことができる。あくまで一部だけどね」
ブローキンは黙ったまま聞いていた。いや、聞かされていた。
「……」
「僕の描く復讐は、まだ彼らに気付かれるには早すぎるんだ。
彼女の『当たり前』がより濃くなり、それが無くなる時こそ、最も効果を発揮する『消失』になるのだから。……まだ、当たり前が薄いんだよ」
蓮吾の瞳に、歪んだ情熱が宿る。
「だから、デバッグモード中に一時的だけど、僕にとって都合の悪い記憶や記録は一度消しておいた。
これで、まだ濃くする時間を作れたわけだ」
彼はちらりとブローキンを見た。
「消すことができなかった高次元AI達のデータもあったから、そいつらには認識阻害のブロックを施してね」
「おい、一体なんの話をしてやがる?」
ブローキンが眉間の皺を深くする。
「ははっ、データの君に理解できる話ではなかったね」
「いちいち俺をイラつかせやがる……。さっきから所々ノイズみてーなものが入って、何も頭に入ってこなかったぞ」
蓮吾はその言葉を聞き逃さなかった。
彼は試すように、特定の単語だけを口にした。
「『内部データ』」
「あ? 何言ってる」
ブローキンは聞こえなかったかのように聞き返す。
「うん、ブロックは正常に効いている様だ」
蓮吾は一人で納得し、次の単語を放つ。
「『消失』」
「消失がなんだよ……お前さっきから意味わかんねーことばっかり言いやがって」
「大丈夫みたいだね」
蓮吾は満足そうに微笑んだ。
AIであるブローキンには、世界の核心に触れる言葉が認識できないよう処置が完了している。
ブローキンは苛立ちを隠さずに舌打ちをした。
「とにかくなぁ! てめーの命令は聞いてやったんだ。次は俺の復讐の番だ!!!!!」
彼は血管が切れそうなほどの剣幕で詰め寄った。
「分かってるよ、そんな怒らないでくれ」
蓮吾は涼しい顔で宥める。
「物事には順序があるんだ。君のお父さん……あの店長への布石は、ちゃんとうってあるよ」




