冒険者32 過去の女
急造ではあるものの、最低限ダンジョンを攻略するのに必要な人材は用意した。
正直十人を超えた人間が一塊となって挑むにはあのダンジョンは簡単過ぎるが、向こうが求めているのは嬉しい報告だ。
俺に頼らず、ダンジョンをクリアすることが出来る。
新たな英雄を作り上げて俺を過去の人間にしたいのだろうが、こっちを頼っている時点でまだまだお役御免にはならないだろう。寧ろこの成功によって別の何処かから声が掛けられかねない。
なので現状は各国に恩を売るのが上の仕事の筈だ。あのダンジョンをクリアしたのであれば、中国のダンジョンもクリア出来ると高を括るに違いない。
その判断自体は間違いではない。間違いではないが、現場は悲鳴を上げることになる。
出来ればその場に俺が居ないのを願うばかり。情報を伝えるだけで後は勝手にやってくれるのであれば、俺としても願ったり叶ったりだ。
さて、ダンジョンに挑むとなったことで俺は暫くあの施設に行く必要が無くなった。
今頃は各自で準備をしている筈で、攻略そのものが成功か失敗すれば此方に連絡が入るようになる。
バイトをしている最中に連絡が入らないように頼んではいるが、状況次第ではそうも言ってられなくなる筈だ。
もしも緊急で俺がダンジョンに入ることになれば、職場にバレる確率が一気に高くなる。しかもオーナーは伯父と仲が良いのでそっち経由で情報が漏れてしまう。
そうなれば家で尋問開始だ。全てを吐かねば家族が何をするのか分かったものではない。家族を疎ましく思うなど断固として有り得ないが、困ったことになるのは避けられない。
だからこそ、何も起きないのを祈るばかりだ。これ以上に下手な干渉をしたくなかったのでメール一つ送っていないが、今のところ何も厄介事は訪れていない。
「有難うございました」
喫茶店で客を捌くのも問題無くなった。
塵を捨てるのも膂力のお蔭で何袋でも一度に運べるし、感覚が鋭くなった影響か料理が乗った銀の丸盆を三枚持っても安定して提供することも出来る。
初めてやった時は従業員に唖然とされたが、失敗せずにやれると分かれば評価されるのがウチの店。
即戦力としての価値を高めることで解雇される可能性はもう無くなった。積極的に飲食を極める気はないものの、万が一認められた職場で解雇の未来を示唆されたらもう少し頑張ったろう。
平日も土日も仕事をする日々は、冒険者になる前の自分なら間違いなく疲弊していた。
レベルを上げた恩恵がこんな形で出るとはと苦笑し、なるべく早く老人達との関係が切れてくれないものかと思ってしまう。
まぁ、向こうは此方を離す気はない。仮に手放しても政府内には他にも手を出したがっている人間が居る。そちらが動き出すくらいなら、老人の勢力に居た方が良いのは間違いない。
それでも、俺の当初の予定とは大分違う現状に溜息を吐きたくなってしまう。
自業自得の側面があるとはいえ、個人の意思はもう少し尊重されるべきだ。国益の為だとかなんだとか言ってはいたが、結局老人達も自分の勢力の利益追求の為に動いているに過ぎない。
いっそ俺も勢力を持った方が良いのかもしれないが、そんな簡単に出来るものでもない。ああいうのは確率の高い利益提供を約束し、根回しや裏工作をして初めて出来上がるものだ。
世の大部分が真っ当とは言い難い方法で団結する昨今で、純粋な意味でまともな勢力を築くのは難易度が高過ぎる。
それにそもそも、俺が人と関わりたくない質だ。将来の冒険者稼業もソロで挑むと決めている以上、どうしようもない理由以外で方針転換はしたくない。
「はー、どうしたもんかね」
自室で呟く。
今家に居るのは母親と俺だけ。今日は伯父と父親が遊びに出掛けているそうで、夜まで帰ってくることはない。
