『灰かぶり姫』
日々は目を見張るほどの速さで過ぎていった。歌を練り、動きを合わせ、旋律の裏に隠された心情をつかもうと繰り返すうちに、朝が来て夜が去り、いつのまにか私は冬祭りの本番を迎えていた。
雪に覆われた広場の特設の舞台。幕の奥、出番を待つ私は、袖の影から客席をそっとのぞき込む。かじかむ指をこすりながら見渡した光景は、白い吐息と暖かな明かりに満ちていた。村の人々が集い、肩を寄せ合い、襟巻きの奥から笑い声がこぼれている。誰もがこの冬のひとときを祝福するように、その場にいるだけで幸福を分け合っているように見えた。
そしてついに、鐘の音が遠くで鳴った。青空の下、幕は上がる。
アデリナの登場はまだ先——最初の場面は、フローラの幸福な日々から始まる。ニーナの澄んだ歌声が、冬の空へ真っすぐにのびていく。
「朝のひかり、母の微笑み。父の言葉は、風のように。ぬくもりの中に揺れる時の舟」
舞台の中央には、木の枠で作られた簡素な屋敷の装置。フローラが編み物をする母と、手紙を読む父のそばに膝をついて微笑む。
けれど、旋律はやがてわずかに翳りを帯びる。母の手がふと止まり、椅子にもたれて目を閉じると娘がかけよる。
「お母さま、どうかもう一度だけ目を開けて……! 小さな幸せ、終わらぬものと思っていたのに」
父の歌が、それに重なるように響く。
「やわらかな白、冬の吐息。命は静かに遠ざかる。
抱きしめるにはあまりに脆く、ことばは祈りに変わるばかり……」
母役の女性が抱きかかえられながら舞台を去ると、旋律は静かに余韻を引き、場面が移る。
次に現れるのは、継母と二人の姉——私たちだった。私はアデリナとして厚手のマントをまとい、フローラを見下ろすように立つ。
父は仕事で家を出て、一人残された少女を前に、冷ややかな歌声が舞台を満たす。
「お行儀よくしていれば、可愛がられると思ってるの? 誰の娘かよく思い出して。もう昔は終わったのよ」
ドロテアの冷たい声に、継母の歌が後に続く。
「掃除に洗濯、灰かぶり姫。我が家の末席にふさわしい」
そのとき、アデリナはフローラを見る。彼女の目に浮かぶのは戸惑いとかすかな恐れ。アデリナは胸の奥に浮かぶ痛みを押し殺しながら、冷たい役を生きる。
「灰まみれの手で夢を見ないで。台所の炉の側、あなたの居場所よ」
旋律に身を乗せながら、私はアデリナとして観客の前に立ち続けた。意地悪な姉。観客が眉を顰めるのが見える。けれど彼女が心の底で感じていたのは、演じる痛みと、その奥にある名もなき共鳴。
舞台の右端で、フローラが小さな背を震わせていた。
その肩がほんの少し上下に揺れるたび、観客の誰もが、少女の胸に押し寄せる悲しみを感じ取っていた。すすり泣きの声はあがらない。ただ、沈黙の中に涙の存在が満ちている。まるで凍てついた大地にしんしんと降る雪のように。
厚手のマントの裾を引きずりながら、私はゆっくりと舞台の左端へと歩みを進める。
意地悪な姉としての足取り。しかしその心の奥では、言葉にしてしまった台詞がひとつずつ胸を叩いていた。冷たく突き放したあの旋律がフローラだけでなく、自分自身をも傷つけていたことにアデリナは気づき始めていた。
「お父さま、お母さま。どうか、どうか帰ってきて……夜が怖いの、ひとりきりの朝も」
フローラの歌声は、見えない空に手を伸ばすようだった。両親のぬくもりを知っていた少女は、それを失った悲しみに飲み込まれまいとすがる。私の足が一歩、前へと出た。アデリナの歌声が、震えるように紡がれる。
「お母さま、お姉さま。どうか、どうかもうやめて……こんなこと、望んだ日々じゃない」
その瞬間、空気が変わった。
観客の何人かが、小さく声を漏らす。意地悪な姉が、罪を悔いている。そんな想定外の変化に、戸惑いがざわめきとなって舞台の向こうに揺れた。
