第9話 殺戮姫
「ううぅ……、痛えぇ! フォークが手の平に突き刺さるって、どんな力技だよ……」
俺はフォークが刺さった方の右手を抑え、鈍い痛みに耐えていた。
情報屋のじいさんにお土産としてもらったパンツを包帯代わりに右手に巻き付け止血している。奴隷街で清潔な布は貴重品だ。市場で包帯を買おうと思ったら高くつく。
回復薬『ポーション』とか論外だ。あれ一個で四千ティアス取られる。傷口が瞬時に塞がる『ハイポーション』とかもあるらしいが、そんな物を買えば月の給料が吹き飛んでしまう。
地下生活には慣れたが衛生環境が良いとはとても言えない。
一応、岩壁から湧き出る水で傷口を洗ったが、傷口から菌が入って感染症になっては困るので、俺は仕方なくパンツを握り締めている。
道行く奴隷達の視線が痛い。完全にゴミを見る目だ。
まぁ、歓楽街からパンツ握りしめて帰る馬鹿を見かければ、俺も侮蔑の視線を向けて唾を吐き掛けるだろうけども。
これは仕方ない事なんだ。
「にしても、あれはすげぇ殺気だったな。怖すぎて酒場から逃げ出すところだったぜ、俺」
俺を盾に危険を回避したジャックは、ケタケタと笑いながら俺の横を歩いている。
「……お前も少しは役に立ったらどうだ? ジャック」
「おいおい、じいさんの情報代払ったのは俺だぜ? 文句を言われる筋合いはねえ」
「ただ娼館で獣人っ娘と遊んできただけだろ、ったく」
エルキスとの交渉を終えて、俺達二人は歓楽街から居住区への帰路をとぼとぼと歩く。
アホみたいに高い歓楽街の宿代が払えない大勢の奴隷は、基本的に居住区で寝泊りすることになる。
「アマゾネスの姐さん、来てくれるかねぇ~、ちゃんと」
「言質は取れなかったけど、『考えといてやる』とは言っていた。後はエルキス次第だ。例え彼女が来てくれなくても、俺達で何とかするしかない」
どのみち、こんな無謀な戦いを続けていけば遠くない未来で俺達は死ぬだろう。
今はとにかく、信頼できる仲間を一人でも多く作ることが重要だ。
俺達は居住区という名の監獄に辿り着いた。
犯罪房第一区画。——ここに俺の寝床がある。
灰色の石材が多様された監獄は陰気な雰囲気を漂わせ、床は一面ひび割れた石畳で覆われていた。分厚い牢獄の石壁が街灯の光を遮り、中は薄暗くて不気味な雰囲気だ。
中に入るとまず広場が見える。三階まで続く吹き抜けの天井。両側の壁には独房の出入り口が並んでいて、宿無しの奴隷たちが思い思いに独房の個室を占拠していた。鉄格子がはめ込まれた独房もあれば、扉が外れて開け放しのまま放置された独房もある。
薄ら寒く感じるのはここが監獄だから、という理由だけではない。
ここはかつて死刑囚の奴隷が住む最低最悪の区画だったらしい。昔は罪を犯して地下に落とされた犯罪者の奴隷と、そうでない他国の捕虜や身売りした奴隷達を区別して収容していたそうだ。その名残として独房が幾つかの区画に分かれている。
今は奴隷の数が増え、好きな場所で寝ろと丸投げされている状況だ。
チンピラや荒くれがひしめくこの地下。普通、見栄を張りたい奴らはこういういわくつきな場所をたまり場に選ぶと思うのだが、この区画だけポツリポツリと独房に空きがある。
貴重な個室を誰も使おうとはせず、どこか閑散としていた。
そう、ここ犯罪房第一区画は奴隷達に最も人気がないスポットなのだ。
「にしても、リュート。お前よく隣で寝られるよな。俺なら恐怖に震えて漏らしちまうぜ」
「あそこなら物を盗まれる心配はない。それに、彼女のおかげで嫌われ者の俺達が寝床を確保できてんだ。使える物は何でも使って生き延びる。贅沢は言ってられないだろ?」
「そうだけどよぉ~。『殺戮姫』の隣に住みつくなんて、死にたがりとしか思えねえーぜ。死んでも骨は拾わねぇぞ?」
そう言って「じゃあな」と肩越しに分かれの挨拶を告げたジャックを見送る。俺もさっさと寝て体力を回復するべく、自分の独房へと向かった。
階段を上って二階、そして三階へと辿り着く。
誰もいない一階の広場を左手に眺めながら、石材がところどころ剝がれ落ちた巨大な石柱、それが等間隔にそびえ立つ通路を進み、その突き当たりを曲がる。柱に視界が遮られ周囲から死角になった場所。この通路だけ人が全くいない。
監獄の最奥、通路奥の壁から二番目の独房。
そこが俺の寝床だ。俺は自分の独房へ向かって歩き出した。
——しかし、隣の独房の住人である少女の姿が目に映り、俺は動きを止めてしまった。
『殺戮姫』と呼ばれる少女が手すりの無い通路の淵に足を投げ出し、腰を下ろしていた。柱に軽くもたれ掛かり、ナイフの手入れをしている。
普段この時間帯、彼女は仕事に出かけているはず——
「…………ッ!」
「あら? こんにちは。またお会いしましたね」
薄暗い監獄の中で煌く銀髪と黄金の瞳。
こんな地獄の最底辺にいるのが場違いに思えるほどの、美少女。噂の絶えない地下街で、最も多くの噂が飛び交う謎の人物だ。この地下で彼女の事を知らない者はいないだろう。
年下なのか、年上なのか、あるいは自分と同じくらいの年齢なのか、彼女の纏う雰囲気が異質すぎて、彼女という存在をどう表していいか分からない。本当に同じ人間なのかと疑ってしまうほど異質な存在感を放っている。
この地下で屍を量産するサイコキラー。
ある者は『悪魔』だと云う。
ある者は『化け物』だと云う。
ある者は『執行者』と恐れる。
ある者は『殺戮姫』と名付けた。
初めて戦場に立ったあの日、俺は彼女の事が『天使』のように思えた。
誰もが表立って口にせず、目線を逸らし、遠巻きに避ける存在。
そんな彼女が何気ない様子で俺に話しかけてきた。