高校生31 少女の好奇心
「今まで猫被ってたの?」
「まぁな」
放課後の帰り道。
普段とは異なり、今日は一人ではなく小森が隣を歩いていた。
雨は然程強くなく、折り畳み傘をさしてゆっくりと足を動かして彼女の驚きに短く返す。
俺は今の今まで大人しい生徒で通していた。成績は普通で、問題は起こさないもののパッとした話題を持っておらず、クラスメイトからもモブとして扱われてしまうような人間を。
小森の目から見ても人付き合いの苦手な根暗人間としか思えなかっただろう。だからこそ、この違いに彼女は興味を持っているようだった。
「何時からトレーニングしてたの? そんなに動けるなら運動部にでも入ったら良かったのに」
「そんなものに興味はない。正直、大会で勝つなんてどうでもいい話だ」
「その台詞は運動部の前では言わない方が良いよ。去年はあちこち酷かったみたいだから」
小森の注意に肩をすくめる。
気を遣わなくなって素直な言葉がするする出てくるが、緩くなり過ぎるとデリカシーも欠けてしまう。小森の指摘はごもっともな話で、だから否定を口にはしなかった。
「……そんなに動けるようにしてるのは中国のあれこれに備えてって感じ?」
「昔から鍛えてはいたんだ。本格的にやろうと思ったのは中学卒業くらいの時期だな」
元からある程度トレーニングをしていたお陰で密度を増やしても身体が壊れるまではいかなかった。
極度の筋肉痛を何回も起こしては苦しんで、出来なかった動きが出来るようになると未来の自分との落差に絶望したのも既に遠い記憶だ。
今も筋肉痛は起こるが、歩けない程の酷さにはもうならない。未来の自分の力量も、寧ろそこまでいけると教えてくれているのだと前向きに捉えている。
そこまでの事情を小森に話す訳にはいかない。少しぼかした言葉で返したのだが、彼女はへーと軽く答えた。
まったく察した雰囲気のない発言に思わず笑いが出る。
「なによ」
「いや、別になんでも」
半目で睨まれるが、正直彼女は可愛らしさの方が強い。
本気で怒っている訳でもないだろう。こんな弄りをするのも何だか懐かしく感じてしまい、胸中にセンチメンタルな風が流れた。
「あの棒振りも様になってたよね。誰かを想定していたみたいだけど……」
「ゴブリンだな。あいつらを倒す練習をしていたんだ。ちなみに本番はナイフでやるつもり」
「ナイフって、ていうかゴブリン? ネットで小鬼って言われてる?」
「そうだな、そいつであってる」
吃驚したような顔は本日二度目だ。
日本では出現したモンスターを既存の名前に当て嵌めて呼んでいる。小鬼がゴブリンと呼ばれているのも肌が緑で数が多く、身長が小さいからだ。
ゴブリンを倒す為というのは、現状では普通ではない。中国では倒す倒さないの話には未だ到達しておらず、今は一般人が逃げることを推奨されている。
動画では倒そうとする人間も居た。三人掛かりで一斉に鈍器で襲い、ゴブリンの一体も倒せずに投稿者だけが辛うじて逃げ切った。
残り二名はゴブリンが持つ動物の角で何度も胴体を貫かれ、そのどれかで心臓を破壊されて死んでいる。
一撃で胴体を貫通させる筋力は決して侮ってはいけない。子供どころか大人ですら力負けして殺されるのが関の山である。
「正気?」
「勿論」
小森からすれば俺の思考は異常だろう。
常人は災害への生き残りを目指しているのに対し、俺は災害そのものを潰そうとしている。
前者の方が可能性が高いのは当然、後者はそもそも現地に行く手段が一般人には無い。裏の人間でも今は中国に行くのを避けている筈だ。
これも本来は隠しておくべきことだ。案の定、小森は僅かに距離を空けて引いた眼差しを向けている。
「考え方が異常じゃん。中国にも行けないのに、どうして今用意するの」
「逆に言うが、中国だけだと思うか? あの穴があそこしか開かないと?」
「…………」
