冒険者5 地獄に続く螺旋
咆哮が鼓膜を揺さぶる。
眼光鋭い瞳が此方を睨む。
敵意が、悪意が、一つの塊となって俺を見ている。
手が、足が、口が、俺を捉えんと我先に伸びて行く。その全てが俺を殺して自身の肉にする為の行動なのだと、嫌でも理解させられた。
自身に付与を施して速度を上げ、モンスターの群れの中に飛び込んでから周りを気にする余裕は無い。
四方八方が敵だらけ。一瞬の油断が命取りとなる環境は、寿命が削られる程に緊張させられる。
如何に冒険者になったとはいえ、安全とは程遠い。いや、冒険者に安全は元から存在しないか。
避けては抜けて。それが難しい相手の胸に刃を突き立てて殺す。
ウッドフェアリーを倒した際は砂のように崩れ落ちた身体は、今度は中々消滅しない。
これは肉体性能がウッドフェアリーよりも高いからだ。強い個体程死体は残りやすく、ダンジョンも回収に時間を掛けている。
故に倒れ込む肉体を手でどかして、後はこれを繰り返す。
漸く穴の入り口に辿り着いて見えるのは、視界全体に広がる闇。
実際のブラックホールとは異なるのだろうが、そう思わせる程の暗さは二の足を踏ませてしまう。
敵の出現位置は変わっていない。今も俺の目の前で敵が現れ、此方を視認して敵意を向けている。
馬鹿正直に相手にしていれば一年掛かっても穴の内部に入れないだろう。そんなのは御免で、だからこそ飛び跳ねて相手の頭を踏んで、さっさと穴に飛び込んだ。
暗闇の海は視界を全て黒に染めている。近くにモンスターは居る筈なのに、気配は微塵も感じさせない。
温度も過度に熱くも冷たくもない。風景を気にしなければ、此処で一眠りするのも悪くはなかった。
肉体の落下は緩やかだ。重力が半分になったかのように浮遊感を長く覚え――――体感で十分は落ちただろう先に、光の穴を見た。
それがダンジョンの出入り口なのは俺には解る。
ゆっくりと白く光る穴に身体は入り、自身の目に突如強烈な日光が入り込む。
無意識に瞼を閉じる。光で目が痛くなるのを感じつつ、生きる為に強引に目を見開いた。
針が眼球に刺さる感覚の中で見えたのは、地下である筈なのに広がる青い空と太陽。足下は石で、それは人間十人分の広さを持っている。
だが今、その石の台には夥しい数のモンスターが立って此方を見ていた。
その手に持つのは天然自然の武器。刃物と棍棒で武装する小鬼がじりじりと距離を詰め、一息で飛び込む隙を伺っている。
小動物達は毛を逆立てて露骨に敵意塗れだ。奇襲されなかったのは有難いものの、本能的であれ一度警戒されると簡単に殺せなくなる。
――――ならば、そもそも無視すれば良い。
穴と穴の暗闇空間で時間を迎えて解除された速度上昇を、今一度付与。足に電流のような光が流れ込み、勢いに任せて一番上の石段を離れた。
先は螺旋状になっている石の階段で、今も登って来ようとするモンスターだ。
上で騒ぎが起こったとはいえ、中腹から下はまだ俺の出現を認識していない。ならば不意を打つのは容易であり、追手の数を減らす為にも、モンスター達の頭部に速度任せの蹴りを放った。
「ッ!?」
冒険者となった以上、俺の脚力も当然強化されている。
レベルも上がったので、ますます人間から離れ、蹴られた動物は蹴られた先である石段の外に落ちていった。
しかも単体が落ちたのではない。ふらついたモンスターに巻き込まれて、一気に他のモンスターまで落下している。盛大な雄叫びを上げながら、このまま地面に叩き付けられ、大部分はこれで死ぬことになるだろう。
飛行可能な奴は無事であろうが、そもそもそちらを相手にする気はない。跳べるタイプを攻撃する手段が俺に無い以上、時間の無駄になるだけだ。
進みながら次々と下に落として、此方もどんどん下に降りていく。
気分は小刻みに停止するジェットコースターだ。跳ぶ度に幾らかの個体が落ちて、敵はざわついて動きに隙が生じる。
