冒険者16 訪れる珍客
『自衛隊、黒い穴からの脱出に成功!』
『死者は零! 負傷者は五百人中、百十五人と思われる!』
『穴の内部には広大な空間!? ネットで騒がれる異世界は実在した!』
「おおう……」
俺が親戚の家で世話になって、早二ヶ月。
学校に通ってきた頃とはまったく異なる生活に最初は戸惑いも多かったが、今ではこの街にも随分馴染んだように思う。
他に避難した人間と現在まで住んでいた人間との間にはまだぎこちなさがあるものの、今の社会は他者への関心が薄い。互いが互いを過度に気にしないで生活していけば、いずれどっちがどっちの住人だったのかも解らなくなるだろう。
そんな中で、ネットでは自衛隊が持ち帰った情報で大騒ぎになっていた。
動画投稿者達も挙って同じ情報について独自の意見を口にし、SNSは世界を巻き込んでの議論合戦。
自衛隊は手にした情報を直ぐに世間に公開する道を選んだ。写真や動画の形で皆が見た異世界の風景は草原ばかりで、しかし明確に草原以外の生き物の姿を見ることが出来る。
モンスターとの戦闘は複数人が銃を撃つことで討伐するのが殆どだった。
姿形は外に出て来たモンスターと変わらず、油断せずに警戒を厳にしたお蔭で死者は出ていない。
とはいえ負傷者は出たようで、具体的な情報が出てこないあたり重傷者は本当に死の一歩手前だったかもしれない。
そして、数十人の人間は肉体に異変を生じた。
彼等は揃って同じ青い画面を見て、同じ文言を見ている。それは只人が冒険者になる文字であり、新人類になる必要経路。手にした瞬間から逃げられず、隊員は冒険者に変化した。
隊員へのインタビューで解ったのは、冒険者の肉体は非常に強靭であることだ。
これまでの鍛錬の成果が無駄だった訳ではないが、冒険者になった瞬間にこれまでとは比較にならない膂力や持久力を手に入れた。
一瞬であれ見落とすこともあったモンスターの動きも今やはっきり見える。
全力で力を入れると銃のグリップを握り潰してしまい、力を手に入れた直後はその変化の差に苦労したという。
更に攻撃を受けても腕で防御した際に角が肉体を貫通しなかった。基礎的な肉体の防御力も上昇し、感覚器官は最早人外染みた超進化を遂げている。
俺も経験したことだが、彼等もまた超人になったのだ。今の彼等を既存の技術で止めるのは難しく、そして恐らくレベルも一くらいしか上がってはいまい。
つまり、その感覚はまだ始まりでしかないのだ。レベルを重ねていけばいく程、この常人との差異を強く感じていくことになるだろう。
俺とて何をするにも手加減を求められた。レベルが十を超えてしまうと一般家庭の器具は全て握り潰せてしまい、優しく触らねばならない物については特に注意して持っている。
試しにと追加で通販で買ったナイフの一本を全力で握ってみたら、恐ろしいことに簡単に刃は歪んだ。
俺の手はズタズタにならず、肌には薄皮一枚が剥れたような痕跡を残すのみ。
つまり、もうこの時点で既存の近接武器は使い物にならない。持ち込んだところで大した結果も出せず、きっと小鬼が持っていた動物の角の方が良い戦果を残せるだろう。
それなりに高い買い物だったのだが、使えないと解れば最早意味はない。勿体無かったと気落ちしつつゴミに出し、俺はそのまま更なる情報が出て来るのを今か今かと待ち望んだ。
次のダンジョンが出現するには今暫くの時間が必要になる。次は俺ではなく他の人間がダンジョンを抑えてくれるのを望みたいが、この情報共有の早さならもしかしたらいけるかもしれない。
そんな希望を持ちながら、俺はバイトを何時も通りに熟して家に帰っていた。
二ヶ月もバイト生活をしていれば流石に慣れる。必要な技能も明確で、ちゃんと練習していれば特に躓くこともないので楽と言えば楽だ。
俺はバイト先の先輩達のように技術を高めていく気がない。