可能性の話として告げたが、彼女は想像したのだろう。
嫌な顔で虚空を見つめ始め、俺のもしもを静かに考えている。
彼女とて解っている筈だ。穴は前兆も無しに開かれ、モンスターを無作為にばら撒いている。
あれが一ヶ所だけであったならそこまで準備する必要は無かったかもしれないが、次に開く場所があると想定すればモンスターの殺し方を模索するのは悪い話じゃない。
逃げる為にあれこれ準備するのは間違いじゃない。けれど、次善策を用意してスムーズに動けるようにしておくのも大事だ。
「次の日に開くかもと考えておいた方が良い。普通じゃないことが起こったんだ。これからは理不尽が友達になるかもしれない」
「嫌な友達になりそう……」
確かにとしみじみ頷く。そこで思考がある程度纏まったのか、今度は俺の顔をジロジロと見た。
全身にまで目を向けて、徐々に眦が鋭く尖っていく。緩やかな雰囲気が急に締まり始め、なんだよと視線で疑問を投げ付けた。
「いやね? なんか最初の印象は当てにならないなーって思って。それでアンタのことが好きだった根岸先輩を思い出して、そういえばコイツ卒業式の日に何の言葉も送らなかったなって」
小森の言葉に大した力は籠っていなかった。
だが目が此方を責めている。どうして何も言わなかったのかを聞きたそうにしていて、どう答えたものかと暫く言葉は出てこなかった。
俺達が三年になった以上、上級生の根岸先輩は卒業したことになる。
卒業式は毎年同じ形式で進み、その日ばかりは一年も二年も午前で学校は終了だった。
午後には生徒達は仲の良い友達同士で遊びに行くなり、学校で告白合戦をしたりと青春を過ごしている。
俺も根岸に声を掛けるチャンスはあった。あの人は周りに囲まれていた人気者だったが、誰かを探していたのか常に視線はあちらこちらに向いていた。
それが俺を探してのものだったのは間違いなく、告白を断っても彼女は再度の挑戦をしようとしたのだ。
俺はその告白を受ける気が無い。午前で学校が終わった段階で遠目で根岸の位置を確認し、遠回りの形で公園に向かっている。
彼女が最後にどんな言葉を送ろうとしていたのかは、今となっては調べるだけ無意味だ。
根岸の青春は大学に持ち越された。願わくば次の場所で幸せを掴んでほしいと思うばかりである。
「……あの人の告白はもう断ってる。今更受けるつもりも、そもそも仲良くする理由も無い」
「なにそれ。アンタ友達作る時に理由が必要なの?」
「友達、ねぇ」
分かれ道が見えてきた。
手前で足を止め、彼女の発した単語が自分の中で奇妙なまでに気持ち悪く思えた。
学校での友達が大人になってからも継続される確率は低い。よしんば長く続いたとして、相手とずっと嘗てのように仲良くなれるかは運次第だ。
大人になれば友人よりも敵が増える。一時的な戦友を得る機会はあるだろうが、共通の敵が居なくなればまた敵か知り合いに戻るだけ。
損得の無い友情は、俺にとっては不安しか齎さない。理由あってこその友情というか、他人と仲良くなるのは何かしら利用したいと思える部分があったからこそだ。
ハッ、と笑い声が漏れた。
それが嘲笑の類なのは誰が聞いても明らかで、小森の眉が寄せられる。
「どうせ大人になれば縁が無くなる。作ったところで意味なんてない」
「そうかもしれないけど。でも馬鹿騒ぎ出来るのは今だけじゃん」
「俺は馬鹿騒ぎをしたいんじゃない。――モンスターを殺す力が欲しいだけだ」
小森の反論は稚拙そのもの。
子供だからこそ、今だからこそ、出来ることがある。
純粋な思いは今の俺には嫌悪感を抱かせた。そういう純心さが何もかもを壊してしまうのだと言いたくなって、口を硬く結んで吐き捨てるように自分の願望を口にした。
足は分かれ道の片方に進んでいく。彼女は俺を追うような真似はせず、結局一人のまま暗くなった道を帰ることになった。




