冒険者3 四月七日
四月七日。
その日を迎えた時、俺の意識は既に覚醒していた。
携帯で確認すると時間は午前七時。穴が発生するのはお昼の十二時なので、まだ暫くはゆっくりしていても問題はない。
時間が経過した所為で俺が見ていた生配信は終わっていた。
ダンジョン探索系の配信は今の俺には勉強になる。個人的にこの手のゲームは慣れていなくて、普段からやっていたゲームは普通のRPGやアクション系に偏っていた。
残りの時間でパンを食べながら配信を探す。未だ殆どがゲームをしている中、徐々にではあるがゲームをしながら予言をメインに話す雑談枠のようなものが増えてきた。
その内の一つを長く見てみるが、どうやらその配信者は北海道に逃げてきたばかりらしい。
予言成就の不安や恐怖を吐露していて、視聴者がコメントで慰める様子が見える。時にはスパチャが投げられ、その時点で溜息と共に配信を離れた。
また別の配信では、そもそもゲーム画面を映しているだけでプレイしていない。
恐らく規約を守る為の措置だろう。大手の配信サービスが使えなくなった人間が、ちょっと小細工をしてBANされないようにしている。
今度は男性の配信者だ。ワイプで本人の姿が見え、彼は携帯で何かを見ながらコメントと話をしていた。
此方は逆に地方民らしく、いきなり人が増えた現状に危機感を募らせている。
何せ地方に人が増えるイコール、都会に人が減るのだ。彼の地域だけでも雪崩かの如く人が増えたのなら、他の地方でも似た現象は起こっている。
必然、都会はスカスカになっている筈だ。急速にドーナツ状の人口分布に変わり、なればそれだけ物流にも変化を求められる。
地方は整備されていない土地も多い。そこにトラックで赴くことになれば、場合によっては専用装備をしなければなるまい。
「……どんだけやれるかな」
全てを解決するには、やはりダンジョンの無力化が必須だ。
ただ攻略しただけでは外に出たモンスターは消えてくれない。過剰なレベルでダンジョンに消耗を強いて、魔力の回復にモンスターを使わせなければ無力化は望めない。
ダンジョンは時間経過で魔力を回復させる。消耗させるには三つの方法が主に挙げられ、その内最も簡単な方法はフィールドダメージだ。
環境に傷を入れ、その傷を治す為に魔力を使わせる。
階層をまるまるぶち抜くようなダメージを与えれば、回復するのに大量の魔力が消費される訳だ。
とはいえ、それを採用するには基本的に敵が格下でないといけない。
安心して場を荒らせる状態でなければダンジョンそのものに傷を付けるのは不可能だ。そうなると、この人類が不利な状況で取れる選択ではない。
アラームを設置して、確保しておいたパンを食べる。
結局の話、止めるには攻略するしかない。色々な手法を未来の情報から探ってみたが、やはり規格外な人間が居るだけで問題の大部分が解決される。
強さしかないのだ。物事の解決は、行き着くところまで行き着いてしまったら力しかない。
ファンタジックパワーを獲得して相手を殴り飛ばしてこそ、人類の今後の存続が約束される。
腹を満たしてからは再度睡眠に入る。
やれることが少ない状態なら、何かが起きた場合に備えるだけ。穴が発生するまでは自衛隊もフェンスの外側で止まったままだ。
眠気は無い。それでも食べ終わったパンをゴミ箱に投げて瞼を閉じる。
寝たくなくたってじっとしていれば自然と意識も薄れる。コツは何も考えないでいることだ。
あ、と脳裏にアカウントの削除が浮かんだ。
忘れていたなと携帯を起動。自身のアカウントの退会申請を送り、最後の挨拶も無しに話題の予言者は表舞台から姿を消した。
皆が気付くのはそんなに遠くないだろう。大慌てになったとして、後は自分で頑張れと内心でエールを送った。
そして、俺にとって長い待機時間が訪れる。
周囲は不気味な程に静かで、静寂が逆に耳に痛い。
一時間が過ぎて、三時間が流れる。合計で四時間が経過して十一時を過ぎた時、けたたましいアラーム音が俺の鼓膜に直撃した。
解っていた筈なのに背が一瞬跳ねる。舌打ちをして目覚ましを止め、最後の準備を始めた。