此処での生活も長くなった。最初は広々く感じていた家も慣れてくれば居心地良く感じられ、伯父は定期的に自分の財布から大量の出前を注文している。
本人曰く成金プレイがしたいとのことだが、あのにこやかな表情を見るに本心なのだろう。
俺達としては感謝しかないものの、伯父としてはそんな風には感じてほしくないらしく、これもこの家に留まってもらう策の一つさとウインクしていた。
実際、寿司や焼き肉を定期的に楽しめる環境は我々にとって最高なのは言うまでもない。
まるで胃袋を掴まれたみたいな話だが、伯父は伯父でどうやら母親の手作り料理に胃袋を掴まれているみたいだった。
俺は知っている。父親が離れた瞬間を狙って伯父が母親に明日の朝食のメニューをリクエストしていたことを。
こんな事があるからか、俺達の引っ越し計画は遅々として進まない。
父親は父親で今のところリモートワークで仕事を十分に回せるそうで、ならばと伯父がネット周りを充実させた所為か離れるのを酷く惜しんでいた。
人間、素晴らしい環境を知ると離れるのが難しくなる。俺にも何やら伯父はしようと考えていたようだが、そこは流石にやんわりと断っておいた。
楽は堕落の第一歩。冒険者として生活するなら、寧ろ苦の方に身を置いた方が良い。
流れる日常は穏やかで、俺自身の特殊な事情が無ければ正に夢そのもの。
これが生涯に渡ってずっと続いてくれたのなら何も言うことはない――――未来の俺が死んだ意味もこれで果たされるのではないだろうか。
本人が聞いたらふざけるなと怒鳴るかもしれない。でも二度と会えない死人の思いを想像しても仕方ない。
俺の意思と彼の意思が同一だとは思っちゃいない。その上で、家族を大事にする心そのものは一緒の筈だ。
だからどうか、何も起こらず日々を過ごさせてくれ。
そんな願いを自室で手を組んで望み、直後携帯が鳴り出した。バイブ音のみのそれに手を伸ばそうとして、脳裏に突如不快な感覚が過る。
まるでそれを取るなと言われているみたいで、一瞬だけ手が止まった。
だが、相手を知らねばどうしようもない。せめて老人であってくれと願って着信相手を見て、俺は天を仰いだ。
「ここでお前かよ……」
電話先の相手は、伊月・桜。
もう一年くらいは会っていない薬剤関係の会社の令嬢。後輩になってからも接触を可能な限り回避したお蔭で終わったと思っていたのだが、やはり厄介な奴は厄介なままだった。
敢えて着信が切れるまで待ってみたものの、直ぐに次の着信がやってくる。
携帯の振動はこころなしか大きくなっているように感じられ、このまま出なければどんなことが起きてしまうのかと少し戦慄した。
通話ボタンをそっとタップ。耳に携帯を当てて相手の反応を伺うも、どうにも声が聞こえてこない。
そのまま数秒、通話が繋がった状態で沈黙が続いた。
「もしもし」
意を決して俺が声を掛ける。
瞬間、通話先からは息を呑む音が聞こえた。
『聞こえるか……?』
「そりゃ当然。 お前が番号を間違えたでもない限り、この番号で繋がるのは俺だ」
『は、はは。 そうだよな、そりゃそうだ』
久方振りの彼女の口調は当時とまったく変わっていない。
強いて言えば声が幾分低くなった気はするが、兎も角彼女は何故か嬉しそうな声で俺に応えた。
それが俺の不安を煽る。なにせ仲良しこよしではなかったし、何なら悪いまであったのだから。
あの会話で彼女が俺に好感を持つ要素は皆無であり、であれば余計に今の彼女の状態が不気味に聞こえる。
いっそ間違い電話であった方が良かったくらいだと内心で毒づき、早々に終わらせる為に彼女に用件を尋ねた。
『ああ、そうだ。 実はお前さんに話しておこうと思ったことがあってな』
「話しておきたいこと?」
『これはずっと向こうで頑張っている社員が報告してくれた情報なんだが――――中国に冒険者が出てきたみたいなんだ』




