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しかしまた、留年ってものは泥沼みたいなものなのかも知れない。
今まで幾つか友達頼りだった講義も、今年は一人でレジェメを完成させなければいけない。
周りがみんな、一つ年下というだけでこうも居づらいものなのか…
決意を固め、真面目に大学に通い始めていた僕だったが、早くもこの疎外感と寂しさに心が折れ始めていた。なんて弱き心か。
昼になり、食堂で友達と合流できた時のこの感じ、大切なものは離れてやっと分かると言うけれど、まさにこの感じ。アウェイなこの感じ。
始めこそ、この自業自得ともいえる大学生活に苦しんでいたものの、流石は人間、順応してくるものだ。一人で居る事に慣れてくると、さほど苦しくもなくなってきた。講義が終わり昼になった途端、友達に電話をして合流する事もあまりしなくなったし、外のベンチで一人サンドイッチを食べるのも、大分、様になってきた。(友達がいなそうな顔と言うわけではないのであしからず。)
一方私生活では、1年続けていたコンビニを最近辞め、新しく居酒屋のバイトを始めていた。別にコンビニが嫌になったわけでもないのだが、空気の入れ替えみたいなものを私生活でもしておきたかった。
働き出した居酒屋は個人店で、オーナーが一人で10年営んでいる店だ。
面接の時の話だが、店長は一通り僕の履歴書に目を通すと、それはもう完璧な35歳スマイルで
「俺の事はマスターって呼んでな」
と言い寄ってきた。本当はバーテンでもやりたかったのだろうか。しかしあまりにもその人は店長というよりはマスターっぽい顔立ちをしていたので僕は何も突っ込みを入れなかった。
「冗談でいっただけなのに。」
と、後にマスターにカミングアウトされた。冗談って…顔だけにしてもらいたい。
マスターは年に4、5回店を2日間閉めては、ソフトサバイバルに連れて行ってくれるらしい。あからさまにそれは、なんのヘンテツもない『キャンプ』。なのだが、オーナー曰く言い方を変えれば心の持ち様が変わるらしい。
極度のアウトドア狂じゃない僕にとっては、山にこもる時点でそれがキャンプなのかソフトサバイバルかなんてなんも重要ではない。重要なのは、テントを虫一匹も侵入させないよう完璧に仕上げる事だ。起きて頭上にカマドウマなんていた日は、もう二度と山になんか行かないだろう。なんで触覚の長い生物はこうも拒否反応がでるのだろう。心理学者よ、教えてくれ。
まあマスターとの初ソフサバ(略していいよねマスター。)は基本的に飯は美味いし、テントの張る場所もベストチョイスなので毎回かなり快適に山中ライフを過ごせた。マスターが寝返りを打ってテントの入り口を破り、その瞬間大量の蚊に襲われたあの一瞬を除いて。
マスターとのソフサバに行って、その丁度一週間後くらいから、関東にも梅雨前線が到来した。今年の梅雨は、どうも気が乗らないらしいのか、あまり雨は降らないらしい。
天気予報は所詮予報だからな。天気予報士の勘って奴がどのくらいなものか見せてもらおうじゃあないか。
梅雨といえば…雨が多くなるこの時期、野良であるミカンは大丈夫だろうか。心配になってアパートの裏のミカンがよく居る空き地に顔を出してみた。
するとどうだろうか、誰が不法投棄したのか知らないが、なんとミカンは犬のプレハブ小屋のような物の中に、草を敷き詰めてクッションのようにし、優雅に毛づくろいをしているではないか。
こいつ、いちいち賢いところが人間みたいだな。
ミカンは恐らく前世は人間だったと思う。それもかなり世渡り上手な。ミカンは嘲笑うかの如くゴロゴロと喉を鳴らしている。
「ニャーン」
いちいち可愛いところがまた憎たらしい。
「梅雨の時期は心をしっかり持ちなさいよ!この時期に自殺者は一番多いんだから!ね!良い事あるって!」
(うおっ!)
ノダさんは相変わらず神出鬼没だ。いつの間にか僕の後ろにドッシリと立っていた。片手に近くにあるスーパーの袋を2袋。もう片方には何処で買ったのか、ド派手なオレンジの傘。
「そんなに今の僕、死にそうな雰囲気出してました?」
「ええ!そりゃあもう!今から富士の樹海に行きますが何か?って面よ!」
「…。なんかそれ失礼じゃないですか…?」
「やあね。顔の事なんか言ってないわよ!」
「そうですか…」
「あら、こんな所にいたの?タマ。最近名前付けてあげたのよ。ほら、タマ!出てきなさい!タマ!」
ミカンはゆっくりノダさんに背を向けた。グッジョブ。ミカン。
「…。じゃあ僕部屋帰りますね」
「真くん!真くん!」
「はい?」
「ファイト!」
とりあえず、変に励まさないでもらいたい。
そして、傘の色を少しは考えてもらいたい。
そんなこんなでノダさんを上手くスルーしてる間に、梅雨前線も軽やかに僕らの住む町をスルーしていった。流石に大学もスルーするわけにいかず、雨で曲がる前髪を気にしながらも、淡々と授業には出席しに行った。
大学の校内に紫陽花は力強く咲いていて、今年の紫陽花は何だか、一段と綺麗で、それでいてとても華やかに見えた。
「去年のこの時期は、紫陽花なんて見る余裕さえ無かったな…。」
去年と比べ、心に余裕のある自分に気付き、少しだけだけども嬉しかった。
梅雨が明けてから、僕はバイトの無い日は、よく近くの図書館へ足を運び、様々なジャンルの本を読んでいた。
土の中からいち早く出てきたのを、少し悪く思っているように感じる蝉の声、微かにクーラーの動く音、誰かの本をめくる音、それらをBGMにしながら窓際でゆっくり読書に更ける。多分これは、僕のナイスシチュエーションベスト10に入る程の、良い環境だ。こうやって、図書館独自の静寂の中小説を読むと、一層主人公に感情移入できるのだ。
そういえば、最近では携帯小説が若い世代の間で流行っているらしい。このまま技術が進んでいったならば、いつかの未来ではバーチャル小説みたいなものも出てくるんだろうな。実際に本を開くとその本を開いた人の頭の中で、まるで夢のように、しかし鮮明に小説の中のストーリーが進んでいくという感じの。まあ小説がそんな時代になってる未来。どんな世界なのか想像もできない。人間は少しは利口になっているのだろうか。
…なんて。僕が未来について辛気臭いような事をこんな考えたって仕方が無い。
未来か。5年後どころか、来年の自分さえ想像の出来ないこんな自分が、なんとも不甲斐無く感じる。
無駄な考え事を挟みながら、最近読み始めた小説を20ページ程読み、そろそろ帰ろうかと思っていた所で、外では夕立が降り始めてきた。
そういえば、僕はやたら夕立という自然現象に遭遇する。毎年といっていい位、夕立によって、体をびしょ濡れにされているのではないのだろうか。
しかし、夕立君よ。僕は雨が好きでね。濡れるのも大好きなんだよ。悪意を持って降らしているのならご苦労な事だ。ネット用語で言う、『乙』。
そうゆうわけで、夕立なんぞに足止めされるわけにもいかないと思った僕は、この夕立の中、雨に濡れながら帰る事を選んだ。
空はいつもよりも赤みを帯びたオレンジ色をしていて、それでいて少し胸がムズムズするような雰囲気を醸し出していた。