「持って行くのはこれとこれと、後これか」
リュックを開く。
中から取り出すのは革製のカバーに収まったナイフ。ベルトにナイフを二本固定させ、滑り止めがついた黒の手袋を身に付ける。
顔には黒いマスクのみ。サングラスや帽子で解り辛くしたかったが、鏡で確認した限りではこれでも大分人相が判別し辛い。
マスクは丈夫なものにしている。予備もポケットに突っ込み、最後の晩餐とばかりに好みのソーセージパンを頬張った。
冒険者として活動するなら、この程度では準備としては不十分。本来はここに更に回復薬や各種解毒薬、罠を持ち込んで不測の事態に備える。
だが、今の俺には薬は無い。それに包帯があるにはあるものの、止血が必要になった段階でこの戦いは失敗だ。
心臓が逸る。何度も胸を叩き、心で落ち着けと呟く。
一般人の身の俺が敵を倒すには最初が肝心。なるべく弱い個体を見つけ、最速で核を破壊するか取り出す。
「落ち着け…………」
午前十一時四十分。
「落ち着け……」
午前十一時五十分。
「落ち着け」
――――午前十二時、到達。
瞬間、背筋を怖気が走った。氷柱を背中に差し込まれたような悪寒で身が震え始め、しかしその瞬間に建物が倒壊する鈍い音がたちまち鳴り始める。
始まったのだ、この瞬間が。起きてほしくなかった大災厄が牙を剥いて人類に襲い掛かる。
「……おじちゃん?」
「ッ、!?」
事務室の扉から声がした。
驚愕で顔を動かすと、そこに栗色の長髪の少女が居る。
茶色の瞳は不安と恐怖に揺れ、けれど俺を見つけたことで安堵を覚えたようだった。
悪意の欠片の無い純粋無垢な眼差しは、こんな場ではまったく合っていない。
彼女は白い民族衣装用のローブを身に纏っていた。手袋は赤く、装いは冬でこそ似合う。
一歩一歩、少女は俺に近付いた。不安を押し殺して来る様は俺を頼りたい意思を感じさせ、此方も一歩一歩彼女に近付く。
その眼下にまで近付いた時、少女は薄っすらとぎこちない笑みを浮かべて両腕を広げた。
それが抱き締めてほしいことだとは、誰がどう見ても歴然だ。
膝を落とす。そのまま彼女は俺に抱き着いて来ようとして――――その柔らかい首を全力で左手で掴む。
「え、!?」
「馬鹿が」
右手で腰のナイフを抜く。
心臓目掛けての一撃は、服を貫通して彼女の肌に僅かに突き刺さった程度だった。
少女の顔が歪む。脱出しようと腕を何度も叩いて、その威力はとても少女が出せるものではない。
だが、首を掴む手は僅かも緩めなかった。
何度も何度も力を入れて、少女のみぞおちに刃を突き刺す。
身体は地面に押し留め、浮いて逃げることを許さない。
少女もそれは解っているのだろう。叩くのではなく手を掴み、何とか開かせようとしていた。
そんなことは許さない。何せ彼女は、あの開かれたダンジョンの中で最も非力な存在なのだから。
ウッドフェアリー。
本体はダンジョン内に自生する木々であり、彼女はその中でも根の一つを担当する。
一つの場所にしか居られない木が栄養を求める際に彼女たちは根から生まれ、様々な生物に擬態して相手との接触を図る。
目的は魔力の採取。もしくは魔力に変換することが出来る代替品の採取。
小動物や子供の姿となることで油断を削ぎ、こうして少女は俺に接触しようとした。
正直、幸先が良い。彼女は根の一つであって本体ではない為、ステータスとしては貧弱そのもの。
擬態しなければ接触するのも難しいのでは冒険者にとってカモだ。
初心者ではその外見に罪悪感から殺さない者も居るが、解っていれば手心は無い。
喉を絞めることで声を封じ、渾身の力で左手を開こうとする力に対抗し、俺の刃はついに彼女の体内深くの硬い物に当たった。
ナイフを投げ捨てる。右手を彼女のみぞおちに潜り込ませ、激痛に悶える肉体から全力で硬い物体を引き摺り出す。
それは綺麗な青い結晶だった。米粒サイズの結晶めいた物体は神秘的な光を放ち、引き抜かれた少女はジタバタと藻掻きながら、やがて足から砂になって消え去ったのだった。
『魔物の撃破を確認しました』




