高校生4 完璧な別れ
「なんであんなことを言ったのですかッ」
俺達は電車に乗り、彼女の最寄り駅にある小さな広場に来ていた。
互いの手にはペットボトルの飲み物が握られ、ベンチがあるにも関わらず彼女は我慢が出来なかったのか早口で口火を切る。
彼女の語るあんなことなど、思い付くのは一つだけ。
まさか当日に話が他所に広がっていくとは想像していなかったが、変に話が捻じ曲がっていないのであれば彼女に悪い要素はなかった筈だ。
だから俺は首を傾げた。彼女が怒る理由にまったくの見当が付いていない。
「どんな話を聞いた?」
「私と貴方が昔恋人で、今は別れて玲君と付き合っているという話です」
「間違っていないじゃないか」
すわ面倒事かとも考えたが、彼女の聞いた話に尾鰭が付いている様子は無い。
ならば問題無いだろうとベンチに座ってペットボトルの蓋を開ける。今日の飲み物は普段買っているのとは違う、地域限定の絵柄が入ったスポドリだ。
「――ッ、私は誰とも付き合っていません。 玲君とは、あれ以降は何も……」
「あれ? ……そうだったのか」
怒りの成分を更に多くしながら放たれる言葉は、俺にとって少々衝撃的だった。
それは別に彼女が直ぐに鞍替えするだろうと思ってのことではない。予想以上に我妻が彼女を落すのに時間を掛けていると思ったからだ。
情熱的だったのなら、別れた時点で猛アタックをするものだと考えていた。
人様に隠れて何度もキスを交わしていた仲だ。遠慮する相手が居なければもっと燃え上がると想像していただけに、予想以上に彼女の中で次に進むことを難しく考えているのかもしれない。
俺は別に構わないのだが。例の浮気を外部に漏らす気も無いし。
「あんだけ情熱的だったから直ぐにくっつくと考えてしまったよ。 悪いな、品野さん」
「……怜君とはそんな関係じゃないんです」
「OK。 でも告白されるの減ったんじゃない?」
「それは、そうですけど……」
嘘を事実として広められたのは納得いかないが、しかし実際にその嘘によって彼女の負担は少なくなっている。
俺の早とちりであるものの、この嘘は訂正する必要はないだろう。もしも恋人を実際に見せろと言われて我妻にフリをお願いしても、奴なら喜び勇んで飛んでくる。
「品野さんはこれからもっとモテる。 だから自衛の手段は持っておくべきだ。 我妻の奴に連絡して今はフリで良いから恋人っぽい写真の一枚でも用意すれば、殆どの奴は黙らせることができる」
問題は、その我妻のように恋人が居る女にちょっかいをかける人間だ。
こればかりは彼女一人で対処するのは難しい。寝取りを狙う人間は大概、脳味噌が空っぽで後先を考えていないもの。
肉体的に優れている場合が多く、だから単純な暴力や脅迫行為をしかねない。
そして咲は、その行為に耐え切れるとは断言出来なかった。普段からそんなストレスを浴びせられ続ければ、自身を守る為に男のいいなりになりかねない。こればかりは我妻や彼女の両親に守ってもらう他ないだろう。
「あいつがこっちに入学していればな。 直接君を守らせることも出来たんだろうが……」
「その、翔君」
「ん、なに?」
「翔君が、また私の恋人になれば」
「駄目に決まってるでしょ」
即答だった。自分の心が何かしらの反応を示す前に、反射の域で拒否が出た。
咲の表情から怒りが抜ける。一瞬だけ震えた身体を無視して、呆れた心持ちで彼女が何をしたのかを告げていく。
「俺達の関係はあの日に終わったの。 これからは我妻との関係を大事にしなさい」
「私はまだ翔君と――」
「終わったの」
眦に雫を溜めた彼女は、どうやら俺との関係をまだ諦めたくはないようだった。
しかし俺としては堪ったものではない。折角次に意識を向けたいのに、余計な錘に足を引っ張られたくはない。彼女が将来的に有用な冒険者になると知っていても、あの一件があった以上は良好な関係なんて不可能だ。