舞台の右と左、私たちは背を向けたまま、旋律が重なりはじめる。二人の少女の、心の奥底から湧き上がった願いがひとつに重なる。
「ただ愛されたいと願った。誰かのまなざしに見つけてほしかった。私という小さな心を」
ふたりの声が、舞台の中央に出会う。フローラの涙と、アデリナの悔い。片や失われた幸福を求め、片や与えた傷に苦しみながら、そのどちらもが愛を求めていた。
音楽が高まる中で、私は舞台の上に立つアデリナとして、まっすぐ客席の奥を見つめる。最後の音を高らかに歌い上げ、アデリナとフローラは背を向け合ったまま去っていく。
舞台の背景がゆるやかに変わり、屋敷に王都の使者がもたらす巻物が届けられる。明るいファンファーレが響き、継母とドロテアが舞台に勢いよく飛び出す。私は二人のそばに控えながら、その陽気な旋律を耳に受けた。
「ついに来たわ、この時が! 王家の舞踏会!」
「王子様の心を射止めるのは我が家の娘。磨かれた美貌と絹のドレスが武器になる」
鏡の前、ドロテアは何着ものドレスを広げ、くるくると回りながらドレスを当てては首をかしげている。継母は裾を整えながら、その背後でうっとりと微笑んでいた。きらびやかな光と、楽しい打楽器の調べが舞台に溢れる。
そのとき、舞台の片隅からフローラがそっと現れる。淡い灰色の服に身を包み、手にはまだ洗い残しの布巾を握っていた。
「お城の舞踏会、私もきっと……」
彼女の言葉に、場の空気がぴたりと止まる。ドロテアが鏡越しに振り向き、継母が鼻で笑った。
「なぜあなたが? 灰かぶりに王子が見とれるとでも?」
「まるで不釣り合い、笑われるのが関の山。おとなしく火の番でもしてなさい」
フローラの肩が小さく揺れる。そして、継母がふとこちらを振り向いた。
「アデリナ。あんたも何か言っておやり」
その言葉に、アデリナはわずかに唇を開きかけた。けれど、声が出なかった。喉の奥が張り詰めたように痛み、言葉は泡のように胸に浮かんではすぐに消えていくのだ。
アデリナはフローラを傷つけるようなことを言えず、かといって優しい言葉をかけることもできず、踵を返して舞台の袖へ逃げ出す。
場面が転じる。舞台装置が緩やかに動き、背景は屋敷から木の看板が掲げられた素朴な市の通りへと変わる。音楽が静かに始まり、緩やかなピアノの旋律と共に、アデリナが袖から再び姿を現す。
舞台中央まで駆け出たその姿は乱れていた。マントの裾が揺れ、胸元は少しだけ荒い息を含んでいる。
「声が出なかった、言葉もなかった。冷たい眼差しで、私はあの子を傷つけた」
私の歌が静寂に乗って広がる。舞台の片隅に、パン籠を手にした青年が立っていた。カミルだった。飾り気のない服に、温かな眼差しだけをたずさえて。
「彼女の頬が濡れていたから、パンを落としそうになるくらい驚いた。知らない人だけれど、君の背中が寒そうで……この手の温もり、届くなら」
カミルがそっと一歩近づいてきて、籠の中からひとつ、小さな丸パンを取り出すと、ためらいがちにアデリナへ差し出した。
アデリナはその気配に気づき、顔を上げる。彼女は声を発さない。けれどカミルの表情に宿るただまっすぐな善意に、わずかに目を見開いた。
音楽はやわらかな調へと移る。旋律が再び重なり、ふたりの歌がはじめて触れ合うように響く。
「名前も知らない君だけれど、悲しみの形は目を見ればわかる」
「私は誰かを傷つけて、誰にもなれずに立ち尽くすだけ」
「ここで立ち止まればいい。君はきっと優しい人」
その一言に、アデリナの胸はかすかに揺れる。そんなふうに言われる資格は、自分にはないと思っていたのに。自分を守るために人を踏みにじって、見下して、冷たい言葉を浴びせた自分に。それでも今目の前の青年は、過去を問わず、傷の下にある何かをそっとすくい上げてみせた。
