第十二話:覚醒の青。予測不能の三位一体
店長が背中を向け、夕闇に染まり始めた訓練場を去っていく。
「……ふん。あとは勝手にやりな。カレーの仕込みがあるんでな」
「店長、ありがとう!」「親父、助かったぜ!」
三人の威勢の良い声が、遠ざかる店長の背中に投げかけられた。
アダダたちが「伝説のプレイヤーだったに違いない」と信じて疑わないあの男は、実際のところ、この世界のシステムが構築した『NPC』に過ぎない。
だが、彼は単なる定型文を繰り返すプログラムではなかった。
この『ガレイド』には、稀に【超次元性能】と定義される超高性能AIが組み込まれた個体が存在する。
彼らは人間と何ら変わらぬ思考回路を持ち、数百万通りの実戦データを学習し、トッププレイヤーすら凌駕する技術を「設定」としてではなく、純粋な「実力」として保持している。
店長が先ほど見せたあの「しゃがみ左リーン」は、運営が用意した究極の対人アルゴリズムの片鱗に他ならない。
アダダたちは今、知らず知らずのうちに、この世界の頂点そのものに教えを請うているのであった。
店長が去った後も、訓練場には銃声と激しい呼気、そして肉体が地面を叩く音が響き続けていた。
特訓開始から、既に三時間が経過している。
「よし、次は俺が標的役だ! アダダ、さっきの負けた時と同じ動きで撃ってこい!」
アッシュが汗を拭いながら、不敵に笑う。
彼らは、店長に見せつけられたあの動きを再現すべく、役割を交互に入れ替えて反復練習を繰り返していた。
「いくよ、アッシュ!」
私はコバルト・ストリームを構え、さっきの敗北シーンをなぞるように、正確な三点バーストをアッシュの胸元へ放った。
その瞬間――。
「お、おおぉっ!?」
アッシュの身体が、これまでにない鋭さで沈み込んだ。
『しゃがみ』と『左リーン』の同時発動。
アッシュの巨体が、物理の法則を無視したような角度で傾き、私の放った三発の青い弾丸は、すべて彼の上半身が「先ほどまであった場所」を虚しく通り抜けていった。
「……あ、避けた……っ!?」
成功だ。しかし、その直後。
「どわぁぁっ!?」
バランスを崩したアッシュは、そのまま勢い余って地面を転がり、派手な音を立ててズッコケた。
「いってぇぇぇ! 痛痛痛……クソ、足首挫いたかもしれねぇ……っ!」
アッシュが悶えながら、自分の右足を押さえて地面を転がる。
「アッシュ、大丈夫!? ……でも、今の凄かったよ! 完全に避けてた!」
私は駆け寄りながら、彼を称賛した。だが、私の胸の奥では、小さく熱い火花が散っていた。
(……アッシュが先に、あの感覚を掴んじゃった。……すごい、でも……悔しい!)
置いていかれたくない。私も、あの景色を見たい。焦燥感が、私の集中力をさらに極限まで引き上げていく。
そんな二人を少し離れた場所から見守りながら、クロは一人、深く思考に沈んでいた。
彼の指先は、絶え間なくホログラムモニターを叩き、二人の成功率と反応速度をデータ化している。
(……習得はするだろう。この二人なら、今日中には形にしてしまうはずだ)
クロの懸案事項は、その先――実戦での「指示」についてだった。
あのしゃがみリーンは、コンマ数秒の判断で繰り出される超感覚的な技術だ。
司令塔である自分が「今だ、避けろ!」と指示を出してから動いたのでは、到底間に合わない。
(指示でやらせる技術じゃない。これは、個人の反射に委ねるべき『切り札』だ)
クロは、二人の戦闘能力を根本からアップデートすることにした。
「こう動け」という戦術的な指示は、これまで通り出す。
しかし、その前提として「彼らは敵の弾を避けられる」という確信を組み込み、より大胆な作戦を組み立てる。
クロは、二人の技術を「こうしないと負ける」という場面以外では安売りさせない、決定的な切り札として認識した。
二人がこの技術を完全に自分のものにすれば、もはや無謀な突撃を止める必要すらないのかもしれない。
(……頼むよ、二人とも。君たちのその本能が、僕の戦略を完成させるんだ)
「……よし。もう一回だ。アッシュ、次は私が避ける番だよ!」
「おう、やってみろ! 今度は俺が蜂の巣にしてやるからな!」
挫いた足を強引に叩いて立ち上がるアッシュと、銃を構える私。
夕闇を切り裂くように、再び訓練場に銃声が轟いた。
その音は、昨日までの敗北を塗り替える、新しい時代の幕開けの音だった。




