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第2話 奴隷街

 コンコンと、鉄格子を数回叩く音が聞こえて、俺は目を覚ます。


 異様に重たく感じる目蓋を何とか上に持ち上げようと瞬きを何度か繰り返し、意識の覚醒を促す。

 全身が頗る怠い。まるで泥の底から手足をもがいて這い出るような感覚。昨日の採掘労働の疲れがまだ残っているようだ。

 目覚め特有の不快な倦怠感に眉をひそめながら、俺は望まぬ来訪客の方へと顔を向ける。


「よう『屍喰らい(スカベンジャー)』、気分はどうだ?」


 地下の大監獄。その独房の一室。

 土と石造りの壁に囲まれた小部屋の出入り口、ご丁寧に取り付けられた鉄格子の向こう。一人の男が鉄格子にもたれ掛かり、俺に話しかけてくる。


 ひょろりと背が高く細身な体格。線の細いシャープな顔立ち。茶色の髪を短く刈り上げ、顎には無精髭を生やしている。俺とそれほど年は離れていない。この地下ではかなり若いほうだ。

 飄々とした雰囲気が良く似合うその男の首には、薄汚れた青銅色の首輪が嵌められていた。


 その首輪は奴隷の証。

 人でありながら人として扱われず、消耗品の道具として管理される存在。

 自分の首に手を触れれば、鉄格子の前に立つ男と同じ首輪が取り付けられている。

 そう、俺もまた、人間の最底辺として生きる奴隷の一人だ。

 意地悪く笑うその男のにやけ顔を見て、来客が誰だか一発で分かった。


「……よう『引率者トレイン』、お前が来るまでは最高だった、が今はクソだ」


「おいおい、戦場で互いに命を預けた友にそのいい草はねぇーだろうよ」


「お前がピンチを引っ張って来たから、俺が巻き添えで命を賭けるハメになったんだろうが!」


 こいつの名前はジャック。

 俺と同じ時期に奴隷としてこの地下にやって来た新人だ。

 いや、新人だった、というのが正しい。ここでは三ヶ月生き延びればベテラン扱いになる。三ヶ月でだいたい奴隷兵の半分が戦死し、一年後には一割も残らない。

 ここはそういう場所。

 俺とジャックはその三ヶ月を生き残り、地獄の第一関門をクリアした悪運強き者達だ。

 俺は死体に隠れて遺品を漁る『屍喰らい(スカベンジャー)』として、ジャックは敵を誰かに擦り付けて逃げる『引率者トレイン』として、どちらも大層なクソ野郎に違いはない。