「優しさに触れたこの瞬間が、私を少しだけ変えていく……」
場面が変わる。舞台はふたたび、屋敷の中へと戻る。壁には金色の布がかかり、足元には赤い絨毯。舞踏会を前に、家中が浮き立っている。
「王子の舞踏会、栄光の夜。運命がほほえむ、そのときは今!」
ドロテアが華やかなドレスを見にまとい、高らかに歌い上げる。そばでは継母が満足げに微笑み、娘の頭を撫でている。
「灰かぶりは留守番よ。美しいお城はあなたに相応しくない」
継母の歌声は冷たく、断罪のように響いた。フローラの足元がすくむのがわかる。その視線が、ふとアデリナ——私に向けられた。まるで何かを求めるように。
しかし、アデリナは何も言えない。三人は支度を終え、絢爛なドレスの裾を翻しながら舞台奥へと歩き出す。継母の衣裳は深い青、ドロテアは真紅、アデリナはくすんだワイン色のドレスに身を包んでいた。
残されたのはフローラただ一人。舞台には静寂が訪れる。
薪の消えかけた炉の前でフローラは一歩も動かず、まるでその場に縫いとめられたかのように身じろぎもしない。その姿は、まるで世界に取り残された小鳥のようだった。観客席にも静かな沈黙が落ちている。誰もが次に訪れる奇跡を、祈るように待っていた。
鈴の音が舞台に舞い落ちたかのような、清らかな音が響く。
奥の扉がひとりでに開き、静かに一人の人物が現れた。裾を引くような長い衣、銀糸の仮面、優美な杖。魔法使いだった。フローラが顔を上げる。目を見開き、声もなくその姿を見つめる。魔法使いは何も言わず、ただそっと彼女のもとに歩み寄り、杖の先をかざした。音楽が流れはじめる。旋律にのせて、魔法使いが静かに歌う。
「ひとりきり泣く夜でも、星はおまえを照らしている。涙は風に流れても、願いは胸に生きている。……嘆きの声が真実ならば、この杖が扉を開けてくれる」
魔法使いが杖を降ると、中央でフローラがくるくると周りだす。そして次の瞬間、彼女のボロ布のような衣裳が、ぱっと花開いたように変化した。灰色のエプロンがほどけると同時に、内側から金糸をあしらった薄青のドレスが広がる。まるで花が一瞬で咲いたような変化。観客の中から、思わず小さな歓声が漏れた。
私は袖からその瞬間を見つめていた。マルタさんがこしらえた仕掛け衣装——その複雑な縫い目や隠し留め具を、私は事前に見せてもらっていた。糸を引く動きひとつで、ボロボロの布が一気に美しい衣裳へと姿を変える。それは本物の魔法のようで、私はその仕立ての腕前に息を呑んだ。
ドレスを纏ったフローラは、もはや灰かぶりではなかった。髪には銀の花飾り、足元には透明な光を宿したガラスの靴。
板に描かれたかぼちゃの馬車が現れ、魔法使いがそっと最後の歌を添える。
「十二の鐘が鳴るまでに、帰ることを忘れないで。でも今は踊るの、おまえのままに。恐れずに、胸を張って」
フローラがそっと一歩を踏み出す。そして、舞台は煌びやかな舞踏会へ移っていく。
舞台が再び幕を開けると、そこはまるで別世界だった。高い天蓋に垂れ下がるカーテン。シャンデリアが天井を照らし、貴族たちの衣擦れが音楽のように響く。
王宮の大広間、その中央に、静かに足を踏み入れたひとりの娘。
柔らかな青のドレスに身を包み、光を受けて微かに輝く髪飾り。
息を呑むような静寂が訪れる。そして、人々の視線が吸い寄せられる先に——王子が立っていた。
堂々とした姿に、柔らかな眼差し。彼は群衆を分けるように歩き、まっすぐにフローラのもとへと向かう。彼女はその視線に気づき、けれど逃げることなく、そっと一歩を踏み出した。
「人の波にまぎれた、ひとひらの光。なぜ君だけがこの胸を射る」
「ひとことも交わさずに、名前も知らずに。なぜあなたの瞳に、心が触れるの」
王子が手を差し出す。フローラがためらいながらも、その手を取る。音楽が満ちる。弦楽が高まり、笛が舞い上がる。