口調を強めに、責めるように言えば彼女は顔を俯かせた。
悪いか悪くないか。その程度の判別は彼女は出来ている。酔いは醒めて、理性的に頭を回せるのならこの問いに意味などないと承知している筈。それでもなお諦めたくないのは何故か。
「……怜君とは、昔結婚の約束をしていました」
唐突に語り始める彼女。
昔にしていた約束にだからなんだと思いもするが、聞けば聞く程に別の感情も湧いてくる。
幼い頃からの約束。恵まれたルックス。成績だけであるが優柔な頭脳。更に将来は冒険者としても皆から尊敬される立ち位置に居れる。
なんだそりゃ。どんだけ天は彼に才を与えたんだ。
まるで物語の主人公。躍進を約束された、希望のある道を運命に舗装された者。
俺がこんなに将来に不安を抱えているのに、奴には無限の将来がある。嫉妬の一つでも浮かんでくるのは仕方があるまい。
しかも彼には咲というヒロインすら居る。今はまだ彼の情熱に負けてはいないみたいだが、それでもダンジョン発生直後なら吊り橋効果も合わさって一気に関係が発展するかもしれない。
彼女が全てを語り終えた時、俺は自然と息を吐いた。
「我妻は随分と品野さんに惚れ込んでいるんだな。 ちょっと引きそうなくらいだ」
「私も最初はちょっと吃驚しました。 ……でも、私は彼に恋をすることはありません」
咲の顔が上がる。
互いの視線が交差し、瞳に宿る意思が自身の言葉を嘘だと思わせない。
まだ彼女は、俺と恋人であることを継続させたがっていた。あの三年を当時の俺は楽しんでいたものだが、彼女も楽しんでくれたのだろう。
それ自体は嬉しいことだ。自分の頑張りが認められていたことは素直に喜ばしい。
それが解るからこそ、思い出は思い出のままで終わらせるのが一番妥当だ。
「ごめんなさい。 そして――お願いします。 もう一度、私と付き合ってください」
静かな声は真摯な色に満ちている。彼女なりに反省をして、次は間違えないと覚悟をしているのは明らかだ。
どうして彼女がそこまで俺との続投を望むのかは解らない。現実的に考えるなら、俺よりも我妻の方を取る。それが将来の不安を最も簡単に潰せるし、何より別れる心配が皆無に近い。
「なんでまだ俺と付き合いたいんだ? 俺に大した魅力は無いと思うぞ?」
「私は貴方の底抜けの優しさに惹かれました。 困っていたら助けるのは当たり前の姿勢が、私には酷く眩しく見えて」
「もうそんな気はないけどな。 俺は自分の為に今は暮らしてるから」
「解っています。 そうさせたのが私だってことも」
「だったら、もう解ってるだろ?」
あの頃と今では、もう違う部分が多過ぎる。
成程、昔の自分は客観的に見れば良い奴だったのかもしれない。自分の手の届く限りは伸ばして、中学時代の友人はほぼ全て助けた奴だった。
将来は警察なんて良いかもなって冗談を飛ばしては皆になれなれと応援され、彼女が出来たと言った時には咲も巻き込んでファミレスで小さなお祝いをしたものである。
男も女も関係無く、あの頃の感情はほぼ全てが暖かいもので包まれていた。そんな場所が幸福でない筈がなく、故に咲も離れたがってしまったのだ。
しかし、俺は間違いなく悲しませていた。助ける過程で怪我をしては両親に驚かれ、警察が出て来るような事態に発展すれば随分心配させていたのだ。
親不幸者なのは間違いない。
自分ではなく他者ばかりを優先すれば、あの両親はそれはそれは心配しただろう。
それだけはしてはならなかった。特に未来を知ったからこそ、二人には今後も良い人生を進んでほしいと願っている。
あんな自分はさっさと殺しておくべきなのだ。そもそも自分に誰かを助ける余裕などない。
「俺はお前と付き合わない。 これからも、何があろうとも」
スポドリを一気飲みする。
全てを飲み干して空になったペットボトルを公園のゴミ箱に捨てに行き、固まっている彼女を放置して俺は家に帰った。




