始まり4 一つの終わり
学校の時間は普段よりも長く感じられた。
仲の良かった奴等との会話は無駄に感じて、進学についても然程重要であるとも思えなくなっている。
咲との会話にも距離が生まれていた。普段なら休み時間でも話をしていた筈なのに、そんなことに時間を使っていた自分をどこか馬鹿な奴と見ている。
やがて学校は終わり、俺達は帰る時間になった。彼女と俺は同じクラスなので一緒に帰ることになるのだが、今日は野次馬が多く居る所為で真っ直ぐ目的地に向かうことが出来ない。
隣合って歩く彼女の表情は静かで、儚く、やはり男の求める理想の姿をしていた。
クラスの男達は俺と彼女が付き合っていることで群がる真似をしていないが、未だフリーであったなら告白が絶えなかっただろう。
特にもうじき卒業だ。三年間の中学生生活の締め括りとしてワンチャンを狙う可能性も無いではない。
故に俺達は電車に乗って二人には関係の無い駅で降りた。彼女は予定とは違う場所に着いたことに顔だけで疑問を投げ掛けていたが、完全に二人きりになる為だよと言えば僅かに頬を染めて首を縦に振った。
高校が終わった段階で外は徐々に夕暮れへと変わろうとしていた。そんな状態で予定とは違う場所に向かえば、手頃な公園に到着した時点で完全な夕暮れになってしまっている。
別れるとはいえ、これで彼女を一人で帰らせる真似をする気は此方には無い。女学生が夜道を歩くことが一体どれだけ危険であるかなど流石に解っている。
大きな公園には複数の木製ベンチがあった。傍には自販機が設置され、二本分のジュースを適当に購入して俺達は隣同士でベンチに座る。
「……今日、静かだよね?」
「そう?」
座った最初の言葉は咲からだった。
開けられていない飲み物を両手に持って疑問を投げ掛ける様子は、既に俺の目的を知っている雰囲気がある。
「まぁ、真剣な話だしな。 これまでみたいな風にはいられないよ」
「それって、どんなことなの?」
ワンクッションを置いてみたんだが、相手はそんなことはどうでもいいらしい。
顔を寄せて此方の目を見やる彼女の姿に内心で苦笑しつつ、努めて真面目な表情で未来の情報通りを口にした。
「昨日、君がさ」
「うん」
「我妻と駅でキスをしている場面を見たよ」
少々の溜めの後に言うべきを言い、ペットボトルの蓋を回す。
開く音と共に一気に中身のジュースを喉に通し、はぁと味を認識することもなく息を吐いた。
そんな俺を他所に咲は何も言わず、ただじっと俺を見つめている。震えるでも、泣くでもなく。
映像通りの現実がそこにはあった。この冷たいまでの現実は、やはり未来で起こっていたことだったのだと脳は遂に完全な白旗を挙げた。
であれば、最早僅かにあった迷いなど意味を成さない。全てが終わりだと解ったのであれば、冷えた心は軟着陸を果たす為に続きを促した。
「俺は君のあんな顔を見たことがなかった。 ……あれを見て、ああそうかと納得したよ。 君が今好きなのは、きっと我妻の方なんだってな」
「そんなことは……」
「ああ、否定しなくて良いんだ。 もう全部解ったことだしな」
結局、この恋に舞い上がっていたのは俺だけだったのだろう。
馬鹿みたいに喜んで、馬鹿みたいに皮算用をし続けて、だから彼女の本当の気持ちを察する瞬間を見逃してしまった。
鈍かったのだ、俺は。恋に恋するような真似をして、咲のことをよく見ていなかったように今なら思える。
「――別れようか、俺達」
「え」
誤解もすれ違いも起こさせない言葉は、それ故にストレートだ。
彼女はここで初めて目を見開いて、そしてスカートを握り締める。顔を俯かせて何事かを考え始める彼女を見つつ、余計な真似をさせるつもりはないと俺の口は動いた。
