高校生23 十二月二十五日
あの日、隠していた事件が表に出てしまった夜から俺の日常は変わった。
先ずは早朝。家族が揃ってテーブルを囲む頻度が増し、目に見えて母親は俺を気遣っていた。
別に気にする必要は無いよと笑って伝えても変化せず、ここで体調を崩しでもすれば変に過保護に扱われていた筈だ。
俺個人の引っ越しも当然ながら却下。成人を迎えた後であれば個人の自由にすることも出来たが、まだ高校生の身分では親の心配の方が勝ってしまった。
ここで無理に動けば我が家に荒波が立てかねない。それは俺自身も望んでいなかったのだから、直ぐに引くことで優しい息子を強調した。
だがしかし、それが逆に母親の気遣いを深めてしまった。
今では自室に居る時間の方が少ない。何かと一緒に居ようとするのは、もしかすると自傷行為に走ると思ってしまったからなのかもしれない。
学校生活では目に見えて咲との会話が減った。
話すにしても学業の上で必要な部分のみ。当の本人はまだまだ話したがっていたものの、親からキツく言われてしまったのか直ぐに机に戻っている。
最近の彼女は勉学に特に力を入れていた。昼休みの時間では一人姿を消すことも多く、その際には何かしらの勉強道具を持っていることから静かな場所で自習に励んでいるのだろう。
その変化に彼女の友人である小森は敏感に反応した。
頻繁に話し掛け、一緒に教室を出て行くことも珍しくない。あの二人との昼食はもう訪れず、きっと今生で顔を合わせる機会も無い。
唯一接触のある生徒と言えば、この中で俺と特に関係を持ってしまっている根岸だ。
彼女は告白を断った後でも時折絡んではくるのだが、クリスマスに近い時期では長くは居られない。
友人からの誘い。もしくは男子からの告白。
聖夜に恋人や友人と和気藹々とした時間を過ごしたいと考えるのは何も不思議なことではなく、そうであるからこそ根岸本人も断り難い。
彼女としては俺に視線を向けているものの、それに応える気は此方には無かった。
ただでさえ彼女に絡まれる回数が断トツで多い身だ。これ以上関係を深める出来事が起きれば他の男子生徒に何を言われるか解ったものではない。
俺がただの知人程度の間柄で終わらせようとしている様を周囲に見せているから注意をされていないだけで、此処で動けば面倒事が向こうから歩いてやってくる。
彼女には悪いが、これからも好意には拒絶の意思で返すことになるだろう。
それにクリスマスを迎えれば恋愛云々なんて言っていられない。甘い時間は今にも消えてしまうのだ。
最後に社長令嬢の桜。あちらからは接触は無いまま、沈黙だけが横たわり続けている。
不気味な反応ではあるも、そもそもの関係が浅い。一緒に過ごした経験は車中のみであり、基本的に友好から始まった訳でもない。
対応としては放置一択。唯一個人情報を知っているので気にするべきではあるが、あの妙に理性的な少女が下手な手を打つとも思えない。
仮に動くとすれば、それはもう此方の逃げ道を潰したと判断した時だ。だからそこまでは努めて気にしないようにするしかなかった。
「十二月……」
二十四日。
今日は正に、ダンジョンが出現する前日。
時刻は午後二十三時から、残り数分で零時を迎えようとする中。
学業が休みの土日であるお蔭で深夜に起きていても問題は無い。家族は既に寝ているので自室で騒ぐような真似はしないが、既に俺の心臓は嫌に音を立てていた。
SNSは予言成就の瞬間を待ち侘びる人間の発言が目立つ。中国国内は阿鼻叫喚の悲鳴が上がっていても、他国からすれば他所事。
対岸の火事を見るが如く、自身に危険が及ばないからこそエンタメの一つとして眺めているのだ。それがもうすぐ崩されるとも知らず。
動画投稿サイトでは中国の人間が大量に生配信をしていた。
自身の顔が画面の大部分を占領し、その表情は焦りに満ちている。登録者数は少ないものの配信を見に来ている人間は千人と多く、コメントの殆どが中国語で同郷の人間ばかりだ。
このアンバランスな状況は恐怖によって起きている。皆で集まってなんとか安心したいのだろうが、何人集まっても配信主の傍には人が居ない。
コメントしかない状態で皆と繋がっていると考えるには、配信主は恐らく経験が少ないのだ。
だから焦りは拭えず、それは画面のそこかしこで集団を作っている人々も一緒。
深夜も同然の時間になれば人通りも流石に無くなっている筈だ。にも関わらず、この配信画面には多くの人間の姿が見えた。
確かに俺は月日を伝えはしたが、具体的な時間については伝えていない。
時刻が変わると同時に黒い穴が生まれると周囲が考えるのも不思議ではなく、故にこんな時間に人が集まっているのだろう。
とはいえこの時間に起きていることは間違いではない。何せ穴の発生は深夜であり、唐突に発生したからこそ中国は混乱の坩堝に落とされた。
事態の発生の正確な時刻は、十二月二十五日の午前三時。
当時の詳細な記録は少なく、中国側が情報開示を渋っていたこともあって他国が具体的な被害を知ることになったのは随分と遅れた。
その中で日本にも穴が生まれ、未来では大国でありながら中国の扱いはあまりよろしくない。特に日本との関係は険悪の一言だ。
さて、そうこう思考していると時間は残り一分にまで迫った。
緊張は嫌でも増していき、配信者の目は常にあちらこちらに動いている。コメントは加速していき、最早目で追うのも難しい。
俺の心臓も普段よりも五月蠅くなっている。まだ発生する筈もないというのに、配信者達の反応にあてられたとでもいうのか。
――――そして、遂に二十五日が訪れる。
時間の流れは皆の意思を無視してスムーズに進行している。謎に時間が加速することも減速することもなく、停止することもない。
配信内で異音が鳴ることもなかった。爆発も叫び声も、何かが倒壊する様子も配信者が周りを映してくれたお蔭で確認されない。
取り敢えずは無事な様に配信者側は深く息を吐き出している。
SNSに画面を変えれば日時が変わった直後に来ると考えていたのか、失望の言葉が流れていた。
彼等からすれば大規模な祭りだ。他人の不幸で愉悦を感じたかったのに、予想していた時間はまったくの外れに終わっている。
溜息を吐くアイコンには残念の二字がありありと見受けられ、そんな人間性に反吐が出た。
ネットの人間は素直だ。特にSNSともなれば誰にも自分が言ったとバレない為に本音が出やすく、容易に腐った人間かどうかを判別出来る。
嘘で塗り固めていれば流石に解らないが、国家の大災害が起きる場では多くの人間が反応している。
今更一人二人が本音で語ったとて大した印象には残らないだろう。注目を受けるとすれば元から知名度の高い有名人くらいなものだ。
さて、これで少しは場は落ち着いた。
即座に予言が発動されないのであれば、僅かであれど息を整える時間は取れる。
とはいえそれは本当に休憩に過ぎない。午前三時を迎えた刹那、長く休む時間が取れなくなるだろう。
この配信者は予言発生の地の在住者だ。穴が発生すればこの配信者は飲み込まれ、下にあるダンジョンに入ることになる。
何も知らないまま挑む中国ダンジョンは厳しいなんて言葉では済まされないだろう。
全滅の確率が非常に高く、生き残れたとしても暫くはダンジョンでサバイバル生活をすることになる。
出口自体はあるものの、外部に化物が出て行こうとしている状況だ。連中の攻勢が落ち着くまでの間は何処かに隠れていなければならない。
その間の心理的ストレスはどれくらいになるだろうか。今の俺に想像は出来なかった。
「後、約三時間」