文句を言われない一定基準まで能力を上げたら、後はそれを維持していくだけで十分だ。例えそれで先輩達から文句を言われたとしても、何の迷惑も与えていないのだから良いだろうで貫く。
どうせ何十年も居る訳ではないのだ。一般でも冒険者になれるルートが開かれれば、即座にバイトを止めて正式な冒険者になるつもりである。
普段の道を通り、最近見つけた家と家の間の近道を抜け、小さな広場を横切る。
広場は老人達の憩いの場で、三人は座れる木製のベンチとコンクリートで舗装されていない剥き出しの地面があるだけだ。
近道として此処を通ってから解ったが、この広場には老人達がよく姿を見せる。
大体は世間話で終始し、時折孫を連れて一緒にわいわいと遊んでいた。今日は誰も居なかったようで、夕方の広場は無人だと寂しさを思わせる。
「こんな場所も……」
――――きっと未来では無くなっていたのだ。
そう思うと、自分のやったことが無駄ではないと思えてくる。未来を変える行動は後々に悪いことが待っているのが相場だが、今はまだ純粋に良い面だけが見えていた。
焦りは無い。胸が苦しさで詰まることもない。不安だけはまだ残っているものの、家族以外で誰も俺を知らない場所での生活は妙な新鮮さを覚えた。
どうしてだろうと歩きながら広場を通り抜けようと歩く。その答えが出てくる前に、背後から聞こえる何かが弾む音に意識を引っ張られた。
「ボール?」
後ろにあったのはサッカーボールだ。
スポーツ用品店に行けば簡単に買える白黒の普通のボールが、徐々に弾まなくなって此方に転がって来る。
一体何処からと顔を上げ、俺が通り過ぎた広場の入り口に一人の老人が立っていた。
ベージュのズボンに灰色のシャツ。上から黒い上着を羽織り、手にはブラウンの杖が一本。
白髪は豊かで、黒い目は俺を視界に収めている。
まったく知らない人間だった。もしや喫茶店の客かと思うも、いくら記憶を掘っても該当する人間は出てこない。
老人は杖を突き、ゆっくりと此方に寄って来る。
そして直ぐ目の前まで接近した時、老人は静かに頭を下げた。
「どうも、こんにちは」
「え、ええ……。 こんにちは」
突然の挨拶に、俺は困惑した。
顔を上げた老人はにこやかな笑みを浮かべ、俺の足元にあるサッカーボールに手を伸ばす。
腰が悪そうな人物にそんな真似をさせるのは危険だ。
慌ててボールを拾い、老人の前にそれを差し出す。だが、老人はボールを受け取らずに伸ばしていた手の行き先を不意に俺の腕に変えた。
「今日は、良い日だと思わんかね」
「え?」
「もうじき夜になるが、昼は雲一つ無い青空だった。 街に荒くれ者は殆どおらず、都会よりはゆったりとした時間が流れている」
「は、はぁ……」
老人が何を言いたいのか俺には解らない。困惑を深める俺に老人は笑みを深めた。
「中でも一番良いのは、君に出会えたことだ。 立花君」
「――――」
老人の腕を振り払う。後方に一気に跳ね、双方の間に明確な距離を設けた。
腕を構える。脳には突如として警鐘が鳴り響き、意識が戦闘向けに先鋭化された。
俺はあの老人を知らない。けれど、老人は俺を知っている。その事実は、嘗ての桜との接触を彷彿とさせた。
嫌な感覚が背筋を上ってくる。こんな場でまさかと思ったが、相手は俺の様子を気にせずに言葉を続けた。
「そう警戒しないでほしい。 私はとある御仁に頼まれ、君に接触している。 危害を加えるなんてする気もない」
「どうでしょうね……ッ。 怪しい人間の行動を予想するのは難しいですから」
「一般の人間ならそうだろう。 けれど君はそうではない筈だ」
――そうだろう、英雄殿?
老人はにこやかな表情のまま、さらりと言われたくない台詞を言い放つ。
確信を持った問い掛けは何かを握っている証拠だった。その何かは、きっと俺の生活を揺るがすだろう。
老人の手がゆっくりとベンチに向けられる。座れと示す無言の行動に、今はただ素直に従う他なかった。




