高校生27 平和の一年で出来ること
俺の返答は大多数の人間からすれば非難されるものだろう。
相手は女性であり、年下であり、善側であり、何より俺の存在を秘匿しようとしてくれている。
強迫まがいな行為も彼女はしなかった。事実を列挙するほどに悪いのは俺で、彼女を責める理由はない。
ならば問題は、やはり俺自身が他者を信用することに忌避を覚えているからだろう。
あれこれ理由を述べたとて、結局人は誰かと繋がるしかない。
未来の俺も一人で稼ぐ道は行かなかった。裏切りを知っていたのに、危険に挑むよりも誰かと行く安定を選んだのである。
その行為は間違っていない。寧ろ正しい。俺が未来を知らない一冒険者だったのなら同様の選択をしていた。
「貴方の頼みを承諾するには、サンライフへの信用が足りません。自分の都合だけで他人の個人情報を探る行為は一般的にプライバシーの侵害です」
『それは……』
正論に彼女は口を閉じる。
正論には正論だ。こちらに関わる意思が無いことを示す為に、彼女の父親がしたことを忘れた訳ではありませんよとお出しした。
お互い、他所様には言えない秘密を抱えている。どちらも爆発すれば厄介なことになるのは目に見えていて、だから彼女も踏み込めない。
ならば後は此方が押し込むだけ。幸い、彼女自身もその親もそこまで切羽詰まってはいない。最悪、中国政府を原因にすれば帰る道を模索しなくても大丈夫だ。
「もういいですか? 今後は電話なんてかけてこないでください。私達は本来無関係ですので」
『……』
通話が切れる。
最後の返事は無かったが、それで十分だ。
携帯をポケットに仕舞い、家を目指す。今日は父親も遅い時間になるので夕飯を共にすることはない。
母親を一人にするのは少し前までは気にならなかったが、浮気の件以降は過去のトラウマが原因なのかどうにも気を落としがちだ。
浮気の事実なんて、忘れてしまった方が間違いなく良い。今の俺がもう引き摺られていないように、できれば母親も引き摺ってほしくはなかった。それが難しいと解っていても。
「ただいま」
「おかえりー。今日はちょっと遅いのね」
「いやぁ、あちこち店を巡ったからね。ま、結果はこんなもんだけど」
今日の買い物の成果を渡して、何でもないように言葉を交わす。
買い物の成果は芳しくない。にも関わらず母親は感謝の言葉だけを送ってくれて、それが有難いと同時に申し訳なくも感じる。
一緒に冷蔵庫や物入に商品を入れていき、互いに雑談を交わしては笑い合って。
家族との一時の時間をある程度楽しんだ段階で、俺は机に向かい合う形で座った状態で真面目な顔を作った。
表情の変化に今の母親は敏感だ。何かあると察して同様に笑みを消し、しかし瞳に不安が宿っている。
「母さん。最近のニュースは見てるよね」
「……ええ。見てないと不安なくらいよ」
母親の不安は現在の世界で誰もが抱える共通した感情だ。
何処の国も中国の現状を調べる為に全力だが、そのお蔭で徐々に内情が見え始めている。
まず国民。これは長距離観測と現地の人間の動画により、おびただしい数の死者が出ていることが判明した。
具体的な数は解らないまでも、黒い穴を中心に国内の全域に広がっていき、今では道路が死体で埋め尽くされている場所も多くなっている。
また死体の損壊状態も酷い。四肢の欠損はまだ軽いくらいで、内臓が丸ごと無くなっていたり右か左半身が完全に喪失している。
肉体は全て齧られた痕跡が見つかり、即ちモンスターは人間を食料として見ていると世間では認識された。
実際は穴から出現するモンスターは魔力で肉体を構成しているだけに過ぎない。仮初の肉体はダンジョンに縛られ、どうしても一定範囲から離れられない。
モンスターの最大の欲求は生存だ。生き残る為に力をつけ、生き残る為に他者を殺す。
