第二十六話:運命の単発、あるいは静かなる胎動
ガレリアの夜は、現実世界のそれよりもずっと濃く、重い。夜空は吸い込まれるような漆黒と、狂おしいほどに輝く星々に支配されている。この世界の星々は、二〇三九年の汚れた大気越しに見ていた光とは違い、網膜を刺すような鋭い瞬きを放っていた。
◇酒場『ミッシュウ・ラン』
店内の温かな空気の中、アッシュの快活な声が、木造りの天井に反響していた。カウンターに並ぶ琥珀色のグラスが、照明を反射して微かに揺れている。
「……いやぁ、そろそろマジで俺も『グリーンガンタイプ』の、こう、レアリティの高いスキンが欲しいんだよな」
アッシュはカウンターに置かれた自分の愛銃を、恋人を撫でるような手つきで見つめていた。彼のこだわりは強い。ただ強い武器であれば良いというわけではなく、戦場という過酷な舞台で、自分の魂を象徴するような意匠を求めているのだ。
「そういえばクロ、お前は『ブルーガンタイプ』のスキン、まだ持ってなかったよな? この前の報酬、全部弾薬と回復アイテムに回してたし」
クロは店長が淹れたコーヒーの香りを楽しみながら、伏せたまつ毛を動かさずに答えた。湯気が彼の端正な横顔を白く掠めていく。
「……ブルーガンタイプのスキンは、まだないね。レアリティの低いものしか」
その言い回しには、妙な引っかかりがあった。まるで「それ以外のタイプならある」と言いたげな、静かな自信。アッシュはその微かなニュアンスを敏感に感じ取った。
「ん? 他のタイプのはあるのか? ……まさか、俺の知らないところで何か引き当てたのかよ」
アッシュが食いつくように身を乗り出す。クロは小さくため息をつくと、空いている左手を軽く空間に泳がせた。その指先が空を切り、システムの深層へとアクセスする。
「……あるよ。これ」
クロの手の動きに合わせて、空中に半透明のシステムウィンドウが展開される。彼はそれを、チェスの駒を動かすような優雅な所作でアッシュの方へと「投げた」。
アッシュの目の前で拡大され、静止したウィンドウ。そこに映し出されていた「それ」を見た瞬間、アッシュの目が見開かれ、顎が外れんばかりに驚愕の色に染まった。
「はーー!?!? なんだよこれ!!! お前、いつの間に……!!」
アッシュの絶叫が、調理場の包丁の音をかき消した。店長の手元が少しだけ止まったが、彼は何も言わずにジャガイモを剥き続けていた。
◇橋下
川のせせらぎが、ディルーの震えていた心をゆっくりと解かしていく。水面に反射する月明かりが、彼女の横顔を淡く照らしていた。
「……ううん、こちらこそ聞いてくれてありがとう。追っかけてきてくれて、本当に嬉しかった。アダダちゃんには、なんだか不思議と話せちゃうみたい」
ディルーは少し赤くなった瞳を細めて、私を見つめた。その眼差しは、先ほどまでの絶望が嘘のように穏やかだった。
「ディルーちゃんは、可愛くて大好きだよ」
「ふふ、顔が?」
ディルーが茶目っ気たっぷりに小首を傾げて微笑む。私はその可愛さに圧倒されながら、勢いよく答えた。
「顔も! 声も! 身体も!」
「ぐへへ……」
私は少し変態チックな笑いを漏らしながら、彼女をじろじろと眺める。
「身体!? ……えっ、アダダちゃんって、そっち……?」
ディルーが冗談めかして、慌てて自分の身体を守るような素振りを見せる。
「ちょっと! 冗談だよ!!」
私が慌てて手を振ると、二人の間に弾けるような笑い声が広がった。夜の冷たい空気さえも、その温かな笑い声で少しだけ和らぐような気がした。
「そろそろ戻ろっか。店長、きっと心配してるよね」
「うん! カレー食べたーい!」
「ふふ、アダダちゃん本当にカレー好きだよね。クロくんはカレーじゃなくて、店長特製ブレンドのコーヒーとピザパンが好きみたいだけど」
二人は肩を並べて、石畳の道を歩き出す。周囲の家々からは漏れる光が、道に規則的な模様を作っている。
「クロは大人ぶってるんだよ、きっと! 本当はピザパンのチーズが伸びるのを、誰にも見られないように必死に楽しんでるんだよ」
私がイタズラっぽく言うと、ディルーも「ありそう!」と声を上げて笑った。
「あ、気になってたんだけど……聞いてもいい?」
ディルーが不意に、少しだけ声を潜めて尋ねた。
「んー? なに?」
「アダダちゃんって、クロくんとアッシュさん、どっちが好きなの?」
「ブフッ!!」
あまりに直球な質問に、私は盛大に吹き出した。顔が急速に熱くなっていくのが自分でもわかる。耳の先まで赤くなっているに違いない。
「ど、どっちが好きって……! 二人は……そう、相棒だよ! 大事な相棒!」
「ふーん? 笑 ……まぁ、そういうことにしておくね!」
「ディルちゃんってばー!」
頬を膨らませて拗ねる私。そんなやり取りを、ガレリアの静かな夜の闇が優しく包み込んでいく。
その時だった。
突如、視界の端に強制的な通知ウィンドウがポップアップした。それは、街に滞在する全プレイヤーの意識に直接割り込むような、強い信号だった。
送信元の名は——ガレリア街長、「ウィッシュドルド」。
『みなさん、こんばんは。
明日よりマッチング場に、「新しい選択肢」を追加いたします。
申し遅れました。私はこの街、ホームタウンガレリアの代表を務めております、ウィッシュドルドと申します。以後お見知り置きを。
マッチング場、バトル、そして勝者。この一連の流れもまた、私が皆様に提供している最高の「娯楽」です。
今回、今までのバトルを通常マッチとし、新たに追加されるのは「小規模チーム戦闘」です。
10vs10による、より戦略的で濃密な「娯楽」をご提供しましょう。
勝ったチームには、特別報酬として「ガチャ引き直し券」を一枚進呈いたします。』
ガチャ引き直し券。それはダイヤを消費したガチャの結果を一度だけ白紙に戻し、無料で運命を再抽選できるという、あまりに魅力的な権利だった。
ただし、注釈には「5連に使用しても、追加の1枠には適応されない。先に引いた5連分が再抽選されるのみである」と記されていた。それでも、一瞬の運に絶望した者にとっては、蜘蛛の糸のような救いになるだろう。
『それでは皆様、どうぞお楽しみください。』
メッセージが消えると、街は再び元の静寂を取り戻した。しかし、一度揺らされた空気は、もう元には戻らない。
「……どうしたの?」
立ち止まったまま端末を見つめる私を、ディルーが不安そうに覗き込む。私は静かにウィンドウを閉じた。
「んー……なんか、新しいバトルが出るみたい」
10vs10。それは、これまでのような個人の技量だけでなく、仲間との連携や組織的な戦術が求められる戦いになるはずだ。私たちは、オレンジ色の明かりが漏れる『ミッシュウ・ラン』の扉へと手をかけた。




