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光満ちる日の誓い

 空はどこまでも高く澄みわたり、ひとすじの雲さえ見当たらない。淡い金色の光が街並みに降り注ぎ、石畳を優しく照らしていた。

 その日の青はただの晴天ではなく、今日という一日そのものが祝福されているかのように澄み渡っていて、この日を待ち望んでいた私の心をそのまま映し出しているかのようだった。


 私は父の腕を取り、教会の重厚な扉の前に立っていた。これまで幾度となくすれ違い、言葉をぶつけ合ってきたお父様と私。その歩みは決して穏やかなものではなかった。

 けれども今腕に伝わる体温は、堅い氷のように感じられた日々を溶かすように温かい。

 父がそっと腕に力をこめる。言葉はなくても、そのぬくもりに数え切れない思い出が胸を満たす。私は小さく息を吸い、鐘の音を待った。


 静謐を切り裂くように、鐘が高らかに鳴り響く。大理石の壁に反響して、空までも揺さぶるほどの音の波が広がった。その瞬間、重々しい扉がゆっくりと開かれる。


 光が溢れ、目の前に壮麗な光景が広がった。高い天井は天へと昇るように弧を描き、ステンドグラスを通した陽光が虹のように差し込み、壁を彩っている。白い花々が両側の席を飾り、淡い香りが漂っていた。


 赤い絨毯の上を一歩、また一歩と進む。ドレスの裾が広がり、繊細な刺繍が光を受けて淡くきらめく。親族や友人たちの視線が、一斉に私へと注がれるのを感じる。

 髪には星を模した飾りが散りばめられ、首元にも同じ意匠の輝きが寄り添っている。それはまるで夜空の欠片を身に宿したようで、心臓の鼓動と共に微かに揺れた。


 そして、視線の先に彼がいた。


 祭壇の前に立つアルフレートは、緊張を隠しきれない様子で姿勢を正していたが、その眼差しは澄み渡る空のようにまっすぐで、ただひとり私を迎えるためにそこに立っているのだと伝えてくる。

 その瞳に映る自分を見つけたとき、風の音も鳥の声も、鐘の余韻さえも遠ざかっていくように感じられた。


 やがて祭壇にたどり着くと、父は立ち止まり深く息を吐いた。

 腕を解かれると、その手のひらが少し強く私の手を握りしめる。かつて、幼い私の小さな手を導いたときと同じように。

 言葉はなかった。それでも、指先に込められた力が何よりも雄弁に愛情を語っていた。


 名残惜しさを隠すように、父はほんのわずかに目を伏せ、それからそっと手を離した。

 そして、すぐさま差し伸べられたもうひとつの手のひらに、私は自分の手を重ねる。

 胸の奥から込み上げるものを必死に抑え、私はまっすぐに彼を見つめた。瞳と瞳が重なる。もう一片の迷いも残っていない。

 これから先どんな未来であっても、この手を離さずに歩いていけるのだと確信できた。


 司祭が一歩前に進み、厳かに祈りを込める言葉を唱え始めた。ステンドグラスを透かして差し込む光が、私たちの姿を染め上げる。教会の高い天井に響く声は、まるで天上から降り注ぐ祝福そのもののようだった。


「親愛なる人々よ。私たちは今永遠なるひとつの御力の御前に集い、二人の魂を聖なる契りによって結び合わせるため、この場を清め祈りを捧げます」


 司祭の声は教会の石壁に幾重にも反響して、やがて私の胸の奥へと沁み込んでいった。祭壇に掲げられた十字架の金色が光を受けてきらめく。


「婚姻とは互いを支え合い、真実を分かち合い、その歩みを通じて世界に調和をもたらすために、人の始まりより尊き務めとして与えられました。どうかこの契りが清らかに守られ、祝福に満ち長く続くよう、天の御力が二人を導きますように」


 祈りのことばは次第に荘厳な響きを帯び、集う人々の息を合わせる。やがて司祭が最後の言葉を告げ、会衆が一斉に応える。

 揃った声が天へと昇るように広がり、教会の空気は澄み渡り、私の心臓はその響きと歩調を合わせた。


 そして、司祭の眼差しが私たちに注がれる。


「神聖なるこの場において、汝らはその心にある誓いを、今ここで言葉に表しなさい」


 その一言で、時間の流れがふと変わる。さきほどまで堂内を満たしていた響きが消え、聞こえるのは自分の呼吸と、隣に立つアルフレートの気配だけ。


「……アルフレート・ヴァイス、あなたはここにいるエリザベートを妻として、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、生涯変わらず愛し、死が二人を分かつまで、神の掟に従って共に生きることを誓いますか」


