高校生30 本領発揮
今、自分が普段と違うことが解る。
苛立ちが、燻っている怒りが、行き先不明な憎悪が、平静であろうとする自分を食い破らんと暴れていた。
ここまで息が熱く感じる。目にした物体をつい殴ろうと指が跳ね、何をしているんだと自身を常に叱咤した。
あの昼休みの一件は俺にとって本当に地雷だったのだ。絶対に踏み込んでほしくない、正真正銘の心の脆い部分に彼女は土足で踏み込んだのである。
助ける余力があるのなら、俺とて助ける道を模索しただろう。
あんな末路ではなく、栄光の中で寿命で死んだのであれば次もともっと考えていた。
咲との一件が無く、自分に特別な素質があって、我妻のような一軍に入れる強さを持っていたら。
そう思わないことはないからこそ、現実は理想になって潰えてしまった。
叶わない夢を追いかけるのは若人の特権だと言う。
ならば諦めるには早いと言われるかもしれないが、事態は一瞬も遅れることなく起き続けている。
タイムスケジュールにズレはない。いっそ残酷な程に。
夢に足掻く時間は、実際はもう殆ど残されていないのだ。
だからこそ、誰かの為にと声を発した桜の言葉に俺は殺意を返した。
それを間違っているとは思っていない。有象無象の誰かなぞ、所詮は道ですれ違う程度の関係性でしかないのだから。
時間が過ぎていく。
昼休み後の授業は机に向かうものばかりで、放課後になるまで身体を動かすことは出来ない。
生徒達の間では運動がブームだ。楽しい目的ではないので広めることはないのだが、昨今の情勢を鑑みるととてもそのままで大丈夫だとは言えなくなっている。
普段は運動をまったくしない小太りな生徒ですら筋トレに励む光景を昼休みに見るのだから、大人はともかく子供は今がマズイと敏感に感じ取っていた。
とはいえ、じゃあ何処まで鍛えれば大丈夫かを彼等は知らない。
少しで良いのか、ほどほどで良いのか、追い込まねばならないのか。
基準は中国の動画にあるものの、やはり実感が伴わなければ努力は半端に終わる。
今、学校はこのブームに合わせてグラウンドと体育館の一部分をトレーニングエリアとして学生に提供している。
背景にあるのは、変に無茶な運動を校舎内で行って重度の怪我を負う生徒が出てしまわないかという懸念だ。
場所を定め、時間を定めることで部活中の教師に監視させる。
もしもこれでグラウンドや体育館以外で重い怪我を負ったとしても、我々は確りと対策は取っていましたと答えることで世間での評判の落下を防ぐことが可能だ。
むしろ悪いのは定められた場所で運動をしなかった生徒にあると矛先を変えられる。
デメリットがあるとすれば運動部を監督することになる教師の負担だが、そこはまぁ頑張ってとしか言えない。
普段、俺は体育館もグラウンドも使っていなかった。
公園を中心に身体を動かし、あの日までに未来の自分に何処まで近付けるかと足掻いている。
生温い鍛錬が良い結果を生む筈も無し。これまで自分の我を隠していたからこそ、学校を卒業するまでこのままを維持しようと考えていた。
だが今、その考えそのものに苛立ちがある。これが昼休みの件に引き摺られているのは言うまでもなく、だけれども放課後に友達と和気藹々と鍛えている姿を見ると遊ぶなと叫びたくなった。
お前達がそうしているのは生きる為じゃなかったのか。
強くなって、怪物の脅威を跳ね返したいんじゃないのか。
遊んで、ふざけ合って、恋人が居れば良いところを見せようとして――――当初の目的を秒で忘れてしまっているじゃないか。
こんな相手に何を隠すというのか。あんな愚鈍達にどうして配慮しなければならなかったのか。
残りは一年。もう三年は各々でグループを作り、これは卒業まで続くだろう。
ぼっちの俺に友人が出来るだなんて今更思える筈もない。ならばもう、抑えずに普段の俺のままで良いではないか。
「――ふぅ」
母親に電話で今日は帰るのが遅くなることを告げた。