「星々よりもまぶしく、遠い記憶のように懐かしい人よ」
「夢でさえ出会えなかった、あたたかなまなざしをあなたに見たの」
「名も知らぬあなたと踊るこの夜。たった一度きりだとしても、偽りじゃないと言ってほしい」
ふたりの声が重なった。優しく、けれど力強く、まるで互いの胸に扉を開くように。その一瞬、私は舞台の端で息を忘れていた。役ではなく、ただひとりの観客として、その美しい奇跡を見つめていた。
舞踏会の時間は静かに流れてゆく。けれど、それは誰にとっても永遠ではない。
遠く、時の鐘の音がかすかに響き始めていた。一度、二度、三度…… 魔法の刻限が迫る合図。
フローラの表情がはっと翳り、肩がふるえる。王子が手を伸ばすその一瞬、フローラは舞台の右手へと駆け出した。スカートの裾が風を切り、裾のきらめきが舞台に光の軌跡を描く。舞台を駆け抜けるフローラの足元から、片方のガラスの靴が音を立てて舞台に転がる。小道具係が誂えた透明な靴が、雪の光を受けてほの白く輝いた。
彼女の姿が奥の暗がりに消えてゆくその刹那、王子はただひとり、靴を拾い上げてその場に立ち尽くす。
楽団は鐘の音に重ねて、静かな弦の旋律を奏で始める。
舞台中央にひとり立ち、王子は掌にのせたガラスの靴を見つめる。冷たく透き通ったその輝きに、まるで触れられぬ幻を掴んだかのような表情。
「彼女の名は、一体——」
歌声が空間を満たす。あの柔らかな笑み、透き通るような瞳。たった一晩の出会いにして、王子の心は深く刻まれていた。だが、言葉を交わすこともなく消えた彼女の謎は、残されたこの靴だけが示す唯一の手掛かりだった。
王子は決意を新たに、使者たちに命じる。
「探し出せ、この靴がぴったり合う者を。必ず、あの夜の娘を見つけ出すのだ!」
背景が移り変わり、舞台に響く村人たちの合唱が空気を満たしていく。冷たく澄んだ冬の光に照らされながら、背景が次々と入れ替わってゆくのを私は見ていた。色彩豊かな村の小路、石畳の街角、そして遠くの丘陵地帯まで——舞台の景色はまるで風景画のように変化し、物語の旅路をなぞっている。
「夢のひとしずく、輝きを秘めた靴。小さな願い、遥かな未来、運命の指先で紡がれる。真実の光、愛のしるし、その足跡を辿りゆく」
王子はその中央に立ち、両手に抱えたガラスの靴を輝かせている。彼の瞳は揺るぎなく、ただ一人の持ち主を求める熱意を映していた。
「この一歩が示すのは、ただ一人の選ばれし者。透き通るガラスの輝きが、心の扉を開く鍵」
使者たちがその周囲を巡り、ひとりひとりの家を訪ね歩く。足音がまるで冬の静けさを破るかのように響く。
「遠くの村から街の路地まで、探し求めるは光の欠片。誰もが夢見るその奇跡、愛しい人を見つけ出す」
背景は村の外れにある屋敷へと変わってゆく。遠くから近づいてくる蹄の音、かすかな合唱——「ガラスの靴の主を探している」という使者たちの声が、風のように場面の端々を撫でていく。
そして、緞帳の手前、屋敷の内部。緊迫した空気の中、継母の顔に影が落ちていた。
「王子が求めるのは栄光の花。みすぼらしい灰かぶりに目はくれない」
継母はフローラの手を引くと、扉の向こうへ突き飛ばした。冷ややかな声を残し、継母は扉を閉め重たく錠を下ろす。観客席からはわずかにざわめきが起こる。フローラが閉じ込められた小部屋は舞台の右奥、薄暗い照明の中でぼんやりと浮かび上がる。
「暖かい手、優しい瞳。どうか気づいて。あの日、あなたと踊ったのは私」
フローラの瞳が大きく見開かれ、押し殺していた声が溢れ出す。思い出のひとひらをそっとすくい上げるような歌だった。王子の手、笑顔、音楽。遠ざかる光を、どうか、もう一度と願う声。
「ただ愛されたいと願った。誰かのまなざしに見つけてほしかった。私という小さな心を」
