第二十七話:戦術の変革。交差する三人の思惑
『ミッシュウ・ラン』の重厚な木製の扉が、カランと乾いた音を立てて開いた。その音は、店内の張り詰めた驚愕の空気を切り裂く、平穏な合図だった。
「ただいまー!」
私の声が店内に響き渡る。すぐ後ろから、少し気恥ずかしそうに、しかし先ほどまでの悲壮感を感じさせない足取りで、ディルーがゆっくりと姿を現した。
クロは手に持っていたコーヒーカップを静かにソーサーへと戻し、私たちの方へ視線を向けた。私の少し紅潮した頬と、ディルーの落ち着いた表情。それを見ただけで、クロは状況を察して静かに安堵したようだった。
(アダダ……上手くやったみたいだな)
冷静な彼らしく、表立って感情を爆発させることはない。だが、その瞳には仲間が無事に戻ってきたことへの確かな温かみが宿っていた。アッシュには少し意地悪な言い方をすることもある彼だが、根底にあるのは仲間への深い信頼だ。
厨房で手を動かしていた店長も、横目で二人の姿を確認すると、鼻から抜けるような小さな笑い声を漏らした。それは、自分の店の看板娘を救い出してくれた私への、彼なりの最大の謝意だった。
しかし、その感動的な帰還の余韻を、一人の男の叫びがぶち壊した。
「お、アダダ! 帰ってきたか! タイミング最高だ、見ろよこれ! こいつ、とんでもねぇもんを隠し持ってやがったんだよ!」
アッシュが、クロのウィンドウを指差して身を乗り出す。私は首を傾げながら歩み寄った。
「んー? なになに、クロがどうかしたのって……ええええええええ!!?」
私の叫びがアッシュのそれに重なる。ウィンドウに表示されていたのは、この世界でも最高峰の希少度を誇る「HR」の文字。
【HR2:フォレスト・ファントム】
それは、深い森の緑を基調としながらも、見る角度によって鈍い銀色の光沢を放つ、洗練されたグリーンガンタイプのスキンだった。無駄のないフォルムは、この過酷な世界にあって異様なまでの存在感を放っている。
「……でも、僕はグリーンガンタイプは使わないんだよね。要するに、宝の持ち腐れだよ」
クロは落ち着いた声で言い放つ。彼が愛用するのは、中近距離や近距離での精密射撃に特化したブルーガンタイプや、中距離安定型のイエローガンタイプだ。グリーンガンタイプ特有の射撃距離は短いが一度に数発の弾を打つ近距離超特化の挙動は、彼の戦術スタイルには合致しない。
「ずりーぞ……! 俺、いまだにR2(レア)のグリーンガンだってのに……!」
アッシュがカウンターに突っ伏し、目に見えてしょげ返る。彼にとってグリーンガンは魂そのものだ。その最高峰のスキンを、全く興味のないクロが持っているという事実に、不条理を感じずにはいられなかった。
「うわー……笑。まさかクロまでHR持ってたなんて。これ、渡せたりすればいいのにねぇ」
私は自分もHRの武器スキンを所有しているからこそ、その価値を誰よりも理解していた。浮遊するウィンドウの「フォレスト・ファントム」を、羨望と感心の入り混じった目で見つめる。
「そうだね。僕が持っていてもただのデータだけど、使い手のアッシュが持てば、僕もより高度な戦術をチームに組み込める。しかもこれ、アッシュに一番合う効果がついているんだよ」
クロがウィンドウを操作し、スキンの詳細パラメーターを表示させる。
「移動速度上昇、そして最大の特徴は……トリガーの上部にあるこの追加ボタンだ。これを押すと1秒間、『ステルス』効果が発動する」
「ステルス!? 透明になるの!?」
私が身を乗り出す。しかしクロは首を振った。
「いや。姿が消えるわけじゃない。場所による挙動——例えば砂埃が舞うことや、深い草が沈み込む現象をゼロにし、足音すらも完全に消去する。一秒間だけ、物理的な気配そのものを抹消できるんだ」
「強すぎるね……笑。確かに、アッシュが持ったらすごそう……」
私の言葉に、アッシュの目から絶望が消え、猛烈な対抗心が燃え上がった。
「んがぁぁぁ!! 分かったよ! 俺も自分で引き当ててやるからなぁ!!」
「狙って引けると思っているのが、いかにもアッシュらしいね」
クロがわざとらしく肩をすくめ、少しだけ意地悪そうに微笑む。
冷静沈着なクロと、騒がしくも真っ直ぐなアッシュ。そのやり取りは、いつもの二人の姿だった。
だが、その時。それまで黙って調理しながら聞いていた店長が、包丁をまな板に置いた。コン、と乾いた音が店内に響く。
「……渡せるぞ、それ」
時が止まった。
私、クロ、アッシュの三人が、弾かれたように店長の方を向く。
「えっ? 店長、今なんて言ったの?」
「スキンやアイテムの『所有権の移動』だ。やり方はある」
店長はタオルで手を拭きながら、カウンター越しに三人を鋭い眼光で見据えた。
「訓練所にいる教官を覚えてるか? 常に不機嫌そうに新兵を扱いている、あの巨漢の男だ。あいつは実は、街長ウィッシュドルドの実の兄貴でな。街長直系の特権として、『所有権移動の行使』を許可されている唯一の男だ」
三人は息を呑んだ。この世界において、手に入れた武器やスキンは魂と紐付けられた絶対的な所有物だと思っていた。それを他人に譲渡できる手段があるなど、聞いたこともなかった。
「ただし、ルールがある。所有権を移動させたいプレイヤーは、教官に45ダイヤを支払う必要がある。それが、システムを書き換えるための手数料だ。そして、元の所有者には、教官から事務手数料を引いた20ダイヤが支払われる」
「45ダイヤ……!?」
私は絶句する。この世界においてダイヤがいかに貴重か、私は身に染みて知っていた。命を懸けたバトルで勝利を重ね、ようやく数個手に入るかどうかという代物だ。
「高すぎる……。でも、元の持ち主に20ダイヤ戻ってくるなら、実質的なコストはもっと低いとも考えられるね」
クロが顎に手を当て、思考を巡らせる。自分の持つHRスキンをアッシュに渡し、チーム全体の勝率を底上げする。そのための投資として、この対価が妥当かどうか。
店内の空気が、具体的な「戦略」を帯びて熱くなっていく。
クロの持つHRスキン、アッシュの執念、そして店長から明かされた新たなルール。
それは、これまでの「ただ戦うだけ」だった私たちの在り方を、根本から変えようとしていた。




