第33話 酒盛り
地下十五階層、奴隷街、居住区。
薄暗い灰色の空に包まれた地下大空洞。
色も味も薄い林檎をしゃくしゃくと齧りながら、俺は居住区へと向かう通路を歩いていた
犯罪房第一区画の扉をくぐると、そこには酒を持ち込んで馬鹿騒ぎしている奴隷達の姿が見えた。
「おう大将、待ってたぜ!」
「お~い、誰かボスの飯持ってこ~い」
「あらリーダー、こんばんは」
「キャプテンのお帰りだ、他の奴等も呼べ!」
「お疲れ様です、頭! さぁ一杯飲んで下さい」
いい加減、呼び名統一しろよ。そう思いつつ辺りを見渡す。
監獄の一階広場。半年前は何もないがらんどうな空間が広がっていたのに、今では酒樽、木箱、椅子にテーブルと様々な物資が持ち込まれ、酒場同然と化していた。
床にはジョッキや皿が散乱し、派手に飲み食いした形跡がある。
「……お前ら、また無駄遣いを」
「えっ? いやいや、共有資金には手を出してないですぜ、もちろん。新人生還会って奴です、大将。へへっ」
筋肉隆々の大柄な男が頭をかく。
こいつは半年前の戦いを生き抜いた奴隷兵の一人。助けられて恩を感じたとかで、俺を慕ってくれている。
共有資金――俺は奴隷兵全員から戦時報酬の約三割を徴収していた。
徴収した金でポーション類や道具を調達、そして装備を統一。物資を均等に再分配して次の戦争に備える。装備が整ったことで奴隷兵は単純だが強固な隊列を構築できるようになっていた。
最初、金を払う事に抵抗する新人もいたが、「最前線に送るぞ」と脅せば大抵の奴は大人しくなった。今の奴隷街にトライブは一つしかない。一致団結したと言えば聞こえはいいが、新人には逆らえない巨大勢力に見えるだろう。何だか税金の取立をしているみたいだが、裸ナイフ一本で戦場に放り出されるよりマシだと、そう考えて欲しい。半年前は装備揃えるだけでも大変だったのだから。
有り金全て娼館につぎ込んでも戦場に行けば装備が支給される。それが利点として奴隷兵に認識され、今に至る。
本当はできる限り無駄遣いを止めて欲しいところだが、金を全て管理すれば不満の声が出るだろうし、ここらが妥協点だろう。
そんな事を考えていると、わらわらと奴隷兵たちが俺の元に集まって来た。
「キャプテン、娼婦から贈り物が届いてやすぜ。パンツっす」
「いらん。切って包帯代わりにしてしまえ」
「ボス、もっと食料買い込もうぜぇ~。腹減っちまってしょうがねぇ~よ~」
「ダメだ。お前は腹の下に付いた贅肉でも齧ってろ」
「ちょっとリーダー。この地下、ショタの数が少なすぎるんじゃない? 共有資金で愛玩用ショタを買いましょうよ」
「だまれ、イカれエルフ女。アグノスをやるから大人しくしていろ」
「リューちゃん。これ食べてください。美味しいですよ? はい、あ~ん♡」
「……なんでディアナさんがここにいるんです?」
「もう、リューちゃん。みんな最近お店に来てくれないから、こっちから遊びに来たのよ。デリバリーよ、デリバリーヘル――」
「分かった。分かったから、これ以上口にするな。何年時代を先取りしてんだ。後、リューちゃんはやめてくれ」
能天気な仲間たちとのやり取りに溜息をつく。
しかし、居心地は決して悪くない。この地下に笑顔が溢れている。半年前では考えられない光景だ。
戦場の張り詰めた空気から解放されて財布のひもが緩んだのか、奴隷兵たちは飯を大量に買い込んでいる。おこぼれを貰うためにやって来たのか、奴隷兵でない奴らも一緒に混ざって楽しく宴会していた。
皆、逞しく生きている。絶望に打ちひしがれ道の隅っこでうずくまっていた連中もかなり減った。
誰も寄り付かなかった監獄が、今では奴隷たちの憩いの場だ。
よく見ればアグノスが目を回し、テーブルに突っ伏している。おい誰だ、未成年に酒飲ませた奴は。未成年飲酒、ダメ、絶対。
「おう、来たかリュート」
この陽気な声の主はジャックだ。
ジャックはジョッキ片手に口に付けた泡の髭を拭いながらよろよろと歩いてくる。既に出来上がっているご様子。
今回の酒盛りの提案者はおそらくこいつだろう。
「派手にやりやがったな、ジャック」
「だぁー、相変わらずケチケチしやがって。そういう所は変わんねーのな、おめぇ」
「俺は根っからの貧乏性なんだよ」
「せっかく奴隷兵が皆一丸となって戦ってんだ。こーいう行事も必要なんだよ。儀式だ、儀式! さぁー、もう一杯! ひっく!」
ジャックはごくごくと美味そうに酒を喉に流し込む。
まぁ、ジャックの言うことも一理ある。
俺達は協力する事で成り立っている。部隊の結束を高め、士気を高く保つのも指揮官の役目だ。仲間を鼓舞したり、気遣ったり、俺はそういうのに向いていない。ジャックは皆を上手くまとめているようだし、今回は見逃してやることにした。
「まあいい。それより怪我人は?」
「傷を負った奴は十八人。ハイポーションが必要だった奴は五人。戦闘継続不能となった奴が一人。だが全員無事だ。命に別条はない」