夕飯までには間に合わせることを条件に許しをもらい、青い長袖ジャージに着替えて体育館に赴く。
今日も体育館は人が多い。元から大規模行事用に設計されていたお蔭で部活動も問題無く行え、友達同士で纏まっている人間以外は互いに距離を取れている。
外は雨が降り始め、グラウンドで活動する人間はもうじき零になるだろう。外でやろうとしていた人間が体育館に来る可能性は否めないので、それまでに出来る限りはやっておくつもりだ。
先ずは準備運動。
身体の各所を伸ばし、捻り、曲げて。これを二セット行う。
怠って怪我を負うのは流石に情けない。どうせ怪我を負うならモンスターとの戦闘で負いたいものだ。
身体が徐々に暖かくなっていくのを感じ、次は体育館の隅でシャトルランを開始。
音楽を携帯で鳴らし、ワイヤレスイヤホンで聞きながら往復。最初の三十回までは息も切らさずに走り、どんどん加速していく音楽に足を回していく。
五十、六十、七十、八十、九十、百。
そこから更に足を踏み込ませ、最終的な数値は百五十八回で終わらせた。
単調な往復でも走り続ければ嫌でも息は上がる。春の放課後はまだ涼しさが勝っていたが、全身は熱を排出する為に汗が流れ出していた。
今日は突発的に始めたので飲み物はお茶しかない。鞄の中に突っ込んでいた二リットルのペットボトルを引っ張り出し、飲み干す勢いで半分近くが無くなった。
足を休ませる為に十分、その場で座り込む。
未だ一気に人が増える様子は無い。これはグラウンドに居たであろう人間は帰ってしまったのかもしれない。
それならそれで好都合。汗で湿り始めたジャージをそのままに、休憩が終わった俺は筋トレを開始した。
俺の基本的な終了目安は身体が動かなくなったらだ。腕立てなら腕が上がらなくなるくらいで、腹筋なら腹が激痛で本能的に拒絶するまで。
兎に角肉体を虐め抜き、破壊と超回復で身体を強化して冒険者に備えておく。こうしておくことで冒険者になった直後の肉体の超強化の幅が大きくなり、少しだけであるが直接肉体を動かすタイプの職業でプラス補正を受けることも出来る。
未来情報であればトップアスリートや軍人がこの補正を多く受けていた。やはり土台が確りしている方が出力も増すのだろう。
「未来の自分、未来の自分……」
最後にメインとなるのがナイフサイズの棒を持った戦闘訓練。
教官は未来の自分で、相手は俺の想像で生み出す仮想のモンスター。自身の眼前に一番最初に相手をすることになる小鬼を居るようにイメージし、相手の動きに自分ならどう返すかを肉体に刻んでいく。
これが一番大変なのは言うまでもない。資料は映像のみ、敵は常に俺の考えた範疇でしか動かず、一体だけでは何の意味もないので数を増やさねばならないのだ。
冒険者になる前であれば一体だって殺すのは大変であるも、なってしまえば雑魚に成り下がる。なので一対一と多数を両方想定せねばならなかった。
汗が流れていく感覚を無視して動作に注力。腕を振る速度、相手の攻撃への回避、体術も織り交ぜた効果的な攻撃パターンの構築。
予想外な攻撃への対応力だけは鍛えようがないものの、それ以外を準備しておけば奇襲を受けない限り即死することはないだろう。
これを一時間から二時間やる頃には全身は悲鳴を上げていて、寝る頃になると筋肉痛が襲い掛かる。
その痛みを我慢するのも鍛錬の一つと定め、想定外に長時間やりきってから終了と内心で鐘を鳴らした。
全身は熱中症になりかねない程熱くなっている。流れる汗は止まらず、長袖のジャージは脱ぎたくて仕方ない。
タオルがあればと思ったものの、今日は持ってきていなかった。こうなれば引くまで待つかと思い――唐突に顔面に何かが飛び込んでくる。
咄嗟に掴んだ物の正体は白くて厚いタオルが一枚。手にしたそれに困惑していると、耳は足音を拾った。
「つ、使う?」
「お前……」
顔を動かし投げた相手を見る。その相手は、随分と驚いた表情をしている小森だった。