「……で、ジャック。何の用だ? 貴重な睡眠時間を消費するほどの事か?」


 まだ刑務作業の時間ではない。

 俺達『奴隷兵』は、戦争が無い日は地下迷宮内で採掘労働に従事する。

 戦場に行くよりは遥かにマシだが、地下迷宮内はモンスターが出現する。どちらにせよ命懸けの仕事であることに変わりはない。

 今日を生き抜くため、少しでも体力を回復させておきたかった。


「ああ、普段は聞けねえー面白い情報が入った、聞くか?」


「どうせ、地下街の娼館に美人なエルフがやって来ただの、爆乳アマゾネスが現れただの、そんな下らない情報だろう?」


「ちげーよ! ってか、娼館の情報はチェックしとくべきだろ、男として。玉ついてんのか?」


タマ賭けて戦争一回二万ティアス。採掘労働が日給千ティアス。この少ない稼ぎをさらに搾り取られてたまるかよ」


「ここに堕ちてまだ『自由民の切符』を目指してるたぁ~、相変わらずだな、リュート」


 そう言ってジャックはニヤニヤと笑みを浮かべる。

 無謀な夢を追いかけるアホを哀れに感じる、そう顔に書いてあった。


「うるせぇ……、俺はこの地下の掃き溜めからさっさと出るんだよ。そして新しい人生をだな……」


「この地下に堕ちて自由民になれた奴、実はいないって噂だぜ?」


「しょせん噂だ。信用ならない」


「おめぇ、重罪認定されてんだろ? 帝国サマに一体何百万ティアス吹っかけられたんだ? みんなも諦めちまってんだ。お前もさっさと地下の生活を受け入れるこったな」


 自由民への切符。

 生きて地上に戻るのがどれほど無謀な事か、この三ヶ月で身に染みて分かった。

 地下に堕ちた奴隷に入る墓など無い。墓石に名を掘られる事もなく遺体は焼かれて灰になり、ただこの世から忘れ去られるのみ。そして代えの奴隷がやって来る。

 奴隷がどのように死に、何日で忘れ去られるのか、俺は知っている。


「……情報ってのは、次の戦場に関係あんのか?」

「ああ、それに一枚かんでる」


 ジャックはこちらに手の平を見せ、指をひょいひょいと動かす。情報が欲しければ金を寄越せ、と言外にそう伝えている。

 俺はポケットに入っていたなけなしの百ティアス硬貨をジャックに投げつけた。

 百ティアス。林檎一つ買える値段だ。この地下での百ティアスは高い。なんせ明日を生き抜くための食事一日分の値段と同等なのだから。


「下らない情報だったら、戦場でお前の喉を掻っ切ってやるからな」

「相変わらずケチくせえ野郎だな。――まあいい、聞け」


 自称友人はもったいぶった口調で、仕入れてきた貴重な情報とやらを口頭で伝える。


「皇帝が地下に来るって噂だ」

「はぁぁああぁぁああぁぁ~……、寝る」


 盛大な溜息を一つ。俺は再びベッドに横になった。

 地下街に生えている植物の葉や枝を拾ってきて、その上に布を敷いただけの簡易的なベッド。ベッドとはとても言い難い、酷く硬い寝床だ。

 だが、石の床に寝っ転がるよりはずっといい。部屋の空きが無い先月までは監獄の一階広間、その硬い地面に野郎共と一緒に雑魚寝して睡眠を取っていたのだから。

 個室を確保できただけ、かなり運が良い方だ。


「おいおい、何だその興味の無さはッ! あの皇帝だぞ?」


「ジャック、お前が男のケツに興味があるとは思わなかったぞ。この地下牢獄を作り、俺達を地獄へと突き落としたクソ野郎にどうして興味がそそられる? 数日前にお前が持ってきた『少年狂い』のネタ話の方がまだマシだ」


「あぁ~、貴族のご令息数百人の尻という尻を壊して地下にぶち込まれたエルフの姉ちゃんね。あれはイカレてるよな。って、そうじゃねえ。重要なのは護衛の兵士の方だ」


「護衛って、近衛兵って奴か? いつも街を巡回している衛兵とそう変わらないだろう?」


「砦にもやって来るんだよ、皇帝とその護衛が下に降りてくる。つまりだ、いつもの作戦が使えない」


「はあぁ⁉ 砦? 最前線じゃねえか!」


 俺は飛び起き、ジャックの方に向き直る。

 いつもにやけ面のジャックが何時になく真剣な表情をしている。どうやらこの情報はマジもんらしい。


 ろくに戦えない俺とジャックが、どうしてまだ生き延びているのか。それは、姑息に戦場を逃げ惑い、徹底的に敵との交戦を避けてきたからだ。

 戦場はいつも混乱の極みにある。砂埃が舞い、兵士達が悲鳴を上げ、死体が山積みになり、視界は最悪だ。奴隷の一人二人が死んだふりをしてもバレやしない。


 だが、皇帝が地下に降りてくるだと?

 兵士の数が増えれば、その分だけ監視が厳しくなる。つまり、死んだふりも、擦り付けも、敵前逃亡も出来ない。

 城壁の上から矢を放つ事しか脳のない腰抜け共以外に、別の兵士がやって来るとは。一体何が起きている?

 俺は顎に手を当ててあれこれ思案していると、ジャックは受け取った百ティアスを親指で弾き、俺に投げ返してきた。


「つーわけで、お前の脳みそを貸せ。次の戦場を生き延びる策を考えろ。報酬は百ティアスだ」


「……ずいぶんと安い仕事だな」


 俺は布のベットから腰を持ち上げ、牢の外へと出る。

 牢の鉄格子に鍵は掛かっていない。地下大空洞、その全てが牢屋として機能するからだ。


 この場所は、下卑た男達の罵声と怒号、すすり泣く誰かの嗚咽が響き渡る地獄の一丁目。

 帝都地下、世界樹地下迷宮第十五階層。

 全大陸の奴隷が最後に行き着く終着駅。


 ——通称『奴隷街スレイブシティ』。


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