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NTR人間、自身の末路を知る  作者: オーメル


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CASE2 品野・咲

 高校の生活は品野・咲にとって晴れやかなものにならなかった。

 翔と別れることになり、懇願も無意味に成り果て、更に言えば彼は我妻と付き合い始めたと誤解。

 その誤解は直ぐに正したものの、翔との関係は未だに付き合う以前にまで戻っている。いや、戻っているどころではなかった。

 翔は既に咲との未来を見ていない。寄りを戻すことを微塵も考えず、かといって彼女の前で明確に何かを始める気配もなかった。

 中学時代を知る彼女には、その姿は胸を苦しくさせた。

 自分が彼を壊してしまったのだと登校する度に見せられ、親しい友人を作らずに日々一人であろうとする様は老木を思わせる。

 今の彼から熱は感じ取れなかった。持ち得ていた情熱や希望はあの件から消え、もうあの頃には戻らないのだと彼女に突き付けている。

 

 反対に、咲の生活にはやはり男の影があった。

 自身の容姿から一年時から告白されることは多く、チャットアプリからは我妻から会いたい旨を送られている。親達に失望されない為にと勉学には精を出していて、翔が何も言わないお蔭で表面上ではあれど女友達が幾人か出来ていた。

 高校生活の滑り出しは順調だ。順調になってしまった。

 そうなる筈でなかったのに、翔が真実を噤んだことで咲は愚かな女だと誰も思わない。

 安堵した。安心した。――そんな自分に愕然とした。

 己はそんなに愚かな女だったのだと理解してしまって、上向きの感情なんて一度だって浮かび上がらない。

 