動揺が広がれば広がる程に、外でも初動が遅れるだろう。それが被害者の減少に繋がれば良いが、こればかりは自衛隊に任せる他にない。
螺旋階段に犇めくモンスター群は、初見の人類にとって地獄に見えるだろう。
酷く非現実な世界はこの世の終わりを想起させ、絶望に座り込んでしまいかねない。
何も知らなかった未来では、この無数のモンスターが外で暴虐の限りを尽くした。最終的にはダンジョンが攻略されることでモンスター達は消えたが、爪痕自体は長い間残ってしまっている。
復興が遅れれば、それだけ前に進むのが遅れてしまう。
あの未来よりも状況を良くしていきたいなら、文明の後退は避けなければならない。
蛮族めいた文化があったからこそ有力な冒険者が市井の中から出て来たのかもしれないが、やはり少数精鋭では、いざという場面で戦力不足に陥る。
例え成長速度が鈍化してでも、数を用意しておきたい。一軍クラスの冒険者が日本で充実すれば、かなり戦いも楽になるだろう。
「だから、お前達は邪魔なんだよッ」
ナイフを振るう。
刃とは反対の部分で叩き落とし、いよいよ見えてきた地上に視線を向ける。
チュートリアルともされるこのダンジョンの第一層は平原だ。エリアの端に行くと小さな林があり、隠れるならそっちに行くしかない。
実際、一番下の階段の周りは足首くらいまでの高さの草ばかり。逃げるにせよ戦うにせよ、見晴らしが良い環境は戦闘エリアとしては非常に単純だ。
着地した地面は硬い。草原には上から降ってきたモンスターの死体が転がり、近付くと大量の経験値が俺の身体に入り込む。
『レベルが上昇しました』
『レベルが上昇しました』
『レベルが上昇しました』
『挑戦者は攻撃上昇(五)を獲得しました』
「……これでレベルは四」
赤い血が流れる傍で、笑みが深まる。
凄惨な死体が目前にあるのに、今の俺には強くなる為の素材にしか見えない。
レベルは四。このダンジョンをソロで安定してクリアしたいなら、最低でも十は必要だ。
四まで一気に到達出来たのは僥倖である。この勢いで折り返しを過ぎたいが、個人的に、そろそろ小鬼達から入手することが出来る経験値は減少すると思っている。
次のレベルアップに必要な数値はステータスには表示されていない。なので、減少するのではなく必要量が増えただけなのではないかと考える人間も居たが、結局のところそこはどうでもいい話だ。
重要なのは、レベル上げをするほどに次が遠くなること。効率的に上げていきたいのなら、挑戦が第一になるのだ。
時間を掛ける訳にはいかない。挑戦を何より重視するなら、このまま死体の経験値を入手してから、さっさと二層に降りる。
場所は解っていた。一気に駆け出すと、俺の姿を見たモンスターが追いかけてくる。
身体に不調は無い。レベルが上がったことで、魔力の量も幾分か余裕が生まれているのだろう。
戦うことに否はない。だが、と握っているナイフを見る。
刃は既に無数の罅が走っていた。後数回でも振るえば砕け散るのは誰が見ても明らかで、丈夫な物を選んだにしては壊れるのが早過ぎる。
これが通常武器に付与をした場合のデメリットだ。
急造の武器にはなるも、本来魔力の概念が無い物に無理に魔力を流した所為で、内部が徐々に壊れていくのである。
これは既に限界まで水を詰めたペットボトルに、更に強引に水を入れたようなもの。
許容限界を超えれば、どんな物でも外側は弾け飛ぶ。
長く同じ武器を使いたいなら、やはりダンジョン産の武器を手に入れるか、ダンジョン由来の素材を用いて武器を作るしかない。
壊れかけのナイフを小鬼の頭に投げ付ける。
目に突き刺さった小鬼はその場で転倒し、後ろの小鬼も巻き込まれて転げていく。
その姿を視認せずに、腰にあるもう一つのナイフを引き抜いた。