 問いかけに、彼は迷いなく答えた。澄んだ声が静寂を震わせ、確かな響きとなって私の胸に届く。


「誓います」


 その一言に、彼のすべてが込められているように思えた。勇気も、誠実さも、そして私への愛も。


「エリザベート・フォン・ローゼンハイネ、あなたはここにいるアルフレートを夫として、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、生涯変わらず愛し、死が二人を分かつまで、神の掟に従って共に生きることを誓いますか」


 心臓が高鳴って、胸の奥が熱くなる。過ぎ去った日々が静かに心の奥でほどけていくのを感じる。迷い、不安を抱え、影に心を覆われた過去もすべて、降り注ぐ光の中に溶けていく。


「……誓います」


 私はまっすぐに正面を見据えて、胸に溢れる想いを込めて言葉を紡いだ。

 そのとき、教会の高窓から差し込む光が一層強くなり、祭壇を包む空気が黄金色に染まった。

 ステンドグラスの青や紅が床に広がり、まるで天と地とがひとつに結びついて、私たちの誓いを見届けているようだった。


「変わらぬ愛と忠実の印として、互いの名において指輪を授け、授かりなさい」


 差し出された小さな銀の輪。アルフレートはわずかに深呼吸をしてから、その指輪を取り上げ、私の左手を優しく取った。指先の温かさに胸が詰まる。

 指に触れた冷たい銀の感触が、次の瞬間には熱に変わり、永遠の約束を刻んでいく。


 私は震える指で、もうひとつの指輪を手に取った。アルフレートの手は大きくて、頼もしくて、それでいて少しだけ不器用に差し出されている。その姿に愛おしさがこみ上げ、涙がまた滲む。


 ゆっくりと指輪を滑らせながら、心の中で何度も誓った。どんな未来が待っていても、この人のそばにいると。朝も夜も、喜びも困難も、すべてを分かち合える人は彼しかいない。


「今ここに、誓いを封じる印として口づけを交わしなさい」


 司祭の声が教会の高みに響き渡る。言葉と共に、私は息を呑む。鐘の音が重なり合い、荘厳に鳴り響く。


 アルフレートの手が、私の頬に触れた。その手のひらは深い慈しみを宿し、震えるように優しく私を包み込む。

 温もりが肌を越えて心の奥へと流れ込み、永い旅路を経てようやく辿り着いた安らぎの場所を、はっきりと教えてくれる。


 彼がそっと身を寄せると、光が溶けるように彼の影と私の影が重なり合い、唇が触れ合った。柔らかく分け与えられる温もりは光となって、胸のうちを照らしてゆく。


 何があっても、どんな運命が訪れようと、共に生きると約束する。重ねた唇に誓いを立てる。

 私はアルフレートを愛している。あなたの笑顔が私の生きる光であり、あなたの存在そのものが私を強くし、私をこの世界に結びつけている。だからどうか、これからの生涯もずっと、あなたも同じように私を愛していてほしい。


 唇がそっと離れると、アルフレートの瞳がすぐそばにあった。澄み切ったその瞳には、同じ想いが確かに宿っているのだと思えた。


「永遠なるひとつの御力よ。この契りを見守り、その歩みに光と祝福を注ぎ続けたまえ。親愛なる人々よ、ここに新たな結びを祝福しましょう」


 司祭の宣言が再び響くと、参列席から温かな拍手が広がる。

 アルフレートが差し出した腕に、私はためらわず手を添えた。組み合わされたふたりの腕は固く結ばれ、もう決して離れることはないと告げている。

 そのまま、ゆっくりと並んで歩き出す。赤い絨毯の上を、ひとつの歩調で進んでいく。


 扉が開かれた瞬間、外の世界は祝福の光に満ちていた。青空はどこまでも高く澄み渡り、黄金色の陽光が溢れ出して、私たちを抱きしめるように降り注いだ。


 鐘が再び鳴り響く。天と地を揺るがすほどに、喜びの音が広場に満ちる。


 そのとき、親族や友人たちが歓声を上げ、色とりどりの花びらを空へと舞い上げた。風に乗った花びらは光を受けてきらめき、私たちの頭上から降り注ぐ。まるで祝福の雨のように、ひとひらひとひらが頬に触れ、肩に落ち、足もとを彩っていく。


 私とアルフレートは顔を見合わせ、自然に笑みをこぼした。花びらの中を歩むたび、胸いっぱいに広がるのは、これから共に生きる未来への喜びだった。



 ◆



 教会を出て、鐘と花びらに見送られた私たちは、ほどなくして夢の家へと足を踏み入れた。

 窓辺には陽射しがやわらかに差し込み、外では薔薇のアーチがまるで今日を待ちわびていたかのように花を咲かせている。そのアーチをくぐって玄関に入ってきた人々は、口々に素敵な家だと褒めてくださった。

 アルフレートが教えてくれた故郷の風習——結婚式では家に人々を招いて、食事を楽しみながら、花婿と花嫁を囲んで一日を共に祝い合うという。彼が語ってくれたその習わしに私は憧れを抱いた。