「高校はまだ一緒だけど、これからは極力会わないようにするね。 授業の過程で偶然一緒になることもあるかもしれないけど、その時はごめん」
「え、え、え」
「親には話さない。 君も自分の親には話さないでくれ。 もしも追及されて逃げられないって思ったら、俺が悪いことにしても良いから。 あ、でも酷い理由にはしないでよね?」
「ま、まって……」
わたわたとし始める彼女。次から次へと言われる言葉に思考が上手く回っていないのか、普段の大人しさとは無縁の様子にちょっと笑いたくなってしまった。
まぁでも、そんな彼女との語らいもこれで最後。明日には赤の他人として接しなければならない関係上、しっかり終わったのだと彼女にも理解してもらわなければ。
何かを言いたそうにしている咲の肩を優しく掴み、僅かに近付いて視線を向き合わせる。
彼女は酷く戸惑っていた。こんなことになるなんてと思っていなさそうな顔はやはり何時もの彼女とは違っていて、それをしたのが自分であることにちょっとだけ安堵もした。
ああ、自分はまだ彼女の心を揺さぶれる程の男だったんだな。
「幸せになるんだ、咲」
「――――待って!」
これが最後の言葉。未来の映像通りなら結局彼女は何も言えず、そんな姿のまま俺は一人で家に帰っていた。
だが彼女は、そんな未来通りには動かない。
大声を発して別れを止め、瞳には強い意思が見受けられる。
「別に私は我妻君とは付き合ってないよ! あの時のはあっちからやってきたことで……」
「×月〇日」
言い訳は、俺の告げた日付に強制的に遮断された。
息を呑む音が彼女の口から聞こえる。先程よりも更に目を見開いた彼女は、恐らく最大級の驚愕を今胸に感じている筈だ。
この日付を未来を見ていない俺は知らない。今の俺が知っているのは未来での特集に掲載されていたからで、酷く甘々しい内容はとても付き合っていないとは思わせなかった。
「×月●日」
「●月△日」
「△月□日」
「…………うそ、なんで」
告げる、告げる、告げる、告げる。
逃げ道など与えない。例え証拠が無かったとしても、ピンポイントで事実のみを伝えられれば人は動揺せざるをえないだろう。
彼女もそこは一緒だ。震える身体は真実であることを証明し、最早一片の同情の余地も無い。
彼女は浮気をした。彼女は罪を犯した。それを知って、じゃあ何も気にしないなんて真似は俺には出来ない。
「ま、見ている奴が居たってことだ。 だからさっさと別れよう。 後はどうしようと君の勝手だ」
立ち上がり、彼女に手を差し伸ばす。
信じられない表情をしていた彼女は、それでも無意識に俺の手を取った。
引っ張り上げた身体はそのまま俺に凭れ掛かってきて、自分の意思だけでは歩くことも覚束ない。
それに対して、文句は言わなかった。衝撃で唖然とした彼女を何とか駅まで連れて行き、住んでいる最寄り駅で降りてからは引き摺る形で家まで送り届ける。
彼女の家は大きかった。父親が資産運用で財を築き、専業主婦の綺麗な母親と三人で暮らしている。
放心したままの彼女を玄関まで送った際に少し問題が起きたが、半ば押し付ける形で出て行った俺は自宅に無事帰還した。
夕飯までまだ少し時間が掛かる。
母親が声をかけてくるまでの間に、俺は自室でこれからに想いを馳せた。
別れは無事に済んだ。これで彼女と俺の縁は切れ、以降は此方が情報誌などで一方的に近況を知るだけのものとなる。
向こうも俺の事は過去のこととして忘れ去るだろう。あの時の日々は一瞬の火遊びみたいなもので、これからが真実の時間だとでも認識するかもしれない。
兎にも角にも、終わりは終わり。――――ならば、これで漸く俺は本題に目を向けることが出来る。
「ダンジョン」
自身の口から出て来た単語に、自然と背筋が震えた。




