CASE6-1 品野・咲
世界が酷い事になっているのは知っている。
だがそもそも、咲の世界は既に崩壊している。
故に心揺れず、親達の慌てようも大して気にならない。情勢が情勢だけに彼女に科せられていた罰が緩くなったとしても、咲は壊れた機械が如く日々を過ごしていた。
咲が感情を見せるのは、学校に居る間だけ。
愛しの彼は距離を取ってもこれまで通り。小さい挨拶を交わして、その後何も話さずに終わり。
人気者の咲にはそれでも無数の生徒から挨拶が飛んでくる。
その度に表面上は笑顔を取り繕って、内面では彼等を冷たく見ていた。
違うのは小森と根岸の二人だ。彼女達とは交流を欠かさず、それは根岸が卒業しても変わらない。
とはいえ基本的にはチャットアプリで日々の話をする程度。時折翔の話を根岸はせがむが、咲の口から出るのは卒業前の彼の姿のことばかりだった。
なんだかんだ、彼女は可能性を捨てていない。
離れたとはいえ此処まで根岸が来るのは簡単だ。翔に会いたいと思えば放課後を狙っていつでも会える。
大学も最近は休止状態だ。課題は出てくるものの、プリントばかりで直接の授業は少ない。
流石に根岸が翔に会いに来るタイミングを知るのは難しかった。これは阻止を諦めるしかないと決め、彼女はそっと次の問題に目を向ける。
一体いつの間に、と思う程、小森は翔と親しげにしていた。
彼女は確かに誰とでも親しくなれるが、そもそも翔自身が誰に対しても一線を引いていた。
親しくなる気などさらさら無く、あるのは静かな拒絶の意思。
そんな相手では小森も話し掛けづらいだろうと安心していたのに、実際は奇妙にも二人が一緒に行動する時間は多かった。
特に放課後の体育館で身体を動かす間、二人は常にセットだ。これで甘い雰囲気でもあれば周りが冷やかす程度はしていたのに、当人達の顔にあるのは真面目さのみ。
遊びでやっているのではないと態度で示す様子に、周りは何も言えなかった。それは咲自身もだ。
「ごめんね、時間貰っちゃって」
「大丈夫だよ。でーっと、どうしたの?」
ある日、咲は小森と昼休みの時間を過ごすことにした。
事前に約束した二人は、既に定位置となった屋上付近の階段に腰掛け、膝の上に弁当箱を広げている。
小森としては久し振りの咲との時間は嬉しかった。この友人も少なくなった学校で力を抜ける相手が、現状において咲くらいしかいなかったのである。
世の中は大変で、学校の中も今は普通の雰囲気ではない。こう言ってはあれだが、休んでも問題無いなら休んでしまいたかった。
そんな自分の本音を隠しつつ、朗らかな笑みで咲の言葉を待つ。
「なんか……最近、妙に仲良さそうだよね。翔君と」
「へっ!?」
どこか寂しげな雰囲気で放たれる言葉は、小森にとって予想外も予想外だった。
咄嗟に手をあたふたと振り回し、彼女は何を言っているのと口元を引きつらせる。
「別に仲良くなんてないよっ。周りの奴等が腑抜けで、そういうのと一緒にやりたくないだけ。……アイツは真面目だから」
焦って出てきた言葉だが、それは小森の本音だ。
彼女は現状を理解している。これまで通りの生活はきっと望めないと、はなから将来への期待を切り捨てていた。
両親は話し合いと小森の意見で日本脱出を止めたが、その代わりとばかりに父親は夫婦の共同資金から使えそうな道具を片っ端から買い集めていた。
その量は物置となっている六畳の部屋を占有する勢いで、何か物を探すのにも苦労している。
暴走しているといえばその通り。過去最大の被害が予想される災厄を前に、冷静でいようとするのは難しい。
母親も母親で、普段はファッションを気にしていたものだが、やたら動き易い服を購入している。
小森もスカートを穿く機会は減った。今ではズボンばかりで、この件が落ち着くことがあればまた穿きたいと思っている。