 華やかな披露宴も素敵だけれど、家という場で親しい人々と同じ食卓を囲む。それはどんなに素晴らしい光景だろう。

 両親の顔を立てるため、式は厳かな教会で挙げさせてもらったけれど、披露宴はどうしてもこの家でと願い出たのだ。


 居間の大きなテーブルの上に、持ち寄られた料理を並べていく。

 籠いっぱいの焼きたてのパン。香草をまぶしたロースト肉から立ち上る薫りに思わず息を呑む。

 木の皿に盛られた色とりどりの果実。大鍋で煮込まれたシチューは湯気を立て、窓辺から差す陽の光にきらめいていた。誰かが焼いてきてくれた素朴な菓子はまだ温かく、粉砂糖が白い雪のように散っている。

 ワインの瓶が次々と開けられるたび、赤や琥珀の光がグラスの中できらめいて、居間は一層にぎやかになっていった。


 両親は最初こそ硬い表情をしていたけれど、母はライプフェルトから来てくれた人々の朗らかさに、少しずつ表情を和らげていった。にこやかに料理を勧められるうちに、気づけば笑みを返している母の姿に、私の胸はふっと温かくなった。

 一方で父は相変わらずのしかめ面を崩さずに、アルフレートの同僚と難しい顔を突き合わせて議論していた。文化と法制度の相互関係だとか、議会のあり方だとか……けれど周りの喧騒に溶け込まずとも、父なりのやり方でこの場に加わろうとしてくれているのが、なんだか父らしいと思えた。


 私はクララとニーナに誘われてテーブルの端に集まり、三人で楽しくおしゃべりをした。

 ニーナは隣の村の青年と恋人になったのだそうで、相変わらずの明るい笑顔で「結婚を考えてるんだ」と打ち明けてくれた。その目の輝きは、まるで未来を映し出す灯火のようで、思わずこちらまで胸が躍った。

 クララはリーゼルの成長ぶりや、旦那様のことを語ってくれた。とても穏やかで優しい方なのだと言葉の端々から伝わってきて、私は心から安心した。昔から変わらず、彼女は幸せを素直に分け与えてくれる人だった。


 ヘルマンさんには、身分と名前を隠していたことを深くお詫びした。「もっと早く自分でお話しするべきだった」と言葉を絞り出すと、ヘルマンさんは大きな手を軽く振り、気にするなと言って笑ってくださった。


「アルフレートをよろしく頼む。あいつは気丈に見えて、実のところ繊細なんだ」


 その言葉の重みを胸に受け止めて、私は深く頷いた。続けて、思い切って口を開く。


「先日、二人でお姉様のお墓を訪ねました」


 そう告げると、ヘルマンさんは驚いたように目を瞬き、それからゆっくりと微笑んだ。


「そうか……ベルティーナも喜んでいるだろうよ」


 杯を傾けながら、彼は少し遠くを見やる。


「姉は賑やかな場所が好きでね。宴の最中にいきなり歌い出して、皆を巻き込んでしまうような人だった。笑い声が絶えないことが何より好きで……。だから今日の二人を見て、あの調子で歌いながら祝福してるだろう」


 その光景を思い浮かべて、私は自然に笑みをこぼした。今のこの賑やかな披露宴も十分に素晴らしいけれど、もしアルフレートのお母様の歌声が響いていたなら、さらに特別な一日になっただろう。


 少し離れたところではユスティンが盛大に泣いていて、アルフレートに背中をバシバシと叩かれていた。あまりに力強く叩かれているので、痛そうだわと内心思いながらも、その不器用な慰め方に思わず笑ってしまった。


 やがてクララが立ち上がり、詩の朗読をしてくれた。結婚にまつわる幸福な詩。言葉ひとつひとつが淡い光を帯びているようで、耳に届くたびに心が柔らかくほぐれていく。

 朗読が終わると、場に柔らかな拍手が広がった。クララは少し照れながらも、夢見るように目を細めて「なんてロマンチックなのでしょう」とうっとり呟いた。

 続いて、兄が神妙な顔つきで私の幼い頃の失敗談を語り出したものだから、場の空気はまた一変して笑いに包まれた。

 アルフレートがその話に大いに食いついて、私の顔をじっと見ながら「本当に?」と何度も尋ねてくるので、私は顔を赤らめつつ必死に否定しなければならなかった。


 気がつけば、かつて夢に描いていた幸福が、いま目の前に広がっていた。

 花の香りに包まれた新しい家で、大切な人々と同じ食卓を囲み、笑い合いながら未来を語り合う。

 一つひとつの光景が鮮やかな色を帯び、心の奥底に深く刻まれていく。


 今日という日を出発点に、私はアルフレートと共に新たな人生を紡いでいくのだ。その確信は胸いっぱいに広がり、この上なく温かな喜びとなって私を満たしていた。

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