第7話 情報屋
迷宮の岩壁と娼館に挟まれた路地裏。
魔力で稼働する薄ピンク色の街灯の光が途切れ、一気に怪しさが増す。
路地裏には埃を被った木箱が無造作に積み重なり、行き止まりとなっている。俺は木箱の一つを横にどけて、わずかな隙間を縫うように路地裏の奥へと進んでいく。
娼館のちょうど裏側、通路の両側に木箱が積み上げられており、ぽっかりと小さなスペースが空いている。
そこに一人の老人が静かに座禅を組み、目を伏せていた。
地面に置かれた鉄製の燭台、その上にロウソクが一本立っている。ゆらゆらと揺れる小さなロウソクの炎に照らされて、老人の素顔が露わになる。
皮と骨だけのほっそりとした体格。長い白髪を後ろに撫で付け、顎に白い髭を伸ばしている。頭上には純白の王冠、——ではなく、女性が胸部に着用する下着、通称『ブラジャー』を頭にちょこんと乗せていた。
端がボロボロに擦り切れた白い布切れをローブのように着こなし、女性用下着を何枚も縫い合わせた色鮮やかなマントを肩に羽織っている。
一見すると、——ただのド変態だ。
だが、額の皺は険しく切り立った渓谷のように深く刻まれ、三千世界を渡り歩き悟りを開いたか如く、悠々たる姿勢を保つその老人は、まるで賢者のような雰囲気を秘めていた。王笏を片手に王座に腰掛けていても不思議ではない王族の覇気を纏っている。
真正面から相対すれば分かる。——ただ者ではないと。
老人はただ静かに目を伏せている。
俺は音を立てないようにそっと地に腰を下ろし、頭を下げて老人に挨拶する。
「じいさん。お久しぶりです」
「おっ、なんじゃ、パンツかっ⁉ パンツ、パンツ!」
訂正、ただのド変態で相違ない。
「——ふぅむ、なんじゃ? つまり、戦場で共に戦う仲間を探していると?」
「そーなんだよ、じいさん。誰か良い奴いねえかよぉ~」
娼館の裏に住みつく老人『布王』に話しを聞くため、俺達はここまで足を運んだ。
この老人は情報屋だ。
異世界転生して間もない頃、どこか脱出できる場所はないかと、歓楽街を歩き回っていた時、俺はこの老人と出会った。
老人は地下に落ちてもう随分と長いらしい。
元々は俺達と同じ奴隷兵だったそうだが、どこまで本当の情報か怪しい。
女子供、老人など、戦闘力が無いと判断された奴隷は、地下街で給仕の仕事を強制される。地上から送られてくる物資の運搬に歓楽街各施設での労働、そして街のインフラ整備。後は帝国兵の憂さ晴らし相手だ。
だが、目の前の老人はなぜか労働義務を負わされておらず、こうして娼館の裏にひっそりと住んでいる。
老人は多くを語らない。全てが謎に包まれている。
ただ、右も左も分からない異世界人である俺に情報を提供し、この地下での生き方を教えてくれた恩人である事に変わりはない。
布王曰く——『取らんと欲するものは、まず与えよ』
この老人は、初めて出会う者に最初の一回だけ情報を無料で提供する事をモットーとしている。
俺はその初回無料キャンペーンを活用して、老人に質問しまくった。
帝国、魔族、奴隷街、そして、この世界の常識ついて。
俺が異世界人だと知るのは、神殿で俺を取り押さえた帝国兵と、目の前の老人だけだ。
老人が云うには、別の世界の知識を持つ者がいる、という噂を聞いたことがあるらしい。異世界人について老人はあまり詳しい事は知らないみたいだったが、それでもかなりの収穫だった。
今は異世界人であることを隠して生活している。
この地下街で目立って得をする事はない。老人の助言に従い、俺は帝国兵に目を付けられぬよう、ただの奴隷を演じていた。
「演じていた」と言っても、俺に異世界チート能力なんて物はない。なので、ガラの悪い輩に目を付けられないようにコソコソ隠れているだけなんだが。
そんなこんなで、この老人に地下街での身の振り方を教わり、俺はなんとか生き延びた。
情報屋のじいさんには本当に感謝している。
少し、だいぶ、かなり、めちゃくちゃ変態的な恰好をしているが、老人がもたらす情報はどれも本物で質が高かった。
