第六歩 才能マンの目覚め
募集に集まった人間の理由はそれぞれだ。
金のため。安定のため。名誉名声のため。命令されたため。
理由によって人間の内面にも差異が生まれ、実際に試験会場に集まった者たちの姿も様々だ。
その中でも普通の私服姿をしている人間の方が多いが、やはり試験であるからと動き易い格好の人間も一定数存在する。
筆記試験が終了して今は休憩時間だ。タンクトップ姿の体躯の大きい男が頭から煙を発している姿は、多くの参加者に笑いと安堵を与えた。
ああ、彼もちゃんと人間なのだと。このの中に最初から冒険者のような化け物が紛れ込んでいる訳ではないのだと。
ニュースで報道される限り、冒険者の能力は極めて人間を逸脱している。強調されているのは身体能力だが、頭脳面でも常軌を逸した結果を叩き出していた。
ただの馬鹿でも冒険者になった途端に難関校の試験問題を一ヶ月で対策することが出来る。
その事実は人々にとって魅力的に映った。何せ人為的に天才を手に入れることが出来るかもしれないのだから。
勿論、全員が全員そうではないと報道はされている。個人差は極めて大きく、幅が大したことのない人間も確かに存在していると。
けれども、都合の悪い事実に目を逸らすのが人間だ。今試験でタンクトップの男を笑っている人間は、全力で己にとって不都合な現実を見ないようにしていた。
そんな姿を見て――――品野・咲は溜息を吐く。
「大丈夫かしら」
「……誰がだい?」
「…………自分のこと。 それより近寄らないで」
咲の姿は、高校を卒業してから順当に成長していた。
長い黒髪、スレンダーな身体、美麗な顔。高校卒業時点でも彼女は周りに注目される美貌を持っていたが、今ではそこに大人らしい冷たさも混ざっている。
かつて緩やかだった目元も鋭くなり、昔から恋慕してくれている我妻の言葉にも冷たく返す。
彼女は高校を卒業してから、直ぐに一人暮らしの準備を始めた。世の中は予言について大盛り上がりでも彼女の周りではまったく話題にしておらず、両親の厳しい視線の中でワンルームの一室に引っ越し準備を進めて携帯を見る時間も少なかった。
卒業後でも交流している人間は殆ど居ない。友達のように認識している根岸と小森だけであり、我妻はあの日からも時折静かな連絡を送っている。
これを見せれば、両親は我妻に一言文句を口にするだろう。いかに同情すべき境遇の中に居たとしても、我妻も加害者であるのは変わらない。
関係を断たなければならないのに、我妻は今も咲と繋がろうと足掻いている。
けれどこの関係が継続しているのは咲のお蔭だ。彼女の最後の同情心が繋がりを切ろうとしなかったからこそ、足掻く行為を続けられる。
しかし、それももう難しくなるだろう。翔は卒業後、何も言わずに皆の前から消えた。
まるで高校そのものが良い場所ではなかったと言われてしまったようで、それはつまり彼女たちの三年間の関係も良いものではないと宣言されているようなものだ。
小森と咲は卒業式が終わって直ぐ、二人だけの卒業パーティーを開いた。学生の中でも少しお金のかかる飲食店で向かい合い、何とも言えぬ気持ちの中で安価なグラスをぶつけて乾杯とだけ言い合った。
「そういえば私、アイツの連絡先も知らなかったな……」
ぽつりと呟いた小森の言葉は寂しさが滲んでいた。
咲ももう、翔に連絡することは出来ない。繋がりそのものは残していても、彼女はなんて言葉を送るべきかも分からなかった。
やがて実家を離れて、彼女は一人暮らしを開始した。
本当は大学に進学もする予定だったのだが、候補の大学の全てが入学時期を遅らせる発表をしたことで引っ越しをするだけになってしまった。
勿論、それでも遅れただけだ。時期が来れば入学することになると分かっているのだから、バイト先を探しながらの自習生活を始めることにした。
咲は最初、この生活が苦しいものにはならないと考えていた。
翔とは話をしなくなる時間が増え、会話をしてもそんなに長くもない。かつて付き合っていた当初と比較すれば何も喋っていないに等しく、だから大丈夫だと楽観していた。
けれど、それは所詮つもりなだけだ。変化は本屋のバイト先が決まって暫く経った後だった。
慣れぬ作業の数々は確かに彼女にストレスを与えた。以前の高校でもバイトをしている友人(仮)は居たが、本人は笑いながらこんな苦労をしていたのかと愕然としたくらいだ。
これで大学が始まってしまえばどうなるのか。仕事と学業の両立は難しいとネットで知識を得ていたが、現実は咲の脳裏に不可能の文字を走らせた。
厳しいと、彼女は思う。大変だと、彼女は考える。そんな中で携帯を開いた時、指は無意識に翔の連絡先へと動いていた。
