第十話:敗北の味。そして見えた高み
視界が白く弾け、次に目を開けたとき。
私はガレイドの復活エリアにある、冷たい石畳の上に転がっていた。
頬を打つ冷気と、消えゆく戦場の喧騒。
「……あ……。……負けちゃった」
口の中に残る、砂を噛んだような苦い感覚。
優勝した直後のマッチング、最強の武器を手にし、新たな仲間アッシュを加えた盤石の布陣。
勝てると信じて疑わなかった。なのに、結果はまさかの全滅。
ほどなくして、クロとアッシュも光の粒子と共に、私の隣へ姿を現した。
「……クソっ! なんだよ今の! 弾が、掠りもしねぇじゃねぇか!」
アッシュが立ち上がるなり、地面を拳で激しく叩いた。
彼の燃えるような赤髪が、悔しさで逆立っているように見える。
「……信じられない。あんなに不自然な体勢で、どうして射撃の精度を全く落とさないんだ……」
クロも珍しく、動揺を隠せない様子で眉をひそめている。
いつも冷静な彼がこれほど取り乱すなんて、それほどまでに、さっきの敵の動きは「異質」だったのだ。
私はゆっくりと起き上がり、震える自分の手をじっと見つめた。
(……あの人の動き。しゃがんで、体を鋭く左に傾けて……私の弾道を、まるで魔法みたいに避けた)
悔しい。胸が張り裂けそうなくらい悔しい。
でも、今の私の心に焼き付いているのは、拒絶反応ではなく、言葉にできないほどの「衝撃」だった。
「……ねぇ、二人とも。あの動き、何なのかな?」
私の問いかけに、アッシュが顔を上げた。
「あぁ? 何って、あいつが卑怯な動きをしただけだろ! 正面から堂々と撃ち合いやがれってんだ!」
「違うよ、アッシュ。あれはきっと、戦い方を熟知している人の……本当の技術なんだよ」
私は立ち上がり、さっきの敵の動作を記憶の底から掘り起こしながら、不格好に体を傾けてみた。
「私が撃つ瞬間に、彼はわざと的を外したんだ。頭を一段下げて、さらに横にずらす。……それも、撃ち合いの最中に」
クロが私の動きを見て、ハッとしたように顎に手を添えた。
「……なるほど。相手のエイムをずらすことに特化した機動だ。……しゃがみで姿勢を低くし、同時に『リーン』で頭の位置を左右に散らす。……あれを回避行動として完全に自分のものにしているんだね」
クロの分析を聞きながら、私は確信した。
私たちは今まで、ただ正面から撃ち合うことしか知らなかった。
でも、さっきの敵は違った。彼は一瞬の動作で、こちらの攻撃を無力化する術を知っていた。
「あんなの、どうやったらできるんだよ! 俺の野生の勘でも、あんな軌道修正は追いつかねぇぜ!」
「……アッシュ、これから私たちがいつも行っている店に行こう。あそこの店長なら、何か知っているかもしれない」
私の提案に、アッシュが目を丸くする。
「あぁ? 店長? 飯屋の親父が何を知ってるってんだよ」
「普通の店長じゃないんだ。……詳しくは言えないけど、あの人はきっと、私たちが今ぶつかった壁をずっと昔に通り越してきた、凄腕のプレイヤーだったはずだから」
クロも私の言葉に深く頷いた。
「……確かに。あの店長の言葉には、戦いを知り尽くした者特有の重みがある。相談してみる価値はあるよ」
「へぇ、面白そうじゃねぇか。その『凄腕の親父』ってのを拝ませてもらおうじゃねぇか!」
私たちは敗北の悔しさを胸に、ホームタウンの片隅にある『ミッシュウ・ラン』へと向かった。
『ミッシュウ・ラン』の扉を開けると、いつものようにカレーの香りが私たちを迎えてくれた。
「お、おかえり……。って、なんだその顔は。全滅したか」
カウンターの奥でグラスを拭いていた店長が、私たちの暗い……けれどどこか熱を帯びた表情を見て、ニヤリと不敵に笑った。
「店長……完敗だった。戦い方を熟知してる、とんでもない相手だったよ」
クロがカウンターに腰を下ろし、事の顛末を話し始める。
敵の信じられない回避技術。しゃがみ、そしてリーン。翻弄された自分たちの動き。
店長は黙って話を聞いていたが、やがて太い腕を組んで言った。
「……ほう。しゃがみリーンを使いこなす奴に当たったか。ようやく本当の戦いを目にしたな」
その言葉に、アッシュが身を乗り出した。
「おい親父! あんた、さっきのあいつらの動きを知ってるのか!? 魔法じゃねぇんなら、どうやってあんな不自然に弾を避けるんだよ!」
店長はアッシュを一瞥し、それから私に視線を移した。
「魔法じゃねぇ。ただの『技術』だ。自分の身体の重心と、相手の銃口の向きをミリ単位で把握してなきゃできねぇ芸当だがな。……あれは、相手のエイムが完成する直前に的をずらす、最上位の対人技術の一つだ」
店長はグラスを置き、ゆっくりとカウンター越しにこちらを指差した。
「お前さんたちは今まで、ただ的に向かって引き金を引いていただけだ。だが、本当に戦いを知っている奴は、引き金を引く前の『読み合い』で勝負を決める」
「……店長。私、練習したい。あの動きを、自分のものにしたいんだ。どうすればいいか、教えて」
私の真っ直ぐな瞳を、店長はしばらく見つめていた。その瞳の奥には、かつて数多の戦場を潜り抜けてきた者にしか宿らない、鋭い光があった。
「……ふん、言うと思ったぜ。いいか、あれは頭で理解してできるもんじゃねぇ。身体が勝手に動くまで叩き込むしかねぇんだ」
店長は短く鼻を鳴らすと、奥に声をかけた。
「ディルー、こいつらに特製の大盛りカレーを出してやれ。これから地獄の特訓に行くための、ガソリン代わりだ」
「はーい! 店長特製ミッシュウカレー三丁! アッシュさんも、いっぱい食べてね!」
ディルーが元気よくカレーを運んでくる。
スパイシーな香りが立ち込め、空っぽだったお腹が鳴った。
「……おい、アダダ。この親父、ただの飯屋じゃねぇな……」
アッシュが小声で私に囁く。彼の瞳には、店長に対する確かな敬意が芽生えていた。
私たちは熱々のカレーを掻き込みながら、店長のアドバイスを一言も漏らさぬよう耳を傾けた。
今の私を突き動かしているのは、ただ一つ。
誰よりも「自在」に、誰よりも「強く」なりたいという、剥き出しの意志。
「……よし。食ったら行くぞ、訓練場へ!」
敗北の味は、カレーの辛さと混じり合い、最高に熱い決意へと変わっていった。