「……そうか」
「おいおい、普通そこは喜ぶところだぜ? 半年前なんて二人に一人が死んでたんだからよー。それをこうも変えちまったんだ。大した奴だぜ、まったく」
ジャックはそこらに放置されている木箱の上にどかっと腰を下ろし、やれやれと被りを振っている。一応、こいつなり気遣いなのだろう。
ジャックとの付き合いはもう八カ月になる。
共に地獄を生き延びた仲間だ。考えなしの男ではないと理解している。
「最近また新人が増えたな。教育の方は?」
「おう、そこはバッチリよ! それを兼ねての宴会なんだからよ」
監獄を見渡せば、壁一面に部隊陣形や戦術の基本、各種魔獣の対処方法など、様々な戦術がチョークで書き殴られている。石灰岩の粉末を焼き固めてチョークを作り、映画で聞きかじった知識を捻りだして俺が書いたのだ。
馬鹿でかい監獄の柱は今では黒板替わりになっていた。文字が読めない者も多いので陣形を図で表し、その図を元にベテラン奴隷兵たちに新人教育させている。
青空教室にちなんだ監獄教室。生徒は厳つい顔の奴隷たち。
俺は軍事学を学んだわけではない。自分が完璧に部隊を指揮できるとも思えない。俺に出来ることは少し先の未来の知識、戦術を奴隷兵たちに叩き込み、後は奴隷兵一人一人に考えさせて選択肢を増やしてやる、これくらいだ。
戦場で最も重要な事は情報収集、状況把握、迅速な行動、あとは決断力。
状況把握するにしても、迅速な行動を心がけるにしても、戦場と敵を知らなければ行動に移せない。知識の有無によって生存率は極端に上下する。だから新人を鍛えるのが最優先事項だ。
「にしても、なんでお前こんな作戦やら陣形やらポンポンと思いつくわけ?」
「映画……、じゃなくて演劇や本で読んだんだよ。俺の国では五百ティアス払えば演劇一万回見放題のサービスがあってだな」
「は? おめぇーが冗談言うのは珍しいな。そんなサービスがあんなら劇団は赤字でとっくに潰れてんだろーが」
「……ああ、本当にどうやって利益出してんだろうな、あのサービス」
元の世界の月額配信サービスに想いを馳せていると、一人の女性が監獄の門をくぐり、広場にやって来た。
「あら? 今日はなんだか賑やかですね」
声がした方向に目を向ければ銀髪の少女ルナリアが立っていた。
「おおっ! 皆、ルナリア姉さんのお帰りだ! 飯を持ってこいッ!」
広場からひゅーひゅーと歓声が上がる。
ルナリアを恐れる者はもういない。
いや嘘、普通に沢山いる。半年前から生き残っているベテラン達は皆おっかなびっくりした様子だ。でも噂を知らない新人はルナリアを恐れていない。彼女が手を下す必要のある奴隷の数が、どんどん減っているからだ。
「この地下も随分と雰囲気が変わりましたね。素晴らしいことです。これもリュートさんのおかげです」
「……ああ。まーな。半分はお前の力だけどな」
照れ臭くて口調を少しぶっきらぼうなものにしながら、俺は頭をかく。
「それより、何か食べないのですか?」
「俺はいい。リンゴ食ったから。他の奴隷たちに回せ」
「いけません! 食事は大切です。リュートさんは気を抜くと直ぐに死んだ魚のような目になるのですから。目の輝きを維持してもらわないと困りますっ!」
「……心配してくれる理由って、俺の目玉を綺麗な状態でくり抜きたいからだよな?」
「はい」
「なら、目を腐らせたほうが狙われないんじゃ……」
「今くり抜きますよ?」
「——はい、食べます」
ルナリアはどこに隠し持っていたのか、ナイフをすっと取り出し構える。底知れぬ恐怖を感じて俺はすぐさま席に着き、出された食事に手を付けた。
硬いパンを力任せにちぎってスープに浸し、口に放り込む。……味が薄い。そして不味い。もやしに焼肉のタレを掛けて食った方が遥かにマシなレベルだ。
極貧生活に慣れているので別に食う必要などない。生活の質に合わせて体が対応したのか、俺は少食だった。現世でも基本一日一食だったし。それに、食事の適切な回数は個人によって異なる。体質によるが一日三食は逆に生活習慣に悪影響を与える場合もあるのだ。
そんなどうでもいい知識を思い出しながら億劫に口を動かしていると、ルナリアと入れ替わるようにエルキスが側にやって来た。
エルキスは一階広間の喧騒から距離を置くように、俺にこっそりと耳打ちする。
「ダークエルフの女騎士がお前を呼んでる。駐屯地に一人で来いと伝言を残しやがった」
「俺を?」
「どうする? 俺の部隊を付けるか」
「……いや、俺一人で行く」
相手の目的は分からないが、ここは素直に呼び出しに応じることにする。
他の仲間を心配させないように、こっそりと席を立つ。
背後でポツリと「き、気を付けろよ」という言葉が聞こえた気がして後ろを振り向くと、「な、何も言ってねえよ!」とエルキスに怒鳴られた。
何も言ってないのはこっちだと文句を言いたかったが、黙ってその場を後にする。