「――ッ、私、何を」
後少しで電話をしそうになった。
その事実に気付き、咲は己の弱さを強く自覚させられる。彼の場合は別にバイトをしていた訳ではないが、ただ働くよりも大変なことを翔はしていた。
自分の情けなさに涙が出て来そうだ。まだ離れて半年も経過していないのに、理性とは別に本能は翔を求めて仕方がなかった。
これまで抑え込んでいられたのは、なんだかんだ翔を見ることが出来ていたからだ。それが出来なくなって、ストレスだらけの環境に居たら異常の一つでも出ておかしくない。
それでも彼女は己を弱いと断じる。こんな様ではいけないと叱責して、苦しさを覚える環境の中で少しでも慣れるために仕事に没頭した。
仕事は大変だ。楽な部分なんて彼女にはない。
しかも接客をしている中で不躾な視線を向けられる経験を何度も体験した。
時には直接的にナンパもされてしまい、世の男の薄汚い感情もよくよく理解させられた。学校での告白はまだ純粋な部分も多かったのに、成人男性のギラついた欲塗れの眼差しはあまりに犯罪的だ。
バイトをしている女性は皆こんな経験をしているのだろうかと、咲は明るくバイトの話をしていた友達(仮)に感心した。
これなら女同士の陰湿な虐めの方がまだマシだ。やられた際に幾らか証拠を集めて店長に伝えてしまえば、やった側は順当な流れでクビにさせられたのだから。
辞めて去る際に睨まれもしたが、そこにあったのは恨みだけ。あの男たちの欲望に比べれば恨まれるくらいはなんてこともなかった。
稼いだ金の幾らかを実家に送り、残ったお金でどう暮らしていくかを計算する。
そんな生活をしている最中――――あのダンジョン発生の予言が的中してしまった。
当時の記憶は咲にはよく残っている。発生する一日前に実家から電話が来て、翔が避難の流れに巻き込まれてどこに行ったのか分からなくなったと。
両親としては可能性は低いと分かっていたが、仲良くしていた友人夫婦があんなに取り乱しては確認しない訳にもいかない。
勿論、咲もこの話を聞いて取り乱した。
家を飛び出て、何時間も翔の姿を探しては似ている背中に声を掛け続ける。
心身は冷えていた。こんな時期に流されて消息不明になるなんて、何か悪い事が起きる前兆にしか感じられなかったからだ。
もしもダンジョンのモンスターが溢れて、彼が居る場所まで辿り着いてしまったらどうしよう。
もしも彼が誰かを助けることを優先していたらどうしよう。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
頭の中で幾度も回るそんな思考の果ては、常に強い後悔ただ一つ。
一緒に居たら良かったんだ。馬鹿な真似をせずに、自分には彼氏が居るからって我妻に諦めてもらうべきだった。
「もっと……前にッ」
あの頃に戻れたなら。
叶うはずのないもしもは、あまりにも寒々しい現実をより突き付ける。
疲れ果てるまで走り回った身体は結局なんの成果も得られず、ただ体力を消耗するだけに終わった。
気付けば自身は家に居て、また意識が飛んだ先ではバイトをして、さながら機械が如くに数日を過ごす。
食事なんて食べる余裕は無い。眠気すらも訪れず、朗報はボロボロの状態になった時に初めて訪れた。
翔は無事で、今は避難先の彼の伯父の家に向かっている。
それが分かった段階で彼女は気絶し、人生で初のバイトサボりを経験した。
この一件で、彼女は更に自分の不甲斐なさを自覚してしまう。
かつての小森のような覚悟を持てず、かといって未練を捨て切れず、我妻を拒絶しきる真似も出来ず。
全てが中途半端。翔を第一としながらも、実際は彼の助けになれる能力が一切無い。ないない尽くしの自分に一体どんな価値があるのかと、咲は己の存在理由に疑問すら感じ始めていた。
大学に入って何か変わるのか?このまま時間に任せていけば自然と自分は彼に相応しくなれるのか?
違うと、咲は思う。思うけれど、じゃあ何をどう変えていけばと日々悩んだ。
――――ゆえに、彼女がそれを見たのは偶然だ。
「ぼう、険者……」
SNSで持論を垂れ流すアカウントが目に入った。
まったく何の根拠も無しに今後の未来を語り、他のアカウントに馬鹿にされている。
見る価値のない言葉の数々は正に情報化社会の弊害を如実に表し、咲が見ても本人がなぜこうも自信満々に未来を語っているのか分からなかった。
されど、最後の一文。それだけが彼女の人生を歪めることになる。
『ま、色々言ったけど今後は冒険者ってのは必要って訳。 今の内に少しでも鍛えといた方が良いぜ?』