 恋愛なんて翔以外でしたいとも思えない。

 自分の隣に彼が居ない事実が想像出来ない。

 反対に我妻と隣を歩く姿を想像して、思わず自身をビンタする程の不快感を覚えた。

 完全に醒めた彼女はもう自分を綺麗に思えない。表層を取り繕いはしても我妻としていた行為を思い出す度に何度も何度も自身を洗い続けた。

 汚い、汚い、汚い、汚い。どうして自分はこんなにも汚いままなの。

 鏡に映る姿は何も変わらない。だけれど、そんな自分すらも汚く感じてしまう。

 話がしたかった。翔にどんなに拒絶されても、それでもちゃんと話をしたかった。

 その過程で罵倒され、怒鳴られ、確り責めてくれた方がもしかしたら自分で未練を断ち切れていたのかもしれない。


 そして、咲は信じられない光景を見た。

 昼休みの時間。皆が思い思いに過ごす中、この学校でよく話題に上る二年生が自身達の教室に現れた。

 根岸・小夜。二年で最もルックスが整っていると言われる、付き合いたい女第一位の人物。

 普段から明るく、交流を積極的に行い、男子も女子も関係無しに多くの友好関係を築いている。なのに付き合った回数は零で、一部では年上好きと噂されていた。

 部活には所属せずに学校近くのコンビニでバイトを行い、彼女と話をしたいが為に店に訪れる男子生徒も数多いそうだ。

 そんな噂の人物が翔の下まで歩き、つい先程まで雑談をしていた。


「……」


 皆が見ている中、咲もまた耳に集中して二人の会話を拾っている。

 命を助けられたお礼で洋菓子の詰め合わせセットを持ってきた彼女は本当に感謝しているようで、そして彼本人も最初は否定しても最終的に助けた事実を認めた。

 咲が知らないだけで、翔はまた誰かを助けていたのだ。

 それは彼自身の性根が完全に抜けていないことを表し、彼女の心中に僅かにせよ春風を呼び込むことに繋がった。

 だけれど、翔が別の女性と雑談を交わす姿に彼女の表情は曇る。

 彼は別段にこやかに対応している訳ではなかった。静かな表情で無難な話題を続け、根岸と関係を構築することを避けている。


 反対に根岸にとっては初めてのことだったのだろう。

 何処か焦りを滲ませながら何とか明るい雰囲気にしようとして、結局は昼休みが終わる間際でも二人の関係に明確な先が出来上がることはなかった。

 この分なら根岸と翔が友達になることもない。

 それを確信させる最後に周囲の人間は安堵しているようだった。特に男子は付き合いたい相手が翔に搔っ攫われると思い盛大に安心している。

 だが、咲には解っていた。誰とも話をしない翔が世間話であれど話すことを決めた時点で、可能性は僅かにせよ存在する。


 周りの見当違いな安堵は翔を一人のままにしていた。

 何時もと同じ授業風景に、何時もと同じ休み時間。放課後に彼は先生に呼ばれて教室から出て行き、やはり咲を一瞥もしない。

 人が少なくなっていき、咲も帰ろうと席を立つ。友達から遊びに誘われてはいたものの、今日はあんなことがあったから行く気分になれなかった。

 学校を出ると制服のポケットが振動する。中の携帯を取り出して確認すると、家族以外のチャット――――我妻から何時も通りの文章が送られてきていた。


『話がしたい』


 短い文は想像を掻き立てるが、咲は彼から送られる文字を見る度に携帯を握り締める。

 表情は険しく、指が自然と否定の文字を打ち込んでいた。

 そして、次に彼から返ってくる文字はそうかの三文字。長ったらしい言葉で情熱的に口説くでもなく、諦めるでもないチャットは素気無さを感じさせた。

 しかし、実際のところは違う。我妻は諦める気などさらさら無く、フリーになった彼女と会う為の口実を作ろうとしている。

 その為に敢えて冷たさも感じさせる文章にし、咲が釣れるのを待っているのだ。

 そして一度釣れてしまえば、また嘗てのように戻れると確信している。それは咲の性格を知っているからこそであり、成程確かに効果的ではあった。

 けれども、同時にそれはやはり嘗ての情報に沿ったものでしかない。

 今の咲を我妻は知らず、故に彼女が釣りであることも見抜いていると知らない。一度完全に冷めてしまった彼女は、もう翔以外の男性の誘いに何の魅力も感じないのだ。

 

 ならばいっそブロックでもすべきであるが、それをしては相手は次にどんな手に出るか解らない。

 より直接的な行動に出た場合、咲の手が間に合わない可能性も出る。何よりこれで更に翔に迷惑をかければ、最悪全てを親や知人に暴露されるかもしれなかった。

 咲の平穏は薄氷の上だ。翔の機嫌を悪化させた次の瞬間には崩れる仮初のものでしかない。

 だから彼女は安心しない。安堵もしない。絶望が直ぐ傍にあることを自認して、これからは生きていかなければならなかった。

 それでずっと彼女の心が平常を保てる訳ではないとしても。


 時間は過ぎていく。

 春が去り、夏が去り、秋が去り、冬が訪れる。

 通常授業、学校行事、家族との団欒、告白。全てが全て色褪せて見え、ほんの一年前までの幸福だった頃と比較を繰り返す。

 一緒に買い物に出かけた。互いが互いに似合う服を選んで、ペアのアクセサリーなんて買ってみて、恥ずかしくも恋人繋ぎを試しては照れて。

 翔が人助けで怪我を負った時には心配しつつ傍で寄り添った。

 友達と遊ぶ時には皆でカラオケやボーリングに行った。

 プールでは水着姿で互いに赤面しつつも楽しんで、小さな祭りで慣れない浴衣を着ては花火を見た。

 全部が全部、咲にとって楽しい思い出だ。忘れてしまいたくない記憶の塊は幸福に満ちていて、されどそれらが彼女を責める。


 どうして、どうして、どうして。

 あんな男に何故慈悲を与えた。あんな小さな頃の約束をなんで大事にした。本当に大切にしなければならない恋人が居たのに、ちっぽけな情熱にどうして乗せられた。

 

「――解ってる」


 あの頃、全部が楽しかった。

 だからそれとは正反対だった我妻に同情を寄せてしまったのだ。そして何処かで楽しさも覚えて、バレても言い訳すれば大丈夫だと軽く考えてしまった。

 咲は家の自室で膝を抱えて蹲る。高校に入学してから癖になった引き篭もるような体勢で、常に何故の二字を自身に突き付けていた。

 答えはもう出ているのに、忘れてしまわないように。馬鹿な女がこれ以上の醜態を晒して好きな人に失望されない為に。


「――解ってる、よぉ」


 静かに嗚咽を漏らし、彼女は今日も後悔で一歩も進めなかった。

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