第5話 楽しい時間はあっという間に過ぎていく
いやあ、それにしてもこの時のモーニング、じゃなくて朝ご飯は、さすがは鞍馬くんが「最高のおもてなし」と言うだけのことはあった。
まずは見た目の美しさにうっとり。
ランチやディナーとは違って、なんて言うのかな、朝日のような清々しい美しさ? 一つ一つのお料理が日光に溶けだしているような、透き通るような感じの美しさだった。
そして品数は多いけれどそれらはほんの一口ずつ。
朝なのでどれも胃に優しいものばかり。
最初の前菜から最後のお茶のひとくちに至るまで、お味は言うに及ばずの、それはそれは至れり尽くせりの幸せなひとときだった。
結婚記念日が来るたびに、「あの朝ご飯、最高だったわね~」と、椿と語るのに十分なほど。
「それに、まさかの神前式だったよね」
と、10周年記念で用意してくれたお式もセットで素敵な思い出になっている。まさか10年目にして結婚式が出来るなんて。たまには冬里の遊びに付き合うのもいいもんだ、と2人でよく言い合ったりもした。
でもね、あのときヤオヨロズさんとニチリンさんにはお礼のひとつも言えずじまいだったし、何も召し上がらずに帰っちゃったから、心配になって後で鞍馬くんに聞いてみたんだけど。
「ねえ、ヤオヨロズさんとニチリンさんに、何かお礼しなくても良いかしら」
「お礼、ですか」
「そう」
しばし思案顔をしていた鞍馬くんは、ふとなにかに気付いたように答えてくれた。
「でしたら、気持ちを込めて、ありがとう、と、言われるだけで大丈夫だと思いますよ」
「え?」
「よくヤオヨロズさんが仰っておられますよね。私たちが可愛くて仕方がないのだと。ですから、お礼は気持ちを言葉にして届けるのがいちばん良いかと」
「あ、そうか。そうね。神さまは金品なんていらないものね。じゃあ、椿と2人で、いつでもどこども、思い出すたびにいっぱいありがとうを言うようにするわ」
「はい」
だけど本当のところはね。
鞍馬くんたちは、あとでヤオヨロズさん家にて、お礼のお食事会を開催してくれたそうだ。
おふたりだけでなく、どこから漏れ聞いたのか、それはそれは沢山の神さま方が大宴会を催されたご様子。
神さまは楽しいことが大好きだから、これもまた仕方がないことだったのかな。
あ、夏樹が大いに張り切るのがセットになってるのは、言うまでもないけどね。
こうして変則シチュエーション朝ご飯は、無事に終えることが出来たのだった。
改めて、皆、お疲れ様、そして、ありがとう。
さて、時は過ぎて明日はイギリスへ帰国の日。
久々の実家で、しかも久しぶりだからと上げ膳据え膳してもらっちゃったので、帰ったらご飯作るのが嫌になるかもしれないわ。こうなったら鞍馬くんをさらって帰ろうかしら、夏樹でも冬里でもない、鞍馬くんと言うところがミソよ、なーんてね。
最後の夜は、まだ日本にいた頃よくやってたように、椿が夏樹の部屋で語り明かしの会をするのだそうだ。
「先に寝ちまったらすまん」
と、椿が先手を切って謝ってたけど、どうやら勝敗は引き分けに終わったみたい。お互いにいつ寝たのかまったく覚えてなかった、ですって。
翌朝。
その2人がなかなか起きてこない。
「どうしたのかしら」
と、私が何度も言うから、冬里が気を利かせて?「じゃあ僕が起こしに行ってあげるよ~」なんて言うんだもん、慌てて止めに入る。
「ちょちょちょっと、冬里! どんな起こし方するつもりよ。ダメよ私も行く!」
と、先回りして部屋のドア前に立つ。
コンコン
私にしては優しげなノックをしても、シーンと静まりかえってるから、これはもう2人とも寝てるわね、と、そっとドアを開けてみると。
カーテン閉じる暇も惜しかったのかしら、窓からは朝の光が煌々と差し込んでいる。それでも起きない2人。
「あらら」
「ん? どうしたの?」
見ると、背中合わせに小さく丸まって、幸せそうにグースカ寝ている2人は、今日に限って大型犬と言うより。
「まるで子ネコみたいね」
「うーん、子ネコは言いすぎなんじゃない? まあ、由利香が言うならそうしておいてあげよう」
面白そうに笑った冬里は、私が止める暇もなく部屋に入る。そしてベッドの横に立つと。
「船が出るぞお~」
と声を張り上げた。
「え?」
「へ? うわあ! 乗り遅れる!」
途端にガバッと飛び起きる夏樹と、目をこすりつつボヤンと起きてくる椿。
「ふふ、おはようねぼすけたち。いやあ、君たちを起こすの、大変だったなあ。このお返しに何してもらおうかなあ」
「え? ととと、冬里」
「えーと、えーと、?」
真っ青になる夏樹と、まだ寝ぼけている椿と。
「冬里、もうその辺で。ですがさすがにそろそろ起きないと、飛行機に乗り遅れてしまいますよ」
うしろから声がしたかと思うと、なんと鞍馬くんまでがやってきていた。なんだかんだいいつつ、心配だったのかしら。
「飛行機? ……、あ!」
やつと覚醒した椿は、「うわあ、すみません」の言葉を残して、慌てて洗面所へと飛んでいく。
「あ、ずりいぞ椿、俺も俺も」
ひとつしかない洗面所の争奪が始まりそうだったので、私は寝ぼけた椿の首根っこを掴んで、自分の部屋のシャワールームへと放り込んで一件落着となったのだった。
えっへん、偉いでしょ?
「もう帰っちまうのか~、ああ、寂しいなあ」
楽しい時間はあっという間に過ぎ去るって本当ね。
行きと同じく、空港まで送りに来てくれた『はるぶすと』のシェフ3人。
「だったら、今度はお前がイギリスに来れば良いだろ」
心なしか涙目になっている夏樹の背中をドンと叩きながら、椿が言う。
「うーん、そうなんだけどなあ」
どうやら夏樹は、長期間、店を2人に任せるのが心配? いや心配なんて絶対ないわね。ただ、自分が店から長く離れたくないだけみたい。
「だーいじょうぶだよ~、心おきなく行ってくればいいじゃない。店を潰すようなことはしないから、……たぶん」
冬里が最後のセリフだけ、なぜかホラー映画のような低い声でつぶやく。
「へ? ダメっすよ、俺のいない間に店をなくさないでくださいよ」
「え? たぶんって言っただけだよ?」
「ほら、それが! もう、助けてくださいよシュウさーん」
「冬里、ここまで来て遊ばない」
「ふふ」
まあ、このやり取りともしばらくお別れね。寂しくないと言えば嘘になる。
本日は、私たちのためにランチ営業はお休みしてくれた3人。けれどこのあと彼らは『はるぶすと』に戻ってデイナーの準備をするんですって。
そうこうしているうちに、搭乗のアナウンスが聞こえてきた。
「じゃあまたね」
「またな、泣くんじゃないぞ夏樹」
「泣いてない!」
「我慢しなくて良いよ~。じゃあね~」
彼らの隣で微笑む鞍馬くん。
出発ゲートを通ったあと、振り向いて片手をあげる椿。
向こうでは夏樹が同じように片手をあげている。
2人が同時に手を合わせるように振ると。
パチン!
と、小気味よい音がしたような気がした。
その後はお互い振り向かず、それぞれの場所へと帰っていった。
これは、結婚10周年記念のちょっとしたおはなし。
色んな事がありますが、『はるぶすと』明日は通常通り営業致します。