小森一家は真面目だった。真面目で、だから楽観視している人間が解らない。
中国の被害を見ろ。あれは逃げて解決するような問題ではなく、されど一般人は逃げるしか方法がない。
鍛えていても無意味に思える化物の無惨さ。大人の男性を凌駕する小鬼の膂力は肉体を引き千切り、凶暴な小型動物は群れとなって人の身体を貪った。
現実感の無い巨人は大人の足を掴んで振り回し、撮影者であろう人物に投げ飛ばして肉体を四散させている。
場は歪な化物の笑いに満たされ、彼等に善性を期待するのは最初から不可能だ。
誰彼構わず被災する地震や津波では済まない。あれは明確に、人類を殺すことを目的にしている。
なれば、自分達も必死にならねばならない。敵意を持ち、真面目に。
奴等に対処する方法を学ばねば、何人もの屍の果てに自分が死ぬ。――――そんなのは御免だ。
そう思うから、小森は真面目な翔と一緒に居る。
ずっと本気を隠していた男の傍で、化物を倒さんとする意思を持った人間の隣で。
悠長に時間を消費する暇はない。遊びも、お洒落も、恋愛も、今は脇に置いて邁進しよう。
仮にこの努力が無駄になっても、自分は納得して死ぬことが出来るから。
「…………」
小森のはっきりとした語りに咲は絶句した。
翔の近くに居るのは、決して恋愛だとか友愛が芽生えたのではない。あるのは覚悟だ。
咲も最近雰囲気を変えた翔を見ている。これまで隠れていた己を前面に押し出し、普段とは異なる圧を周囲に振り撒いていた。
その理由の大部分は誰にも近寄らせたくないからで、小森もそれは感じている。
咲が知る限りで翔は昔よりも身体を鍛えていて、更には化物を殺す技術も磨いているらしい。
得物はナイフで、それで相手の首を掻っ切るつもりなのだろうか。
咲は戦いの知識が無いから何とも言えない。普通なら確かに首が切られれば死ぬだろうと思うも、常識の通じない化物に道理が通るとも考えられなかった。
翔は生きていこうとしている。
小森は翔の意思に、自分もそうだと旗を掲げている。
なら、これまで世界をよく見ようとしなかった咲は彼等と同じ筈がない。未だこの状況で恋愛を気にした自分は、明らかに二人よりも劣っている。
翔と一緒に生きていきたいなら、そのままで良いなど断じて言えなかった。
「本当に、全然、なんにもないから」
「――解ってるよ」
咲が小さく微笑む。
必死な小森も咲の言葉と表情で安堵し、なんでこうなるのと居ない翔に内心で恨み言をぶつける。
咲と翔が元恋人同士であることは知っている。何事かがあって別れたが、咲の方は明らかに未練たらたらな様子だった。
とはいえ小森にはどうでもいい話だ。実際にタイプだったら兎も角、小森が好きなタイプは翔ではない。
人間としておちゃらけていないのは良いものの、顔は並で裕福そうでもない。
別に成績優秀でもないので、逆になんで咲が翔を好きなのかが解らないくらいだ。
そんな本音は僅かも出さず、二人は和やかに昼休みを過ごした。
帰り道、咲は一人で電車に乗って考える。
咲の世界は、ずっと前から崩れ落ちてそのままだ。残骸が残る空間は虚しさが漂い、それが元通りになる未来はどうしたって訪れない。
だが、翔の世界は崩れていない。彼は独自の目的を持ち、ひたむきに努力を重ねている。
作り上げられていくそれに己が住めれば、果たして一体どれだけ幸福なのだろう。
携帯を操作する。最低限の機能しか使ってこなかった最新機種でネットの海を泳ぎ、彼女は久方振りにこの世界に目を向けた。
調べて、調べて、それは家まで続く。
激突しなかったのは奇跡だった。家の近くにまで辿り着き、チャイムの傍に立っている人物を視界に収める。
それは男だった。それはブレザーを着ていた。身長は高く、顔が良くて、されど表情は真剣で。
咲の心臓が一際強く鼓動を刻んだ。




