第三十七話:記憶:「相棒」の影
「……ちっ」
夜の冷気が立ち込める路地裏。ブローキンは苛立ちを隠そうともせず、乱暴に舌打ちをした。その時、彼の目の前に、虚空から染み出すように黒いウィンドウが現れた。
【今すぐ来い】
名前も、送信元も記されていない。ただその一文だけが、異質な威圧感を放ってそこに浮かんでいた。メッセージを確認したブローキンの顔に、焦燥と忌々しさが混じった色が浮かぶ。
「……くそが」
吐き捨てるように呟くと、彼は闇に溶けるようにしてその場から姿を消した。
酒場『ミッシュウ・ラン』の空気は、いまだに凍りついたままだった。
ディルーが震える声で、絞り出すように言った。
「ごめん、アダダちゃん……。店長、少し休憩してくる」
店長は険しい表情を崩さないまま、短く頷いた。ディルーは泣き出しそうな顔を伏せ、二階へと駆け上がっていく。階段を激しく叩くその足音が消えるまで、私は心配そうに彼女の背中を見つめていた。
沈黙の中、クロが静かに切り出した。
「……店長」
「店長、これは……一体どういうこと?」
私も、たまらず問いかけた。店長はしばらく黙って目を閉じていたが、やがて深い溜息とともに目を開けた。
「アダダ。お前はディルーの父親の話を知っているな」
「うん……」
「僕もアダダから少しだけ聞いた」
クロが添える。状況が掴めないアッシュは、眉をひそめて黙ってやり取りを追っていた。店長はカウンターの奥で、遠い過去をなぞるように話し始めた。
「ローヴァンはディルーの父親であり、俺の相棒だった男だ。俺とローヴァンはお前たちの様に、日々戦場へ行き戦っていた。そして、あいつは消えた。……お前たちの記憶にも新しい、カルマの時と同じ『消失』だ」
店長の一言に、私とクロ、そしてアッシュの顔に緊張が走った。店長は続ける。
「街を歩き回り、守衛団にも掛け合った。だが、あいつの足跡はどこにもなかった。……その後、残されたディルーを引き取り、俺はこの場所で生きていく道を選んだ」
アッシュが何かを察したように、低い声で呟いた。
「……じゃあ、あのブローキンって野郎は」
クロもその続きを促すように問う。
「ブローキンは、その頃はどうしていたんですか?」
「……あいつは昔はあんなじゃなかった。ディルーを妹の様に可愛がり、家族として迎えていた。
だが、俺が戦場に行くのをやめてこの店を開くと、あいつは変わっていった。
戦場から逃げたのかと、なぜディルーの父親の真実を追わないのかと……そこから数日の間、口も聞かなかった。あいつは言った。――『臆病者が。あんたが探さないなら俺が探す。誰にも負けず、俺の力だけで』とな」
店長はそこまで語ると、視線を落とした。
「あの日以来、あいつは自ら家を出た。……強さだけを求め、消失の謎を解くことが、あいつなりの弔いだったのかもしれん。だが、その過程で何か……見失ってはいけないものを捨ててしまった」
重苦しい沈黙が店を包む。アッシュは掛ける言葉が見つからないように視線を彷徨わせ、クロは店長の告白を噛みしめるように深く黙り込んでいた。
消失した相棒と、闇に堕ちた息子。
店長が背負い続けてきた孤独な戦いの歴史が、今、私たちの前で静かに紐解かれようとしていた。