この地下街で信頼できる人は少ない。
俺はお礼を兼ねて老人の情報を度々買っていた。
ジャックも情報屋のじいさんを知っていた。皇帝の噂はおそらくじいさんから購入したのだろう。
「じいさんもご存知でしょうけど、次の戦場で監視が厳しくなる」
「ふむ、聞いておる。どうやら皇帝が地下に降りてくるそうじゃのう」
「はい。そこで、次の戦場を生き延びるために仲間が欲しいんですが……」
「ふぉっふぉっ、おるぞ。生きが良くてどこにも属していない新人が一人」
「ジャック」
「はいよ、じいさん。情報代だ」
ジャックはズボンのポケットから黒い布を取り出した。
それは、透け透けでセクシーなレースの黒ショーツだった。
「娼館『ルージュ』の人気N.o4嬢、ケモ耳獣人娘『モモカちゃん』の透け透け黒パンツだ。こいつを手に入れるため、俺は男泣きして土下座したんだぜ?」
「Hooooooooooooooooooooooooッ‼」
老人は拳を突き上げ、天を仰ぎ、歓喜の咆哮を上げた。
しわがれた細い手をぷるぷる震わせながら黒い布を受け取り懐にしまう。賢者のような凛々しい表情から一変、ただのド変態ジジイ特有のスケベ顔に変わる。
うん、もう慣れた。
地下街でしぶとく生き残るのは、こういう変態ばかりだ。
布一枚受け取った老人は「ごほっ、ごほっ、こ、興奮しすぎたわい」とか言いながら、胸を叩いている。布一枚ではしゃぎすぎだろ、このジジイ。
「……それで、どんな奴なんです?」
「うむ、実はじゃな、最近腕っぷしのある新人が地下に堕ちてきてのぉ——」
老師が言うには、そいつは多くの奴隷兵が所属するトライブの一つ『血濡れの骸』の誘いを断り、リーダーに玉蹴りを食らわせたようだ。
そいつは誰ともツルまず、単独で地下迷宮に潜っては、寂れた酒場でくすぶっているらしい。
『血濡れの骸』は、さっき絡んできた荒くれ『ギャダル』が所属するトライブだ。
リーダの男『赤目』は、この地下で三年生き残っている実力者で、現状奴隷の中で最も発言力が強いと言われている。『自由民の切符』に一番近いのが奴だとか。
普通、この地下で生きていこうと思ったらトライブに参加するのが一番だ。
迷宮探索にしろ、魔族と戦うにしろ、仲間は多い方が良い。
現状最も有力なトライブの誘いを蹴るとは、よっぱどの自信家か、それともただの死にたがりなのか。
どこにも属さない新人にして、金に困った問題児。
ビンゴ。俺達の仲間にピッタリだ。
ちなみに、俺とジャックは他のトライブに参加できなかった。
理由は言うまでもない。弱いからだ。
「しっかし、じいさん。いつもここに座ってるだけなのによぉー、よくそんな情報知ってんな。どうやって情報集めてんだよ?」
「ふぉっふぉっ、ここは娼館の裏じゃぞ? 情報なんぞは歩かずとも、向こうの方から自然にやって来るわい」
つまり、玉を蹴られたリーダーの男、もしくはそいつの部下が娼館に来て、事の顛末を娼婦に話しているのを聞いたと、そういうことだ。
この老人、ただ男女の事情を盗み聞きしているだけではないらしい。
「情報感謝します。じいさん。これは情報代の上乗せだ。食ってくれ」
そう言って俺は背中に背負ったボロの布袋から林檎を一つ取り出し、老人に手渡す。
「じいさん、あんたガリガリだぞ? 本当に飯食ってんのか?」
「ふぉっふぉっ、人はたとえ飲まず食わずでも三ヶ月は生きられる。水と睡眠を充分取れば半年は生きられる。人間の体は意外に頑丈なのじゃ。じゃが、お主達の施しには素直に感謝するぞ、リュート、ジャックよ」
そう言って老人は目を伏せたまま、静かにお辞儀をする。
その雰囲気はまさに賢者だ。頭にブラジャーが乗っけていなければだけど。
ん? いやちょっと待て。人は飲まず食わずで約一週間、水だけだと約一ヶ月が限界じゃなかったか?
やっぱり、この老人。どこかおかしいような……。
でも、地下にいる連中は、だいたい頭のネジ一本や二本外れた連中ばかりだし、大して気にすることではないのかもしれない。
俺は老人にもう一度お礼を言い、その場を後にする。