いつかアデリナと共に歌われた旋律がもう一度空気を揺らす。フローラの声が切実に響いて、観客席から鼻を啜る音が聞こえた。
私は、アデリナは屋敷の広間に立って葛藤している。フローラを助けたい。けれど、母と姉に逆らうのが怖い。
「王子が来られるぞ、靴の主を探してる。あの夜の輝きの人よ、名を持たぬ乙女よ。いまその姿を!」
村人の声が高まり、ついに王子が屋敷に姿を現した。ドロテアが歓声を上げ、裾を翻しながら舞台の中央に躍り出て、まるで王子を迎えに行くかのように堂々と振る舞う。誇らしげな笑みを浮かべて、彼女はガラスの靴に足をねじ込もうとする。けれど、それはどうしても入らない。焦りと苛立ちが表情に浮かぶ。
アデリナは立ち尽くしたままその光景を見つめている。扉の向こう、重い錠の中でフローラは泣いている。舞踏会で見た少女と同じ声で、震えるように歌っている。
観客の視線が集中する中、私は息を整える。台本通り。次は私の番。
「私は立ち尽くすだけ、恐怖に支配され従うばかり。でもそれでいいの? このままの私で生きていけるの?」
アデリナの胸に渦巻いていたすべてが、歌に変わってあふれ出す。
「どうか、勇気を……あの日の彼の優しさに報えるような。この震える手に、ひとしずくでも!」
私はひとつ息を吸い込んでかけ出す。振り向きもせず、迷いも見せず、まっすぐにその扉へ。
重い扉が開かれると、フローラが目を見開いた。王子が彼女の姿に気づき、焦るように一歩を踏み出した。
「その瞳だ——忘れはしない。群衆のなか、踊った夜を」
「閉ざされた扉の先に、小さな灯を見た。誰かが来てくれると、信じていたわ」
二人の歌声が重なり、音楽が最高潮に高まる。王子がフローラの前に跪き、ガラスの靴が差し出される。そして彼女はそっと足を通し——ガラスの靴はぴたりと合う。
蝋燭の灯が柔らかく輝きを帯び、屋敷を映した背景は左右に割れていく。継母とドロテア、そして集まった村人たちはそれぞれの役目を終え、拍手の中で舞台の端へと退いていった。彼らの姿が消えると同時に、場面はゆっくりと変わり始める。
淡い光が差し込む朝靄のように、舞台の背景は広大な城への道へと移り変わっていった。赤い絨毯は静かに消え去り、代わりに遠くまで続く石畳の道が浮かび上がる。柔らかな緑の木々が並び、その奥に堂々たる王城のシルエットが霞の中に浮かんでいた。
「星より高く、時を越えて。この手を取った、君と紡ぐ未来へ」
「儚き夢なら、どうか醒めないで。私を見つけてくれた人、この胸の灯を永遠に抱いて」
王子とフローラの歌声が風に乗って届く。フローラは小さく頷き、やがて二人はゆっくりと歩みを進めた。彼らの歩調はぴたりと揃い、これまでの苦難や孤独の時間が一瞬にして遠いものになったように思えた。
舞台の片隅、薄明かりに照らされた場所に、アデリナは立っている。視線は王子とフローラに向けられていて、そこにはただ見守るだけの静かな決意が宿っていた。
「私は正しいことをしたの。心のままに選んだ道よ」
静かに歌う言葉に、アデリナは自分自身を少しずつ許し始める。すると静かな足音が近づき、カミルがそっと隣に立った。彼の瞳には変わらぬ優しさが映っている。
「歩む先を恐れないで。君の行先に光は射すから」
カミルがそっと手を差し伸べて、アデリナの心が揺れる。
舞台の右端では王子とフローラが見つめ合い、左端ではカミルとアデリナが今向き合った。
「たとえ嵐が道を閉ざしても、山並みのうちに迷おうとも。手と手をとれば、どんな夜も越えてゆける」
四人の歌声がゆっくりと重なり合い、舞台を豊かな光で満たしていく。遠くに浮かぶ王城の塔が一瞬輝きを増す。
私たちの歌が宙を舞って、最後の旋律を高らかに歌い上げたとき。
——幕は、静かに降りていった。