弱肉強食の道理に従うからこそ、誰かに従わされる状況を良しとは本能が拒絶する。故に、ダンジョンに縛られる状況から脱する為に魔力に頼らず肉体を構成する必要が出た。
代替案として彼等が決めたのは他人の肉。つまり魔力によって構成されておらず、自分達に近しい構成を持った生物そのもの。
彼等は空腹で人を襲うのではない。それは完全な肉の身体を手にした後で、今はまだ己を完成体に近付ける為に捕食を繰り返している。
とはいえ如何にダンジョンの制約から解放されたとて、彼等はダンジョンに住んでいた。当然ながら巣も内部に存在するので、彼等は結局ダンジョンから極端に離れない。
これが国外にモンスターが出ない理由だ。国同士のダンジョンが近ければまた話が変わるものの、今はまだそんなに近いものは現れていなかった。
さて、そんなモンスター達が肉体を獲得すればどうなるか。
ダンジョンからの制約から解放された彼等は、独自のルールで活動するようになる。好きに階層を移動することが可能となり、外に出るのも問題が無くなる。
飛び出したモンスターが逃げに逃げて市街地で暴れる情報もあったので、やろうと思えば外で生態系を築くことも出来るかもしれない。
次に中国政府の姿勢だ。
あちらのネット環境はまだ生きている。首都に戦力の大半を割くことで各施設を守り、現状は何とか被害を零近くまで抑え込んでいた。
その分だけ地方の被害は凄まじく、小規模な村になると誰も生き残っていない可能性が高い。
今や中国全土で軍が求められているのに、一般国民は満足に助けが来ない中で自衛する以外に震えて死を待つ他なかった。
この情報にネット民どころか世界中の人間が中国政府を非難している。
なんせ首都を守っているとは言っているものの、そこには数多くの官僚や資産家が集められているのだ。あの集められた軍が何を守っているのかは明々白々であり、国民の大多数を蔑ろにしているのは一目瞭然。
経済の流れも今や殆どが停止し、他国への輸出入は今後ほぼ不可能になるだろう。
彼等は恐らくまともな思考が出来ていない。
これは馬鹿にしているのではなく、良い知らせの一つも入らぬ状況で恐怖していれば安易な行動に出やすくなる。
これが日本でもアメリカでも同じ状況で似た真似をすると俺は思っていた。
「今後はきっと自衛がかなり必要になる。それこそ防犯グッズくらいじゃ足りない程に」
「それは……そうね。私も思うわ」
「直接的な武器が必要だ。後は何処へ逃げても暮らしていけるような経験が」
「翔……?」
母親の困惑混じりの声を聞きつつ、携帯を取り出す。
理想は勿論、両親が無事に安穏と生活すること。衣食住を整え、モンスターの脅威に晒されず、これまで通りに笑っていられることだ。
だけれど、世の中理想通りにはいかない。最悪、野外でのサバイバル生活に移行することもあるだろう。
本当は俺だけが学べばそれで良いと思っていた。俺が家族を背負えば大丈夫だと。
でもこの段階で不安が浮き上がった。
そこにはやはり、実際の中国の被害を映像越しとはいえ見たからだ。
現在進行形で彼等は苦しんでいる。環境の違いや敵への恐怖に。
そんな場所に家族を置くなんて考えたくもない。絶対に安全な拠点があれば、俺は反対を押しきって両親をそこに留まらせただろう。
それが出来ないとなれば、備えさせるしか方法はない。
「長期休暇がある度に父さんと都合をつけてキャンプに行かない?」
「キャンプ?」
高校三年。
いよいよ終わりが見え始めた残りの学生生活で、俺は家族全員でのキャンプ生活を提案した。最後の準備と、ちょっとした思い出作りも兼ねて。
母親は俺の突然の提案に困惑を隠さない。だけれど、それでも俺が渡した携帯に映ったキャンプのプランに少しだけ目を輝かせていた。




